テクノロジーが可能にするスピード

June 2018 Cambodia
「テクノロジーが可能にするスピードは、人間の本来的な能力を超えた生活を
私たちに強制している感じがする」
--「仏像と日本人」 碧海寿広 207頁 --
「漂流」 角幡唯介
角幡の本をどんどん読んでいるところだ。本書もその流れで読んだ。
以前他の角幡の本に関して「冒険家が文章を書いているのではなく文章家が冒険している」という
ようなことを言ったことがある。本書を読むことでその確信を深めたところだ。角幡は本書では自らの冒険ではなく、マグロ漁師という他人を見事に描き出している。
本書での角幡の文章は、しかし、執拗であり、時に晦渋ですらある。角幡の他の著作は、もっと軽やかでありユーモアに満ちている。その落差に面食らうことになった。「その落差」の理由を考えることが本作を読むということだと僕は判断する。
角幡は本書の主人公である本村に関して、角幡自身との相似と相違を感じながら取材を続けたのだと
思う。特に「相違」が実は大きく、それが角幡をして執拗な文章を書かせたのではないかということが
僕の仮説だ。
相似について。自身が人間のシステムから遠く離れた辺境を歩む強い嗜好を持った角幡にとって、
南方の漁師には強い親近感を感じたのではないか。海という隔絶された世界を行く漁師の姿は極地や
ジャングルを進む角幡に似ている。かつ、海という隔絶された世界を行くことで、「どうしょうもなく
海でしか生きることが出来なくなった主人公」とは、角幡の生き方にも重なる部分が大きい。そこは相似と言えないだろうか。
一方、相違とは何か。角幡は本書の最後で自身の経歴に関して「土の匂い」がないことを言っており、それが角幡が目指す冒険の原動力だとしている。彼は「私が追い求めたのは土地や海、すなわち人間には制御できないどうしょうもない自然がそこに属する人の生き方に強制的な介入をする世界であり、そこで
きずかれる人間と世界との強固な関係性だった」という。
ここで考えなくてはならないことは本書の主人公であるマグロ漁師やその周辺の人は かような海との強い関係は「所与の前提」にて無意識に与えられていた点だ。一方、角幡は、土地との関係が与えられておらず、自ら意識して関係を求めなくてはならないという点である。
その「意識の有無」こそが 角幡と「マグロ漁師やその周辺の人」との間の大きなギャップとなって
おり「相違」なのだと思う。端的にいうとマグロ漁師やその周辺の人は、角幡が何に「萌えて」いる
のかが最後まで分からなかったろうということである。角幡の取材の難渋さは想像に難くない。
それにしても、凄いノンフィクション作家が出てきていたと改めて思う。今後も続けるであろう冒険
でのご無事を強く祈りたい。
以前他の角幡の本に関して「冒険家が文章を書いているのではなく文章家が冒険している」という
ようなことを言ったことがある。本書を読むことでその確信を深めたところだ。角幡は本書では自らの冒険ではなく、マグロ漁師という他人を見事に描き出している。
本書での角幡の文章は、しかし、執拗であり、時に晦渋ですらある。角幡の他の著作は、もっと軽やかでありユーモアに満ちている。その落差に面食らうことになった。「その落差」の理由を考えることが本作を読むということだと僕は判断する。
角幡は本書の主人公である本村に関して、角幡自身との相似と相違を感じながら取材を続けたのだと
思う。特に「相違」が実は大きく、それが角幡をして執拗な文章を書かせたのではないかということが
僕の仮説だ。
相似について。自身が人間のシステムから遠く離れた辺境を歩む強い嗜好を持った角幡にとって、
南方の漁師には強い親近感を感じたのではないか。海という隔絶された世界を行く漁師の姿は極地や
ジャングルを進む角幡に似ている。かつ、海という隔絶された世界を行くことで、「どうしょうもなく
海でしか生きることが出来なくなった主人公」とは、角幡の生き方にも重なる部分が大きい。そこは相似と言えないだろうか。
一方、相違とは何か。角幡は本書の最後で自身の経歴に関して「土の匂い」がないことを言っており、それが角幡が目指す冒険の原動力だとしている。彼は「私が追い求めたのは土地や海、すなわち人間には制御できないどうしょうもない自然がそこに属する人の生き方に強制的な介入をする世界であり、そこで
きずかれる人間と世界との強固な関係性だった」という。
ここで考えなくてはならないことは本書の主人公であるマグロ漁師やその周辺の人は かような海との強い関係は「所与の前提」にて無意識に与えられていた点だ。一方、角幡は、土地との関係が与えられておらず、自ら意識して関係を求めなくてはならないという点である。
その「意識の有無」こそが 角幡と「マグロ漁師やその周辺の人」との間の大きなギャップとなって
おり「相違」なのだと思う。端的にいうとマグロ漁師やその周辺の人は、角幡が何に「萌えて」いる
のかが最後まで分からなかったろうということである。角幡の取材の難渋さは想像に難くない。
それにしても、凄いノンフィクション作家が出てきていたと改めて思う。今後も続けるであろう冒険
でのご無事を強く祈りたい。
「武満徹・音楽創造への旅」 立花隆
