サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
連絡southmartial@yahoo.co.jp

 前の記事で、これからの世界の動向に関する見解については書きました。

 そこまでは純粋に、世界情勢、社会学的な視線によるものです。

 この絶望的な状況に関して、社会学的な「加速主義」の意向を持っている学者たちが居ました。

 つまりは、このトランプ派の反知性主義の勢いというのはもう止めようがないのだから、むしろ加速させて政権を取らせればいい。それからやりたいほうだいやらせればいい、という考え方です。

 そうなるとどうなるでしょうか。

 彼らは反知性主義者なのでアホです。

 何をやっても失敗します。

 犯罪を犯して有罪となったりしています。

 ですので、彼らの流れは必ず自壊して崩壊してゆくのです。

 だって、一定の計画の下に成り立っているのではなく、ただ暴走しているだけですから。 

 そしてその崩壊の中で、反知性主義者達は滅びてゆきます。

 そうして焼け野原となったところで、知性主義者はスクラップ&ビルドで新しい秩序を建て直せばよいと言うことです。

 これまでのように、少しづつ抑圧をして事態を長引かせるよりも、一気に爆発させて滅ぼした方が被害が少ないという考え方なのです。

 この加速主義の思想は、非常に私たちの学んでいる東洋思想的です。

 陰陽転化の法則である「陰極まれば陽になり、陽極まれば陰になる」を地で行くような考え方です。

 また、その思想をさらにさかのぼれば、インド最古の哲学書だとも言われる「バガヴァット・ギーター」の姿を私は観ます。

 ギーターでは、反映している一族の間での争いの結果、戦場に立つことになった王子に、幼馴染の御者が延々と「厭戦などしてどうするのですか。さっさと敵を殺しなさい」と説諭する様が描かれます。

 戦争は良くないからしたくないというのは当然の話だと感じますが、それに加えて敵対しているのも彼の親族です。これは誰にでもわかりやすく戦いたくないシチュエーションでしょう。

 しかし、この口説いているのは実は調和を司るヴィシュヌ神の化身です。

 神の命令で戦争を起こせ、皆殺しにして滅ぼせと言われているのです。

 なぜというなら、そうやって相争うことで栄えた物が滅び、強者も廃り、弱者が興ってはまた滅びてゆくと言うのが生命の円環、サークル・オブ・ライフであり、自然のあるべき姿だから、ということです。

 同じ人間同士だから殺したくない、同じ一族だから滅ぼしたくないと言うのは、一強を栄えさせて世界のバランスを崩す不道徳な行為だとみなされている訳です。

 この恐るべく深い哲学は、まさにいまのこの状況と加速主義について語っているようです。

 彼らを栄えさせろ。そうすれば必ず自ら滅びてゆく。  

 そうやって、次の新しい世界をまた築くのだ。と。

 この日本と言う国もまた、大戦で焼野原となって生まれ変わりました。

 また、民主主義そのものも旧体制の貴族主義を滅ぼして興って来た物です。

 この起源は、世界中に伝わる洪水神話や神殺しに求められます。

 私が継承している東洋思想と、ジョーゼフ・キャンベル式の神話学的に言うと、これはそのようにも観ることができます。

 もちろん、彼らが栄えて滅びることで、被害は返って小さくなるという物の、コラテラル・ダメージは確実に存在します。

 沢山の命が失われてゆくことは間違いありません。

 そのことが私には辛くてしようがありませんが、しかしその私の横には恐らく、見えざるヴィシュヌ神の化身の牧童が居て、そこで囁いているのであろうとも感じるのです。

 私たちは肚を据えて、時代への覚悟を決めなければならない。

 犠牲の時代の中で、救える物を救い、ここを乗り切り、次の最盛期のための備えを蓄えてゆくことを考えてゆかねばならないのではないかと思うのです。

 アメリカ大統領選が、恐ろしい結果に着地したと言ってよいでしょう。

 私はもう、結果が見えてきた当たりから吐きそうになっていました。

 そしてもう、ほぼ結果が確実だと言われた夜には、自分が住んでいる世界が、悪夢のような場所になってしまったのだと感じていました。

 目を覚ました時には、あぁ本当にこの世界はそういう場所になってしまったんだ、と途方にくれました。

 合衆国国民の半分以上が、差別主義と憎悪と反知性主義を望んでいるなんて。

 先日行われた国内での選挙でもそう思いましたが、もう、信頼できる人間なんてほとんど世間に存在していないと言うことなのではないかと感じました。

 今回の米国選挙では、黒人種で黄色人種で女性であり、かつこれまで検事、裁判官、司法長官、副大統領と、行政、司法、立法の全てにキャリアがあるという凄い人です。

 もう、この人が大統領にならなかったらどうするの? という人です。

 私はオバマ大統領の黒人種初の大統領に次ぐ女性初の大統領としてヒラリー・クリントンに期待していたのですが、その時にかなわなかった人類の夢を、この人が叶えてくれるのだと信じていました。

