ママが死んだ…。
青山のポプラ並木の黄色が目に染みる頃だった。昨晩まで、何ら変わらず一緒に接客をして、秋のショータイムを踊っていたのに…。ママの突然の死を、現実として受け止める事など、どうしても出来なかった。
オーナーからは、死因を明らかには報告されていなかったけど、通夜や葬儀の日程、手伝って欲しい事や、連絡して欲しい人など、事務的な用件だけを告げられた。五月さんはこの期に及んで、しきりに、「自殺よ!絶対…!」と意味深に言っていた。
普段は、他人(ひと)は他人(ひと)〟と割り切り、助言など一切しないミントさんが、「五月!!いい加減にしなさい。まだ死因ははっきり分かってないじゃない!それに仮に自殺だとしても、パラノイアの従業員ならば、それを分からない様に隠し通すのがママに対しての最後の礼儀でしょ!!」と泣きながら訴えていた。
「悪かったわ!ごめんなさい。」と素直に人前で謝る事の無い五月さんが、珍しく詫びていた。
エミさんは、他のスタッフに信頼がある。号泣するスタッフ達をひとしきり見守ると、「さぁ、思い切り泣いたら、みんなで次に進みましょ!ほら、ママはいつも言ってたじゃない。後を向いたらダメだって。

どんな時も前を向いて前進するしか無いって!だから、みんなで協力して通夜と葬儀をちゃんとやりましょ!」私とウノちゃんとミカちゃんの同期三人組は、独りきりになりたくなかった。三人で示し合わせたかの様に食事を済ませると、B子ママの店に行く事にした。店に着き、ドアを開けると、五月さん以外のスタッフもまた、示し合わせた様にみんなで飲んでいた。B子ママは、「今日はパラノイアの貸切よ。他のお客様は、あなた達が帰るまでは、ちゃんとお断りするから、遠慮なく思いっきり飲んで頂戴!!」と言ってくれた。
そして一番年上のミントさんは、「B子、それは悪いわ。今日は私がみんなの分を払うから…。」と言ってくれた。しかしB子ママがその言葉を遮るように、「何、辛気臭い事言ってんのよ、ミントさん。

今日は私の奢りに決まってんじゃない!だって私、ママに一杯お世話になったし、沢山迷惑掛けて来たんだもの!店を出す時だって、保証人になってくれたのよ!だからお願い、今日だけは私のワガママ聞いて、そしてママの追悼をしましょ…。」と号泣しながら言った。エミさんは、「ねぇB子!私、ママがよく歌ってたさぁ、あの曲入れてくんない?」
「イヤよ!エミ姉さん。それは私が歌うから、ほら、エミ姉さんは、ママがいつも男が出来た時に歌ってた、これを歌って頂戴!」と懐かしい前奏がかかってきた。エミさんは、「はい!はい!」とママ風の真似をして店内を盛り上げたけど、最後は涙で歌にはなってなかった。
その晩の二丁目のお店の中で、B子ママのお店程、ティッシュペーパーを消費した店は無かっただろう。ママと最後に来た時に、カウンター越しに付いた新人だったスタッフは、五箱ワンセットのティッシュペーパーを、近くのコンビニまで二回も買いに行かされていた。
夜中の三時を過ぎた頃だろうか、エミさんとミントさんが二人で何かを話し、「明日お通夜があることだし、この曲で終わりにしましょ!ほら末那、あんたが好きで、ママに覚えて下さいって言ってた曲あったじゃない!ママさ、一生懸命憶えて歌ってたじゃん。あの曲が、ママが最後に憶えた曲だと思うわ。だから最後は末那!」
私は最後の〆の曲を歌うのは、適役ではない気がしたけど、断る理由も無く、ウノちゃんとミカちゃんに協力してもらい、三人でこの曲を歌う事にした。


