令和6年5月17日に成立した「離婚後共同親権」改正民法について,自分自身で条文を読み,さらにはいろいろな会にお招きいただいてお話を伺ったことなどを踏まえて,今私が思っている「改正民法についての解釈論」を数回に分けて書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

私が,今回の改正民法で最も印象的に思っている規定の1つが,第817条の12です。同条項は,「親の責務等」の規定として,第1項で「親の子に対する人格尊重義務と養育義務」を定め,さらに第2項で,両親が「子の利益」のために互いに人格を尊重し協力しなければならないと定めています。

 

 

 

 

 

 

[改正民法第817条の12]

「父母は,子の心身の健全な発達を図るため,その子の人格を尊重するとともに,その子の年齢及び発達の程度に配慮してその子を養育しなければならず,かつ,その子が自己と同程度の生活を維持することができるよう扶養しなければならない。 
2 父母は,婚姻関係の有無にかかわらず,子に関する権利の行使又は義務の履行に関し,その子の利益のため,互いに人格を尊重し協力しなければならない。」

 

 

 

 

 

 

今日、離婚に伴う子どもとその親権の奪い合いが起きている原因の1つに,民法が「親権(親の権利)」という表現を用いていることがある,と私は考えています。

 

 

 

 

 

 

子ども達からすると,両親の離婚とは,子ども達が自らの意思や努力では動かすことができない事柄なのですから,両親が離婚した後も,子ども達に対して,両親が婚姻時と同様に「子どもの養育責任(親責任)」を負うこと,それを現実化させることこそが,国の責任であり,法律制度の役割なはずです。

 

 

 

 

 

 

 

その点において,改正民法第817条の12が「親の責務」の規定を設けたことは,「親権」は決して親の権利ではなく,親の子どもに対する養育責任であることを明確にしたものであり,高く評価したいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

その改正民法第817条の12の2項が,両親について,子の利益のために互いの人格を尊重し協力する義務を課したことは,より「親責任」の性格を明確にしていると考えます。

 

 

 

 

 

 

 

これまで,親権とは「親の権利」だとばかりに,子の連れ去りや面会拒否が行われてきたことを,親権は「親の養育責任」であることが明確になり,しかも子の連れ去りや面会拒否を行うと,先日もご紹介した国会の答弁で指摘されているように,その連れ去りや面会拒否を行った親が,逆に親権者として不適格であると評価されるようになります。これは「親権」が「親の権利」ではないことの現れです。

 

 

 

 

 

 

 

改正民法が施行されても,裁判所で単独親権が容易に認められるようだと,現在の運用と変わらないのではないかとの指摘を目にすることがありますが,私はそのような運用にならないと考えています。

 

 

 

 

 

 

なぜならば,現在の日本では協議離婚と調停離婚を合わせると,約98%が合意により離婚が成立しており,改正民法施行後はそのほとんどが「離婚後共同親権」となることを考えますと,

 

 

 

 

 

 

離婚裁判で単独親権とすることを求められた裁判官としても,日本で両親が離婚した子ども達の98%が「離婚後共同親権」,つまり「離婚後も2人の親が子どもに対して親責任(親の養育責任)」を負う状況の中で,この子どもについてだけ親責任を負う親を1人にしてよいのだろうか,という思考になるはずだからです。

 

 

 

 

 

 

 

今日お話しした実務に与える種々の影響を考えますと,私は改正民法の第817条の12は,「親の責務」という,とても大きな影響を発する重要な規定が設けられたと考えています。