“未那に逢うまではまでは、僕はずーっと淋しかった。

でも、もう淋しい想いはしたくないよ。”と訴えかけるように私を抱いた言葉が、一さんと体の会話を交わすようになった最初の大切な言魂(ことだま)だった。私は妙にその言魂に惹かれてしまった。私は、トシヤと別れてからというもの、柄にもなく恋愛に臆病になっていた。

所詮、オカマがノーマルと世間で言われている男と付き合って恋愛したとしても、それは“恋愛ごっこ”にしか過ぎないと思ったからだ。

そして別れる時に、“お前が、本当の女だったらな・・・。”なんて、下らない同情まがいの安っぽいセリフとか、もう二度と聞きたくもなかった。

だからと言う訳じゃないけれど、私はいつのまにか“SEXはスポーツ”と割り切れるようになっていた。

乙女チックな片想いをする勇気もなければ、健気だったり、大胆な不倫なんてもってのほかだとおもっていた。

まして不倫相手なんか!はらむ心配の無い、毎日が安全日の都合のいい女?になど、なりたくもなかった。

淋しさを紛らわすだけの、たちの悪い“恋愛ごっこ”より、テニスのラリーが何回続くかを競うようなゲームの方が、よっぽど気軽で気持ちがよかった。

男の気持ちのいいところを知り尽くしているつもりの私は、ゲームに負ける気がしなかった。

それに、スポーツにはよけいな会話など必要ない。ただ何かを確認する為の合図や掛け声で、充分に成立した。もしゲーム中に、“お前とずーっと一緒に居たい”とか“これからも付き合ってほしい”とか“お前を誰にも渡さない”なんて、軽薄で余計なセリフを吐いた対戦相手には、レッドカードとしてお仕置きをしてあげたりもした。

それは、私の中にゴールしようとしている相手の中に、私自身をゴールする事だ。

サッカーのオウンゴールのように相手に屈辱とダメージを与えてあげる。でも、お仕置きを受けた男達は、決まって負ける試合の屈辱感を憶えリベンジを挑んでくる。私としか成立しないゲームを知ってしまった証拠だ。

SMの世界も終わりがなく、列記とした由緒ある伝統的なスポーツのように捉えていた。

新宿の一流ホテルの、夜景が見えるバスルームのガラスに、私は大の字になった事もある。さすがにその時は、冷静になり過ぎた私の心も体も、ガラス窓の重厚な感触と遠くに見える東京タワーの灯りに、我に返ったものだ。

思わず心の中で、“お父さん、お母さん、ごめんなさい。私が変わったんじゃないの?

この東京が私をこう変えたの・・・。”と訳のわからない想いで叫んだ事もある。SもMも演じきれば、陶酔出来るショータイムのように快感に変わる。
私のその対戦相手は、私の体を目的に来店して来た、客として長くは続きそうもない私のタイプで、ある程度清潔感狩り、男らしく、他の娘や他の店で私と対戦した事を軽々としゃべったりしない男と限定していた。

よくパラノイア時代に、たまに判断ミスで、私との秘め事をしゃべったお客の話を聞き、うざったい五月さんから
「未那は、太客のお金持ちとは寝ないくせに、安っぽい金もろくに使いはしない一見の客とばかり、たやすく寝るんだから!困ったものね!」
とお節介な小言を言われたけれど、私の変なポリシーとして、お店に通って下さる、お金を使って頂けるお客様とは絶対に寝なかった。
「だって五月さん、せっかく未那にお金を使いに来て下さっているお客様とは、充分に心で接していますから、体の会話なんて必要ないんですよ!それに、もし寝てしまって、大切なお客様が、もうそれで通って下さらなくなったら、今までの時間が無駄じゃないですか!」
と言う言い合いも何度かしたものだ。
 パラノイヤのママが死んだ後、私は携帯のプレイヤーというグループの中から、一番あと腐れない肌の合う対戦相手に連絡をし、激しいイプレイを競い合った。もちろんその日もいい試合で、私は勝った。

でも、もう何とも言えない淋しさは消える事なく、ママに天国から
『未那!いつまでそんな事しているの!もういい加減に淋しいイゲームなんて辞めなさい!何回チンケな客から『ママ!知ってた?未那ちゃんって、ものすごく大胆なんだよ!』とか『未那は淫乱なビッチと変わらないよ!』って聞かされた事か!未那!もうママに嫌な想いをさせるのはやめて!そんなんじゃいつまで経っても本当の愛なんか見つかる訳ないでしょ!本当は愛されたいんでしょ!愛したいんでしょ!あなたがこれから働くお店で、裏表のある人間だと誤解されないようにママが言ってんのよ!もう無駄なプレイはゲームセットしてしまいなさい!未那が我慢したら、きっと、素敵な男(ひと)が現れるわよ・・・。ね!未那!」
と言われているような気がした。

私はその相手を最後に、しばらく勝率のいい選手から早退する事にした。
私は、六本木ボーダレスに入店し、佐久間一と言う男に出逢い、彼の私に対する好意を新しい土地での新しいゲームのように何度も試した。そして彼の真実(ほんと)を、何度も自分のリトマス試験紙を使い試したのだ。

私はこのゲームに負け、自分の過去をさらけ出す事と、ハワイ旅行を招待する事で、愚かなゲームを清算した。これまでの淋しいゲームの話しをする時は、意を決するものがあったけど、もしこれで駄目になったとしても、私は全てを話したかった。
「そんな事!全然関係ないよ!誰だって淋しくて、人の温もりがないと終われない一日やストレスを吐き出す作業だって、合意のもとなら間違いじゃない!考え過ぎだよ!」
と彼は言ってくれた。

「私は、一さんが思っている程、素敵な女じゃないのよ!それでも平気なの?」
「馬鹿言ってんじゃないよ!そんな事聞いたぐらいで、未那に対する気持ちが変わるようじゃ、ここまで好きになってないよ!まだ話ししたりないなら、話しても構わないけど、未那!大丈夫だから、過去は過去だよ!だって未那は今、ものすごく輝いていて僕にとっては素敵な女だよ!」
彼はそう言うと、私の話しと辻褄を合わせてくれるように、今まで付き合った女や、風俗に行った話しをしてくれた。そして、“この話しを聞いて、僕の事を嫌いになったらしょうがないけど、僕も、もう性的な事は隠したくないから・・・。”と言い、昔働いていた先輩と、一度だけ男同士の快楽を経験した話しと,女装をしていた時期があった事を、赤裸々に告白してくれた。彼の話はリアル過ぎて、衝撃的だったけれど、私のリトマス試験紙の色は一向に変わる事はなかった。この日を境に私は,彼に真実(ほんと)の気持ちで、素直に「愛されたいし、愛したい」と思うようになった。そして次のデートの時に、彼からの深い言魂(ことだま)と共に、愛のあるSEXを久しぶりに共有する事になった。
彼と過ごす日々は、キラキラした宝石のように輝いていた。

少しだけ我慢していた私に、ママが天国からプレゼントしてくれたように思えた。一緒に買い物したり、映画を見て同じところで泣いている自分達を知ったり、私の作った料理を美味しそうに食べてくれたり、他愛もない事が、私の心の大半を充実させてくれた。彼と別れて、それぞれの部屋に戻る時に、お互い同時に、
「気を付けて・・・」_
と言う言葉の重みも、初めて知る事だった。

今でも、お客様がお帰りになる際に簡単に使っていた“気を付けて・・・”の言葉の意味が、今までとは違う“気を付けて・・・”に変わっていた。本当に心の底から、気を付けて事故など無くちゃんと帰ってほしいと思えた。そして、お客様に対しても、そう願えるようになった。

私は絶え間なく起こるお店でのいざこざで悩んでいる時も、彼の愛で乗り越える事が出来た。私は、何も求めて来ない彼の優しい言葉に、何度救われただろうか・・・。その事を彼に伝えると、
「僕も一緒だよ!」
と、私を抱きしめてくれた。
 彼とのSEXは、本当に人に言いたくない程、いや人に言えない程、感動と喜び証だった。彼が私の愛液を口で受け止め飲んでくれた事さえ、引く事無く純粋に嬉しかった。今まで使ってたコンドームも不用の産物だったし、余計な演技も必要なかった。ありのままをお互い求め、愛し合い、絆を深める作業として培っていた。どんな愛の形があっても、法に触れない限り、人にとやかく言われたくない。

私はいつの間にか、お店でのオナベさんとオカマさんの恋愛も認める事ができていた。

そして何より、少しづつ人に優しくなれる自分自身の変化を感じていた。
「自分が変わらなければ、周りは変わらないのよ!人を変えようと思う前に、自分が変わった方が早いじゃない!人の悪いところばかり見ずに、いいところだけを見てれば腹も立たないなずよ!」
とミーティングの度に、口を酸っぱくして言っていたパラノイヤのママの言葉も、今の私は、理解する事が出来ていた。強がりな私は、お店では何事も無かったように、平然を装い平常心で働いていたけど、彼と二人だけになると、本当の私をさらけ出せるスイッチを手に入れたようだ。

