祠をたどっていきついたところ(長文) | *わきあいママの和氣的生活 *

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ありがたいかけがえのない日常と旅日記を綴っています。

 みなさまこんにちはわきあいです。

今日は、『祠』からつながって感じたことを、綴らせてください。
ウエサク祭からの『祠』のお話しはこちらです。→ 1   2


我が家の祠のところに、『琴平神社』と、しっかり刻まれた石がありました。

ご先祖さまは、『琴平神社』さんのご祭神さまをお招きし、手を合わせ、心を合わせ、ただなる日常をおくられていたのかなぁ。。と思いました。

長女と、枯葉を掃き、草をぬき、水をそそぎ、塩とお酒で清めたら、ふわっとあたたかく、とっても明るい感じになりました。
ぐるりをつややかな南天の葉に囲まれ、のびやかな杉の木のあいだから木漏れ日が差し込まれ、なんか、奥の院っていう感じになりました。


今回、直感で、学ぶ!と思った、フィンドフォーンで生まれたトランスフォーメーションゲームの、初体験、学びの一歩となる『あかりカフェ』さんの近くの、ピンポイントでその場所に、『武州柿生 琴平神社』さんがあります。

そして、家が近いとは知っていましたが、何十年来のおつきあいで強いご縁を感じる、神社大好きなお友だちも、家族での記念行事など、琴平神社さんにいかれるそうです。



  神社


『琴平神社』さんのご祭神さまは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまと、大物主神(おおものぬしのかみ)さまということで、
『日本の神様言霊ノート』(永岡書店・大野百合子氏著)で調べました。

そういえば、実家の母が、あなたのところはこれがいいからもっていきなさいと、めずらしく天照大御神さまの掛け軸をくれたことがあったなぁ。。。と思い出しながら読んでいました。

今月はお伊勢さんにお詣りさせていただくことになってるので、ご挨拶もでき、絶妙なタイミングだと思いました。

なんか、『大国主神(おおくにぬしのかみ)』さまのページのところで、妙に反応している自分がいました。『大物主神』さまと勘違いしてたみたいです。

わたしの名字をご存じの方はおわかりになると思いますが、わたしの名字には、わたしが大切に思うもの、そのものが入っています。

そのことが書かれてるところにまず目をうばわれ、図も六角形の紋章のような感じで、チームヘキサゴン(あゆみさんのセッションで、我が家家族6人のチームの呼び名)も感じてしまいました。

『大国主神』さまのページには、

今、日本という国の波動とつながる時がきています。大和は倭であり、和と輪の国です。心を生きるなら、すべてが調和していきます。
大国主神の和のエネルギーは、すばらしいご縁をもたらしてくれるでしょう。

とありました。そして、こうもありました。

感謝と共に大地から涌きでる水を味わってください。日本の大地の波動とつながれます。

(そう、この頃、お水をのんでます。富士山の水、娘には高野山のお水。。

緑と水が豊かに溢れるこの大和の国を愛してください。

今まさに、試練を与えられています。緑と水への愛を発揮し、すべてが調和できるようになるための課題があたえられています。


  神社

よくみると。『大国主神』のページ。。。
あら、まちがっちゃったの?と思いましたが、


でも、落ち着いて、よく読むと、
『大国主神』さまは、『大物主神』さまという名をもたれるとかかれており、
さらに調べると、『大物主神』さまは、『大国主神』さまの和魂(にきみたま)とされているそうです。


まあ、よくわからないのですが、別名と思ってよろしいのかなと。。。

そのページに書かれていたことと、
『祠』の前にたって、
こちらの神様に導かれて、ここにきたのですね
感じたときの空気感が同じでした。


安心”と、なにかわからないけれど、感じる“確信” みたいなも
の。。。
そして、感謝の気持ちと、ふしぎな気持ち。。。


神社 
 

そういえば、わたしって、日本の神様のことも、神話もよく知らないなあ。。。これをきっかけによんでみようかなぁ。。。と思って、とりよせたのが、

美しい日本の神話 -楽しく聴けるCD付き- という本なのですが、

これまたおどろいたことに、この本は『武州柿生 琴平神社』さんの宮司様、志村幸男様が、53枚もの絵を描かれてつくられた本でした。
ご縁が深いなぁ。。。と思わざるを得ませんでした。


