くにたち蟄居日記 -35ページ目

早朝のルンピニー公園にて

 早朝にルンピニー公園を散歩した。

 

 池に掛かる橋でタイの中年の女性がパンを魚に与えている。群れている魚は実に大きなナマズばかりだ。

その大きさに感心して見ていると、その女性が僕にパンを2枚渡してくれた。パンをちぎって投げると魚が

争って食べる。そんな風景は中々楽しいだ。 

 

 ふと橋の横を見ると、老人がパンを売っている。要は賞味期限が切れたパンを老人が 

どこからか集めてきて橋のたもとで販売し、買った人がそれを魚に与えるという話だ。タイに 

古くからある「お布施」の一つの例なのだろう。 

 

 考えてみると、その女性は魚に餌を与えるだけではなく、パンを老人から買うことで老人に 

対してもお布施をしているわけだ。加えてパンを貰った僕に対してもお布施をしたと 

言えるのかもしれない。更にいうなら本来廃棄されてしまう運命にあった賞味期限切れのパンを 

実に上手く活かしたという点でパンに対するお布施とも言える。最後に、それらを行った彼女自身

もとても気持ちが良かったのだろう。早朝のまだ暗い中で笑顔で僕にパンを渡した彼女の顔は

いまでもぼんやり覚えている。 

 

 僕の嫌いな言葉にWIN-WINという言葉がある。正確に言うと笑顔で「WIN-WIN 

で行きましょう」と話す人は常に胡散臭いと思うという事だ。 

 

 WIN-WINとは何か。僕の個人的な意見としては、「強欲同士が勝ち点3を取ろうと 

争い、最後にはなんとか引き分けで勝ち点1を各々取った」という状況をいうのだと 

思う。僕らも好むと好まざるとそのようなゲームに日々参加していると思っているが、 

そんな中でもたまに不図自分のやっている事を俯瞰することも大事だと思った。

 

 最近の世界を見ていると、民主主義や資本主義等に、色々な綻びや制度設計不良が見え 

始めてきている気がしてならない。人類滅亡は食糧不足やら気候変動やら疫病等ではなく、もっと 

人間の内面から始まる可能性も否定できない気がしてきている。そんな中で、ルンピニー 

公園での素朴な一場面は案外色々なものを示唆しているのではないか。 

「新・東海道五十三次」  武田泰淳

新聞の紹介で本書を読んだ。

 

 武田は江戸時代の東海道五十三次を意識して1968年の百合子夫人の運転で

東海道を旅し、その記録として本書を上梓した。その段階では最新の「東海道五十三次」

であった訳だが、本書を読んだ2020年から振り返ると、52年前の東海道旅行記である。

ある意味「時代の証言」ともいうべき価値があると言える。

 

 本書を読んでいると高度経済成長に入った時期の日本が見えてくる。武田は本書において

いくつかの「公害」を描写している。その視点を見ていると、公害を必要悪と考えていた

当時の日本の様子が透けて見える気がしてくる。大気汚染の酷い地域が幾度も出てくる。

経済成長の裏で公害という被害においても先進的であったと言える。かような公害が何を

引き起こし、どうやってそれを防ぐ意識が出てきたのかはまさに僕らの歴史だ。

 

 武田が2020年の現代で再度東海道を旅したらどのように書くのだろうか。それを想像する

事は楽しい。これは僕の直観だが、その精神において本書とあまり変わらない気がする。

髪結いの亭主よろしく奥様にハンドルを預け、ぼんやりとした視線で鋭く時代を切り抜く

という点において同じではないか。

DREAM COMES TRUE

 ネットで「戦術のない戦略はファンタジーである」という言葉を読んだ。

 

 戦略という言葉は格好良くて、かつ、使い勝手が良い言葉なのだ。「当社の

戦略とは○○である」という言葉はいくらでも見る。一方「当社の戦術は○○である」

という話はあまり見ない。なんとなく戦略の方が「上」で戦術の方が「下」にあるということか。

でもそれはイメージだけの話なのかもしれない。そう考えてみると、色々な見方がある。

 

