Diarios de Varrio -35ページ目

SNOOP DOGG

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もはや、ヒップホップ界の生きる伝説と言っても過言ではないであろう、スヌープ・ドッグ!本名は、カルヴィン・コルドーザー・ブローダス・ジュニア。(長っ!)
1971年、キャリフォルニア州のロングビーチ地区生まれのヒップホップMC、俳優やプロデューサーとしても活動している。MCは、11才か12才ぐらいから始めたそうだ。
以前は、スヌープ・ドギー・ドッグと名乗っていた。これは、母親が彼の見た目が「スヌーピー」に似ていたので、「スヌープ」というあだ名を付けた事に由来している。
イージー・EがいたN.W.A.で活動していた事でも有名であり、後には、2・パックと共同作業していた事もある。
いとこの故ネイト・ドッグとウォーレン・Gで<213>というラップグループを組んでいた時に、ドクター・ドレーがデモ・テープを気に入り、彼の弟分として、その知名度を上げて行く事になる。しかし、レコード会社のオーナー、シュグ・ナイトとの確執により、暫くしてレコード会社を離れる事になる。
最近では、サイプレス・ヒル主催のスモーク・アウト・フェスティヴァルや海外ドラマ「90210(ビヴァリーヒルズ青春白書)」で、見事なフリースタイル・ラップを披露し、ニューアルバム発売イベントでトラヴィス・バーカーと共演したり、アルバムも2、3年に1枚発表するという、その活動は黒人アーティストの中で最も活発だと言えるだろう。
故に、交友関係も幅広く、レッチリやゴリラズとも共演したり、MTV iCONでメタリカが殿堂入りした際、メタリカの<SAD BUT TRUE>のラップヴァージョンを披露している。ライヴで時折見せる、足だけで踊る<CーWALK(クリップ・ウォーク)>も有名。
彼のおじはP-FUNKで有名な、あのブーツィー・コリンズである。
P-ファンクとは、1970年代にジョージ・クリントンが率いた2大バンドのパーラメントとファンカデリック、及びその構成メンバーによる、ファンク・ミュージックを指す音楽ジャンルであり、その音楽集団である。1960年代末に生まれ、1980年代には急速に減退していったが、ブーツィー等によって受け継がれている。
現在のヒップホップ・アーティスト達による、サンプリングが多用されている事実を見ると、かなりの影響を及ぼしている。
ついでなので、ブーツィーの事も書いておこうか。
ブーツィーというのは、あだ名で母親が付けたそうだ。(あだ名好きは血筋なのか?w)本名は、ウィリアム・コリンズ。
彼は、ベーシストであり、彼もまた、ファンク界では最も重要なベーシストの1人である。
彼が在籍していたバンドが当時、故ジェイムス・ブラウンがいたレコード会社の目に留まり、契約を交わす。
その後、ジェイムス・ブラウンのバックバンドが、待遇改善を求めてストを起こしてしまう。この処置として、ブーツィーがいたバンドに指名が掛かり、リハーサルもしないでステージに上がる事となった。すると、ブーツィーのバンドは、難無くそのステージをこなしてしまい、即座にジェイムス・ブラウンのバックバンド<JBS>として活動する事となった。
その中でもブーツィーは、ジェイムス・ブラウンの大のお気に入りで、バンドメンバーの皆はツアーバスで移動しているのに、ブーツィーだけはジェイムス・ブラウンと一緒に、自家用ジェット機で移動というVIP待遇だったという。
しかし、ブーツィーは以前からLSD等の薬物依存者であり、ステージ上でも度重なる幻覚に悩まされていた。とうとうある日、ライヴ中にベースが蛇に見えるという幻覚を起こしてしまい、演奏中に逃げ出してしまった。そして、ジェイムス・ブラウンに解雇通告を言い渡されてしまう。奇しくも、その年はスヌープが産まれた1971年の出来事だったらしい。
その後は、GAP BANDのヴォーカリストとして活躍し、ソロ・アルバムも発表したりしている。去年、還暦を迎えるが、今も現役で活動中である。このGAP BANDは、黒人アーティストが、曲のサンプリングでよく使う音源の1バンドである。サンプリング繋がりで、アイス・キューブがサンプリングで使った、BRICKというバンドのDAZZっていう曲も有名だよね。
このスヌープに関しては、ヒップホップを知らない人でも、「名前は聞いた事あるかも。」って言う人もいるんじゃないかな。映画「プラダを着た悪魔」でも名前だけだが出てたしね。
彼の面白い話しがあって、あの<さかなクン>が被っているフグの帽子に似た様な物を、スヌープが被っているというのが話題になった事がある!真相は定かでは無いが、海外記事には「SAKANA KUN HEADWEAR」と書かれていたそうだ。この年は、さかなクンが絶滅したと言われていた魚を発見した年でもあり、その話題を聞いたスヌープがリスペクトして、被ったのではないかと言われている。これは、動画や画像もあって何ともカワイイことになってます。以外とお茶目なんだねぇ。www
アメリカ人は、たまに会話の語尾で「メ~ン」って言うけど、黒人は時々「ド~ッグ」とも言うんだよ。「ワッツァー!ド~ッグ。」とかね。
俺が好きなドラマーのトラヴィス・バーカーと共演する際の,リハーサル風景の動画がカッチョ良過ぎ!!!!!
画像は、そのイベントの時の物。(ゲイじゃないよ。)
makes a matha fuckin' noiiiiise... biaaatch