夫にちょっとかいつまんで話をすると、『大国主神』さんは、どの神話にでてくるか知ってる?と。。。
正解は、「いなばの白兎」だそうで、お話しから受ける印象は、なんとなく、うちの男性陣は、似た美徳というのでしょうか。。そういうのがあるなぁ。。と感じました。


しばし『大物主神』(『大国主神』)さまに、思いを馳せ、いろいろ読んでいると、『大物主神』さまは、奈良県の三輪山に祀られ、三輪山自体が御神体であり山そのものが神域であることがわかりました。
『古事記』によると、自ら三輪山に祀られることを希望され、鎮座なされたということです。

そうです。奈良の山の辺の道の大神神社(おおみわ神社)にいらっしゃいます。

ここは、前にいったことがある。。そしておそらく。。。


神社
 

そのことがわかったとき、もう、とっくに忘れかけていた、あることが、思い出されました。

わたしは、20代中盤のころ、京都の友だちの家に1週間居候し、社寺仏閣めぐり三昧をしたことがありまして、その中の一日、奈良に足をのばしたのです。

その時は、大好きな、奈良でも奥のほうの櫻井市の長谷寺からお詣りしたように思います。
そして、山の辺の道に入ったのですが、覚えていないのですが、おそらく櫻井側から歩きはじめました。

そのときの景色とかもとんでしまっているのですが、せっかくだから“三輪そうめんが食べたい!”と、看板をみては思ってたのはおぼえています。

そして、歩きはじめて、そう時間もたたないころ、わたしは、白装束の方に声をかけられました。
『ごいっしょに歩きましょう。ご案内させてください。』と。。。

不思議と不信感はなく、むしろどんどん落ち着いていった感覚を覚えています。
『いつでも、足と靴はきれいにしてください。自然にご自分がいきたいほうに導かれていきます。』
これは今でも覚えていますが、いろいろなことをお話ししてくださりながら、ごいっしょさせていただいたのです。


そして、あるお寺かお宮の中に案内していただき、お茶をたてていただいたりしました。
主の方に、わたしを紹介してくださり、わたしが、祭壇の前に座ったそのときでした。
左右にあったろうそくの炎が、ぼわ~~と、左右同時に20センチくらい上にゆらめいたのです。
  
そして白装束の方と主の方に、
『あなたがこの三輪の地にこられたのを、神様がとてもお喜びになっておられます。』
といっていただき、わたしのこころも、しゅっと、炎がともったようなあたたかい感覚をおぼえました。

この体験は、苦しい時代のお守りのようであったと思います。


そしてほどなくして、その日に予定していた、山の辺の道の終点につきました。

白装束のかたは、こちらこそいろいろ教えてくださって感謝でしたのに、わたしに、由緒正しいご当地銘菓の折箱までもたしてくださいました。

『こちらの神さんまでご案内させてもろてありがたいことでした。よう、ごあいさつされてください。』

といわれ、お別れしました。

何も知らなく、ただお詣りさせていただいたわたしでした。

そこが、大神神社でした。

うっそうとした、森のような木々が印象にのこっています。


あのときといまはつながっているんだ。。。そう感じています。

『大物主神』さまとご縁が深いのかなぁ。。。

と思ったら、心がふわっと温かくなりました。


ひさしぶりに、山の辺の道を歩いてみようと思います。


そして、香川県琴平町の金刀比羅宮にも、いってみたいです。
こちらも、いろいろ関連性があるような気がしています。。

ここにきて、いろんなことが紐解けていく感じがしています。

ほんとうに、こと葉さん、ホトケさん、朱鳥先生、釈先生、そして惜しみなく応援してくださいますお仲間たちのおかげさまだと思っています。
ありがとうございます。


とりあえず、足を鍛えないとですね(汗)






超長文 よんでくださりました方々、ほんとうにありがとうございました。
長くて申し訳ありません。