 「着眼大局、着手小局」という碁から来ている言葉も思いだした。この場合「着眼」が

「戦略」であり、「着手」が「戦術」なのだろう。ここで大事なのは「戦術」は「小局」

であるべきだという点と思う。「神は細部に宿る」とも言うが、そういう

小さいことを確りやることが戦術を遂行するということなのではないか。

 

 「大局」とは「大風呂敷」や「大ぼら」に似ている。ファンタジーの良さは人間の

想像力を高める点にある。但し、そこからのアクションプランをどう小さく・細かく作る

のか。それがファンタジーを現実に出来るかどうかに繋がるのだろう。Dream comes

Trueと言うが、夢と妄想は紙一重であり、妄想に終わらせないようにするにはやはり

「小局」ということか。

映画「ブンガワンソロ」 市川崑

インドネシアに住んでいたことで本作を鑑賞する機会を得た。ブンガワンソロという曲も当時

住んでいたスラバヤで幾度か聴いたことがあり、懐かしかった。

 

 本作が製作されたのは1951年である。本作を当時鑑賞した客は、第二次世界大戦を

リアルタイムで経験された方である。1964年生まれの僕にとって、当時の観客が本作を

どのような想いで観たのかは分かる由もない。但し、いずれも自身の体験と知見を基に

南洋の国で展開される悲恋物語を噛みしめたということなのだろう。

 「悲恋」と書いた。本作の「悲恋」とは、降伏の知らせが齎されることの遅れによって主人公と

ヒロインが死別することにあると僕は理解した。「降伏」というものの「重さ」は、実際に戦争を

生きた人でなければ分からないだろう。人生と時代が一夜にして一変するという体験

だったに違いない。その「一変」がわずかに遅れたことで悲劇が生まれる。若しくは、悲劇を

生ませるという言い方も出来るのかもしれない。

 

 インドネシアで敗戦を迎え、そのままインドネシアに残って人生を歩んだ人は沢山いると

聞いたことがある。もし知らせが遅れなければ、主人公とヒロインが共にそういう道を歩んだに

違いないと観客を思うことになる。そういう人生が当時いくらも有っただけに、観客は現実感を

持って本作を観る事が出来たということなのだろう。僕にとって本作はある種のファンタジー

のようにも思えるが、1951年の観客にとってはファンタジーでは無かったのかもしれない。

ゴルドベルグ変奏曲   LANG LANG

日経新聞にこのアルバムの紹介があったので購入して利いたところだ。

 

ゆっくりしたゴールドベルグ変奏曲である。何より装飾音がしっかりと聴ける点が楽しい。

聴いていて思ったのは奈良の古寺の仏像である。

 

 奈良の古寺の仏像を観る場所とは、おおかたがその寺の伽藍である。薄暗い堂内の遠くから

仏像を観る。暗い分だけ細かい点は見えない。全体像を荒っぽく観るしかない。

 一方、写真では別の話だ。写真では仏像の細かい部分まで観ることが出来る。飛鳥、

白鳳、天平の仏師たちが、実に丁寧に細かく造り上げていることが分かる。そういうミニマルな

鑑賞をしようとしたら、肉眼で伽藍の中を見つめるだけでは到底不足している。

 

 このアルバムはそのようなミニマルな視点を可能にしている。いや、ミニマルな聴点を可能

にしているという方が正しい。聴点という言葉は誰の辞書にも載っていない僕の造語である

わけだが。ランランという演奏家の指は、バッハが細かく彫り上げた装飾音を聴かせる。とても

丁寧に。軽やかに。

 

 もちろん「全体像を荒っぽく観る」ことも重要である。飛鳥時代の古式な仏像は、仏像全体の

姿に、そのアルカイックな表情を強く見せている。いくつかの他の演奏家のゴールドベルグ変奏曲

は、粗削りな演奏において音楽の全体像を片手でわしづかみして僕らに見せてくれる。

 

 そんなアルバムもあれば、本作のような作品もあるということだろう。それだけいくつもの演奏

を可能にするゴールドベルグ変奏曲という曲の魔力というものがあると言ったらほめすぎ

だろうか。

マンハッタン計画のこぼれ話

 アインシュタインは第二次世界大戦後に以下を予言したそうだ。

  

「第三次世界大戦が起こったらどのような兵器が使われるのか分からないが、 

第四次世界大戦は、石とこん棒で戦うことになるだろう」 

  

