美沙子の食いっぷりは美しかった。いつもデートの待ち合わせは、お互いの家の丁度中間地点のファミレスと決まっていた。僕はだいたいコーヒーしか飲まなかったけれど、美沙子は朝だろうが、昼だろうが、夜だろうが、必ずパスタやカレーを頼んでいた。そしてドリンクバーを何往復もしながらも、美沙子にとっての間食を完食していた。美味しそうに食べている美沙子を見ていると、ただ純粋に癒された。そしてジュースのグラスが一気に無くなると、僕が代わりにドリンクバーに美沙子の好きなコーラを注ぎに行った。
美沙子と出逢ったのは、僕が十六歳、彼女が二十三歳の時で、僕はまだ親方の家に住み込みで働き始めたばかりの頃だった。そして美沙子は、僕が初めて参加した、大晦日の忘年会の二次会で行ったスナックに働いていた。当時まだ十六歳の僕は、まともに女の人と話した事など無かったのだが、外見が八十キロ以上にも見える美沙子は、女性と言うよりも、何かのキャラクターや着ぐるみみたいに見えて、変な緊張も無く自然に話す事が出来た。とにかく憶えているのは、美沙子に笑いながらバチバチと手で叩かれていた肩が、痛かった事位だ。それから何度か美沙子を街で見かけた時もあった。たぶん、美沙子が普通の体型の女の子だったら、すれ違っても分からなかったと思う。十八歳になり、二年振りの忘年会の二次会は、二年前と同じで、美沙子の働いているスナックになった。久し振りに逢う美沙子は、また一段と丸々と成長していた。ズケズケと物を言う善男先輩は、悪気も無く美沙子に、「おいメスブタ!今何キロだ?」
「女に歳と体重を聞くのはデリカシーの無い男の証拠よ!でも大丈夫、私はデリカシーの無い体を武器に生活が成り立っているから教えてあげるわ!!九十八キロよ!ハハハ。でもね、焼肉食べ放題の後は百キロは越えてるけどね…ハハハハ!!」
美沙子の屈託の無い笑顔は、隣にいる僕とおない年のホステスよりも、はるかに美しく見えた。誠先輩はこのスナックの常連らしく、
「おい、聞いたぞママに。美沙子が前借りする時は、だいたい出前の付けがたまって払えなくなった時なんだってな!」
美沙子は自分の失態を暴露されているのに、一緒になってバカ笑いをしていた。そして笑いながら、「しょうがないじゃない、誠さん。だってこの体を維持するのって、お金かかるんだもの、オホホホ…!!」
「そういえばお前、あの痩せこけた彼氏はどーした?」
「彼氏なんかじゃないわよ!ただのお客様です!私って面食いでしょ!?あの男はダメよ…。それに私、デブ好きの男って嫌いなの。たまたま付き合った女がぽっちゃりし過ぎた可愛い女の子なんだって、思ってくれる男じゃないと…。デブ専の男って、やっぱマニアックで偏ってる人多いもん。ハハハハ。」
善男先輩は十八のホステスと話していると思っていたけれど、「それじゃ一生恋愛出来ないじゃん…。」とボソッと呟いた。
美沙子は聞こえてなかったみたいで、誠先輩におつまみの鳥の唐揚げをねだっていた。そして出て来た唐揚げを、一つずつ僕たちに勧め終わると、残りの全部を美味しそうに食べていた。そして十八のホステスが別のテーブルに呼ばれてしまい、退屈そうだった善男先輩は、「お前、ドリンクバックみたいにフードバックがあれば、すげー稼げるんだろうな。」と美沙子に笑って言った。
「なんかお前の部屋、汚そうだな。」
「バカね。豚はキレイ好きなのよ!」
美沙子はそう言ってうまくかわしながら、僕に興味が有るみたいで色々と話しかけてくれた。僕が女の人に電話番号やメールアドレスを教えるのは、親方の奥さん、誠先輩の奥さん、そして美沙子が三人目だった気がする。そしてその女と僕が、こうして付き合うだなんて、その時は全く考えもしなかった。
