昨日は横浜が港を開いた開港記念日。公立小・中学校はお休み。市立の公共施設は無料だったり、割引だったり。
ということで横浜美術館へ行ってきました。
今回は何年もかけて今年、やっと2月にリニューアルオープンしたのを記念して縄文時代から近代までを美術品で振り返ろうとする『おかえりヨコハマ』と題したイベントです。
教科書でおなじみのペリー横浜上陸油彩画(ペーター・B・V・ハイネ伝 1854年以降)の本物を間近に見られたのは幸いでした。
今も残る吉田橋(手前が伊勢佐木町)、海側には居留地(関内)が広がり、その中間には遊郭(横浜スタジアム)が見えます。
左は事件が起きた現場をフェリーチェ・ベアト氏が1863~1870年頃描いた肉筆画。
右は1996年に金村修氏が撮影した現場。
自転車を置いた人やテレクラのシールを貼った人は生麦事件を知っていても、この舗装された道路の下で英国人が殺傷された、とまでは考えられなかったかもしれません。
豚屋の火事で遊郭が移転したあと、青線と呼ばれた真金町は進駐軍も相手にします。
その写真を撮っていたのが常盤とよ子氏。複数の兵士に取り囲まれながら歩く女性や、病院で検査を待つ女性など(1954~1956年)、もう一つの横浜がそこにはありました。
同様な女性として撮影は不可でしたが、常盤氏が撮ったヨコハマメリーさんの写真(1982年)もありました。
伊勢佐木町隣りの福富町で彼女と初めて出会った真っ白な姿は、今も記憶に残ります。
このように戦争(軍)が見え隠れした横浜。
その戦争を私自身がリアルタイムに感じたのが、1972年に浜口タカシ氏が撮影したノースドッグ(瑞穂埠頭)に向かう米軍戦車。
反戦・学生運動が盛んな時代、写真を観ながら様々なことを思い出していました。
このノースドッグはハンマーヘッドや、大桟橋から見ることができます。
<大桟橋から撮影 本国へ返されるFA-18 トリミング>
これを打ちながらテレビから長嶋氏が亡くなった、との訃報が流れました。昭和は遠くなりました。