 しかし。

 アメリカ国民の半数以上がその夢を見ていなかった。

 あれだけ外国人差別、女性差別、反知性を、一般の男性の平均よりはるかに悪いレベルで巻き散らかした人間が、多くの人に選ばれてしまった。

 どういう国にしたいんだアメリカよ。

 バカの国にしたいということなのでしょう。

 現状の分析では、結局のところ共和党に投票した人々は大学進学率が低かったと言われています。

 逆に、大学進学者で共和党支持は30%台。

 知性と教養は直結はしていないと言いますが、ある程度の傾向にはなっていると言う見解が出されています。

 そこに関しては意外性は無かったのですが、トランプ元大統領員ゴミ扱いされていたラテン系男性たちの半数以上が、共和党に投票していたと言うところに驚きました。

 これはつまり「女に上に立たれるくらいならこれまで通り白人の旦那に差別されていた方がいい」という選択をしたのだと言う見解が現在主流です。

 既存の被差別を選択したのですね。

 まさに保守。

 トランプ氏は、イスラエルの虐殺を悪化させ、ウクライナの支援を打ち切って親ロシアにつくと宣言しています。

 この選挙の結果が出る前段階で、JPモルガンは「世界はすでに第三次世界大戦に入っている」と宣言しています。

 つまりは、この中東とEUの二つの紛争が拡大してゆくと言うことです。

 トランプ氏の選択は明らかにこれを悪化させるものです。

 私たちはかねてからの多くの識者の予測通り、次の大戦の時代に入ってしまいました。

 私は自らそれを選んだ反知性主義者達に、大いに悲憤の気持ちを抱いています。

 

                                                つづく

 

 

 私は平素より、文化を学ぶために頻繁に映画を接種して居ます。

 カンフーの専門家なのにと意外に思われるでしょうが、アクション・シーンにはほぼまったく興味がありません。

 むしろ、巷間にあふれるカンフーが映画のアクションのためにあるのだというような認識に激しい反発を感じています。

 もともと人類の歴史において、行の道として存在してきたものであるのに、なぜかそういうことにされています。

 日本での創作武術ブームも間違いなくその土台に乗ったもので、単に映画の真似事がしたいだけなのに、自分のことを武術をしている人間であるかのように振る舞うオタクが非常に多い。

 これは、ブルース・リーの影響でしょうね。

 彼自身、なんの武術の師範でもないただの創作自己流格技の愛好家であったにもかかわらず、映画で世界史に残る人間になってしまったがために、その影響力は取り返しが付かないものになってしまいました。

 もともと、彼の創作した武術JKDは各国のブルース・リー・ファンクラブのレクリエーションで行われていただけのものに過ぎないのに、彼の死後のいまでは一派の武術であるように扱われています。

 生前のブルースは、JKDは流派ではないと書き残しているのですけれどね。 

  そんな理由もありまして、私は映画のアクションには非常に関心が薄くなっています。

 西洋圏、および日本の多くのアクション映画においては既存の文脈を再生産しただけのオリジナリティもリアリティもない、いわばすでに何回も取りきったあとの出がらしの再利用みたいなものに興味はありません。

 昨今人気を集めている「ぼくの考えた最強の殺し屋」映画にしてもしかり。

 この手の作品は、変にリアル風アクションにするほどに私は冷めます。

 残念ですが、演者もスタントも、私の目からは稚拙すぎる。

 昔、ロッキー・シリーズ関して、ストーリーはともかくボクシングシーンだけは下手くそすぎて観ていられない、というのがボクサーたちからの意見として唱えられていましたが、まぁ、私からすればそれと同じ理由です。

