サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 暮らしの足にしていました、バイクが突然壊れまして。

 普段だったら壊れても代車で暮らすのですけれども、代車も借りた日に壊れまして。

 稀有なことに2日連続、エンコしたバイクを押して歩くという経験をしました。

 修理に出したバイクは一週間ほどで治ると言われていたのですが、10日を過ぎても修理が終わらず、南の連絡もないまま二週間近くが経っています。

 二週間て、半月よ。

 間一回バイク屋さんに連絡をしたところ、見積もり金額は当初の7万から跳ね上がって新車を買える値段ほどに跳ね上がっており、いつ直るのかもわからないからこっちから連絡するまで電話をしてくるなと言いつけられました。

 こんなことある?

 故障の原因は、オイルの問題だそうです。

 オイルを換えないで走らせたことなどないのですが、いまのYAMAHAさんのスクーターというのはオイル交換の表示が出た頃にはすでに手遅れとなっていることが多いらしくて、その前の段階で率先してオイル交換をしていないと今回のようにエンジンが焼き付くという居ことがあるそうです。

 いや、そんなん、表示を早く出るようにしておけばいいだけじゃん。

 なんでしないのよ、ヤマハさん。

 まだ買って二年よ?

 完全にこんなん人災なんだけど。頼むよヤマハさん。これじゃあもう次からはおたくからは買えなくなっちゃうよ。30年くらいの付き合いだっていうのに。

 そんなわけで、この半月ほど地上を歩いて生活しています。

 またこの間、一週間ほど毎日雨が降っているので、それほど表に出る用事もありはしないのですが、国試合格発表の期間だったので役所に行ったりなんだりという書類仕事はいくつもありました。

 ですのでちょこちょこ歩くことになっていますが、かつてよりも息切れはしません。

 寒の戻りで1月ばりの気温に戻っているそうですが、膝の痛みも出ていません。

 これは、三年間の通学で毎日階段を登っていたことや、生化学トレーニングによる心肺系の強化、及び足三里へのお灸が功を表しているように思われます。

 もう30年ほど前から運動障害によって膝には悩まされているのですが、思ったよりも回復しています。

 驚くべきだと言ってもよいくらいです。

 もちろん、物理的に変形が回復している訳ではないので、自転車に乗ったりすると運動負担がかかりました。

 しかし、日常生活でのケアとしてはだいぶん良いように思います。

 いま行っている灸法では、鍼のような刺激と温熱による両方が同時に行えるというのも良いのかもしれません。

 これはぜひ、運動で疲労が負担に変わりがちな運動家の皆さんや、もう足腰を強くしながら養生させるのは難しいと諦めがちな皆さんにも、おすすめしたいところです。

 当会参加で施術とセルフケアのご指導をいたします。

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 先ほど、三人の女子プロレスラーが再会をして語り合うという動画を観ました。

 彼女たちはまだ若いのですが、一度引退をしたりしています。

 その中の一人は、人気団体スターダムで、いまは物凄い人気選手でなのですが、引退後はコンビニでバイトをしたりしていたそうです。

 もしそのままバイトを続けていたり、中小企業で働いていたら、恐らくはいまの充実は無かったことでしょう。

 別の選手は、働きながらプロレスをするようなセミプロの団体に所属しています。

 そこで彼女は、同じく働きながらプロレスをする仲間たちを観て「プロレスって自由なんだ」と知ったと言います。

 それまで、成功しなくてはならない、という抑圧の中で大手団体の若手を続けていたら、その気持ちには至れなかったかもしれません。

 練習だけをして、その成功だけを目指すという与えられた環境の中では、どうしても何かマニュアル的な成功、HOW TOを模索してどんどん小さく抑圧をされてゆくということが人にはあるのではないでしょうか。

 プロレスなのだから、型破りで滅茶苦茶をしても受けさえすればそれでよいのだと、思い切って突出することで恐らくはその生命が輝き、そしてその輝きにファンは引きつけられてゆくと、恐らくはそういう物なのでしょう。

