「家族はつらいよ」

「東京家族」は好きな作品であった。本作は同作品を引き継いだメンバーであったので期待したが、今回は「薄味」であると僕は思った次第である。
一人一人の造形が浅く、心の動きが浮き彫りになっていない。芸達者な役者を揃えたわりには、というか、揃えすぎだったのか、各人のキャラクターが立ってこない。特に、本来キーマンとなるべき蒼井優の役どころが、東京家族ほどの精彩がない点が残念である。蒼井優は、要は小津映画の原節子を担っているだけに、もう少し役を作りこんでほしかった。
一方、「男はつらいよ」の主題歌が歌われたり、「東京家族」のポスターが貼られていたり、挙句の果てには「東京物語」の笠智衆と原節子の有名な場面がまるまるTVで上映されていたりする。
それらのある種の「小道具」は本作が「どのような過去の作品群の延長線上にあるか」ということを示そうとした
ある種の遊び心なのだろう。但し、やや、あざとすぎないか。
山田洋次の作品は面白い。常に高いレベルの作品を作ってきている。それだけに期待外れだったのかもしれない。常にクリーンヒットを期待される事も大変だろう。次の作品も期待したい。
一人一人の造形が浅く、心の動きが浮き彫りになっていない。芸達者な役者を揃えたわりには、というか、揃えすぎだったのか、各人のキャラクターが立ってこない。特に、本来キーマンとなるべき蒼井優の役どころが、東京家族ほどの精彩がない点が残念である。蒼井優は、要は小津映画の原節子を担っているだけに、もう少し役を作りこんでほしかった。
一方、「男はつらいよ」の主題歌が歌われたり、「東京家族」のポスターが貼られていたり、挙句の果てには「東京物語」の笠智衆と原節子の有名な場面がまるまるTVで上映されていたりする。
それらのある種の「小道具」は本作が「どのような過去の作品群の延長線上にあるか」ということを示そうとした
ある種の遊び心なのだろう。但し、やや、あざとすぎないか。
山田洋次の作品は面白い。常に高いレベルの作品を作ってきている。それだけに期待外れだったのかもしれない。常にクリーンヒットを期待される事も大変だろう。次の作品も期待したい。
「ジョイランド」 スティーブンキング

久しぶりにキングの作品を読んだ。
僕は比較的キングの作品を読んできたと思っている。キングはホラーの帝王などと
言われがちであるし、実際にホラーの帝王であるので 人はその色メガネでキングを
理解してしまう面がある。
僕は比較的キングの作品を読んできたと思っている。キングはホラーの帝王などと
言われがちであるし、実際にホラーの帝王であるので 人はその色メガネでキングを
理解してしまう面がある。
確かにキングの作品は怖い事は確かだ。では、何が怖いのか。それを考えることが
キングを読む醍醐味である。
本作は青春小説とも言える。ある青年の夏と秋を描いている。その青年が通った、通過儀礼を
ホラーという形式を借りて描きだしている。
青年が経験したものは、人間の善意と悪意の在り方だ。キングは本作では善悪をはっきり
分けていない。個々の人は各々善と悪を抱えている。その有り様が時に苦味を帯び、
時に甘美である。
青年は、かかる通過儀礼を経て大人の世界に入っていく。その後の彼の人生は
どこまで彼の本意に沿ったものかはわからない。但し、年齢を重ねるという事は
そういうものだろう。
そんな風にキングは語っているように思える。
本作はキングの代表作とは言われないだろう。但し、彼のしっかりとした
鑿の切れ味はある。そこはうれしい。
十年程度で自分は変わらない
箴言という言葉について考えている。
考え始めたきっかけは単純である。地元の本屋で「滅びゆく日本人ー福田恒存の言葉ー」という本を
衝動買いし、何となく読み始めたからだ。あとがきによると、本書はロシュフコーの「箴言と考察」を
目指しているとのことらしい。
ロシュフコーの本も面白い。このブログでも幾度も取り上げてきた。ちなみにこのブログは2006年2月に