 中国の、本当の武術家がついている映画などですとこれは別なのですが、最近ではこちら00年代くらいからは表演武術やハリウッド・アクションの影響が増えているのでだいぶ見どころが減りましたが、それでも表層のリアリズムなどはおいておいて、伝統的な武侠の描写になると他国には追随を許さない精細があります。

 最近では「エストニアの聖なるカンフーマスター」がきちんとこちらの方を正統派のカンフーとして受け止めて居て、実によるわかっているなと思わされました。

 そんな私が最近ちょっと驚かされたアクション・シーンがあります。

 海外の作品ではなくて日本の作品。しかもチャンバラ映画などではなくてテレビドラマです。

 それはドラマ版の「ウイングマン」です。

 80年代、小学生の私が夢中になっていた少年漫画の実写化なのですが、いかんせんもう、ほとんど伝統芸能のような80年代ポップ・カルチャーの作品なので、一体時代設定などはどうするのかと非常に案じていたのですが、今回は80年代特撮が大好きな少年というかなりいかついオタクを主人公にした現代劇として制作されていました。

 この作中で、主人公の健坊が初めて戦うシーンがあります。

 敵は怪人でもなんでもない、町のワル目の高校生です。

 つまりはただの街場の喧嘩ですね。いまでもまだそういうことはあるのかなあ。昔はよくあったゲームセンターや盛り場での小競り合いです。

 このシーンで健坊は、クラスメイトの女の子に絡んでいたヒロインの美紅ちゃんを助けようと介入するのですが、相手の高校生に「は? やんの? 俺達地下格やってんだけど」と威嚇されます。

 これ、非常に現代的ですね。上手にできた脚色だと思いました。私等は、バブルの頃に道場通いをしていて変わり者だと言われていたクチですけれども、たしかに現代の不真面目な高校生がまともに道場に通っているというのはより説得力の薄い設定です。

 そこで、地下格という、そもそもがそういう奴らが半端にかじるのに最適の要素を引っ張ってきたのはうまいと思いました。

 この、地下格三人組と健坊は闘いになるのですが、健坊は別に強くなりたいわけではなくて、単にヒーローのモノマネをしてユーチューブで披露したりしているだけのオタクです。

 格技や武術ができるわけではないんですよ。

 偉いですよね。上に書いた、殺陣を真似してるくせに武術ぶってるのとは違って、純粋にヒーローごっこと割り切っている。

 だからとんでもないことに「とう!」とヒーローの殺陣で相手に殴りかかってしまう。

 このときに、相手がまともにボディとローのコンビネーションで健坊を瞬殺してしまいます。

 このコンビネーションが、まったく映画やドラマの殺陣らしくくない、力の抜けた本当の格闘技の動きなんですね。

 私達が道場で鏡を観ながらやっているときのような、力を抜いて流したコンビネーションです。アクション・シーンぽく振りかぶったり掛け声を合わせたりしない。

 ぽんぽんぽん、と肩慣らしのように振るだけ。

 それで健坊は倒れてしまいます。やったほうは「あ、ちょ、え、なんだこいつ」とうろたえる。

 殺陣のアクションと本当の格闘技を比較するために撮ったシーンなのでしょうけれども、私は本当の格闘技の動きを始めて映画でみました。

 昔、極真王者が主演していた餓狼伝なんかもありましたけど、やっぱり映画映えするようにかっこよく演出してましたもん。

 こんなに、素の普段の格闘技の動きを映像作品で観たのは初めてです。非常に感動しました。

 なんかね、こういうさりげないのがこれからのアクション・シーンでもっと使われればいいのに。

 僕の考えた最強の殺し屋映画作品とかで、さもリアルぶって斜に構えたような態度を取ってるくせに、なんかアクション・シーンで急にこれ見よがしの格ゲーレベルのアクションをされると、本当に冷めてしまうんですよね。

 なんだこいつらは、喧嘩もしたことないのかと。

 自分が観ているのがどれだけ大衆向けのファースト・フードなのかと痛感させられることになってしまいます。

 説得力のある、本当に生々しい地味パンチと地味キック、これからもっとはやらないかなあ。

 私はよくフィットネス系のユーチューブを観ているのですが、彼らはよく他ジャンルのユーチューバーとコラボ動画を上げたりします。

 ある時、デッドリフトがものすごく強いという女性筋肉ユーチューバー(日本記録持ち)の動画を観ていたところ、ものすごく体が軟らかいという女の子ユーチューバーとコラボをしまして。

