今晩の接待は六本木だ。この街は、ヒルズやミッドタウン等の総合ショッピングビルの開発を口火にして、その周辺のマンションや店舗の建築ラッシュが始まっていた。誠先輩と僕も、その景気に乗ることが出来、いつの間にか世間で言う〝勝ち組〟とやらになってしまった様だ。親方が、昔気質というのか?何故か、湘南新宿ライン沿線での仕事しか取らなかったお蔭で誠先輩と僕は、親方の会社に依頼される、この街の仕事を二人で山分けする事が出来た。下請け会社と言えども、親方の紹介の良いお客様故(ゆえ)に、儲けを取り逸(はぐ)れる事も無く、美味しい思いをする事が出来た。今晩はこの現場を終えたら、親方にそろそろ御礼を兼ねて接待しようと前々から計画していた夜だ。親方は、〝そんな無駄な金なんか使わなくて良い〟と断っていたけれど、そんな訳にはいかない。明後日からの現場も、親方から頂いた仕事なのだ。完成して間も無い六本木ヒルズの前で、七時に待ち合わせをしていた。そして、先月までの僕達の現場だった芋洗い坂にある今週にオープンしたばかりの焼肉屋に向かった。
肉の良し悪しが分からない僕は、大して美味しいとは思わなかったけれど、親方はしきりに
「この店は良い肉を使っている!」
と美味しそうに食べながら喜んでいたので、僕はそれだけで満足した。色々な国や海の塩や、博多から取り寄せたという柚子胡椒、和辛子、生わさびを、その場で擂(す)るといった調味料の凝り様が、この街ではウケているらしく、店内は、ほぼ満席に近かった。僕にとっては、良く行く鎌倉という地元の焼肉屋の方が何倍も気楽だし、市販のタレをそのまま出しているかの様なタレの味の方が美味しく感じられた。この店の支払いの担当は僕で、大よその料金設定は分かっていたが、実際に出て来たお会計の値段を見てびっくりとさせられた。鎌倉の焼肉屋で、同じ人数、同じ量を食べるのを想像すると、いくらお客様の店とは言え、六本木という街の価格に腹立たしさを感じたのは確かだ。領収書をしっかりと頂くと、今度は誠先輩が担当のキャバクラへと向かった。誠先輩のお気に入りの娘のいる、六本木通り沿いの地下にあるキャバクラは今晩も大盛況だった。僕は誠先輩に何度か連れて来てもらったが、一人も気になる娘は出来なかった。誠先輩のお気に入りの桃香は売れっ娘らしく、いつもの様になかなか席には座って来ない。前回入れたらしいボトルが、後少しで無くなりそうな頃に、やっと僕達のテーブルに付いてくれた。どんなに若く装っていても、きっと、桃香は僕より年上だろう。その桃香は、誠先輩の事は〝マコちゃん〟と呼ぶのに、僕の事は何故か〝社長さん〟と呼ぶ。
「あら、マコちゃんと社長さんが、いつも話してる親方さんでしょ?」
と桃香が親方に尋ねると、
「どうせ、ろくな噂はしてないだろう?」と親方は苦笑いしながら言った。それを聞いた桃香は、
「そんな事は無いですよ!お二人とも、親方さんの事を本当のお父さんみたいにお話しするんですよ!素敵な昔話を幾つも聞いていますよ…。」
と答えた。親方に〝さん〟を付けるのは、丁寧にみせたいのか?馬鹿っぽく少しでも若くみせたい桃香の計算なのか?は僕には分からない。そんな桃香との会話のキャッチボールに、さっきまで入れ替わり立ち替わりする若いホステスに嫌気が差しかかっていた親方の表情にも、笑顔が戻ってきた様だ。
「やっぱ。誠が惚れただけあって、イイ女だなぁ!この歳になると、どうも若過ぎる女は疲れるよ!」
「あら!イヤだ、親方さんったら!それじゃまるで私が〝年増〟みたいに聞こえるじゃないですか!?アハハハ…。」
と桃香は笑い飛ばした。そしてその会話を断ち切る様に、
「ねぇマコちゃん、お願いがあるの!この後にアフターに連れてってくれない?今日は桃香が最近仲良くしてるニューハーフの娘の誕生日なのよ。そこのお店はね、男に見える人が女で、女に見える人が男っていうホントに面白いお店なのよ!お願いマコちゃん!連れてって!ね!?」
僕が知っている限り、誠先輩は桃香のお願いを断った事は無い。
「分かったよ。場所教えろよ。先に行って待ってれば良いんだろ?」
「さすがマコちゃん!桃香嬉しい!ねぇ社長さんも親方さんも一緒に行きましょうよ!本当に楽しいお店なんですよ!」
そう言い終わると、いつの間にか桃香は違うテーブルに移っていた。僕はおなべやニューハーフに実際に会った事は無く、早く行って見たい気持ちで胸が躍(おど)り出した。
ミックスパブ・ボーダレスのお店の前には、桃香の仲良しらしいニューハーフの誕生日を祝うお花で一杯だった。店に入ると、背の低い、小さなおじさんみたいな店員に、
「いらっしゃいませ!ご予約の方ですか?何名様でしょうか?」
と尋ねられた。
「桃香から連絡入ってると思うけど、全部で5人位じゃないかなぁ…。」
と誠先輩が応対をした。
「かしこまりました。少々こちらでお待ち下さいませ。」
と男とも女とも判別出来ない声で、妙にハキハキと喋る小さいおじさんはフロア内に入っていった。そこはこの店のエントランスなのか?ウェイティングルームなのか、紫色のソファと赤い照明が、いやらしく思えて僕のワクワクとする気持ちを増長させた。次にフロア内から出て来た店員は、宝塚の男役みたいに、スラッとしていてキレイな顔立ちをしていた。男女の区別は付かなかったが、発する声は、明らかに女声だった。
