“未那に逢うまではまでは、僕はずーっと淋しかった。
でも、もう淋しい想いはしたくないよ。”と訴えかけるように私を抱いた言葉が、一さんと体の会話を交わすようになった最初の大切な言魂(ことだま)だった。私は妙にその言魂に惹かれてしまった。私は、トシヤと別れてからというもの、柄にもなく恋愛に臆病になっていた。
所詮、オカマがノーマルと世間で言われている男と付き合って恋愛したとしても、それは“恋愛ごっこ”にしか過ぎないと思ったからだ。
そして別れる時に、“お前が、本当の女だったらな・・・。”なんて、下らない同情まがいの安っぽいセリフとか、もう二度と聞きたくもなかった。
だからと言う訳じゃないけれど、私はいつのまにか“SEXはスポーツ”と割り切れるようになっていた。
乙女チックな片想いをする勇気もなければ、健気だったり、大胆な不倫なんてもってのほかだとおもっていた。
まして不倫相手なんか!はらむ心配の無い、毎日が安全日の都合のいい女?になど、なりたくもなかった。
淋しさを紛らわすだけの、たちの悪い“恋愛ごっこ”より、テニスのラリーが何回続くかを競うようなゲームの方が、よっぽど気軽で気持ちがよかった。
男の気持ちのいいところを知り尽くしているつもりの私は、ゲームに負ける気がしなかった。
それに、スポーツにはよけいな会話など必要ない。ただ何かを確認する為の合図や掛け声で、充分に成立した。もしゲーム中に、“お前とずーっと一緒に居たい”とか“これからも付き合ってほしい”とか“お前を誰にも渡さない”なんて、軽薄で余計なセリフを吐いた対戦相手には、レッドカードとしてお仕置きをしてあげたりもした。
それは、私の中にゴールしようとしている相手の中に、私自身をゴールする事だ。
サッカーのオウンゴールのように相手に屈辱とダメージを与えてあげる。でも、お仕置きを受けた男達は、決まって負ける試合の屈辱感を憶えリベンジを挑んでくる。私としか成立しないゲームを知ってしまった証拠だ。
SMの世界も終わりがなく、列記とした由緒ある伝統的なスポーツのように捉えていた。
新宿の一流ホテルの、夜景が見えるバスルームのガラスに、私は大の字になった事もある。さすがにその時は、冷静になり過ぎた私の心も体も、ガラス窓の重厚な感触と遠くに見える東京タワーの灯りに、我に返ったものだ。
思わず心の中で、“お父さん、お母さん、ごめんなさい。私が変わったんじゃないの?
この東京が私をこう変えたの・・・。”と訳のわからない想いで叫んだ事もある。SもMも演じきれば、陶酔出来るショータイムのように快感に変わる。
私のその対戦相手は、私の体を目的に来店して来た、客として長くは続きそうもない私のタイプで、ある程度清潔感狩り、男らしく、他の娘や他の店で私と対戦した事を軽々としゃべったりしない男と限定していた。
よくパラノイア時代に、たまに判断ミスで、私との秘め事をしゃべったお客の話を聞き、うざったい五月さんから
「未那は、太客のお金持ちとは寝ないくせに、安っぽい金もろくに使いはしない一見の客とばかり、たやすく寝るんだから!困ったものね!」
とお節介な小言を言われたけれど、私の変なポリシーとして、お店に通って下さる、お金を使って頂けるお客様とは絶対に寝なかった。
「だって五月さん、せっかく未那にお金を使いに来て下さっているお客様とは、充分に心で接していますから、体の会話なんて必要ないんですよ!それに、もし寝てしまって、大切なお客様が、もうそれで通って下さらなくなったら、今までの時間が無駄じゃないですか!」
と言う言い合いも何度かしたものだ。
パラノイヤのママが死んだ後、私は携帯のプレイヤーというグループの中から、一番あと腐れない肌の合う対戦相手に連絡をし、激しいイプレイを競い合った。もちろんその日もいい試合で、私は勝った。
でも、もう何とも言えない淋しさは消える事なく、ママに天国から
『未那!いつまでそんな事しているの!もういい加減に淋しいイゲームなんて辞めなさい!何回チンケな客から『ママ!知ってた?未那ちゃんって、ものすごく大胆なんだよ!』とか『未那は淫乱なビッチと変わらないよ!』って聞かされた事か!未那!もうママに嫌な想いをさせるのはやめて!そんなんじゃいつまで経っても本当の愛なんか見つかる訳ないでしょ!本当は愛されたいんでしょ!愛したいんでしょ!あなたがこれから働くお店で、裏表のある人間だと誤解されないようにママが言ってんのよ!もう無駄なプレイはゲームセットしてしまいなさい!未那が我慢したら、きっと、素敵な男(ひと)が現れるわよ・・・。ね!未那!」
と言われているような気がした。