始めている。十年ひと昔というなら、十分昔からである。今更ながら自分の成長の無さが露呈していて
やや恥ずかしいのだが。
ところで箴言である。「気の効いた言葉」とでも定義すればおさまりが良いのだろうか。寸鉄人を刺すという
言葉も思いだした。短くて、かつエッジの効いた言葉はいつでも読んでいて刺激的ではある。
但し、と思ってしまう。
但し、箴言とはなんとなくスパイスに似てはいないだろうか。瞬間の味わいにおいては、鋭さがあっても
大きな意味で「味」を支配しないように思える。気が利いた言葉だけで、物事を語れない気がするからだ。
これは、例えば最近20年ほど持て囃されるプレゼンテーションという技術にも通底している。
本当の味わいとは何か。気が利いた言葉の、その先にあるものではないか。そんな風に考えて、初めて、
箴言集というものが読めるような気がする。
十年程度で自分は変わらない。熟成に時間が掛かるのはワインだけではない。僕らもそうなのだ。
かつ、大体において、熟成途中でこの世を去ることになる。そう考える方が、正しいような気もするのだ。
「超・箇条書き」

会社の報告書を読んだ際に余りにだらだら文章で書いている事に閉口した。
もっと箇条書きすべきと主張した。その時にちょうどその日の日経朝刊に本書の広告
が出ていたことを思いだした。すぐに注文した。
箇条書きの良さは、ある意味俳句に似ている。箇条書きは文章を短くする方向性を
齎す。文章を磨くように強いる面がある。短い文章を磨くという点で俳句と通底
しているものがある。
俳句の面白みは極めて制約された文字数の中で一瞬の衝撃を読む人に与える点にあると
僕は理解している。その点では、例えば本書で繰り返されるプレゼンテーションの技術との
親和性は強い。
本書はビジネス文章の書き方という切り口で持論を展開しているわけだが、俳句に繋がる
としたら、それはそれで楽しい話だ。
俳句は17文字を言葉通り磨いて作られる。その段階でイメージとメッセージが強く
絞りこまれる。「何を言いたいのか」という点をぎりぎりまで詰める。その作業は
本書で著者が展開しているプレゼンテーションのそれに似ている。
当然と言えば当然だろう。ビジネスのプレゼンテーションも俳句も、「自分の思っていること」
を、如何に相手に正確に伝えるのかという点は全く同じだからである。
いずれにせよ、自分の考えていることを人に伝えるのは難しいことだ。箇条書きの強さという
ものを再認識したところである。
もっと箇条書きすべきと主張した。その時にちょうどその日の日経朝刊に本書の広告
が出ていたことを思いだした。すぐに注文した。
箇条書きの良さは、ある意味俳句に似ている。箇条書きは文章を短くする方向性を
齎す。文章を磨くように強いる面がある。短い文章を磨くという点で俳句と通底
しているものがある。
俳句の面白みは極めて制約された文字数の中で一瞬の衝撃を読む人に与える点にあると
僕は理解している。その点では、例えば本書で繰り返されるプレゼンテーションの技術との
親和性は強い。
本書はビジネス文章の書き方という切り口で持論を展開しているわけだが、俳句に繋がる
としたら、それはそれで楽しい話だ。
俳句は17文字を言葉通り磨いて作られる。その段階でイメージとメッセージが強く
絞りこまれる。「何を言いたいのか」という点をぎりぎりまで詰める。その作業は
本書で著者が展開しているプレゼンテーションのそれに似ている。
当然と言えば当然だろう。ビジネスのプレゼンテーションも俳句も、「自分の思っていること」
を、如何に相手に正確に伝えるのかという点は全く同じだからである。
いずれにせよ、自分の考えていることを人に伝えるのは難しいことだ。箇条書きの強さという
ものを再認識したところである。
「牛への道」 宮沢章夫

自宅で爆笑しながら一気に読んだ。時にはのたうち回って笑う局面もあった。人目があるところ
では本書を読むべきではない。