OLIVE

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96年デビューのトリップ・ホップのデュオ、オリーヴ。
あのマドンナに気に入られたデュオであるが、残念ながら、たった2枚のアルバムを出しただけで終わっている。
曲調は、切ない歌声にスペイシーな音楽を乗せるという、何ともフワフワワウワウ(表現酷っ!)な感じの不思議な音楽だ。
10ccというバンドのカヴァー<I'm not in love>が、マドンナ出演の映画にも使われている。
実は、このオリーヴの女性ヴォーカルは、前記事で書いたエニグマにゲスト・ヴォーカリストとして、度々参加している。エニグマの4thアルバムの<GRAVITY OF LOVE>という曲で、見事なヴォーカルを披露している!しゃれおつ系の音楽とか似合いそうな声の持ち主です。
彼らもトリップ・ホップという事だが、ポーティス・ヘッドとは真逆で、特に暗くも無く普通に明るいポップな感じだ。クラブ系ではあるが、ダンス・ミュージックでは無いという、これまた不思議な人達である。
特にヒットもせず、すぐ消えたのであまり情報も無いのだが、不思議な音楽繋がりで記事にしてみた。
マドンナに気に入られたからって、有名になるわけでも無いから、やっぱり本人達が頑張んないと続かないよねぇ。ちょっと勿体ないよね。
trip hop is dead

「癒し系」という言葉とブームを築いたプロジェクト

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今は普通に「癒し系」という言葉は使うが、「癒される」という言葉自体あまり一般的ではなかった1990年代初頭、「誰も聴いた事の無い音楽」というキャッチフレーズで彗星の如くデビューしたENIGMA!
このエニグマというネーミング自体、普通は、「謎」とか「不可解なもの」という意味で、RIDDLEとかMYSTERYと同義で使われる言葉をわざわざ使っている訳だから、最初から、いわゆる覆面プロジェクトの目的でこのレコードを発表した得体の知れない存在という風に受け取られたものである。
レコード会社も「アーティストの意向で、あくまでもエニグマというプロジェクトである事以外は明かせない。」という姿勢で、スマッシュヒットから1ヶ月以上の間、謎は謎のままで売れ続けた。
その後、このエニグマは、ドイツのマイケル・クレトゥという人物のワン・マン・プロジェクトである事を、イギリスの業界誌が突き止めた!そして、インタヴューによると、「先入観無しに曲を聴いてもらう為にエニグマという名にしただけで、それ以上の事を語るつもりはない。」とコメントし、アルバムにも、作曲者その他の個人名クレジットは一切無い!
日本でのブームは遅く、俺が知る限りでは2000年に入ってからだ。それ以降、「癒し系」という言葉が流行りだし、音楽のカテゴリーにも「ヒーリング・ミュージック」という名のCDが発売されるようになった。
クラブ・ビートに宗教音楽や民族音楽を大胆に取り入れたサウンドが特徴で、ヨーロッパでは一時期、グレゴリアン聖歌がブームになった事がある。しかし、エニグマの曲は官能的なものも多く、一部では「癒し系ではない!」という意見もある。
エニグマの代表曲と言えば<RETURN TO INNOCENCE>だ。出だしの民族音楽的なお爺さんの「あ~いあ~う~あ~」が、印象的な何とも和む曲であるが、実はお爺さん本人から無断使用として訴えられていたそうだ。台湾の民族歌手であったそうで、大した事件にはならず、お爺さんの条件を受け入れるという結果で、双方円満解決となった。この騒動がキッカケで、台湾の民族音楽も世界に知られる良い機会が出来たという。
今でも活動中のエニグマ、謎は解き明かされたが、世界の音楽にはまだまだ謎が多い!それだから謎を知るだけでも楽しみな世界の音楽!
あなたの知らない世界!って古いし、誰も知らねぇよ。
things are changing but nothing changes and still...there are changes