もう淋しいゲームも仕事の愚痴も、コンドームや過激な演技と共に捨ててしまった。

ただ只、この愛がもし、万が一、終わる事と、もし、万が一、彼が仕事や事故で死んでしまうような事がある事だけが、私には恐ろしく不安だった。
長湯して、少しのぼせてしまったようだ。彼の戻りが遅いのが気になってきた。そう言えば、彼が大浴場に行く時に、キスの後、
“気を付けて・・・”ではなく“後でね・・・”と言っていた気がする。

私は計り知れな不安に襲われた・・・。

 上げ膳据え膳の温泉旅館でのサービスは、お店で普段、お客様に気を使い楽しんで頂くよう努めて仕事をしている私にとって、至福の時間だった。
 川沿いの小さな露天風呂付きのこの部屋は、上半身がおお母さん似、下半身がお父さん似の私にとって、気兼ね無くゆっくり温泉に入る事ができ、本当に有難かった。一さんは、いつも私の事を細やかに、しかもさり気なく気づかってくれる。この部屋をチョイスしてくれた事も、そんな、一さんの優しさだと察する事ができた。
 川のせせらぎを聴きながら、仲居さんが運び説明してくれる、手の凝った料理に舌鼓をし、“箱根の里“という、ちょっぴり甘い日本酒を酌み交わした。私は、最近あったスタッフとのもめ事や、来店された芸能人や変わったお客様の話をし、一さんは、今の現場の状況や従業員がおかした面白い話を聴かせてくれた。
 最後のフルーツを出し、お茶を注ぎながら仲居さんは
「いゃ~稀に見る、美男美女のカップルですね!お嬢様なんて、まるで女優さんみたいにお綺麗で、うっとりして見てしまいますわ・・・。」と私の顔を凝視し、頼んでもない言葉のサービスまでしてくれた。確か宿帳には、一さんが夫婦として記したはずなのに?この場合普通、お嬢様ではなく、奥様だろうが!と少し疑問を感じてしまった。そういえば以前にも、仲居さんが発した言葉でのエピソードがある。
 それは、私が母にカミングアウトする際に、博多から母を呼び、熱海の温泉まで連れて行った時の事だった。母子(おやこ)で旅行に来てると思った仲居さんは、お部屋に案内してくれると、
「お母さんはお幸せですね!親子水入らず、こんな綺麗なお嬢様と温泉にお越しできて、うらやましい限りですわ・・・。」
母は、只でさえ女になった息子と再会したばかりで、覚悟はしていたようだけど動揺を拭いきれていない状態だったのに・・・。追い討ちをかけるように、又その仲居さんは、
「いやね、私も息子が三人いるんですけどね、一回も温泉なんか連れて来てくれた事がありませんよ!そのてん女の子は優しいですね・・・。あ~あ、私も頑張ってもう一人女の子を産んどっきゃ良かったですわ・・・。」
と、気さくに話す仲居さんには、母の心の動きなど知るはずも無く、母のカンに触るような事を、善かれと思い悪気無く言い続けた.私はといえば、変にしゃべって男とバレてはいけない気がして,どうする事も出来ず意味の無い笑顔をふるばかりで、母の様子を伺っていた。母は再会してから、新幹線の中でも涙ひとつ出さず、気丈に振舞っていたのに、涙腺に針を刺されたように涙はこぼれ落ち、震えるように泣きながら
「なんば言よっとですか!こん子は男ですたい!私の産んだ息子ですたい!何かうちの息子が悪か事ばしったですか?こげんなりばしとりますけどね!うちの大事な一人息子ですよ!」
と、当たりどころの無い感情を、罪の無い仲居さんにぶつけてしまった。仲居さんは,何が起こったのか状況が把握できず慌てて、
「すみません!お茶のご用意をしてまいります!」
と、私の顔をチラッと見て、逃げるように部屋から出て行ってしまった。その後「失礼します」と入ってきたのは、宿の女将で、丁寧に謝れ、お茶の用意をしてくれた。馬鹿丁寧な仲居さんに担当が替わったのは言うまでもない。
 私は、その時にエピソードを思い出しながらも、サービス業というのは、余計な事を言ってもいけないし、何も言わないのも愛想が無いようで素っ気ないし、つくづく難しいものだと思った。
 そんなサービス業に疲れた私に、川にせせらぎや美味しいお食事にお酒、温泉のお湯はとても柔らかく、また、大切な男(ひと)と一緒にこの時間を共有できる事が、いっそう私を癒してくれた。
 食事が終わり、しばらくたたずむと、一さんは、「大浴場に行ってくる」と私に優しいキスをし、部屋を出て行った。私は、またいつかこんな素敵な温泉に,母を連れてきたいなーなんて思いながら、ひとり、貸切り状態の露天風呂に入る事にした。そして今晩は、一さんに最高の心のこもったサービスを、フカフカの布団の上でしてあげようと、念入りに一さんを受け入れる準備をした・・・。
箱根の温泉に行った時、彼は宿帳に
〝佐久間 一
     末那〟
と書いてくれた。こんな些細な事で喜びを感じた事は、今まで一度も無かった。
 彼と知り合ったばかりの頃、私は物凄く傲慢に愛を確かめた。どこまで彼が、私の我儘に答えてくれるのかが尺度で、まるでゲームの様にそれを楽しんだのかも知れない。今となっては、何故あんなに強気で慢心になれたのか?私の心の中にある忌まわしい部分を深く反省している。私はその事を償い、いつしか彼を本当に愛する様になった。沢山のプレゼントも、お店での売上貢献も、もう要らない。私が求めているのは、彼の愛と真実だけだった。昨年のクリスマス、プロポーズまがいの言葉と指輪を頂いた。そして年末年始は今までの私の愚かなゲームを終了するために、お詫びの気持ちを含め、好きな人が出来たら一緒に行こうと思っていたハワイ旅行に招待した。彼と過ごすクリスマスの夜も、ハワイで迎えたカウントダウンやニューイヤーも、暖かい幸せを感じた。でも彼は、何かを伝えようと、
『ねぇ末那、聞いてくれる?』
『いつも何でも聞いてるでしょ。』
『うん。やっぱいいや。今度にする。』
という会話の繰り返しが何度かあった。
『ねぇ、一さん!何の事?言ってよ!』
『何でもないよ!』
『分かった!私はたまに両親や姉二人の話を出したりするけど、一さんは家族の話をしないし、聞いても答えてくれないでしょ。いつも不思議に思ってたんだけど、その事?』
『う・うん…。でも…いいや…。』
『一さんがいいならいいけど。…だって私は一さんが好きなだけで、ご家族の事を好きで一緒に居る訳じゃないもの。』
いつもこの会話を終える時だけ、後味が悪い。
 小田急線(ロマンスカー)の車両から見える街、川沿いの桜は、見事に満開で美しかった。箱根の街の桜は、八部咲きだったけれど、美しく咲き誇っていた。
『一さん、綺麗な桜よね。』
『う・うん…。』
『一さんって、桜の花、嫌いなの?』
『特別…。』
いつもの、後味の悪い会話の終りの様な対応だった。
 私にとって、彼の全てを知りたいという、純粋な想いと、彼の全てを受け入れたいと言う、母性にも似た感情が、八部咲きの桜の様に、もう少しで満開の状態だった

もう僕は、〝美沙〟になる事をやめた。

女装はあれ以来、毎月一回の楽しみになっていた。レンタルの衣装では物足りず、自分でミニスカートやワンピース、ハイヒールやブーツをデパートに買いに行く程になっていた。

婦人服売り場の店員は必ず、「プレゼント用に、お包みしますね。」

と決め付けて言う。

でも、まさか「私が着るので結構です。」

なんて言える訳も無く、「はい、お願いします。」
と、顔の赤くなる思いで購入したものだ。
 一度、冒険心から、女装をしたまま、新宿から上野まで、山手線に乗った事があった。

その時、偶然にも、池袋から妹が同じ車両に乗って来てしまった。僕は単純に、バレたらどうしようと、体中の毛穴という毛穴から、何とも言えない汗をかいた。妹は、僕と目が合った様に思えたが、僕とは気付かずに大塚で降りて行った。
こんな危険な思いをしたく無いという理由で女装を辞めた訳では無い。言い訳に聞こえるかも知れないが、僕は女装を好きでやっていたのでは無く、自分ではない自分に、ただ化けたかっただけだ。〝変身願望〟や〝現実逃避〟という簡単な言葉で捉えて欲しくない。その頃の僕が僕を続けていく為の、必要なスパイスに過ぎなかった。でも、恥ずかしい思いをして買った服や靴も、通信販売で偽名を使って買ったブラジャーやパンティーも、もう必要が無い。僕は架空の人間に化けなくても良くなったのだ。
末那と出逢い、付き合い出し、僕は僕のままでいなければ付き合う資格などなかった。自分の性を隠す事なく、堂々と生きる末那と対等に居る為には、もう余計な作業なんて要らないと思ったからだ。
出逢った当初の、僕と末那の関係は、人気ニューハーフとファンの客にしか過ぎなかった。