本書のおかしさとは何か。それは「日頃漠然と思っていること」を、鋭利なナイフで削りだして、
ポンと置かれた瞬間の「衝撃」にある。僕は、「笑い」とは「一瞬の衝撃」であると良く周囲の
人に言っては、余り理解されないという歴史を繰り返してきた。しかるに本書である。その人に本書さえ
読んでもらえば僕の持論を明快に理解して頂けるに違いない。ということで、最も身近にいる他人である
家内の外出からの帰宅を待っているところだ。
ところで本書の題名「牛への道」とは何か。これはおそらくは禅の「十牛図」を意味しているに
違いあるまい。「十牛図」の「牛」とは、この世の「真理」を表すものである。主人公の童子が
真理である牛を見つけに行く話だ。作者は自らを童子として「牛への道」を辿ると宣言されていると
僕は読んだ。爆笑をもたらすものは「真実」である。人は何かを納得した瞬間にえてして笑うものだ。
そんな風に読んでいるとあっという間に読み終わる。なるほど、快著ではないか。
では本書を読むべきではない。
本書のおかしさとは何か。それは「日頃漠然と思っていること」を、鋭利なナイフで削りだして、
ポンと置かれた瞬間の「衝撃」にある。僕は、「笑い」とは「一瞬の衝撃」であると良く周囲の
人に言っては、余り理解されないという歴史を繰り返してきた。しかるに本書である。その人に本書さえ
読んでもらえば僕の持論を明快に理解して頂けるに違いない。ということで、最も身近にいる他人である
家内の外出からの帰宅を待っているところだ。
ところで本書の題名「牛への道」とは何か。これはおそらくは禅の「十牛図」を意味しているに
違いあるまい。「十牛図」の「牛」とは、この世の「真理」を表すものである。主人公の童子が
真理である牛を見つけに行く話だ。作者は自らを童子として「牛への道」を辿ると宣言されていると
僕は読んだ。爆笑をもたらすものは「真実」である。人は何かを納得した瞬間にえてして笑うものだ。
そんな風に読んでいるとあっという間に読み終わる。なるほど、快著ではないか。
より多くの情報があるときだ
「私たちが最新の注意を払わなければならないのは、情報が少ないときではなく、
より多くの情報があるときだ」
-「シャーロックホームズの思考術」-
こういう言葉は考えさせてくれる良い言葉だ。
情報を集めるという作業は人生のあらゆる局面で大事である。情報の集め方自体が
その人の個性であり、センスであり、要は才能と言える。
但し本当に大事なのは集めた情報をどう整理するかという手さばきにある。
さもないと、情報に振り回されるだけになる。情報に振り回されるという状況は
案外多いと言える。WEB社会になった今こそ、本当に多い情報に困惑し、
何も考えなくなってしまうリスクが高い。コピペという言葉は端的にそれを
意味している。
私たちは誰もが自身の知識や文脈に制限されている。そして、そのことは覚えていたほうがいい
「私たちは誰もが自身の知識や文脈に制限されている。そして、そのことは覚えていたほうがいい」
-「シャーロックホームズの思考術」-
この言葉は案外と第二文が大事かなと思っているところだ。
僕らは自分の知識と文脈に制限されているという指摘は言われるまでもない。細かく読むと、知識は
外から取得するものであり、文脈は、自分の内部で作り上げるものである。知識を得て、文脈を作ると
言えるだろう。その知識の得るスタイルと、文脈を作る作風が、その人の個性と言える。ここを否定する
積りはない。
問題はそれを自身でわきまえているかどうかだ。それが第二文である。
わきまえていると、自分の考え方を相対化することが出来る。自分の考えは所詮自分で得た知識と
それで作った文脈によるものだと考えることが出来る。わきまえていない人は、自分の考えが絶対的に
正しいとしか思えない。ということで、色々な悲劇と喜劇が産まれるわけだ。
自分の文脈とは、ところでどのような感じなのかなとふと思った。
惰性は強い力である。私たちは惰性で行動する生き物だ