武満の事はいくつかの映画音楽だけしか知らなかった。若しくは映画評をいくつか読んだことも
覚えている。但し、その程度だった。今回大変勉強になった。
武満は世の中に溢れている音をまず強く肯定し、その上で、強く消去していく。
何かを選ぶことはそれ以外を捨て去ることだと良く言われる。武満はそれを
愚直に実行しているように見える。その結果として残ったいくつかの音が音楽となっていく。
これが素人の僕の理解した武満の音楽の作り方である。まさに素人考えだと思うが、自分でそう
思った事が自分にとって大事な事だ。
武満の凄みは「音を強く肯定する」部分にあるのではないかということが僕の直感である。
実際、武満の音への好奇心は無限だ。武満が本書で見せる様々な分野の人達との
交流は、そのまま武満のあらゆる音への求道に見える。
風貌を見ても武満は求道者のように見える。但し、彼の求道は長調で書かれたものに
違いない。本書で彼が語る自らの来し方は、実に楽しそうだ。実際、重い結核でありながらも
音楽に打ち込む姿は楽天的としか言いようがない。若しくは早い時期に死を覚悟したことが
彼の奇妙な明るさに繋がったのかもしれない。
本書を読んだことで、武満の作品をもっと聴き、彼の言葉をもっと聞こう。そう思ったところだ。
覚えている。但し、その程度だった。今回大変勉強になった。
武満は世の中に溢れている音をまず強く肯定し、その上で、強く消去していく。
何かを選ぶことはそれ以外を捨て去ることだと良く言われる。武満はそれを
愚直に実行しているように見える。その結果として残ったいくつかの音が音楽となっていく。
これが素人の僕の理解した武満の音楽の作り方である。まさに素人考えだと思うが、自分でそう
思った事が自分にとって大事な事だ。
武満の凄みは「音を強く肯定する」部分にあるのではないかということが僕の直感である。
実際、武満の音への好奇心は無限だ。武満が本書で見せる様々な分野の人達との
交流は、そのまま武満のあらゆる音への求道に見える。
風貌を見ても武満は求道者のように見える。但し、彼の求道は長調で書かれたものに
違いない。本書で彼が語る自らの来し方は、実に楽しそうだ。実際、重い結核でありながらも
音楽に打ち込む姿は楽天的としか言いようがない。若しくは早い時期に死を覚悟したことが
彼の奇妙な明るさに繋がったのかもしれない。
本書を読んだことで、武満の作品をもっと聴き、彼の言葉をもっと聞こう。そう思ったところだ。
「探検家 40歳の事情」 角幡唯介
角幡の本を読むことが楽しくなっている。
本書は、しかし、角幡の他の本に比べると、やや玉石混交である。発表媒体が違うせいだと思うが、
各篇の長さや構成がマチマチである。従い、読んでいて、時折放り出されるような思いもした。しかし読ませること
も確かである。
それにしても角幡とはどんな方なのか。例えば、本書では無賃乗車の話が出てきている。本書の中でも
白眉といって良い。結末の一文に大笑いした一方、そもそも、無賃乗車とは立派な犯罪ではないかとも
思ってしまう。自分の犯した罪を文章ネタとしてしまい、それで読者に大笑いさせてしまう角幡とは
何者なのだろうか。
端的にいうとトリックスターという存在なのだと思う。そもそも冒険や探検という非日常な生業で活きている
角幡は、我々凡人にとっては想像がつかない異能の 人である。であればこそ、少々キセル乗車していても
むしろ当然ではないかと思ってしまうのだ。それが角幡の「徳」なのかもしれないと考えると納得行く気がする。
ところで角幡は文章が上手い。普通の冒険譚は「冒険家が文章を書く」わけだが、彼の場合は「文章家が
冒険している」と言える。これは彼が新聞記者をやっていた時期に負っているということが僕の推測だ。
彼の軽妙洒脱な文章は結構計算し尽されているようにも見える。だからこそ、やや玉石混交の本書も
実に楽しく読めるわけだ。
本書は、しかし、角幡の他の本に比べると、やや玉石混交である。発表媒体が違うせいだと思うが、
各篇の長さや構成がマチマチである。従い、読んでいて、時折放り出されるような思いもした。しかし読ませること
も確かである。
それにしても角幡とはどんな方なのか。例えば、本書では無賃乗車の話が出てきている。本書の中でも
白眉といって良い。結末の一文に大笑いした一方、そもそも、無賃乗車とは立派な犯罪ではないかとも
思ってしまう。自分の犯した罪を文章ネタとしてしまい、それで読者に大笑いさせてしまう角幡とは
何者なのだろうか。
端的にいうとトリックスターという存在なのだと思う。そもそも冒険や探検という非日常な生業で活きている
角幡は、我々凡人にとっては想像がつかない異能の 人である。であればこそ、少々キセル乗車していても
むしろ当然ではないかと思ってしまうのだ。それが角幡の「徳」なのかもしれないと考えると納得行く気がする。
ところで角幡は文章が上手い。普通の冒険譚は「冒険家が文章を書く」わけだが、彼の場合は「文章家が
冒険している」と言える。これは彼が新聞記者をやっていた時期に負っているということが僕の推測だ。
彼の軽妙洒脱な文章は結構計算し尽されているようにも見える。だからこそ、やや玉石混交の本書も
実に楽しく読めるわけだ。