 しかし、そういう生き方を我々現代日本人は教育されていない。

 自由は罪だ。好きに生きると悪いことが起きると刷り込まれてしまっている。愚民化教育です。

 そうやって、自らベルトコンベアーに乗る、家畜の生き方を育てられてしまっている。

 だから、プロレス団体でもそのコンベアーを探そうとしてしまいます。

 でも、表現活動、芸術なのだからそうではありません。

 彼女は不自由な中でプロレスをすることで、プロレスとは自由なのだと身に染みて発見したのでしょう。

 以前にも書きましたが、スターダムのエースには多分に発達障害の要素が見られる。

 そして、だからこそ自由に個性を生かした時に、まばゆいばかりの生命の輝きを発揮できたのでしょう。

 自分の感情よりも待ち合わせの時間を重視するような人間には、そこまでの表現しか出来ないのです。

 試合の時間になっても自宅のベッドで天井を見上げているような人間だから、その命がリングで輝いた時に、すさまじい光輝を放つという、そういうことなのではないでしょうか。

 これは、サラリーマンのおっさんが酔っぱらってカラオケで歌っているのと、生まれながらのアーティストがそのためだけに生きてその生を歌い上げているのと同じくらいに違います。

 ですので、芸能の世界と言うのは家畜化社会、ニーチェ君いう処の蓄群の中では生きられなかった人がその生を存分に発揮できるところだとも言われるのでしょう。

「プロレスって自由なんだよ」と彼女は言いましたが、実はこれはプロレスだけの話ではないと感じました。

 生きているとは、本来自由な物なのです。

 各人がこの世に一つの、自由な生命なのですから。

 ただ、自然状態でのリスクと引き換えに、制度に自由を譲渡することで安全を確保して行っている、というのが社会学の基礎的な考え方です。

 結果、これが制度化された上に生まれると、自ら考えることなく初めから制度の上の生き方に規格化されてしまうので、蓄群化をするに至ってしまいます。

 ですので一旦これを自覚して、自分はどこまで本来自由なのかを考えることが相対化につながる。

 そして自由を知ったその上で、どこを引き渡して何を得ているのかを自覚する。

 そうすれば、基礎的な自由の上での任意や理解ということが生まれるはずです。

 この時、暮らしはそれまでとは意味を大きく変えるでしょう。

 私たちが行っているのはそういうことです。

 人間は様々な不自由に抑圧されています。

 それはずっと前から続いている因果でもあれば、社会制度や自分自身の感情の不自由でもありえます。

 また、肉体の不自由と言う物があります。

 私たちは、本来の肉体への自覚を持つことなく、近代西洋の兵科に準じた西洋体育の身体の動かし方で暮らしているために、もはやその段階で自分の肉体の不自由さに拘束されていることになります。

 老いや病もその一つです。

 生老病死とはその避けがたい苦を説いた仏教の言葉です。

 ではその、自らの肉体による自らの拘束を軽減するにはどうすればよいでしょうか。

 身体について学ぶということが有効な対策でしょう。

 肉体の苦しみは感情の苦しみを産みます。

 自分の感情が自分を苦しめる。

 発達障害とはそのようなことでしょう。

 そして、元々発達に問題が無くても、学びが及んでいなければ、ただ生きているだけで精神疾患に落ち込むこともあります。

 こと、こんな世界情勢、こんな社会環境では当たり前のことだと思います。

 ですので我々は、ただ自分が幸せにあり、自分の生を自由にまっとうするためだけにも、肉体を改善し、感情を正し、社会環境を良くしてゆく必要が充分に存在しています。

 そういった生き方を外れた時に、人はたやすく滅びの道へとはまり込むのでしょう。

 自分が本来自由であるということを知ること。

 全てはそこから始まるのではないでしょうか。

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 気になって、前までの記事に書いてきた3氏の死因を調べてみました。