美沙子から来るメールは、絵文字が一杯で新鮮だった。今までは用件だけのメールしかもらった事が無かった僕は、美沙子から来るメールが楽しみだった。また、美沙子のメールのタイトルはいつも豚の絵文字だった。こうして僕の初めての女は、年上の美沙子という名前の、ぽっちゃりし過ぎた女になった。でも、七歳も年上だとか、僕よりも体重が四十キロも重い事とか、僕にとってはどうでも良い事だった。
善男先輩に美沙子と付き合っている事を伝えたら、先輩は唖然として信じられないといった様子だった。でも、僕しか見た事が無いであろう、年上の美沙子の素っぴんであどけない表情や、僕の事を気遣う優しさを思うと、僕は彼女を愛おしく感じてたまらなかった。
デートの時、いつも美沙子に御馳走になっているのが悪いと思い、付き合って四回目のデートの頃から、三回に一回は払わせてもらう事になった。仕事しか楽しみを知らなかった僕は、美沙子からのメールや、二人で一緒に過ごす時間が物凄く楽しく、掛け替えの無いものになっていた。
約二年の月日が経っても、二人の関係は付き合い始めた頃と何も変わらなかった。それでも僕は結婚なんて事までは考えられなかったが、もうじき二十八歳になる美沙子は、結婚という二文字を会話の端々によく出す様になって来ていた。
それは親方との、〝二十歳になったら一人暮らしをしても良い〟という約束がもうじきの頃だった。美沙子に「同棲しない?」と相談されたのだ。

純粋に嬉しいという思いに反して、一人暮らしをずっと夢に見ていた、この四年間の思いが邪魔をしていた。美沙子の事を嫌いになった訳では無いけれど、同棲や結婚を無理強いされている様で、僕は段々とウザいと感じてしまった。それに同棲や結婚までなら何となく漠然と想像は付いたが、〝子供が欲しい〟と美沙子に言われた時、僕は美沙子に対して拒絶にも似た感情が生まれてしまったのだ。僕の子孫を残す事など、どうしても考えられなかった。無責任な事かも知れないが、美沙子から子供の話を聞くまで、子供を作る事なんて全く想像をしていなかったのだ。いつもコンドームを使ってするSEXも、美沙子は面白く無さ気だった。僕は直感的に、もう一緒に居てはいけないと思っていた。メールのやり取りがあんなに楽しかったのに、一緒に居る時間が段々苦痛になって来ていた。自分がいい加減で無責任な人間だという事を、美佐子は教えてくれた気がする。
別れるまでに、時間は多少かかった。でも僕は、ただひたすら謝るだけの返信しか出来なかった。美沙子から最後に届いたメールのタイトルは、いつもの豚の絵文字では無く、〝サヨナラ〟だった。
「……。あなたはまだ若いのに、同棲とか結婚の事を、せかした私が悪かったと思います。でも、子供が欲しいと言った時の、あなたの表情は尋常じゃない物が有りました。あなたはまだ若いから、きっと私のこの気持ちが重荷になってしまったんでしょうね。本当にごめんなさい。でもいつか、この人との子供が欲しいと思える様な娘(こ)に出逢えたら良いですね…。今までありがとう…。」
言っておくが、僕は若いからって子供が欲しくない訳なんかでは無い。僕の血が、僕のDNAが残り続ける事が想像付かないだけだ。美沙子が、僕と結婚して子供を産みたいという気持ちを抱くのは、女の本能だからしょうがない事だろう。それに普通の男だったら、やはり、いずれは家庭を築き上げて生きて行きたいと思うのが大半だろう…。 
親から生まれ、子供から大人へと育ち、結婚をして、子供を作り、やがて死んでいく…。そういう人間として当たり前のことが、ごく普通のことが、僕にとっては当たり前でも普通何かでもなかった。若いから後先考えずに生きたいだなんて言う単純な事でもなく、只々、今この瞬間をがむしゃらになる生き方しか、僕には選択肢が残されていなかったのだ。