♪壊してしまうのは一瞬で出来る…
壊れた心は誰のせいでもない…
答えなどどこにもない…
それだけが真実…♪
 
三人共、出し尽くしたはずの涙がまだ残っていたのか、最後の涙でボロボロになった。
そしてウノちゃんとミカちゃんは私の部屋に泊まる事になった。正確に言うと三人は入店した時期は違うのだけれど、同い年だった為、ライバルでもあり仲良しでもあったので、こんな時は独りきりでは過ごせないと、三人そう思っていた。それぞれコンビニで買って来たジュースを飲みながら、三人でしか話せないママの想い出話をした。
「ほら、私、入店したばっかの頃、客も全然居なかったから、枕ホステスみたいにバンバンやりまくって、客掴んでたじゃない。先輩達からは後指差されるし、モチロン私がいけないんだけど孤立しちゃってて、でもママは、そんな私を怒りもしないで何て言ったと思う?『ミカちゃん、お客様と寝ちゃダメだって一概には言えないわ!でも、色んな体型のお客様がいらっしゃるから、部屋に連れ込む時はね、百均じゃ安過ぎるからいけないけど、ユニクロとかのSとMとLサイズのTシャツと下着と靴下位は用意しときなさい。そうすれば、お客様は自分の為に用意してくれたと勘違いして、また同伴してくれたり、お店に来てくれるから。』って。案の定その手に引っ掛かったのが、ほらあの太客のJよ!それにJが通うようになったらママが『もうこれで色んな人と寝なくて済むわね。ミカ、寝ても寝なくても、お客様は来なくなる時は、来なくなるんだから。極力簡単に寝ちゃダメよ!』って。」
そう言い終えるとミカちゃんは、私にくれた縫いぐるみを、自分の物みたいに抱いてまた泣いていた。ウノちゃんも、「ねぇねぇ、私とママの実家って同じ大阪じゃない。だから、たまに実家に帰る時は、ママと一緒に帰ってたの。色んな話してくれたから、三時間の新幹線があっと言う間だったわ!なんかママを一人占め出来たみたいで、実家が博多だったら、あと三時間半一緒に居れたのに…って、いつも思ってたわ…。二人共さぁ、お店では関西弁使わないようにしてるけど、その時だけは関西弁解禁だったから、ホントに楽しかった!ママの実家の話って聞いた事ないでしょ?ミントさんやエミさんは知ってるかも知れないけど、ママって、東大阪で有名な工場の次男坊なのよ。『オカンが言うねん!〝オマエがそんなんなったんは、二歳の頃に、工場の機械に頭ぶつけたからちゃうか?〟って。アホか、そんなんで、こんなんなったら、みんななっとるわい!〟』ってママは言い返したんだって。それに、お兄さんが跡継いでから、バブルがはじけたせいもあって、工場の経営が傾いた時に、お兄さんに一千万円も送ったんだって!でもそのお兄さんから以前『オトンやオカンが死んでもな、オマエなんかは葬式に出さへんからな。』とか、『オマエが死んでも家(うち)の墓には入れへんで。』とか、散々言ってたお兄さんにだよ!それで私聞いたのよ、『なんでそんなん出来んですかぁ?』って。そしたらママは、『ウノ!私達は何も残せへんやろ。結婚も出来へんし、子供も作れへん。私にとっては、あんたらも可愛い子供と同じ家族だと思ってんねんけど、やっぱ、血の繋がった家族くらいは大切にせなあかんやろ。』って。私まだあん時二十二位やったから、ようわからんかったけど、なんとなく、この人って凄いわと思ったわ。今年の五月に一緒に大阪に帰ったのが最後やったわぁ…。その時にママ言ってた、『オトンがお墓が古くなったから新しくしたいって言ってるのをオカンから聞いて、三百万送ったのに、オカンが百万使い込みやがって、また百万送ってやっと新しく出来たみたいやから、今回お墓参りに行くねん。』って。私それ聞いて、思わずママに、『けどママ、よくそんなん家族に出来ますね』って言ったの。そしたらママ、『あんたもいつかそうなるわよ!オカマは家族も子供も作れないけど、金稼ぐ事位は出来るやろ!私は、あんた達みたいな、良い子に恵まれて、良いお客様が来てくれて、幸せ者だと思ってるよ。』って言ってくれたん。だから、私もいつかママみたいに家族が困った時に役に立てる様に、ママの紹介で銀行に積み立て貯金し始めたんよ!」ウノちゃんは私達の前で関西弁になる事など滅多に無く、泣きながら話す関西弁は、とても可愛らしく愛しく思えた。私は、自分とママとの想い出は話さなかった。他の二人の素敵なエピソードを聞くだけ聞いていて、少しズルい気もしたけれど、まだ私とママとの約束は果たされていないから、もし約束を果たせた時に、もし二人と繋がっていたら、その時に話したいと思ったからだ。
三人は、もう二十五歳にもなるというのに、去年の慰安旅行の時の様に、同じベッドに体を寄せ合い寝る事にした。少し寒くなってきた頃だったけれど、三人の温もりで暖房を入れなくてもよかった。
泣き疲れていたはずなのに、なかなか寝付けなかった私は、二人に分からない様にベッドから抜け出し、隣のリビングでママの写っているショータイムのビデオを見る事にした。