「惰性は強い力である。私たちは惰性で行動する生き物だ」
ー「シャーロックホームズの思考術」-
この言葉を見ると二つの気持ちが起こってくる。
まず一点目は反省だ。
確かに僕も惰性で日々を送っている部分は多い。要は物事を考えなくなって
きているということだ。「天才とは凡人が問題を発見しないところから問題を発見する能力である」と
聞いたことがある。その言葉と上記言葉は綺麗に響きあう。
一方二点目としては肯定だ。
僕らは「日々を惰性で送れるようにする」ことにかなり努力してきている。複雑な物事をルーティーン化して
いちいち考えなくても物事をこなせるようにすることは一つの才能だ。毎日を惰性で過ごせることは
長生きの秘訣の一つではないかとすら思う。
従い、難しい言葉なのだと僕は思 う。但し、「反省」はきちんと押さえたい。
「シャーロック・ホームズの思考術」

会社の同僚に推薦されて本書を読んだ。というか、その同僚は畏友であるが、一方本書に関しては
読んだわけではなく、まず僕に読ませてみようということらしい。
読後感は2点である。
本書は自己啓発と心理学の間に位置すると読んだ。シャーロックホームズが登場するドイルの
作品を素材として、「考えるということ」「気づきということ」を論じている。僕らが日々物事を
処理するに際して、いかに「自分の考え方」に絡めとられてしまいがちであるかを繰り返し主張
する。
「私達は誰もが自身の知識や文脈に制限されている」という説明は明快だ。この言葉に関して
言うなら「文脈」という部分は特に注意が必要である。知識は外から与えられるものだが
文脈は自分で作ってしまうものだからだ。
一方、上記視点はある意味ではそんなに目新しいものではない。本書の目新しさは、かかる
視点をホームズの作品に因っている点にある。
ホームズの作品は1900年前後に発表されている。もう100年前の作品だ。100年前の
「思考回路」が、いまなお通用しているという点は驚くべきと考えて良い。それはドイルの
先駆性と言えるし、逆説的には、この100年で人間が余り進化していないということも意味
する。例えば本書で展開される「気づき」に関する教育が進化してきているかというと
むしろ後退してきていることがここ50年の教育の歴史ではあるまいか。特に日本においては。
本書を読んでいて常に反省させられた。それが本書を読んだ一番の効果である。会社の同僚
には一読を勧める積りだ。キンドルで買ったので貸出できない点は残念なのだが。
読んだわけではなく、まず僕に読ませてみようということらしい。
読後感は2点である。
本書は自己啓発と心理学の間に位置すると読んだ。シャーロックホームズが登場するドイルの
作品を素材として、「考えるということ」「気づきということ」を論じている。僕らが日々物事を
処理するに際して、いかに「自分の考え方」に絡めとられてしまいがちであるかを繰り返し主張
する。
「私達は誰もが自身の知識や文脈に制限されている」という説明は明快だ。この言葉に関して
言うなら「文脈」という部分は特に注意が必要である。知識は外から与えられるものだが
文脈は自分で作ってしまうものだからだ。
一方、上記視点はある意味ではそんなに目新しいものではない。本書の目新しさは、かかる
視点をホームズの作品に因っている点にある。
ホームズの作品は1900年前後に発表されている。もう100年前の作品だ。100年前の
「思考回路」が、いまなお通用しているという点は驚くべきと考えて良い。それはドイルの
先駆性と言えるし、逆説的には、この100年で人間が余り進化していないということも意味
する。例えば本書で展開される「気づき」に関する教育が進化してきているかというと
むしろ後退してきていることがここ50年の教育の歴史ではあるまいか。特に日本においては。
本書を読んでいて常に反省させられた。それが本書を読んだ一番の効果である。会社の同僚
には一読を勧める積りだ。キンドルで買ったので貸出できない点は残念なのだが。
