秋田いぬゴンの英検1級&英語教師への道3 -10ページ目


秋田いぬゴンの英検1級&英語教師への道3



太陽が中天に輝き、熱風が街を渡る日曜の昼下がり、親愛なるミスドくんでとある真新しい洋書の頁を捲ると、著者が選んだある女性の短い「先取りした辞世の句」のような言葉が目に留まり、よく読んでみるとそれが実に素晴らしい彼女の人生観として読み取れるのでした。それは次のような言葉です。



When it's over, I want to say : all my life

I was a bride married to amazement.

I was the bridegroom, taking the world into my arms...

I don't want to end up simply having visited this world.


-MARY OLIVER



上掲のオリバー女史の言葉に深い感銘を受けた私は、ひとしきり上に挙げた彼女の「辞世の句」をなんとか日本語に訳せないものかと、沈思黙考しているうちに、気が付くと0.7ミリのやや太筆の青インクで直接ページに思いつくままの訳を書き込んでおりました。


以下は、意訳というよりも私の「勝手な解釈」です(汗) 訳として正しいとはとても思えませんので、英語に通じている方はどうか原文をお楽しみください。


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この世を去るとき、私はこう言い残したい。


生涯私は、胸の喜ばしい高鳴りの花嫁だった。


私は、この美しき世界を抱きしめた花婿だった。


結局この世界に降り立っただけだった、という感想で私はこの生涯を閉じたくはない。


メアリー・オリバー


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これを読んで釈迦が夕日の見える丘の上から発したとされる次の言葉との関連を想いました。


「人の世は美しい、人生とは甘美なものだ」


人生は(と語るほど私は人生を生きてはおりませんが。。。)実に多くの悲喜こもごもを経て経て経て経て経ていく定めの細く長くそして険しい山道のように感じられることもありますが、時に艱難に懊悩とし、時に喜び余って快哉を叫ぶ、そうした一切合切を胸中に宿し、その上で、いやそれにも拘わらず、人の世とは、人生とは甘美なるものだ、とこの麗しき世界に心酔できる境地のなんたる尊いことだろう(!)と人間の尊厳をそこに見出さずにはおれません。


「井の中の蛙大海を知らず。されど空の高きを知る」


ささやかに、ひそやかに半径徒歩圏内のこじんまりとした世界が自分の人生の舞台のすべてだったとしても、見上げれば果てのない虚空がどこまでも続いている!






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福島市内の新浜公園という公園に咲く花たち(今月初めごろ写す)。



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もう4,5年前のこと。ある中学生の男の子を担当しました。大切に育てられた歯科医院の坊ちゃんで、心根のとっても優しい男の子という印象は今も覚えています。また私のことをとても慕ってくれていることが伝わってきておりましたので、その意味で可愛らしくも感じていました。ただ、勉強のあまり出来る子ではなく、殊集中力となると10分ぐらいで教科書を閉じようとする仕草が家庭教師としては憎らしくも可愛らしくもありました。では、20分以上机に向かわせるとなんと言い出し始まるか。


「先生?」


「ん?」


「ぼくねえ、頭の中にお花畑が見えてきました。」


「ああ、それはとても面白い表現だなあ!つまり~、キミは、勉強に飽きちゃってもう限界ですって言いたいのかい?」


「はい。だからお花畑が見えてきたんです」


「じゃあ、そのお花畑をもうちょっと散策したら休憩にしようか」


「いや、今休憩にしないと、ぼく、お花畑の向こうに逝っちゃいますよ」


「ははは!分かったよ。お茶でも飲むか(苦笑)」


あの時中学2年生だったのだから、順当に行っておれば今頃大学生にでもなっているのだろうか?と彼の家の前を通るたびに思うのでした。


彼は、本を読んだりちょっと背伸びした大人っぽい音楽を聴いたりしては、私にその感想を聞かせてくれたのですが、どんな内容に共感したかに耳をそばだてていると、「ああ、この子の感受性は見るべきところがあるなあ」といつも感心していました。そしてやっぱり、「心の優しい子なんだなあ」と感じるのでした。


10年ほど家庭教師として様々なお子さんと接してきましたが、会話をしていて特に楽しい子どもは決まっていつも普段から本に親しんでいる子たちでした。活字の世界で培われつつある言葉を通しての生き生きとした自己表現力。これは、とても魅力的ですねえ。小さなころから本の世界で遊べるように「仕向ける」(笑)、実は教育の為せる最高の奥義は、これなんじゃないだろうか! と最近とみに感じ始めております。