誠先輩と桃香と同じ様に、僕は末那のお願いを断る事は、一つも無かった。

強制同伴日、ドレス新調日、シャンパンやワインでの売上貢献など…。嬉しかったお願いは、お店の子と喧嘩をして、泣きながら〝逢いたい〟と電話をくれた時だった。僕は、鎌倉から末那のもとへ車を飛ばした。僕達はそれから何度も顔を合わせ、会話を交わし、只のホステスと客の関係から、男女の関係へと進歩を遂げた。

僕は、人を心から無性に愛しくなり、切ない想いをし、愛する喜びを感じたのは、生まれて初めてだった。たぶん末那じゃなかったら有り得なかったかも知れない。僕は末那を大切に思えばこそ、僕の今まで誰にも話せなかった全てを話さないといけないと思った。人を好きになり、愛すると、その人の今までや、全てを知りたいと思う気持ち、自分の今までや、全てを分かって欲しいという気持ちは間違いないのだろうか?
僕は、女装の服や靴を買っていたデパートの、カルティエ売り場で、末那と僕だけの指輪を買った。それはクリスマスプレゼントでもあり、僕の決意だった。

美沙子と付き合った時は、毎日が楽しく、癒されれば良かった。美沙子には失礼だが、僕は美沙子には求めるばかりの恋愛だった様だ。だから、それ以外の〝同棲〟や〝結婚〟や〝子供〟というカテゴリーから、逃げ出してしまった。末那には、〝結婚〟や〝子供〟という事は、現実的に考えると無関係だけれど、そんな事はもう、どうでも良かった。僕は末那からは逃げ出したくない。たぶん末那から逃げ出したら、僕は一生変らない様な気がした。
今年も残す日のカウントダウンが始まる季節になった。街はクリスマス一色だ。待ち合わせ場所に、末那は、余程気に入っているのか、ブラックミンクのコートで現れた。

そして僕は想いの丈(たけ)を全て話そうと、ソワソワと落ち着かない気持ちでいた。

仕事が終わり、美帆ママと誰もいない殺風景なお店に残り、ミーティングをした。

今晩もボーダレスは有難い事に忙しく、その忙しさと比例する様に、スタッフ同士の争い事も絶え間なく続いた。ニューハーフとオナベのコラボレーションを目玉に、オープンしたボーダレスは、今年で五周年を迎える。私は、あと数ヶ月で一年働いた事になる。

入店したばかりの頃は、この店のシステムやスタッフに戸惑うばかりだった。

猫を被っていた訳では無いけれど、なかなか自分を出せず、誤解されたり、嫌がらせを受けたりした。

不愉快な思いや、割り切らないといけない事が多過ぎて、押し潰されそうになった時もあった。

それでもパラノイアで一緒だったエミさんや明さんが居てくれ、励まし合って来たので、なんとかここまで来れた気がする。
オナベさん達は、男の人以上に、男らしく優しく思える時と、〝やっぱり元は女ね!〟と言いたくなる位に女々しく思える時がある。たぶん、その逆の事を、オナベさん達も、ニューハーフ達の言動を見て、思ったりするのだろう…。

入店して、しばらく経って分かるこの店のスタッフ同士の相関図の様な、誰と誰が付き合ってとか、元恋人同士だったとか聞きたくも無い情報が耳に入って来た。〝○○君と○○ちゃんは、夫婦で入店して一緒に寮に住んで働いてるのよ。〟と聞かされた時は、《夫婦大歓迎!寮有り!》といった、パチンコ屋などと同じ様な、求人広告でも出しているのでは無いかと疑う程だった。

私的には、仕事として、人間として、大人として、共に働く事は、何のためらいも無かったけれど、ニューハーフとオナベさんが付き合う事は、理解が出来なかった。それは、男と女が逆になって愛し合ったら、形が違っただけの只の男女交際にしか過ぎないと思うからだ。

今日の揉め事の一つは、チーフの真さんに好意を寄せている美咲ちゃんが、私が真さんに、頼み事をしているのを見て、ちょっかいを出していると勘違いをしたのか、楽屋で食って掛かかる様に怒り出したのだ。私は中学生の喧嘩みたいな事が、程々嫌になり、馬鹿馬鹿しく思えて、相手にしなかった。

美咲ちゃんは、そんな私のシカトした様な態度が気に入らなかったのか?客席で凄い剣幕で、違う事を持ち出し、私の事を口汚く罵り出した。その原因が何だったのか?ということが一つ目のミーティングの議題だった。

美咲ちゃんと真さんの事に、私が巻き添えを食らっただけだと、美帆ママも察していたらしく、「ごめんね!私も最近、本当に嫌になる時があるのよ。オナベちゃんとニューハーフが一緒に働く事さえも、間違いじゃないのかな?って疑問を感じて、悩み苦しむ事も有るのよ…。

もう知ってると思うけど、私も以前、オーナーの享と付き合ってて、それでこの店も出来たのね…。

だから一概に、店内恋愛禁止!とは言えないじゃない…。

それに、〝日本初のニューハーフとオナベのシューパブ〟って謳(うた)って来た以上、続けられるまで続けるしか無いじゃない…。

末那も、この店がそんな店だと分かって入店した以上、不愉快な思いや、理不尽な事も有るとは思うけど、仕事だと思って割り切って頂戴ね!」と日頃、弱音を吐かない美帆ママは、少しおどけながら、その件を上手くまとめて終わりにした。私は、こんな取るに足らない様な事など何とも思っていなかった。

ただ、日々起こる、感情のぶつかり合いや、美の競い合い、お客様の取り合いに嫌気を差していた。

そして、そんな事で悩んだり、一喜一憂している私自身が、もう嫌になっていた。
 美帆ママが私を残した理由は、本当はその事では無く、ボーダレスを影で仕切っている、響(ひびき)さんの事について尋ねたかった様だ。
「ねぇ末那!響の事、何か知ってる?」
「え?」
「だから、好きとか嫌いとかじゃなくて、響や響のお客様から何か聞いていない?」
「いえ?何も…。」
「響って昔からそうなんだけど、ヤクザのお客様が多いじゃない?最近は特に、その手のお客様が出入りするから、先週ね、〝他のお客様の迷惑にならない様にね〟って忠告したの…。

そしたら逆ギレじゃないけど、〝芸能人も、サラリーマンも、弁護士や医者も、ヤクザもお客様には代わり無いでしょ!〟って怒っちゃって、今日なんか,その手のお客様に、〝美帆ママも偉くなったもんだな!いつまでもこの店のママで居られると思うなよ!〟って脅迫まがいに脅されたのよ!響って何考えてるか分からない所があるし、何しでかすか分かんないじゃない?私、何だか怖くって!」
響さんは、毎月売上もコンスタントに上位を維持してたし、年相応に美しく、スタイルもキープしていた。

他のスタッフの事も良い意味で干渉せず、何か揉め事があった時もビシッと物を言い、その場を上手く治めてくれていたので、他のスタッフからも一目置かれていた。反面、何年か前に、酔っ払ったOLのお客様から〝これだけお金掛けて、美容整形して、エステに通ってたら、綺麗になって当たり前よ!〟って言われたら、〝分かった様な口叩くんじゃねぇよ!このブス女(あま)!〟って怒鳴って殴り、麻布警察署に一週間、拘留されたらしい。でも響さんの凄い所は、転んでも只じゃ起きないタイプで、拘留先で知り合ったヤクザと同伴出勤して来たというエピソードが有る。そんな響さんの事は、正直、触れてはいけない人と、あまり関わらずに来たので、ママの問いには答えられなかった。
「変な事聞いちゃってごめんね!この話は響や他のスタッフには内緒にしててね。宜しくよ!」
どこか落ち込んだ様子の美帆ママと一緒に店を出て、帰る事にした。私はタクシーの中で、ふとパラノイアのママが言っていた事を思い出した…。
『人それぞれ、人種や性別、年齢や立場が違っても、悩みの無い人なんか居ないのよ。

