仕事が終わり、美帆ママと誰もいない殺風景なお店に残り、ミーティングをした。

今晩もボーダレスは有難い事に忙しく、その忙しさと比例する様に、スタッフ同士の争い事も絶え間なく続いた。ニューハーフとオナベのコラボレーションを目玉に、オープンしたボーダレスは、今年で五周年を迎える。私は、あと数ヶ月で一年働いた事になる。

入店したばかりの頃は、この店のシステムやスタッフに戸惑うばかりだった。

猫を被っていた訳では無いけれど、なかなか自分を出せず、誤解されたり、嫌がらせを受けたりした。

不愉快な思いや、割り切らないといけない事が多過ぎて、押し潰されそうになった時もあった。

それでもパラノイアで一緒だったエミさんや明さんが居てくれ、励まし合って来たので、なんとかここまで来れた気がする。
オナベさん達は、男の人以上に、男らしく優しく思える時と、〝やっぱり元は女ね!〟と言いたくなる位に女々しく思える時がある。たぶん、その逆の事を、オナベさん達も、ニューハーフ達の言動を見て、思ったりするのだろう…。

入店して、しばらく経って分かるこの店のスタッフ同士の相関図の様な、誰と誰が付き合ってとか、元恋人同士だったとか聞きたくも無い情報が耳に入って来た。〝○○君と○○ちゃんは、夫婦で入店して一緒に寮に住んで働いてるのよ。〟と聞かされた時は、《夫婦大歓迎!寮有り!》といった、パチンコ屋などと同じ様な、求人広告でも出しているのでは無いかと疑う程だった。

私的には、仕事として、人間として、大人として、共に働く事は、何のためらいも無かったけれど、ニューハーフとオナベさんが付き合う事は、理解が出来なかった。それは、男と女が逆になって愛し合ったら、形が違っただけの只の男女交際にしか過ぎないと思うからだ。

今日の揉め事の一つは、チーフの真さんに好意を寄せている美咲ちゃんが、私が真さんに、頼み事をしているのを見て、ちょっかいを出していると勘違いをしたのか、楽屋で食って掛かかる様に怒り出したのだ。私は中学生の喧嘩みたいな事が、程々嫌になり、馬鹿馬鹿しく思えて、相手にしなかった。

美咲ちゃんは、そんな私のシカトした様な態度が気に入らなかったのか?客席で凄い剣幕で、違う事を持ち出し、私の事を口汚く罵り出した。その原因が何だったのか?ということが一つ目のミーティングの議題だった。

美咲ちゃんと真さんの事に、私が巻き添えを食らっただけだと、美帆ママも察していたらしく、「ごめんね!私も最近、本当に嫌になる時があるのよ。オナベちゃんとニューハーフが一緒に働く事さえも、間違いじゃないのかな?って疑問を感じて、悩み苦しむ事も有るのよ…。

もう知ってると思うけど、私も以前、オーナーの享と付き合ってて、それでこの店も出来たのね…。

だから一概に、店内恋愛禁止!とは言えないじゃない…。

それに、〝日本初のニューハーフとオナベのシューパブ〟って謳(うた)って来た以上、続けられるまで続けるしか無いじゃない…。

末那も、この店がそんな店だと分かって入店した以上、不愉快な思いや、理不尽な事も有るとは思うけど、仕事だと思って割り切って頂戴ね!」と日頃、弱音を吐かない美帆ママは、少しおどけながら、その件を上手くまとめて終わりにした。私は、こんな取るに足らない様な事など何とも思っていなかった。

ただ、日々起こる、感情のぶつかり合いや、美の競い合い、お客様の取り合いに嫌気を差していた。

そして、そんな事で悩んだり、一喜一憂している私自身が、もう嫌になっていた。
 美帆ママが私を残した理由は、本当はその事では無く、ボーダレスを影で仕切っている、響(ひびき)さんの事について尋ねたかった様だ。
「ねぇ末那!響の事、何か知ってる?」
「え?」
「だから、好きとか嫌いとかじゃなくて、響や響のお客様から何か聞いていない?」
「いえ?何も…。」
「響って昔からそうなんだけど、ヤクザのお客様が多いじゃない?最近は特に、その手のお客様が出入りするから、先週ね、〝他のお客様の迷惑にならない様にね〟って忠告したの…。

