■ 2002/07/09 (Tue)会社のHPの管理人室の文章から
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町内会のバス旅行で向かったのは
出来たばかりの遊園地
何もかも新しくて
観覧車は青い空の中で、きらきらと周って
入り口では
イギリスの兵隊さんの格好をしたパレードが出迎えてくれた
ジャングル探検の船に乗ると
鰐が現われて
生まれてはじめて見る光景は、驚きの連続だった
そこに
日本一のジェットコースターが設置されるということで
我が社もタイル工事を行った。
工事が始まり、試運転が始まったとき
担当の者は嫌な予感がしたという。
最初は
砂袋を乗せたコースターが、ゆっくりとホームを出発した。。。
と、回転した辺りから
その砂袋が、鈍い音を立てて地上に落ちて来たのだそうだ。
やがて、ゆっくりホームに入ってきたコースター。
やっぱり人間じゃないとダメでしょう。
と、設計者の言葉。
では、皆さん乗ってください。
まさか逃げ出すわけには行かないでしょ。
乗りましたよ。
でも、もう、前なんか見えなかったよ。
目、ぎゅって瞑って。
それで、監督の顔、ちらっと見たら、真っ青になってた。
それ見たら、生きて還れないかと。。
…ということだったそうだ。
そんな彼らの捨て身の協力を得て動き出した
シャトルルーフも
今年二月、その、ドリームランドの閉園で
永遠の眠りについてしまった。
今日は1955(昭和30)年のこの日開園した
後楽園遊園地に
日本初の本格的なジェットコースターが設置された日で
ジェットコースターの日なのだそうだ。
夢というものは儚く消えてしまうものだが。。
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ドリームランドという名の遊園地は
今は大学のキャンパスになり
高層マンションの街にもなっている
唯一当時の面影が有るのは
大学の敷地内になる、横浜市で一番高かった
ホテルエンパイヤ
大学の施設になっているそうだが
高い場所にある高い建物として
状況が合えばかなり遠くからも望めたりする
当時、遊園地と言えば野毛山動物園の隣に
大きなプールと
映画、第三の男に出て来るような観覧車と
ポールに繋がってクルクル回る飛行機とがあり
プールが貯水地になり
辛うじて飛行機だけが印象に有る
そんな遊園地で
町内会の会長さんの提案で
町内から母と妹と町内会の人達と
観光バスで行ったときの驚きと感動は
たぶん、大人になって
ディズニーランドを始めてみた時よりも
ずっと大きと思う
自分自身の子ども時代の風景
夫と二人で観た外苑の映画館での寅さん
鄙びた感じの土産店街
子どもの成長に合わせて乗ったアトラクション
少し洒落たスーパー
今でも鮮やかに思い出せる
夢は儚いものだけど
心に残る思い出の色が褪せることは無い
子どもの頃、若い頃覚えた感動
生きていく中で
それは大きな原動力になっているのかもしれない