その人の悩みはその人にしか分からないし、解決出来ないの。人の悩みなんか、自分の事じゃないから計り知れないでしょ…。育った環境も違うんだし…。でもね,悩みが有るという事は、みんな変わらないの!だから、その人の悩みは解決出来なくても、悩みを抱えている同じ人間だという事だけは共感出来るはずよ!私達はオカマだけど、オカマに生まれて来た意味だって、きっと有るはずよ!オカマだろうと、世間で言うノーマルだろうと、この世に生を現した以上、修行しに生まれて来た様な物なのよ!』
 私も今、慌ただしいボーダレスでの仕事や人間関係に、疲れて悩んでいる一人だ。この前のクリスマスの夜、そんな私に彼は、「結婚なんか形はどうだって良いじゃん!僕は子供なんか要らないし、親も居ないから、末那さえ良ければ、ずーっと一緒に居て欲しい。そして一緒に暮らし、一緒に歳を重ねて生きたい…。」とカルティエの指輪(リング)を私にプレゼントしてくれ、プロポーズまがいに告げてくれた。彼とは私の誕生日の七夕の日に、お客様として知り合い、今に至る。
「お店も末那が辞めたかったら辞めれば良いよ!僕と一緒に暮らせば良いさ。」
とも言ってくれた。
 私は悩み苦しんでいる。お店を辞める事、彼と暮らす事、そしてどこか陰の有る彼が、何か私に隠し事があるのではないか?という拭い切れない不信感、どうしたら良いのか分からなくなるばかりだ。

きっとパラノイアのママが生きていて相談したら、「末那!あなたにふり掛かる問題はあなたに乗り越えられる力が有るから、神様か仏様か御先祖様が、あなたに与えた試練なのよ!逃げたりしちゃ駄目よ!しっかり考えて悩み抜きなさい!」って、答えをくれただろう…。

今晩の接待は六本木だ。この街は、ヒルズやミッドタウン等の総合ショッピングビルの開発を口火にして、その周辺のマンションや店舗の建築ラッシュが始まっていた。誠先輩と僕も、その景気に乗ることが出来、いつの間にか世間で言う〝勝ち組〟とやらになってしまった様だ。親方が、昔気質というのか?何故か、湘南新宿ライン沿線での仕事しか取らなかったお蔭で誠先輩と僕は、親方の会社に依頼される、この街の仕事を二人で山分けする事が出来た。下請け会社と言えども、親方の紹介の良いお客様故(ゆえ)に、儲けを取り逸(はぐ)れる事も無く、美味しい思いをする事が出来た。今晩はこの現場を終えたら、親方にそろそろ御礼を兼ねて接待しようと前々から計画していた夜だ。親方は、〝そんな無駄な金なんか使わなくて良い〟と断っていたけれど、そんな訳にはいかない。明後日からの現場も、親方から頂いた仕事なのだ。完成して間も無い六本木ヒルズの前で、七時に待ち合わせをしていた。そして、先月までの僕達の現場だった芋洗い坂にある今週にオープンしたばかりの焼肉屋に向かった。
肉の良し悪しが分からない僕は、大して美味しいとは思わなかったけれど、親方はしきりに
「この店は良い肉を使っている!」
と美味しそうに食べながら喜んでいたので、僕はそれだけで満足した。色々な国や海の塩や、博多から取り寄せたという柚子胡椒、和辛子、生わさびを、その場で擂(す)るといった調味料の凝り様が、この街ではウケているらしく、店内は、ほぼ満席に近かった。僕にとっては、良く行く鎌倉という地元の焼肉屋の方が何倍も気楽だし、市販のタレをそのまま出しているかの様なタレの味の方が美味しく感じられた。この店の支払いの担当は僕で、大よその料金設定は分かっていたが、実際に出て来たお会計の値段を見てびっくりとさせられた。鎌倉の焼肉屋で、同じ人数、同じ量を食べるのを想像すると、いくらお客様の店とは言え、六本木という街の価格に腹立たしさを感じたのは確かだ。領収書をしっかりと頂くと、今度は誠先輩が担当のキャバクラへと向かった。誠先輩のお気に入りの娘のいる、六本木通り沿いの地下にあるキャバクラは今晩も大盛況だった。僕は誠先輩に何度か連れて来てもらったが、一人も気になる娘は出来なかった。誠先輩のお気に入りの桃香は売れっ娘らしく、いつもの様になかなか席には座って来ない。前回入れたらしいボトルが、後少しで無くなりそうな頃に、やっと僕達のテーブルに付いてくれた。どんなに若く装っていても、きっと、桃香は僕より年上だろう。その桃香は、誠先輩の事は〝マコちゃん〟と呼ぶのに、僕の事は何故か〝社長さん〟と呼ぶ。
「あら、マコちゃんと社長さんが、いつも話してる親方さんでしょ?」
と桃香が親方に尋ねると、
「どうせ、ろくな噂はしてないだろう?」と親方は苦笑いしながら言った。それを聞いた桃香は、
「そんな事は無いですよ!お二人とも、親方さんの事を本当のお父さんみたいにお話しするんですよ!素敵な昔話を幾つも聞いていますよ…。」
と答えた。親方に〝さん〟を付けるのは、丁寧にみせたいのか?馬鹿っぽく少しでも若くみせたい桃香の計算なのか?は僕には分からない。そんな桃香との会話のキャッチボールに、さっきまで入れ替わり立ち替わりする若いホステスに嫌気が差しかかっていた親方の表情にも、笑顔が戻ってきた様だ。
「やっぱ。誠が惚れただけあって、イイ女だなぁ!この歳になると、どうも若過ぎる女は疲れるよ!」
「あら!イヤだ、親方さんったら!それじゃまるで私が〝年増〟みたいに聞こえるじゃないですか!?アハハハ…。」
と桃香は笑い飛ばした。そしてその会話を断ち切る様に、
「ねぇマコちゃん、お願いがあるの!この後にアフターに連れてってくれない?今日は桃香が最近仲良くしてるニューハーフの娘の誕生日なのよ。そこのお店はね、男に見える人が女で、女に見える人が男っていうホントに面白いお店なのよ!お願いマコちゃん!連れてって!ね!?」
僕が知っている限り、誠先輩は桃香のお願いを断った事は無い。
「分かったよ。場所教えろよ。先に行って待ってれば良いんだろ?」
「さすがマコちゃん!桃香嬉しい!ねぇ社長さんも親方さんも一緒に行きましょうよ!本当に楽しいお店なんですよ!」
そう言い終わると、いつの間にか桃香は違うテーブルに移っていた。僕はおなべやニューハーフに実際に会った事は無く、早く行って見たい気持ちで胸が躍(おど)り出した。
ミックスパブ・ボーダレスのお店の前には、桃香の仲良しらしいニューハーフの誕生日を祝うお花で一杯だった。店に入ると、背の低い、小さなおじさんみたいな店員に、
「いらっしゃいませ!ご予約の方ですか?何名様でしょうか?」
と尋ねられた。
「桃香から連絡入ってると思うけど、全部で5人位じゃないかなぁ…。」
と誠先輩が応対をした。
「かしこまりました。少々こちらでお待ち下さいませ。」
と男とも女とも判別出来ない声で、妙にハキハキと喋る小さいおじさんはフロア内に入っていった。そこはこの店のエントランスなのか?ウェイティングルームなのか、紫色のソファと赤い照明が、いやらしく思えて僕のワクワクとする気持ちを増長させた。次にフロア内から出て来た店員は、宝塚の男役みたいに、スラッとしていてキレイな顔立ちをしていた。男女の区別は付かなかったが、発する声は、明らかに女声だった。
「お待たせ致しました。桃香さんからご予約は承っております。こちらにお進み下さいませ。」
とフロア内に誘導してくれた。六本木らしく小洒落た内装は、僕の期待を裏切らなかった。赤の壁が多少目に染みる気はしたが、ステージらしきスペースを中心に、上手い事分かれた客席やテーブルは、内装業の僕にとって目を見張るものがあった。六本木の街自体がバブルだからか、この店も誕生日の娘がいるとは言え、どこに僕達が座る所があるのかと不安になる程、混雑し、お客で溢れ返っていた。誘導されるままに奥に進むと、ちゃんと三人座る席は確保されていた。しかし、桃香と桃香の連れて来るヘルプのホステスは、一体どこに座るのだろうと余計な心配をしてしまった。
「いらっしゃいませ!先程、桃香ちゃんからお電話頂きました。初めまして、末那です。宜しくお願いします。早速ですが、お飲み物はどういたしましょうか?」
と僕達に言う女が、元は男?だなんて、どう考えても分からない。彼女の誕生日だという事は、他に接客をしているニューハーフらしい娘達よりも、豪華で派手なドレスを着ている事と、一人だけアップにして綺麗にセットしている髪型でなんとなく分かった。僕は、初めて見る新種の動物を発見したかの様な、不思議な目をしていたらしく、
「こういったお店は初めてですか?」
と聞かれてしまった。
「はい。」
と言う僕の返事にかぶる様に親方が、
「いやぁ~、びっくりする位綺麗だね!!この歳になって初めて生でニューハーフを見るけど、こんなに綺麗だとはなぁ?」
と僕達に同意を求めて来た。最近の親方は〝この歳になると〟とか、〝この歳になるまで〟が口癖の様だ。でも、もうじき五十歳になるのだから仕方が無い。そんな〝この歳〟の親方が、まるで子供の様に、末那に矢継ぎ早に質問を投げ掛けた。
「いつからそうなったの?」
「本当に男が好きなの?」
「どんな男がタイプなの?」
「彼氏はいるの?」
「体はどうなってるの?」
「親御さんは知ってるの?」
そうやって質問責めを受けた末那は、少しも嫌な顔をせず、親切に一つ一つ答えてあげていた。その間、誠先輩の口は、ズーッと半分開きっ放しになっていた。何故か僕は、末那の姿を見ているだけで満足してくる気持ちになった。末那は誕生日で忙しいらしく、そうそう僕達お上(のぼ)りさんみたいなお客ばかりを接客している訳にはいかないみたいで、シャンパンが入る度に席を離れた。その都度付いてくれるニューハーフやオナベ達は、みんな明るくて興味を引く子ばかりだった。
ショータイムが始まるアナウンスが流れる頃に、桃香と桃香のヘルプのホステスがやって来た。
「今日は本当に有難う御座いました!マコちゃんのお陰で、こうして末那の誕生日も来れたし、桃香凄く嬉しいわぁ!」
とわざとらしい挨拶を交わす桃香とは対照的に、ろくに挨拶もせずに
「良かった、ショータイム間に合って。」
と僕の隣にヘルプのホステスが座った。
ショータイムは、目くるめく、華麗で妖艶な世界が繰り広げられた。何と言っても、末那のソロは、僕の目を釘付けにさせた。薄い白のシースルーに金糸の刺繍が入った着物ドレスからは、末那の体が透けて見え、陶酔し切った表情は、決して独り善がりのナルシズムには感じず、僕の心は完全に奪われ、虜(とりこ)になってしまった。天女の様に舞う優雅で美しい末那の姿を見て、僕は今まで味わった事の無い、醒め止まない興奮を覚えた。そして、その後、郡部で踊っている時も、僕は末那から目が離せなかった。
ショータイムが終わり、また席に付いてくれた末那は、
「どうも有難う御座います!ねぇ、聞いて!桃香ちゃん!桃香ちゃん達が来るまで、私、殿方達の質問責めで大変だったのよ!」
と桃香に言った。
「あらイヤだ。ごめんねぇ、末那!誕生日というのに申し訳無いわ!ねぇマコちゃん!お詫びとお祝いを兼ねてシャンパンもらっても良いでしょう?ね!」
と桃香は、断る事を知らない誠先輩に、またおねだりをした。
「あ、そんなつもりで言ったんじゃないんですよ。」
と失言をしてしまったかの様に、慌てる末那に、
「ごめん、ごめん!!そうだ誕生日なんだよね?ドンペリ入れて!入れて末那ちゃん!」
と誠先輩は言った。
「すみません、本当に良いんですか?」
と末那は誠先輩と桃香を交互に見て確認すると、小さいおじさんみたいなオナベにドンペリを注文していた。
「ドンペリなんか久し振りに飲むよ!」
と喜ぶ親方に
「今日は末那ちゃんの誕生日と、日ごろお世話になってる親方と、僕の愛する?桃香にカンパーイ!!」
と誠先輩は乾杯の音頭を執(と)った。僕は桃香の誕生日以来、ドンペリを飲むのは、これで二回目だった。夢の様にキラキラした時間は、あっという間に過ぎていった。
家路に着く間、僕は末那が話していた姿や、踊っていた姿を何度も想い浮かべていた。そして来週の休みの前日に、今度は一人で末那に逢いに行こうと勝手に決め、脳裏に焼き付いた末那の表情や、治まらない想いを静める事に時間がかかり、寝付くまでにとても時間がかかってしまった。
七月七日、昨晩が七夕だったという事に気付いた頃、僕はやっと眠りに付けたのだろう…。