そしたら逆ギレじゃないけど、〝芸能人も、サラリーマンも、弁護士や医者も、ヤクザもお客様には代わり無いでしょ!〟って怒っちゃって、今日なんか,その手のお客様に、〝美帆ママも偉くなったもんだな!いつまでもこの店のママで居られると思うなよ!〟って脅迫まがいに脅されたのよ!響って何考えてるか分からない所があるし、何しでかすか分かんないじゃない?私、何だか怖くって!」
響さんは、毎月売上もコンスタントに上位を維持してたし、年相応に美しく、スタイルもキープしていた。

他のスタッフの事も良い意味で干渉せず、何か揉め事があった時もビシッと物を言い、その場を上手く治めてくれていたので、他のスタッフからも一目置かれていた。反面、何年か前に、酔っ払ったOLのお客様から〝これだけお金掛けて、美容整形して、エステに通ってたら、綺麗になって当たり前よ!〟って言われたら、〝分かった様な口叩くんじゃねぇよ!このブス女(あま)!〟って怒鳴って殴り、麻布警察署に一週間、拘留されたらしい。でも響さんの凄い所は、転んでも只じゃ起きないタイプで、拘留先で知り合ったヤクザと同伴出勤して来たというエピソードが有る。そんな響さんの事は、正直、触れてはいけない人と、あまり関わらずに来たので、ママの問いには答えられなかった。
「変な事聞いちゃってごめんね!この話は響や他のスタッフには内緒にしててね。宜しくよ!」
どこか落ち込んだ様子の美帆ママと一緒に店を出て、帰る事にした。私はタクシーの中で、ふとパラノイアのママが言っていた事を思い出した…。
『人それぞれ、人種や性別、年齢や立場が違っても、悩みの無い人なんか居ないのよ。

その人の悩みはその人にしか分からないし、解決出来ないの。人の悩みなんか、自分の事じゃないから計り知れないでしょ…。育った環境も違うんだし…。でもね,悩みが有るという事は、みんな変わらないの!だから、その人の悩みは解決出来なくても、悩みを抱えている同じ人間だという事だけは共感出来るはずよ!私達はオカマだけど、オカマに生まれて来た意味だって、きっと有るはずよ!オカマだろうと、世間で言うノーマルだろうと、この世に生を現した以上、修行しに生まれて来た様な物なのよ!』
 私も今、慌ただしいボーダレスでの仕事や人間関係に、疲れて悩んでいる一人だ。この前のクリスマスの夜、そんな私に彼は、「結婚なんか形はどうだって良いじゃん!僕は子供なんか要らないし、親も居ないから、末那さえ良ければ、ずーっと一緒に居て欲しい。そして一緒に暮らし、一緒に歳を重ねて生きたい…。」とカルティエの指輪(リング)を私にプレゼントしてくれ、プロポーズまがいに告げてくれた。彼とは私の誕生日の七夕の日に、お客様として知り合い、今に至る。
「お店も末那が辞めたかったら辞めれば良いよ!僕と一緒に暮らせば良いさ。」
とも言ってくれた。
 私は悩み苦しんでいる。お店を辞める事、彼と暮らす事、そしてどこか陰の有る彼が、何か私に隠し事があるのではないか?という拭い切れない不信感、どうしたら良いのか分からなくなるばかりだ。

きっとパラノイアのママが生きていて相談したら、「末那!あなたにふり掛かる問題はあなたに乗り越えられる力が有るから、神様か仏様か御先祖様が、あなたに与えた試練なのよ!逃げたりしちゃ駄目よ!しっかり考えて悩み抜きなさい!」って、答えをくれただろう…。