 どうやら、ガンを患っていた上、衰弱で帯状発疹ウィルスが活性化したところで、心筋梗塞の孤独死であったようです。

 50代でした。

 皮膚がんは現在では治療がしやすい部類のガンで、ガン保険によっては対応されないこともあるそうです。

 早い段階で自分で気付いていれば対策が出来たのでしょうが、やはり孤独な生活とストレスで対応が遅れてしまったのでしょう。

 また、直接の死因は心筋梗塞と言うことになっているのも、非常にわびしさが伴います。

 0さんは、結局は彼が元々ビジネスで成功していた時はよかったものの、立ち行かなくなって勤めに出なければならなくなった辺りから問題行動が増えて来ていて、自分たちの仲間に置いてゆけなくなっていたと言います。

 これは、私たちの仲間が辿り、そして私が彼等と離れたのとまったく同じ構造です。

 そうなった原因を、0さんは彼の発達障害のためだと書いていました。

 そういうことです。

 上手く行っている時は自分の個性が良い方向に現れて活きるのですが、窮屈な社会環境に押し込められると不適応を起こし、問題行動へと移行してゆきます。

 そして対人関係に常習的に問題を抱えることになる。

 そうやって、孤立をしてゆくことになるのです。

 悪いことに、彼は兄と暮らしていたそうなのですが、この兄が統合失調で平素から近所と問題を起こしていたために、別の町に引っ越していたのだと言います。

 このような事情のため、悪環境がさらに悪環境を引き起こすと言う負の連鎖が続いていたのでしょう。

 全て、私の身の回りで見て来たとおりのことです。

 残念ですが、発達障害は遺伝率が高いそうです。

 私の相棒の拾得ちゃんは発達障害のある人のための教育機関で働いているのですが、やはり親御さんにも発達障碍者があるケースがあって、説明がとても難しいと言っていました。

 発達障害や精神疾患があると、どうしても同質化した小さい関係の中に籠ってしまいがちです。

 そしてそれは、常にこのような状態に、閉塞の中でたどり着いてしまう。

 ですので私たちは、自ら外の世界とつながり、外に向かって生きてゆかないとならなくなります。

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 私達は最底辺のところで、世の中には居ない存在として育ってきたということを書いてきました。

 しかしそこには、発達障害という要素が関連しているということがわかったのは、20代半ばのことだったでしょうか。

 年下の女の子が、務め先でうまく行かないことをきっかけに体調を崩して病院に通うようになりました。

 そこで、発達障害という診断をくだされたというのです。

 この後から、同じことが周囲で連発しました。

 世間の価値観からは忌避されては居るけれども、こんないい奴は居ないというような仲間たちが、うまく入った務め先でうまくいかなくなり、抜け出たはずの地元に戻ってきてどんどん素行不良になってゆく。