私はその相手を最後に、しばらく勝率のいい選手から早退する事にした。
私は、六本木ボーダレスに入店し、佐久間一と言う男に出逢い、彼の私に対する好意を新しい土地での新しいゲームのように何度も試した。そして彼の真実(ほんと)を、何度も自分のリトマス試験紙を使い試したのだ。
私はこのゲームに負け、自分の過去をさらけ出す事と、ハワイ旅行を招待する事で、愚かなゲームを清算した。これまでの淋しいゲームの話しをする時は、意を決するものがあったけど、もしこれで駄目になったとしても、私は全てを話したかった。
「そんな事!全然関係ないよ!誰だって淋しくて、人の温もりがないと終われない一日やストレスを吐き出す作業だって、合意のもとなら間違いじゃない!考え過ぎだよ!」
と彼は言ってくれた。
「私は、一さんが思っている程、素敵な女じゃないのよ!それでも平気なの?」
「馬鹿言ってんじゃないよ!そんな事聞いたぐらいで、未那に対する気持ちが変わるようじゃ、ここまで好きになってないよ!まだ話ししたりないなら、話しても構わないけど、未那!大丈夫だから、過去は過去だよ!だって未那は今、ものすごく輝いていて僕にとっては素敵な女だよ!」
彼はそう言うと、私の話しと辻褄を合わせてくれるように、今まで付き合った女や、風俗に行った話しをしてくれた。そして、“この話しを聞いて、僕の事を嫌いになったらしょうがないけど、僕も、もう性的な事は隠したくないから・・・。”と言い、昔働いていた先輩と、一度だけ男同士の快楽を経験した話しと,女装をしていた時期があった事を、赤裸々に告白してくれた。彼の話はリアル過ぎて、衝撃的だったけれど、私のリトマス試験紙の色は一向に変わる事はなかった。この日を境に私は,彼に真実(ほんと)の気持ちで、素直に「愛されたいし、愛したい」と思うようになった。そして次のデートの時に、彼からの深い言魂(ことだま)と共に、愛のあるSEXを久しぶりに共有する事になった。
彼と過ごす日々は、キラキラした宝石のように輝いていた。
少しだけ我慢していた私に、ママが天国からプレゼントしてくれたように思えた。一緒に買い物したり、映画を見て同じところで泣いている自分達を知ったり、私の作った料理を美味しそうに食べてくれたり、他愛もない事が、私の心の大半を充実させてくれた。彼と別れて、それぞれの部屋に戻る時に、お互い同時に、
「気を付けて・・・」_
と言う言葉の重みも、初めて知る事だった。
今でも、お客様がお帰りになる際に簡単に使っていた“気を付けて・・・”の言葉の意味が、今までとは違う“気を付けて・・・”に変わっていた。本当に心の底から、気を付けて事故など無くちゃんと帰ってほしいと思えた。そして、お客様に対しても、そう願えるようになった。
私は絶え間なく起こるお店でのいざこざで悩んでいる時も、彼の愛で乗り越える事が出来た。私は、何も求めて来ない彼の優しい言葉に、何度救われただろうか・・・。その事を彼に伝えると、
「僕も一緒だよ!」
と、私を抱きしめてくれた。
彼とのSEXは、本当に人に言いたくない程、いや人に言えない程、感動と喜び証だった。彼が私の愛液を口で受け止め飲んでくれた事さえ、引く事無く純粋に嬉しかった。今まで使ってたコンドームも不用の産物だったし、余計な演技も必要なかった。ありのままをお互い求め、愛し合い、絆を深める作業として培っていた。どんな愛の形があっても、法に触れない限り、人にとやかく言われたくない。
私はいつの間にか、お店でのオナベさんとオカマさんの恋愛も認める事ができていた。
そして何より、少しづつ人に優しくなれる自分自身の変化を感じていた。
「自分が変わらなければ、周りは変わらないのよ!人を変えようと思う前に、自分が変わった方が早いじゃない!人の悪いところばかり見ずに、いいところだけを見てれば腹も立たないなずよ!」
とミーティングの度に、口を酸っぱくして言っていたパラノイヤのママの言葉も、今の私は、理解する事が出来ていた。強がりな私は、お店では何事も無かったように、平然を装い平常心で働いていたけど、彼と二人だけになると、本当の私をさらけ出せるスイッチを手に入れたようだ。
もう淋しいゲームも仕事の愚痴も、コンドームや過激な演技と共に捨ててしまった。
ただ只、この愛がもし、万が一、終わる事と、もし、万が一、彼が仕事や事故で死んでしまうような事がある事だけが、私には恐ろしく不安だった。
長湯して、少しのぼせてしまったようだ。彼の戻りが遅いのが気になってきた。そう言えば、彼が大浴場に行く時に、キスの後、
“気を付けて・・・”ではなく“後でね・・・”と言っていた気がする。
私は計り知れな不安に襲われた・・・。