「ここは港区ですよ!新宿と違うんですから、そんな下品な会話は困りますわよ、末那さん!」
この聞き飽きたセリフを、私は六本木・ボーダレスに入店してから、何度美帆ママに浴びせられただろう…。
ママが亡くなってパラノイアはすぐにお店を閉めた。誰もオーナーの経営方針に付いていけず、十月末に、十五年間続いたパラノイアの歴史にピリオドを打つ事になった。ミントさんは、体は何一つイジってなかったので、長い美しい髪を潔くバッサリと切り、男に戻りというか、普通?のホモに戻り、昼間の仕事をしているらしい。ウノちゃんは、大阪に帰り、年明けから自分のデビューした古巣の有名なショーパブに戻って働き始めた。ミカちゃんは、色々と考えたあげく、ニューハーフヘルス嬢になってしまった。私より二つ年上の明(あきら)さんとエミさんは、この六本木・ボーダレスに、私より先の、十一月の頭から働いている。私も、このオナベとオカマのミックスのショーパブ・ボーダレスのオーナーのオナベの享さんから、話は頂いていたものの、オナベさんと一緒に働く不安もあったし、この七年、パラノイアで働き通しだったから、良い機会なので少し休みたかった。そして何より一番の懸念は、新宿育ちの私が、六本木で通用するかどうか、自信が無い事で即決はできなかったのだ。それに、多少の貯金はあったし、忘年会でのショーや、クリスマスディナーショーなどの単発の営業も入っていたので、なんとか食い繋ぐ事は出来た。また、あの五月さんが十二日からクラブ五月という小さいお店を、二丁目のB子ママの店の向かいでオープンさせた。そのオープニングに、お手伝いとして大阪に戻る前のウノちゃんと二人でアルバイトもした。正直な話、私は五月さんのお店を手伝うなんて事は不本意だったけど、あれ程に五月さんと仲が悪かったB子ママからもお願いされると、この二人がどういう流れで仲直りをしたのか興味深く、その真相を知りたくなっていた。仲良しのウノちゃんは、大阪に帰る事が決まっていたので一緒に、働くのもこれが最後だし、何よりも、ママの遺品から頂いた、あの毛並みの良いブラックミンクのコートを着て、ママみたいに颯爽とこの街を歩いてみたかった。五月さんとB子ママは、パラノイアで一緒に働いている時は、物凄く仲が良かったのに、ある事件をきっかけに仲たがいをしてしまい、かねてからいつか独立をしたいと思っていたB子ママは、その事件をきっかけに一国一城の主になったらしい。クラブ五月のオープン三日目の日だった。誰が呼んだ訳でも、待ち合わせをした訳でも無いらしいのに、お店の中がパラノイアの同窓会みたいな状況になった。一番乗りはミカちゃんで、風俗の仕事を終え、少し疲れた表情で入って来た。そのミカちゃんが深夜一時過ぎに来店してくれたのをかわ切りに、ホモに戻ったミントさん、六本木・ボーダレスで働き始めたエミさんと明さんが三時過ぎに来店、その他のメンバーもエミさんが電話で呼び出してくれたらしく、三人程駆け付けてくれた。それにB子ママも、お店を抜け出し、五月さんとの、この3日で板に付いてきたカウンター越しのハイタッチを昔、ママとB子ママがやっていたみたいに来店の儀式として済ませ、席に付いてくれた。B子ママは、座るやいなや、久しぶりに揃うメンバーに、溢れ出さんばかりの口調でこう言って来た。「ねぇねぇ!みんな!ママってさすがだと思わない?いつもお客様に頂いた御品や、自分で買った物を、何かあった時の為に、誰に受け渡すかを、その都度書き残していたなんて…。それにちゃんと揉めたりしないように、その子が喜んで他の子も納得出来る物を考えてたなんて、ホント完璧よね!ケリーやバーキン、毛皮や宝石、ドレスに着物と、私なんか絶対そんな真似出来ないわ!見て見て、このショパールの時計、素敵でしょ!!独立した私にまで、ちゃんと残してくれるなんて…考えられないわ!それに何よりも、あれだけ不仲だった私と五月が仲直り出来たのも、ママの死があったからこそだもの…。私は、五月となんか、一生!口聞かないって思ってたのよ。それをママが、昔みたいに元通りにしてくれたの…。全てママのお陰様よね、五月!」半ベソをかきながら熱弁するB子ママは、とても素敵で美しく見えた。「そうよB子、ママのお陰で、私達は本当の親友になれたんだもんね!みんな聞いて、実は独立を勧めてくれたのも、この物件を探して来てくれたのも、保証人や足りない資金を貸してくれたのも、全部B子なのよ!ママとB子には、私!本っ当に、足を向けて寝れないわ…。」五月さんは、B子ママと手を握り合い、またその瞳からは溜まっていた涙がこぼれ出していた。「あら、五月!ミントさんや私達はどうなるのよ!ねぇ末那、何か言ってあげて頂戴!」
と私に笑いながら話を振るエミさんに、「いや、五月ママも、今とっても頑張ってらっしゃいますし、お姉さん達の事は、いつも感謝してるっておっしゃってましたよ!なんか昔の五月さんじゃないみたいです。」と思わずそう言うと、みんな笑い始めた。「でもさぁ、ママのお通夜の時の五月のあの服は笑ったわ。黒だったら良いってもんじゃないでしょ?だって黒のスパンコールのドレスなんか着て来てたのあんた位しかいなかったもんね!」とエミさんは笑いに拍車をかけてくれた。「ごめんなさいねぇエミ姉さん!だから葬儀はちゃんと喪服で出たでしょ…。」
と五月さんが言うと、「五月ママ、あの喪服、凄くお似合いで素敵でしたよ。」とウノちゃんがフォロー交じりに口を挟むと、「ウノさん、末那さん!もう少しだけどアルバイト宜しくお願いしますねぇ~!」と嫌味を言う時は、口を曲げて言う五月さんの癖は治ってなかった。「こちらこそ、あと三日間、何卒宜しくお願いします、五月ママ!!」と私達二人は頭を下げた。「ところでさぁ、五月?B子とはどうやって仲直りしたのよ?気になってしょうがないじゃない。ねぇ、教えてよ!」と問うエミさんに、B子ママが「それは、ママが天国から降りて来て、私達二人を呼んでさぁ、おミー(ミーティング)してくれたのよ!そうよね!五月!」と言っていた。

