運命の占い師との出会い

これは、続きものです。

私の前に占いを受けた女の子2人が、テントから出てきた時、しょんぼりしていました。

テントなので、大きな声で占い師がきつい言葉を言っているのが聞こえてきます。内容はよくわからなかったのですが、とにかくその女の子たちを叱っている占い師の声でした。

私はややびびっていたものの、小学校の頃からトランプや手相、星座などで友達を占っていたので、占い師さんに会うことは「先輩に会う」みたいな感覚でワクワクもしていました。

「一休さん」(瞑想の意味)になって、自分の内側に向き合い、この占い師のことを思い出した私。

そこでもう一つ重要なことに気づいたのです。

友達の笑顔を見ることが大好きでしたが、もう一つ避けては通れない事情があったなと初めて認めました。それは無意識でした。

瞑想して自分自身の内側を見つめる作業は、同時に私の残酷な過去もしっかりと浮き上がらせるのです。まるで心の引き出しが自然と開いていくような感覚です。

大人になった今の私が、一人の娘(私自身)を持つ母親の心で眺めてあげると…

「友達を占うことで、辛い子供の頃の生い立ちを見ないようにしていたの?」

そう、話しかけてしまいそうでした。気づいてないなら、そっとしといた方が、いいかも、そう、とも、思いました。

なんであんなに、毎日のように夢中になって友達を占って、深夜まで恋愛相談に乗っていたのだろうと、ふと思ったのです。

人を占うということで、自分が生かされたと、気づきました。

『面白い!わぁーさとちゃん(リン)当たってる!』

そう、言われると嬉しかったのです。

ですが、それは真実ですが、辛くて苦しいから、どうにか自分自身をわからなくしていたのかもしれない。そう、とも感じたのです。

わたしは、この仕事をやめようと思っていたのでした。苦しいと悲劇のヒロインになっていました。しかし…急に恥ずかしく思えたのです。

『あたし何様だったんだろうか』

この霊視というのが私を長年悩ませるものでもありました。

自分を卑下して、生きにくい人間だと思って、頑張って生きているのが不思議なくらいだと、自分の心のどこかにそんな感情が存在していたのです。

運命の占い師との出会い

その占い師さんは、「あんた彼氏がおらんのか」と言いました。
「見てもらいたい人の名前があったら、そこにかきなさい」

「見てもらいたい人がいないんです」

「いないのかい。好きな人もいないのかい?」

「はい、お付き合いした人がいたんですが、一緒にいても苦しくてだんだん辛くなってきたんです…私って冷たいんでしょうか?」

「笑、なるほどね。いいんだよ。無理に好きにならなくても、あんた自身が男みたいだからね。手相見してごらん。
…あんたの神秘十字線しっかりしてるね」

神秘十字線とは、手の中心に十字型の線がある人で、神秘的な力があると言われる手相です。

占いマニアの私にとっては知っていることでした。しかし、神秘的な力の裏側に、神秘&恐怖のように、何かのブランドの宣伝なのですか?というほど悪魔と妖怪のブラックなものをたくさん見えるので、なんとも素直に喜べない。この神秘線さえ悪魔の子なのかと思っていました。

ただ、占い師といっても、本当は霊視で見ているのだけど、自分の身を守るために「占い師」と自ら名乗っている人もいます。

この神秘十字線を見てから、占い師の態度がころりと変わったのです。優しく変わったのです。

「あんたはね、なかなか惚れっぽくないんだよ。鉄のような女なんだ。1回熱が入るとずっと熱が入る。だけど、鉄はなかなか熱くならないんだよ。やっかいだね…
だから彼氏は当分できないね。でもあんたはね、仕事運があるんだよ。仕事で成功するからしっかり働きなさい」

「はい、でもそれは嬉しいです。私の家は借金がいっぱいあって、どうやらそれを私も返さなきゃいけないという感じなんです…」

今まで誰にも言わなかったことを、なぜか初めて会ったその占い師には言えたのでした。

私は涙がポロポロとこぼれたのを覚えています。

その占い師は私の手のひらをぱちんと叩いて、

「あんた真面目だね。男なんていなくていいんだよ。金さえあればご飯を食べていけるから、あなたは一生懸命働きなさい。また来るといいよ。これ私の名刺」

そういって、愛せるかどうかは課題などどこかに消えて、それを占ってもらうこともなく、そして、それは答えることもない答えだということも、自分の中で今となればわかるのです。