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これは私が中学三年生の時に使っていた国語の教科書(光村図書)です。1995年という年でした。この教科書中、今でも忘れることのできない一つの作品があります。魯迅の『故郷』という短い小説ですが、その最後段の数行が、15才の私の胸に強く響き、授業終了後、友人のもとに駆け寄りいかにその数行の意味するところが深遠なものかを熱く語った記憶が鮮やかに蘇ります。それは次のような数行でした。


『故郷』、魯迅著、竹内好訳、上掲書p140-141より


まどろみかけたわたしの目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月が懸っている。思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。


恐らく、この文に魯迅が込めた想いを忖度するためには、時代背景や当時の中国の社会状況など様々な要因を考慮に入れないといけなのでしょう。しかし、この箇所があれから16年たった今でも胸を打つのは、この6年の間に私が分け入った青い森の深さや怖さとどこかで通底しているような気がしてなりません。


完全に人生の幹線道路から外れてしまい、時に自分がどこに向かって歩いているのか見失う時もありました。もはや自分は廃人なのではないだろうか?という真っ暗な陥穽にすとんと堕ちた期間は、ダビデが詩編で詠んだ「死の谷を歩くとき」そのもののように感じられたものでした。「八方塞がり」とはこのことか、と膝を屈めたあの時は、喪服のような漆黒がすっぽりぼくの視界を覆ったものでした。


しかしそれでも、10円の駄菓子を一つ買わんと、貧しい子どもが部屋中の一円玉を掻き集めるように、気力を振り絞って歩いていると、いつしか大きな通りが視界の内に捉えられる位置まで漕ぎ着けているのだから、「諦めてはいけない」という言い古された言葉の意味するところは決して古びることのない真実なのだと感得致します。


以前、こんな言葉を聞いたことがあります。「平地から山頂を目指すのはそれほど大変なことではない。しかし谷底からゼロベースまで戻す、これはしんどい。」


朝起きて、朝食を取り、身支度を整え出勤する。丸一日仕事をし夕刻帰宅の途に就く。こんな当たり前が私に取ってはこの6年の間そして今も夢であり続けております。


近い将来、多くの人が歩いている日常をぼくも歩いてみたい。



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私は未だ読んだことがないのですが、時計や時間という言葉で思い浮かべる児童文学と言えば、「時間どろぼう」についてのお話し、ミヒャエル・エンデの『モモ』でしょうか。夙に有名な作品で、いつか読もういつか読もうと想いを寄せているのですが、そう想って10年ぐらいが過ぎてしまいました。そうやって自分が懶惰に過ごした時間は、自分の貴重な人生時間を自分でかどわかしどこかに捨ててしまったような時間にも思えてしまいますから、「ああ、やっぱり時間というのは大切なんだなあ」というなんとも当たり前の結論に達するのでした(汗)


先日、「魔女宅(『魔女の宅急便』の略)の家」と周囲に呼ばれる素敵なお家にお住いの友人と電話で話した時のこと。彼女には、まだ幼い二人の娘様がおりますが、近所の託児所でさんすうの勉強のお手伝いを就学前のお子さんを対象になさっているそうです。


彼女曰く、「いまねえ、時計の読み方を教えているのだけれど、みんなデジタル時計に慣れているからアナログ時計の針の読み方を教えるのは大変なんですよ。昔みたいにさんすうセットとかもないしね」。


このお話を伺って、「ああ、そーいえば、小学低学年のころ、時計の読み方なんて習ったなあ」と遠い昔のさんすうの時間を思い起こしては、ひとしきり懐かしい心もちに満たされたのですが、他方で、一人の幼子が成長し大人へとなる過程で、どれほどの多くのことを学ぶ必要のあることか!そしてどれほど多くの人々の助けと愛情を受ける必要のあることか!ということにハタと気づくと、わが身を振り返って「自分がここまで歩んでこられたのは、感謝であるということ以外にはもはやあり得ないのではないだろうか」と、つい不平不満が先立ってしまう自分を自戒するのでした。


うさぎさんはさみしいと死んでしまう、というのはどうやら本当の話しのようですが、それは人間の赤ちゃんにも当てはまることらしいのです。つまり、人間の赤ちゃんも過剰なる「愛情飢餓」に陥ると命の燈火がその時には消えるのだそうです。大学時代、ゼミの最中友人が、「森田療法」についての個人研究の発表をしたのですが、コーヒーブレイクの折に、「ぼくは、まったく愛されないで育った気がする」という旨の発言を私がすると、それを聞いた先生は、このお話をしてくださいました。「君が、本当に愛情飢餓状態だったのなら、君はその瞬間命を落としていたはずだぞ。君が今日まで生きながらえてきたという事実の背後には、確かに愛された或いは愛情を示された過去があったことの物言わぬ証拠じゃないだろうかね」。