ウノちゃんも私も、その話に興味があり、耳はそっちに向いていたけれど、ミカちゃんが働きだした風俗店の近況報告が、あまりにも面白過ぎて、そこから後の話の経緯を聞き逃してしまった。エミさんは帰り際に私を呼んで、「ねぇ末那!ボーダレスのオーナーが末那の事を、とっても欲しがってるのよ!意外と働き易いお店だし、オナベちゃんも皆良い子ばっかりだし、美帆ママはちょっとウルサイけど、理不尽な事は言わないし、他のニューハーフの人達も優しいわよ!もう一度話しだけでも良いからオーナーと逢ってくれない?そしたら私の株も上がるじゃない。わかるでしょ!?末那、お願いよ!」と言い残し、明さんの分のお会計まで済ませて帰って行った。

私が今晩気になった事は、ホモに戻ったミントさんが、少し老け込んで見えた事だけだった…。
一週間のアルバイトも無事に終え、もう少しだけ手伝って欲しいと言ってくれる五月さんの誘いも上手く断り、私は単発のショーの営業をこなし、気ままに日々を送っていた。ウノちゃんは大阪に帰ったので、少し淋しかったけど、たまにミカちゃんと食事をしたり飲みに行って話すガールズトーク?は楽しくてたまらなかった。

そのうち単発の仕事も無くなり、いつまでもその日暮らしという訳にもいかず、私はエミさんに連絡し、ボーダレスのオーナーに逢う事にした。条件や日給が思った以上に良く、何だかんだ言いつつ、背に腹は変えられぬという私の性格を思い知った。そして入店しようという決意を固くさせた。ママがいつか言っていたみたいに、所詮オカマはお金を稼ぐ事位しか出来ないのかも知れない。私は三月三日の春のショーから、六本木・ボーダレスで働く事にした。接客中、今晩も、少し下品な下ネタを交えたトークをしていると、美帆ママから楽屋へ呼ばれ、「ここは港区ですよ!新宿と違うんですから、そんな下品な会話は困りますわよ、末那さん!」
といつもの小言を言われてしまった。

「カレーは飲み物よ。」
と言っていた美沙子は今頃何をしているだろう…。

美沙子とよく行っていたファミレスと場所は違うけれど、同じカレーを食べながら、ふと、そんな事を考えてしまった。

由比ガ浜海岸沿いの国道にあるこのファミレスは、今の一人暮らしの生活の胃袋の五分の一を占めているだろう。この街に来て五年、今年で僕も、もう二十六歳になる。

二十歳で一人暮らしを始め、一年目の桜の季節、僕に転機が訪れた。

死んだ母の相続金が、四年経って三百万円程送られて来たのだ。

それまでの手続きは面倒臭い事があったけれど、たまにしか逢えないたった一人の妹に逢えるという事は、僕にとっては嬉しい時間だった。

四年間働いて貯めた二百万程の貯金と合わせて五百万円で、僕は独立をした。

僕はその当時の現場だった鎌倉という街を好きになり、この街で独立をしたいと思うようになっていた。

海の近くという事や、時間がのんびりと過ぎるこの街は、僕が十五歳までを過ごしたあの街に、どこかしら似て思えた。
独立したいという事を、意を決して親方に言った時、僕の想像していた反応と違い、全面的に協力すると、親方は後押しをしてくれた。

あまりにもすんなりと事が運ぶ事に、僕は少し戸惑ったけれど、親方が「オマエは今まで、どんな辛い事も乗り越えて来た。それに六年も俺の下で、よく辛抱して頑張ってくれた。そろそろ、幸せになっても良い頃だろう…。

人生は、悪い事があったら良い事が次にある。

「何でも良いから何かあったら言って来いよ。」と送り出してくれた。

親方の会社には、僕が辞めてすぐに、高卒の新人が二人入って来ていた。

それから半年が過ぎ、誠先輩も隣街で独立した。

親方と誠先輩と僕は、仕事を廻し合い、良い関係が上手く成り立っていた。

たまに同じ現場で会う善男先輩は、「よ!親方!たまには御馳走して下さいよ!ほら、あのメスブタがいるスナックでも連れてって下さいよ!」と僕に嫌味っぽい事を言って来たりしたけれど、相変わらず優しい義男先輩は、一緒に御飯を食べに行っても、絶対に僕に支払わせようとはしなかった。
仕事が休みの時に、僕の部屋からすぐの海岸で、ボーッとしながら潮風を浴びる時間が、今の生活には掛け替えの無い瞬間だった。潮風は、僕の全てを浄化してくれる様な気がした。
高校を卒業し、池袋の百貨店に勤めて四年になる妹に、空気が綺麗で海と山が近く、自然が溢れている事ど、この鎌倉の良い所をしきりに書き、一緒に住まないかという内容の手紙を送ったけれど、手紙ではなく、携帯電話のショートメールでハッキリと断られた。

この九年の、妹との関係の流れを考えてみると、無理もない事だとは分かっていた。

高校の卒業祝いを贈った時も、就職祝いを贈った時も、成人式の振袖を選んで買いに行った時も、妹はショートメールで〝本当に有難う御座います。心から感謝しています。〟とだけの文章を送って来た。

同じメールを再送信してるのではないかと疑いたくなる位だった。
仕事は親方や誠先輩、新しく出逢ったこの街の人達、こんな僕にでも付いて来てくれる三人の従業員が支えてくれ、もう五年も続ける事が出来た。

彼女はなかなか出来なかったけど、特別欲しいとさえ思わなかった。

勿論、成人男性が故に、大きな仕事の後には誠先輩や善男先輩と一緒に、歌舞伎町や吉原に行ったりもした。なんとなく淋しい時は、その心の隙間を出会い系サイトで埋めた事もある。

善男先輩に言ったら滅茶苦茶に怒られると思うけど、そんな時の偽名は必ず〝善男〟と名乗る事にしていた。たまに業者の方がキャバクラに連れて行ってくれたりもした。

華やかな夜の街に繰り出す事は、僕にとって海を眺め、ボーッとする時間と同じ程に、何故か僕を浄化させてくれた。

綺麗な女の子が横に着き、僕の容姿や着ている一張羅を褒めてくれる行為は、一人の男として嫌な気はしなかった。業者と別れて、色々な店がひしめき合う歓楽街を一人で歩いていると、違う自分が歩いている様で不思議な感覚になった。次第に僕は自分のお金でも飲みに出る様になった。
そんなある日、僕は一軒の店に導かれる様に入って行った。

出会い系サイトのリンクを色々とネットサーフィンしている時に気になっていた店だ。

その店は、ただのカウンターバーや女の子の店とは違って、客自身が化粧をしたり衣装を身に着けるスペースを設けて有り、また、女装をした男性の事が好きな男性も飲みに来る様な、女装も出来て出会いもあるという、こじんまりとした女装バーだった。

僕は初めて店に来たというのに、気が付けば、言われるがままに化粧をし、スカートを身に着け、黒のパンストに足を通し、低めのハイヒールを履いて、カウンターで飲んでいた。

そして名前は〝美沙〟だった。

とっさに思い付いた名前がそれだった気がする。

その店のママはカウンター越しに、「美沙ちゃんキレイよ!今日が女装デビューだなんて思えないわ!やっぱ若いと化粧のノリが違うわねぇ。体毛も薄いし、全く羨ましいわ!このままニューハーフさんのお店で働いても通用しそうね…。」と言っていた。
僕は何人かのお客様に声を掛けられた。
「男とヤッた事あるの?」と聞かれた際に、随分と忘れていた善男先輩とのあの夜を思い出した。
「はい。」と答える僕の声は、少し高めにうわずっていた。
「本当にキレイだね。たまにここにおいでよ。」
という男性の言葉が、不思議と気持ち悪いとは思わなかった。
「今度来る時はメールしてね。」とその男性からメールアドレスと携帯番号と、深いブルーのカクテルを頂いた。