最後に、占い師は私に衝撃なことを言いました。

「あんたの前に占った子は、"ファーストフード"みたいなお手軽な子だったよ」

『ファーストフード?!』

「安くて体に悪くて、手頃に食べれる女ってことだよ」

『はぁ…』

「最近の若い子はファーストフードでお手軽に誰でも食べれるような恋愛をするけどね。あんたは"おせち"のようなめったに食べれない恋愛をするよ」

そう言われたのです。

『おせち!ですか?!』

そこが衝撃的だったのです。恋愛を食べ物に変えて話す占い師に、私はこの年になっても、このおせちの話が忘れられず、いつになればおせちに出会えるのだろうと思い続けたものです。

 おせちに込められた意味

私はこれをきっかけで、おせちの具の意味も調べました。日本の伝統文化には深い願いが込められていたのです。

エビ→ 腰が曲がるまで長生きできますように  
昆布→ 縁起が良い人生が歩めますように (「よろこぶ」に通じる)  
数の子→ 子孫に恵まれますように (子宝・繁栄の象徴)  
だし巻き卵→ 豊かになりますように (黄金色は金運の象徴)  
黒豆→ まめに働けますように (「まめ」に通じる)  
田作り→ 豊作になりますように (小魚の群れは豊かさの象徴)  

そう思うと、おせちを口に入れるたび、願いながら、味わって食べています。いつのまにか、この意味を覚えていたのです。

長くなりましたが、何かものに例えて話をするというのは、誰かに印象づけるのにとても良いものだとふぅと昔の私を思い出し、「一休さん」になって自分の心の中に冒険をして、この占い師にもう一度会いに行ったのでした。

そして私はあの頃の私に「今は借金も返せてね。いろいろ苦労はあったけど、楽しく過ごしてるよ」と話してあげたのです。

「あなたね、自分のこといっぱい否定してたね。だけどしばらくこれが厄介でね。ようやく否定することが自分を不幸にすることがわかったんだよ。

今それをね、会う人にいっぱい教えてあげたいと思ってるんだよ。

だけど泥沼の苦しみの中にいたからこそ、今の私がいるんだけどね。

「一休さん」になって、
私は昔の自分に帰ると、占いを夢中で友達にしていたことを思いだし、生かされていたんだと、気づいたのでした。

この仕事を、もう一度、頑張ろうと思ったのでした。

視えないものを見えるように、私の心の中、過去を冒険していた行き先に、この占い師さんが出てきて、20代のわたしに話しかけたら…不思議と癒されていくのでした。

ものを何かに例えて比喩にする。このユーモアある表現を私も使っていこう。
比喩を使っているのは、小説なら見つかるかもと、たくさん小説を読みました。

視えないものを見えるように、瞑想して、
真剣にこのことに向き合っていきました。
世界中の人を癒したいと、思ったら、
なんだ、結局自分がどんどん癒されていくのです。

視えない『思い』を見えるように、比喩をつかって表現することは、わたしの生きがいにもなりましたし、誰かの為と思う強い思いは大きく跳ね返って、自分を愛することになるのだと私は感じたのです。

視ないものを見えるように
これは私にとっての魔法のような言葉になりました。この言葉を毎日自分に言っています。
心から思うものが宝物になり、
それを行動して、コツコツ頑張っていると
いつの間にか、不思議な力がたくさん動いて
結晶化に​なっていくのだと私は確信したからです。

思いは、間違いなく誰でも使うことができる魔法だと私は思うのです。
私自身の魔法の呪文は、
『視えないものを見える様に』
この言葉を使って、また新たに宝物の結晶を生み出していきたいと思います。

広島の学校図書館に少しづつおいてもらえるように、なりました。国立図書館にも置いてもらっているようです。