 頭痛や腹痛で病院に通っている中、原因不明の病気だと疑われたりして、最後には発達障害と診断される。

 そして、あんないいヤツが、と思っていた仲間たちが、どんどんその悪い面が助長されて社会から隔絶されて行ってしまう。

 私が大好きだった彼らの「個性」が、病気だと診断されて、そして凡庸な悪になりさがる。

 私が観てきたのはそういうことでした。

 結局、初めからの環境や育った環境で、彼らは発達に不首尾をきたしていたということなのでしょう。

 この壁が、私達を抑圧し、閉じ込めて居た壁でした。

 0さんは私達がその壁に直面してから20年経って、その構造に直面したのだと言うことです。

 0さんの新作は、主人公の自分と、統合失調の友人(仮に1とする)、発達障害の作家(2)、そして0さんの親友のヤンキー仲間(3さん)を中心とした作品だといいます。

  この親友の3さんは以前から彼の作品にずっと描かれ続けていて、私達も彼の厄介ながらも頼りになり、好もしい人となりに親しみを感じ続けてきました。

 しかし、彼もまた、発達障害であろう、というところに作品は向かってゆくのだそうですが、その頃には彼は死亡してしまった、ということです。

 これこそが、まさに私達と0さんの世界です。

 なお言うなら、0さんの姪も自閉症で、そのことにも心配をしているそうです。

 発達障害には先天性のものと後天的なものがあり、先天的な物は当然、遺伝によります。

 そして後天的なものは、育った環境によります。

 必然、生活環境に恵まれなければ、両者の環境は共通のコミューンを形成します。

 そこが、0さんや私達の居た場所なのでしょう。

 今現在、この国を例外とせず世界中に、反知性主義の猛威が振るわれています。

 これを画策したポピュリスト達の戦略は、政治に不参加で票として機能していなかった発達障害者や精神疾患者を取り込んで「参政」させるという物でした。

 これによって、反知性主義政権というものが各国で樹立を続けているわけです。

 これは、世界的な社会問題なのです。

 私は自分が抜け出してきた場所のことは振り返らずに来ましたが、そこはモチベーションとなって私の活動の中に存在しています。

 忘れていた、その場所を思うと感じる痛みのことを、このたび久しぶりに思い出しました。

 この問題は、人類がこれから先も、ずっと取り組んでゆくべき課題でしょう。

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 30台後半から今に掛けて、どうにか自分の生きてきた場所を抜けだして、自分が生きたい世界に至る道を歩むことばかりに力を使いきってきました。

 関心できないことですが、休みもなく、貯金をし、学び、それを仕事に続けるということを繰り返してきました。

 それを社会の改善につなげるというところでこの連絡が完成します。

 結局、私達のような存在が抜け出せないままにあったということは社会学上の問題であり、社会との取り組み方、世界のあり方に対して学んで取り組むことが最善であると思ってきたからです。

 自分のその場の感情だけに執着することが、反知性主義の根本であり、反知性主義が社会と世界の貧困を招く。

 そこに抵抗するには、やはりこれが最善だといまも思って揺らぎません。

 こうして走り続けてきたために、私は抜け出してきた世界の仲間のことも、0さんのことも鑑みる暇がありませんでした。

 しかし、ふと0さんの活躍を世間で聞かなくなっていることを思い出し、これは同じ世界に住んでいた身に覚えがあり、身を持ち崩したり亡くなったりしているのであろうかと調べてみたのです。

 検索すると、昨年の後半に小説を出していたことがわかりました。

 12年ぶりの小説だそうです。

 ちょうど私が離れたくらいの時期に脳溢血で倒れて2ヶ月間意識不明となり、そのまま後遺症があったのだといいます。

 私のかつての仲間たちも、結局は大酒をのみ、パチンコを打ち、タバコを吸い続けて40代くらいで身体を壊して50で亡くなったりしています。

 0さんもまったく同じなのであろうと推察しました。

  退院後、収入は激減し、全財産が喪失したために借金生活となって離婚、持ち家を売って借金を返済し、現在は小さな部屋にお住まいだそうです。

 このあたり、絵に書いたような、私がいた世界のお話で、久しぶりにその体感に触れて「あぁ」となりました。

 しかし、本当にそれを痛感することになるのはここからです。

 退院後、10年も掛けてどうにか書き上げたという小説の内容は、また自分たちのことを小説形式で書いた作品だというのですが、その内容はといえば10年前に出会った青年を通して統合失調という精神疾患をしり、彼と話をしていく過程で、自分たち、私が書いてきたところの「最底辺の連中」が実は精神疾患だったのではないか、ということに思い当たってゆくという内容だそうで、そこには彼がフックアップした人気作家も主人公の一人として登場しているそうです。

 この人気作家、デビュー前から発達障害を公言しており、発達障害にまつわる作品でいまではヒットをしているそうです。

 そんな実在の人々と接する中で、自分たちが精神疾患、発達障害の特徴に当てはまっているということに慄然とした、とのことですが、これです。

 私はずっと、この発達障害の問題について触れてきました。

 これは還暦の0さんよりも一世代下である優位がかなったもので、私達は初めからその概念に馴染んでいたのです。

                                       つづく