トイレに行って自分の顔を見た時にギョッとしたのは、あまりにも死んだ母親に似ていた事だ。

便座に座っておしっこをする事も、何故だか自然に出来た。

その店のママが写真を撮りたがったのを断った時に、少し男っぽくなった以外は、自分が女の子になったようで、違う人間に慣れた解放感が僕自身を楽にさせた。僕の中にある変身願望は、この夜に咲き乱れた。

そして化粧を落とそうと、濃いめのルージュにクレンジングで唇に触れた時、段々また実生活へと戻されてくる感覚がした。

ママが死んだ…。
青山のポプラ並木の黄色が目に染みる頃だった。昨晩まで、何ら変わらず一緒に接客をして、秋のショータイムを踊っていたのに…。ママの突然の死を、現実として受け止める事など、どうしても出来なかった。
オーナーからは、死因を明らかには報告されていなかったけど、通夜や葬儀の日程、手伝って欲しい事や、連絡して欲しい人など、事務的な用件だけを告げられた。五月さんはこの期に及んで、しきりに、「自殺よ!絶対…!」と意味深に言っていた。
普段は、他人(ひと)は他人(ひと)〟と割り切り、助言など一切しないミントさんが、「五月!!いい加減にしなさい。まだ死因ははっきり分かってないじゃない!それに仮に自殺だとしても、パラノイアの従業員ならば、それを分からない様に隠し通すのがママに対しての最後の礼儀でしょ!!」と泣きながら訴えていた。
「悪かったわ!ごめんなさい。」と素直に人前で謝る事の無い五月さんが、珍しく詫びていた。
エミさんは、他のスタッフに信頼がある。号泣するスタッフ達をひとしきり見守ると、「さぁ、思い切り泣いたら、みんなで次に進みましょ!ほら、ママはいつも言ってたじゃない。後を向いたらダメだって。

どんな時も前を向いて前進するしか無いって!だから、みんなで協力して通夜と葬儀をちゃんとやりましょ!」私とウノちゃんとミカちゃんの同期三人組は、独りきりになりたくなかった。三人で示し合わせたかの様に食事を済ませると、B子ママの店に行く事にした。店に着き、ドアを開けると、五月さん以外のスタッフもまた、示し合わせた様にみんなで飲んでいた。B子ママは、「今日はパラノイアの貸切よ。他のお客様は、あなた達が帰るまでは、ちゃんとお断りするから、遠慮なく思いっきり飲んで頂戴!!」と言ってくれた。
そして一番年上のミントさんは、「B子、それは悪いわ。今日は私がみんなの分を払うから…。」と言ってくれた。しかしB子ママがその言葉を遮るように、「何、辛気臭い事言ってんのよ、ミントさん。

今日は私の奢りに決まってんじゃない!だって私、ママに一杯お世話になったし、沢山迷惑掛けて来たんだもの!店を出す時だって、保証人になってくれたのよ!だからお願い、今日だけは私のワガママ聞いて、そしてママの追悼をしましょ…。」と号泣しながら言った。エミさんは、「ねぇB子!私、ママがよく歌ってたさぁ、あの曲入れてくんない?」
「イヤよ!エミ姉さん。それは私が歌うから、ほら、エミ姉さんは、ママがいつも男が出来た時に歌ってた、これを歌って頂戴!」と懐かしい前奏がかかってきた。エミさんは、「はい!はい!」とママ風の真似をして店内を盛り上げたけど、最後は涙で歌にはなってなかった。
その晩の二丁目のお店の中で、B子ママのお店程、ティッシュペーパーを消費した店は無かっただろう。ママと最後に来た時に、カウンター越しに付いた新人だったスタッフは、五箱ワンセットのティッシュペーパーを、近くのコンビニまで二回も買いに行かされていた。
夜中の三時を過ぎた頃だろうか、エミさんとミントさんが二人で何かを話し、「明日お通夜があることだし、この曲で終わりにしましょ!ほら末那、あんたが好きで、ママに覚えて下さいって言ってた曲あったじゃない!ママさ、一生懸命憶えて歌ってたじゃん。あの曲が、ママが最後に憶えた曲だと思うわ。だから最後は末那!」
私は最後の〆の曲を歌うのは、適役ではない気がしたけど、断る理由も無く、ウノちゃんとミカちゃんに協力してもらい、三人でこの曲を歌う事にした。


♪壊してしまうのは一瞬で出来る…
壊れた心は誰のせいでもない…
答えなどどこにもない…
それだけが真実…♪
 
三人共、出し尽くしたはずの涙がまだ残っていたのか、最後の涙でボロボロになった。
そしてウノちゃんとミカちゃんは私の部屋に泊まる事になった。正確に言うと三人は入店した時期は違うのだけれど、同い年だった為、ライバルでもあり仲良しでもあったので、こんな時は独りきりでは過ごせないと、三人そう思っていた。それぞれコンビニで買って来たジュースを飲みながら、三人でしか話せないママの想い出話をした。
「ほら、私、入店したばっかの頃、客も全然居なかったから、枕ホステスみたいにバンバンやりまくって、客掴んでたじゃない。先輩達からは後指差されるし、モチロン私がいけないんだけど孤立しちゃってて、でもママは、そんな私を怒りもしないで何て言ったと思う?『ミカちゃん、お客様と寝ちゃダメだって一概には言えないわ!でも、色んな体型のお客様がいらっしゃるから、部屋に連れ込む時はね、百均じゃ安過ぎるからいけないけど、ユニクロとかのSとMとLサイズのTシャツと下着と靴下位は用意しときなさい。そうすれば、お客様は自分の為に用意してくれたと勘違いして、また同伴してくれたり、お店に来てくれるから。』って。案の定その手に引っ掛かったのが、ほらあの太客のJよ!それにJが通うようになったらママが『もうこれで色んな人と寝なくて済むわね。ミカ、寝ても寝なくても、お客様は来なくなる時は、来なくなるんだから。極力簡単に寝ちゃダメよ!』って。」
そう言い終えるとミカちゃんは、私にくれた縫いぐるみを、自分の物みたいに抱いてまた泣いていた。ウノちゃんも、「ねぇねぇ、私とママの実家って同じ大阪じゃない。だから、たまに実家に帰る時は、ママと一緒に帰ってたの。色んな話してくれたから、三時間の新幹線があっと言う間だったわ!なんかママを一人占め出来たみたいで、実家が博多だったら、あと三時間半一緒に居れたのに…って、いつも思ってたわ…。二人共さぁ、お店では関西弁使わないようにしてるけど、その時だけは関西弁解禁だったから、ホントに楽しかった!ママの実家の話って聞いた事ないでしょ?ミントさんやエミさんは知ってるかも知れないけど、ママって、東大阪で有名な工場の次男坊なのよ。『オカンが言うねん!〝オマエがそんなんなったんは、二歳の頃に、工場の機械に頭ぶつけたからちゃうか?〟って。アホか、そんなんで、こんなんなったら、みんななっとるわい!〟』ってママは言い返したんだって。それに、お兄さんが跡継いでから、バブルがはじけたせいもあって、工場の経営が傾いた時に、お兄さんに一千万円も送ったんだって!でもそのお兄さんから以前『オトンやオカンが死んでもな、オマエなんかは葬式に出さへんからな。』とか、『オマエが死んでも家(うち)の墓には入れへんで。』とか、散々言ってたお兄さんにだよ!それで私聞いたのよ、『なんでそんなん出来んですかぁ?』って。そしたらママは、『ウノ!私達は何も残せへんやろ。結婚も出来へんし、子供も作れへん。私にとっては、あんたらも可愛い子供と同じ家族だと思ってんねんけど、やっぱ、血の繋がった家族くらいは大切にせなあかんやろ。』って。私まだあん時二十二位やったから、ようわからんかったけど、なんとなく、この人って凄いわと思ったわ。今年の五月に一緒に大阪に帰ったのが最後やったわぁ…。その時にママ言ってた、『オトンがお墓が古くなったから新しくしたいって言ってるのをオカンから聞いて、三百万送ったのに、オカンが百万使い込みやがって、また百万送ってやっと新しく出来たみたいやから、今回お墓参りに行くねん。』って。私それ聞いて、思わずママに、『けどママ、よくそんなん家族に出来ますね』って言ったの。そしたらママ、『あんたもいつかそうなるわよ!オカマは家族も子供も作れないけど、金稼ぐ事位は出来るやろ!私は、あんた達みたいな、良い子に恵まれて、良いお客様が来てくれて、幸せ者だと思ってるよ。』って言ってくれたん。だから、私もいつかママみたいに家族が困った時に役に立てる様に、ママの紹介で銀行に積み立て貯金し始めたんよ!」ウノちゃんは私達の前で関西弁になる事など滅多に無く、泣きながら話す関西弁は、とても可愛らしく愛しく思えた。私は、自分とママとの想い出は話さなかった。他の二人の素敵なエピソードを聞くだけ聞いていて、少しズルい気もしたけれど、まだ私とママとの約束は果たされていないから、もし約束を果たせた時に、もし二人と繋がっていたら、その時に話したいと思ったからだ。
三人は、もう二十五歳にもなるというのに、去年の慰安旅行の時の様に、同じベッドに体を寄せ合い寝る事にした。少し寒くなってきた頃だったけれど、三人の温もりで暖房を入れなくてもよかった。
泣き疲れていたはずなのに、なかなか寝付けなかった私は、二人に分からない様にベッドから抜け出し、隣のリビングでママの写っているショータイムのビデオを見る事にした。