「お待たせ致しました。桃香さんからご予約は承っております。こちらにお進み下さいませ。」
とフロア内に誘導してくれた。六本木らしく小洒落た内装は、僕の期待を裏切らなかった。赤の壁が多少目に染みる気はしたが、ステージらしきスペースを中心に、上手い事分かれた客席やテーブルは、内装業の僕にとって目を見張るものがあった。六本木の街自体がバブルだからか、この店も誕生日の娘がいるとは言え、どこに僕達が座る所があるのかと不安になる程、混雑し、お客で溢れ返っていた。誘導されるままに奥に進むと、ちゃんと三人座る席は確保されていた。しかし、桃香と桃香の連れて来るヘルプのホステスは、一体どこに座るのだろうと余計な心配をしてしまった。
「いらっしゃいませ!先程、桃香ちゃんからお電話頂きました。初めまして、末那です。宜しくお願いします。早速ですが、お飲み物はどういたしましょうか?」
と僕達に言う女が、元は男?だなんて、どう考えても分からない。彼女の誕生日だという事は、他に接客をしているニューハーフらしい娘達よりも、豪華で派手なドレスを着ている事と、一人だけアップにして綺麗にセットしている髪型でなんとなく分かった。僕は、初めて見る新種の動物を発見したかの様な、不思議な目をしていたらしく、
「こういったお店は初めてですか?」
と聞かれてしまった。
「はい。」
と言う僕の返事にかぶる様に親方が、
「いやぁ~、びっくりする位綺麗だね!!この歳になって初めて生でニューハーフを見るけど、こんなに綺麗だとはなぁ?」
と僕達に同意を求めて来た。最近の親方は〝この歳になると〟とか、〝この歳になるまで〟が口癖の様だ。でも、もうじき五十歳になるのだから仕方が無い。そんな〝この歳〟の親方が、まるで子供の様に、末那に矢継ぎ早に質問を投げ掛けた。
「いつからそうなったの?」
「本当に男が好きなの?」
「どんな男がタイプなの?」
「彼氏はいるの?」
「体はどうなってるの?」
「親御さんは知ってるの?」
そうやって質問責めを受けた末那は、少しも嫌な顔をせず、親切に一つ一つ答えてあげていた。その間、誠先輩の口は、ズーッと半分開きっ放しになっていた。何故か僕は、末那の姿を見ているだけで満足してくる気持ちになった。末那は誕生日で忙しいらしく、そうそう僕達お上(のぼ)りさんみたいなお客ばかりを接客している訳にはいかないみたいで、シャンパンが入る度に席を離れた。その都度付いてくれるニューハーフやオナベ達は、みんな明るくて興味を引く子ばかりだった。
ショータイムが始まるアナウンスが流れる頃に、桃香と桃香のヘルプのホステスがやって来た。
「今日は本当に有難う御座いました!マコちゃんのお陰で、こうして末那の誕生日も来れたし、桃香凄く嬉しいわぁ!」
とわざとらしい挨拶を交わす桃香とは対照的に、ろくに挨拶もせずに
「良かった、ショータイム間に合って。」
と僕の隣にヘルプのホステスが座った。
ショータイムは、目くるめく、華麗で妖艶な世界が繰り広げられた。何と言っても、末那のソロは、僕の目を釘付けにさせた。薄い白のシースルーに金糸の刺繍が入った着物ドレスからは、末那の体が透けて見え、陶酔し切った表情は、決して独り善がりのナルシズムには感じず、僕の心は完全に奪われ、虜(とりこ)になってしまった。天女の様に舞う優雅で美しい末那の姿を見て、僕は今まで味わった事の無い、醒め止まない興奮を覚えた。そして、その後、郡部で踊っている時も、僕は末那から目が離せなかった。
ショータイムが終わり、また席に付いてくれた末那は、
「どうも有難う御座います!ねぇ、聞いて!桃香ちゃん!桃香ちゃん達が来るまで、私、殿方達の質問責めで大変だったのよ!」
と桃香に言った。
「あらイヤだ。ごめんねぇ、末那!誕生日というのに申し訳無いわ!ねぇマコちゃん!お詫びとお祝いを兼ねてシャンパンもらっても良いでしょう?ね!」
と桃香は、断る事を知らない誠先輩に、またおねだりをした。
「あ、そんなつもりで言ったんじゃないんですよ。」
と失言をしてしまったかの様に、慌てる末那に、
「ごめん、ごめん!!そうだ誕生日なんだよね?ドンペリ入れて!入れて末那ちゃん!」
と誠先輩は言った。
「すみません、本当に良いんですか?」
と末那は誠先輩と桃香を交互に見て確認すると、小さいおじさんみたいなオナベにドンペリを注文していた。
「ドンペリなんか久し振りに飲むよ!」
と喜ぶ親方に
「今日は末那ちゃんの誕生日と、日ごろお世話になってる親方と、僕の愛する?桃香にカンパーイ!!」
と誠先輩は乾杯の音頭を執(と)った。僕は桃香の誕生日以来、ドンペリを飲むのは、これで二回目だった。夢の様にキラキラした時間は、あっという間に過ぎていった。
家路に着く間、僕は末那が話していた姿や、踊っていた姿を何度も想い浮かべていた。そして来週の休みの前日に、今度は一人で末那に逢いに行こうと勝手に決め、脳裏に焼き付いた末那の表情や、治まらない想いを静める事に時間がかかり、寝付くまでにとても時間がかかってしまった。
七月七日、昨晩が七夕だったという事に気付いた頃、僕はやっと眠りに付けたのだろう…。