今、なにも考えずさらりと時計の針の指す時刻を理解できること。このたった一つの事柄だけを取り上げても、その背後には往時受けた教えと愛情があり、いま現行行っているあらゆる行為は独力で身に付けた故に行い得ているのではなく、気の遠くなるような時間がゆっくり過ぎゆくその過程で確かに傍らに居た親や先生、友人、その他大勢の周囲の助けがあったからこそなんだ、ということを物語っているようでもあります。


この地上に生れ落ち、社会の内懐深く抱かれ、長じていく。といささか難しく書きますと、真実がむしろ誤魔化されてしまいそうな気がします。そうではなく、もっと単純に、「生まれた。育った。生きている。」と無味乾燥に事実を並べると、逆にその背景にはどれほどの物語があったことだろう、と言外の諸々の重い想いが浮き上がってくる感覚がしませんか?


「今を生きる」という言葉をよく耳にします。きっと「今を真実生きる」には、今という瞬間に自分が至ることが出来た理由に感謝する気持ちが大切なのでしょうか。。。。


写真の時計は福島中央郵便局に隣接する公園に立っている時計で、区切りの好い時間になると音楽が流れる仕掛けになっています。


「時計」からいろいろと考えてみました。

午前中、コンビニくんでバイトをしました。以前働いていたコンビニと同じコンビニで同じ面々と週五日のシフト。本当に嬉しく感じながら、ごみ箱の清掃などを入念にしたりしました。初夏の熱気を吸い込んだ、ペットボトル用のゴミ箱は悪臭を放っており、飲み残しのコーラやお茶を店内のながしに捨てたりキャップを付けたままのボトルからキャップを外したりする作業に、勤務終了前の30分くらいを充てました。しかしその汚臭もなんだか労働の悦びにかき消されてしまうから不思議なものです。ぼくは、スーパーの裏方のバイトや6年目に突入したコンビニのバイトなどどちらかと言うと体を使う(スーパーはかなりの肉体労働でした)バイトを中心に社会と接してきましたが、今日改めて身体を動かして額に汗して働くことの清々しい喜びを強く感じました。人間は本来、頭脳労働で頭でっかちになるようには設計されていないのではないだろうか?体を動かし汗をかき、くたびれたら昼寝をする。そんな風に神さまは人間をお造りになったのではなかろうか?そんなことがふと頭をもたげました。


結局、現代社会に生きる私たちは、精神の適度な疲労と肉体の適度な疲労のバランスの上に健康な生活を築くように心がければ、心身が大崩れすることはないのではないだろうか?そんな気がしてなりません。


バイトから帰宅し、小一時間昼寝をすると、最近読み始めた『メッセージ・イン・ア・ボトル』を持って、お気に入りのベンチへ向かいました。





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風に吹かれながら、活字と睦合っていると、まるで呼吸をするかのように自然と物語の世界に入っていけるのでした。


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町のそこここに、舞台上の黒子のように存在を消して、しかし確かにそこに在るベンチは、美味しい飲み物でも携えて行けば、最上のカフェになりますね。

去年の秋ごろだったか、とても尊敬しているアホなアメリカ青年(?)のユーリくんというのがおりまして、わたぐすの大親友なのですが、その彼が、「ゴン、カメラのキタ○ラにデジカメを下取りしてもらいに行くんだけどお前も一緒に来ない?」と誘われました。


奴さんが売りたかったのは、NikonのCOOLPIXという元値も7~8千円の安っぽデジカメくんだったのですが、ユーリくんはおもむろにニコン氏をバッグからとりいだし、店員さんと交渉に入ろうとしたのですが、、、店員さんボディを軽くチェックして一言。


「キズが多くてお値段付けられないですね~」。


アリゾナの荒野から遥々やって来た、尊敬してやまないユーリくんは、そんなことではつむじを曲げない!笑顔で「わかりました!」と言ってな~ぜか財布から自分の名刺を出して、満面の笑みをたたえてそれを店員さんに渡したのでした(笑)---->なんの意味があるのか(!?)