美沙子の食いっぷりは美しかった。いつもデートの待ち合わせは、お互いの家の丁度中間地点のファミレスと決まっていた。僕はだいたいコーヒーしか飲まなかったけれど、美沙子は朝だろうが、昼だろうが、夜だろうが、必ずパスタやカレーを頼んでいた。そしてドリンクバーを何往復もしながらも、美沙子にとっての間食を完食していた。美味しそうに食べている美沙子を見ていると、ただ純粋に癒された。そしてジュースのグラスが一気に無くなると、僕が代わりにドリンクバーに美沙子の好きなコーラを注ぎに行った。
美沙子と出逢ったのは、僕が十六歳、彼女が二十三歳の時で、僕はまだ親方の家に住み込みで働き始めたばかりの頃だった。そして美沙子は、僕が初めて参加した、大晦日の忘年会の二次会で行ったスナックに働いていた。当時まだ十六歳の僕は、まともに女の人と話した事など無かったのだが、外見が八十キロ以上にも見える美沙子は、女性と言うよりも、何かのキャラクターや着ぐるみみたいに見えて、変な緊張も無く自然に話す事が出来た。とにかく憶えているのは、美沙子に笑いながらバチバチと手で叩かれていた肩が、痛かった事位だ。それから何度か美沙子を街で見かけた時もあった。たぶん、美沙子が普通の体型の女の子だったら、すれ違っても分からなかったと思う。十八歳になり、二年振りの忘年会の二次会は、二年前と同じで、美沙子の働いているスナックになった。久し振りに逢う美沙子は、また一段と丸々と成長していた。ズケズケと物を言う善男先輩は、悪気も無く美沙子に、「おいメスブタ!今何キロだ?」
「女に歳と体重を聞くのはデリカシーの無い男の証拠よ!でも大丈夫、私はデリカシーの無い体を武器に生活が成り立っているから教えてあげるわ!!九十八キロよ!ハハハ。でもね、焼肉食べ放題の後は百キロは越えてるけどね…ハハハハ!!」
美沙子の屈託の無い笑顔は、隣にいる僕とおない年のホステスよりも、はるかに美しく見えた。誠先輩はこのスナックの常連らしく、
「おい、聞いたぞママに。美沙子が前借りする時は、だいたい出前の付けがたまって払えなくなった時なんだってな!」
美沙子は自分の失態を暴露されているのに、一緒になってバカ笑いをしていた。そして笑いながら、「しょうがないじゃない、誠さん。だってこの体を維持するのって、お金かかるんだもの、オホホホ…!!」
「そういえばお前、あの痩せこけた彼氏はどーした?」
「彼氏なんかじゃないわよ!ただのお客様です!私って面食いでしょ!?あの男はダメよ…。それに私、デブ好きの男って嫌いなの。たまたま付き合った女がぽっちゃりし過ぎた可愛い女の子なんだって、思ってくれる男じゃないと…。デブ専の男って、やっぱマニアックで偏ってる人多いもん。ハハハハ。」
善男先輩は十八のホステスと話していると思っていたけれど、「それじゃ一生恋愛出来ないじゃん…。」とボソッと呟いた。
美沙子は聞こえてなかったみたいで、誠先輩におつまみの鳥の唐揚げをねだっていた。そして出て来た唐揚げを、一つずつ僕たちに勧め終わると、残りの全部を美味しそうに食べていた。そして十八のホステスが別のテーブルに呼ばれてしまい、退屈そうだった善男先輩は、「お前、ドリンクバックみたいにフードバックがあれば、すげー稼げるんだろうな。」と美沙子に笑って言った。
「なんかお前の部屋、汚そうだな。」
「バカね。豚はキレイ好きなのよ!」
美沙子はそう言ってうまくかわしながら、僕に興味が有るみたいで色々と話しかけてくれた。僕が女の人に電話番号やメールアドレスを教えるのは、親方の奥さん、誠先輩の奥さん、そして美沙子が三人目だった気がする。そしてその女と僕が、こうして付き合うだなんて、その時は全く考えもしなかった。
美沙子から来るメールは、絵文字が一杯で新鮮だった。今までは用件だけのメールしかもらった事が無かった僕は、美沙子から来るメールが楽しみだった。また、美沙子のメールのタイトルはいつも豚の絵文字だった。こうして僕の初めての女は、年上の美沙子という名前の、ぽっちゃりし過ぎた女になった。でも、七歳も年上だとか、僕よりも体重が四十キロも重い事とか、僕にとってはどうでも良い事だった。
善男先輩に美沙子と付き合っている事を伝えたら、先輩は唖然として信じられないといった様子だった。でも、僕しか見た事が無いであろう、年上の美沙子の素っぴんであどけない表情や、僕の事を気遣う優しさを思うと、僕は彼女を愛おしく感じてたまらなかった。
デートの時、いつも美沙子に御馳走になっているのが悪いと思い、付き合って四回目のデートの頃から、三回に一回は払わせてもらう事になった。仕事しか楽しみを知らなかった僕は、美沙子からのメールや、二人で一緒に過ごす時間が物凄く楽しく、掛け替えの無いものになっていた。
約二年の月日が経っても、二人の関係は付き合い始めた頃と何も変わらなかった。それでも僕は結婚なんて事までは考えられなかったが、もうじき二十八歳になる美沙子は、結婚という二文字を会話の端々によく出す様になって来ていた。
それは親方との、〝二十歳になったら一人暮らしをしても良い〟という約束がもうじきの頃だった。美沙子に「同棲しない?」と相談されたのだ。

純粋に嬉しいという思いに反して、一人暮らしをずっと夢に見ていた、この四年間の思いが邪魔をしていた。美沙子の事を嫌いになった訳では無いけれど、同棲や結婚を無理強いされている様で、僕は段々とウザいと感じてしまった。それに同棲や結婚までなら何となく漠然と想像は付いたが、〝子供が欲しい〟と美沙子に言われた時、僕は美沙子に対して拒絶にも似た感情が生まれてしまったのだ。僕の子孫を残す事など、どうしても考えられなかった。無責任な事かも知れないが、美沙子から子供の話を聞くまで、子供を作る事なんて全く想像をしていなかったのだ。いつもコンドームを使ってするSEXも、美沙子は面白く無さ気だった。僕は直感的に、もう一緒に居てはいけないと思っていた。メールのやり取りがあんなに楽しかったのに、一緒に居る時間が段々苦痛になって来ていた。自分がいい加減で無責任な人間だという事を、美佐子は教えてくれた気がする。
別れるまでに、時間は多少かかった。でも僕は、ただひたすら謝るだけの返信しか出来なかった。美沙子から最後に届いたメールのタイトルは、いつもの豚の絵文字では無く、〝サヨナラ〟だった。
「……。あなたはまだ若いのに、同棲とか結婚の事を、せかした私が悪かったと思います。でも、子供が欲しいと言った時の、あなたの表情は尋常じゃない物が有りました。あなたはまだ若いから、きっと私のこの気持ちが重荷になってしまったんでしょうね。本当にごめんなさい。でもいつか、この人との子供が欲しいと思える様な娘(こ)に出逢えたら良いですね…。今までありがとう…。」
言っておくが、僕は若いからって子供が欲しくない訳なんかでは無い。僕の血が、僕のDNAが残り続ける事が想像付かないだけだ。美沙子が、僕と結婚して子供を産みたいという気持ちを抱くのは、女の本能だからしょうがない事だろう。それに普通の男だったら、やはり、いずれは家庭を築き上げて生きて行きたいと思うのが大半だろう…。 
親から生まれ、子供から大人へと育ち、結婚をして、子供を作り、やがて死んでいく…。そういう人間として当たり前のことが、ごく普通のことが、僕にとっては当たり前でも普通何かでもなかった。若いから後先考えずに生きたいだなんて言う単純な事でもなく、只々、今この瞬間をがむしゃらになる生き方しか、僕には選択肢が残されていなかったのだ。