 それで私は彼女のチャンネルの方もしばらく観ていたのですが、いや、これが、ただ本当に女の子、っていうことをコンテンツにしたチャンネルで、別に面白いことを言ったり知的なことをしたりはまったくしない。

 むしろ、もともと持っていた精神疾患を再発させてうつ病でしばらく休んだり、整形の動画を上げたりと、いかにもな感じのイタい「女の子」ユーチューバーぶりをただひたすら上げているだけでした。

 ゲームを配信したり辛いものを食べたりするのですが、いやぁ……別に……。

 きょうび、バレリーナであるとかピアニストであるとかの、一芸に秀でた女性YouTuberはいくらでもいます。

 また、美貌だけを売りにするにしても、モデルだったり女優さんだったりという人も珍しくない。

 なのに、中途半端な可愛さで、トークも面白くなく、整形済で精神病……さすがに、さすがに私もそこまで暇ではない。

 それでも彼女のファンは沢山いたようで、最後に観たのは素人喧嘩興行のラウンドガールをすることになったという報告があった回でした。

 あぁ、売れたんだな、よかったよかった、と思ってそれからもうまったく観ていなかったのですが、最近になっておすすめのところに彼女の動画のサムネイルが上がってきたと思ったら、これがまぁなかなかのしんどい状況を報告していました。

 どうしたことかと思って観てみると、私が観なくなって以後、彼女は人気が激落ちしていたというのです。

 収入も下がり、これまで住んでいた家にも住めなくなってアパートに引っ越したとのこと。

 それまでやっていたような旅行の動画などを出しても、経費の方が上回ってしまって赤字だということでした。

 それはもう、ユーチューバーしてはなりたってないのでは……。

 彼女が言うには、素人喧嘩興行に出るようになってから、幻滅しましたもう観ませんというファンが沢山出たようなのですね。

 うーん。

 わかるような気がする……。

 なんというか、非常に良くないいい価値観ですけれども、素人喧嘩興行のラウンドガールとかって、運営会社の関係企業がやってる水商売とかうさんくさい芸能事務所が女の子を連れてくるような仕事というイメージがあります。

 レースクイーンとかシングル・マザーがやっていて、なんというか、夢が観られない生々しい、ヤニ臭いイメージの業界ではないでしょうか。

 そこにね、鬱病で整形でなんの芸もないししゃべりも面白くない(ということは知的には見えない)女の子が入っていったらね、そりゃあ……まぁ、その値で見積もるなっていうのが難しいですよ。

 それで人気が無くなったっていうんだったらね、それは、むしろ何もしてないほうが、視聴者の童貞青年やおじさんたちは、夢が観られたということなのではないでしょうか。

 どこにでもいる一山いくらのクリスタル・ワーカーみたいになったらね、そりゃあ家でわざわざチャンネルを観て応援はしなくなるんじゃないかな。

 それだったら、近所の安キャバクラ行っても同じだもの。

 これはね、目先の利益をホイホイ掴んで、センスのないことしちゃったなあと言う感じに受け取りました。

 素人喧嘩興行もドーピングありのフィジークも、なんというか、ホストだキャバ嬢だという安いメッキで飾った世界と地続きの印象が強くある。

 現代という時代の貧しさ、浅ましさをすごく現しているように思います。

 老師から五祖拳を教わっており、白鶴拳も並行して教わりました。

 また、師父からは広東系の詠春拳も教わりました。

 これらはひとつながりの文脈の中にある物です。

 面白いのは、このうちの白鶴拳、そこから抽出された詠春拳は女性開祖説があるのですが、五祖拳はちょっと違うということです。

 五祖の名の通り、この武術には五人の祖師が居るとされています。

 そのうちの一人が白鶴とされていますから、これは白鶴拳の祖だと言われている方七娘のことでしょう。

 他は男性となっています。

 ここで気付いたのですが、白鶴、詠春は確かに、女性開祖説があるように女性的、陰の要素が割と強いように思うのですけれども、五祖拳は非常に男性的です。

 同様の技法が沢山あるにも関わらず、全然男性的です。

 五祖拳は、正式には五祖朝暘拳と言います。

 名前自体がもう陽なのです。

 五と言う奇数も陽に属します。

 俗に鶴法と呼ばれるこの文脈の武術の内、男性向けが主張されている……。

 そんなような気がしています。