店を後にして、ぼくらはいつものミスドに入ると、ユーリくんは、極めて軽いノリで、「ゴン、このカメラ500円で買わない?」と言ってくるのでした。わたぐすとしても「手持ちの10年前の131万画素のデジカメよっかは随分マシだな~」とか心で思って、「よし、乗った!」と即交渉成立と相成りました。


その瞬間ユーリくんが言ったセリフはいい英語と文化の勉強になりました。


「ゴン、good deal ?」(ゴン、お互いいい取引だったろ?ってな感じでしょうか)


一度はカメラを突っ返された彼でしたが、隣を歩いていた友人にワンコインで買い取ってもらえばいいじゃないか、捨てるカメラで500円釣れたらある意味「起死回生」、というシブトイ逆転の発想。


この辺りがわたぐすが彼を尊敬してやまないユーリくんたる所以です。


ぼくが、最近やったらヘタッピ写真を拙ブログでお披露目している理由には、、、、こんな裏話があったのでした(笑)


と言うわけで、今夜も500円写真館ですwww




1)日曜日に英検を受験した会場:福島市の桜の聖母女子短期大学


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「公園は児童文学そのものです」が合言葉の私が、福島市公園オブ・ザ・イヤー2011を勝手に授与した新浜公園。絵本への見えない小路がどこかに隠れている公園の条件は、公園からアパートや小学校が見えるかどうかです(笑)とくに「気だるい午後の昼下がり」は時間帯として最も、絵本への扉が開かれています。


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初夏の宵の口あたり、薄っすら蒼さが褪色しつつある空を見上げて、「ああ~今日も仕事お疲れさん」と自分を労って、「どれ、ビールでも買って帰るかな」とつぶやけるサラリーマンにぼくはなってみたい気がする。(世の中そんなに甘くないってばwww)


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ここに見える左側の建物は看護学校(東横インって見えるけどそれは看護学校の裏です)。ぼくは幼少時病弱でしょっちゅう熱を出して、市内の日赤病院に連れて行かれた。それが縁だったのか、以来病院が大好きになった。病院は「この建物のなかなら、いつ倒れても大丈夫」という妙な安心感を与えてくれる。


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ぼくは、小学の高学年になっても「あの雲の峰の向こうにはラピュタがある」と言ったパズーの台詞を本気で信じていた。どんなに人工衛星が地球を隈なく調べても、科学では捉えられない神秘の城が天空にはあるんだ!オレもいつかラピュタに行ってやる!と下校途中空を見あげながら、自分の空想で胸が張り裂けそうなほど感極まっていたおねんねくんでしたwww


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くれ~なずむまちの~ひか~りとかげの~なかあい~するあなたへ~~~おくる~ことば~by3年B組金八先生。


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ダイエットがどうしたら上手く行くかについて精神科医の女性がいくつかの基本的というか根本的な原則を話しています。

この方は"Positive Energy"という著書のある方ですので、恐らく、「心のエネルギー」というものを精神科医としての診療の中心的なキーワードにしているものと思われます。その本を読んだこともありませんし、私の聴解力もお粗末なので、どこまで彼女の言いたい要点を掴まえられているか、分かりませんが、なんとなくレベルで理解した、この方のダイエット成功の秘訣をメモってみました。

1.心に負のエネルギー要素をため込まないこと。

2.それには、一緒にいて緊張感を覚えるような他者から解放されて、一人くつろげる時間を持つこと。

3.要は、心のエネルギーを無駄遣いしないこと。

4.ダイエットを成功させようと躍起にならないこと。ダイエットのことばかり意識しないこと。

5.強い食欲を覚え、冷蔵庫に駆け込もうとした場合は、少し立ち止まり、2,3分、瞑想などをして気分を鎮めること。


と、いった感じに聞き取れましたが、ちょっとリスニングには自信がないので、間違っているかもしれません。ですので、くれぐれも私のメモの内容は信頼しないでください。また、誤聴にお気付きの方は、教えてくださると有り難いです。


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昨日、情報概論レポートの分冊Ⅰが返却されました。合格していました♪


教員免許取得、教員採用試験突破、という目標に向けて地に足を着け、未だ見ぬ未来に希望を持ち、確かな「今」と正対し、細く長い道のりを一歩一歩歩んでいきたいと思います。


当面の大目標は、5月26日の日大通信教育の科目修得試験(通称:かもしゅう)を上首尾に切り抜けることです。


私は、情報概論、保健体育講義Ⅱ、特別活動の研究の3科目受験なので、気合を入れて試験対策をしていきたいと思います。



雨ニモマケズ、風ニモマケズ、永年我が家のために働いてくれたポストくんですが、ご覧のとおり、現役引退間近のようです。www


親父がとんかちとんかち、がさごそがさごそしてつくったぽすとくんなのでした。




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朝曇りの空にとんがり屋根。



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近所を流れる川のほとりはさながら大自然。


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家庭教師に向かう途中、灯ともし頃の公園で一休み。街が宵闇をすっぽり被るのは間もなくのこと。


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愛犬ゴンくんと8年ぐらい毎日散歩した道から、愛郷ふくしまの夕日。


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