 これは第三次世界大戦では核兵器が使用され、人類が一旦滅亡するだろうという意味 

らしい、

  

 幸いなことにまだ第三次世界大戦は「物理的な意味では」発生していない。

 但し、最近の世界の状況を見ていると「きな臭さ」が強まってきている感もある。

僕が住むタイにおいても若者たちが危機感を持つようになってきている 。

平和ボケしている日本人にはピンときていないだけということなのかも しれない。

そういえば「茹でガエル」というような喩え話も思い出した。

  

 どのように危機感を平時から持っているのか。これは大事だと思う。無用に不安を感じる

必要は無いが、なんとなくぼんやりとした安定感の中にいると、「何か有事が発生した際の初動」に 

必ず遅れが発生するだろうから。

  

アインシュタインはナチスが原爆を作るかもしれないという危機感の元でルーズベルト 

大統領宛に原爆開発を勧めるレターに署名した。彼は生涯その署名を悔やんだらしい。 

 

 

「マノンの肉体」 辻原登

 辻原という作家を初めて読んだところだ。本書は三つの短編が入っているがどれも不思議な

作品ばかりである。そのうち「片瀬江ノ島」について書きたい。

 

 「片瀬江ノ島」はまずは小泉八雲の江ノ島訪問記を読み解くところから始まる。その「読み解き」

は非常に精緻かつ客観的なものであり、短編小説を読んでいることを忘れさせるものが

ある。但し、辻原が拘っている点は「江ノ島から見えたであろう富士山」を小泉が書いていない

という事である。それがどのような意味を持つのかという謎解きなのだろうかと思っていると

話はプツンと切られ、次は江ノ島近くで知り合った夫人の江ノ島回想記となっていく。

 

 ここでも辻原の筆致は小説のそれとも思えない。淡々と夫人が語る江ノ島を巡る彼女の

人生を幾分怪異譚のように記すだけだ。

 

 そこから一転して、辻原自体の江ノ島訪問記となる。辻原は夫人が語っていた江ノ島の

島内にある映画館を探す。読んでいる僕もそんなものはあるのだろうかと思いながら

辻原についていく。

 

辻原は遂に映画館を発見し、入ってみる。上映している作品は小津安二郎の「浮草」だ。

この辺りから読んでいる僕にしても、この江ノ島訪問は一体いつの話なのか分からなくなる。

映画館を出た辻原は無人の江ノ島を彷徨し、遂には、本土への橋が水没していることを

発見する。ここに至って漸く僕は本書が短編小説であったことを思い出した。

 

 辻原の一見とりとめの無い語り口に翻弄されるという読書体験であったということが

僕の最後の感想である。かなりの荒技だと正直思ったところだ。

「けんかえれじい」 鈴木清順

鈴木清順の昔の映画を少しづつ観てきている。本作の名前を聞いたのは20年前だったが

漸く今回観る機会を得た。

 

 僕は鈴木清順の映画を「ツィゴイネルワイゼン」から入り、「陽炎座」「夢二」を経てきた。

いわゆる清順美学絢爛たる三部作である。一方、その間に「カポネ大いに泣く」などの不思議な

作品もあり、鈴木清順のいう方の複雑な作風に驚いた経緯もあった。その後彼の昔の作品を

観ることで少しづつ「理解」出来るようになってきた気もする。

 

 本作で散る桜や降る雪を見ていると、その後の三部作の美学にそのまま直結している。

要は、鈴木清順は「桜ははらはらと散るべき、雪はしんしんと降るべし」ということを大きな声で

言っているということだ。桜や雪の下で繰り広げられるドラマはそこにあるものの、その場面

での主人公は桜であり雪である。そのように見える。

 

 一方、本作で繰り広げられるバタバタさは、「カポネ大いに泣く」の場面と同じだ。

いま「バタバタさ」と言ったが、実は「バカバカしさ」と言っても良い。本作のアクションを見て

爽快感を感じることは出来ない。むしろ、執拗に繰り広げられるバタバタに、観ている方は

呆れるくらいではなかろうか。

 

 そのバタバタに鈴木清順は何を込めようとしたのか分からない。まさか「人間の愚かさ

を表現した」というような高尚な主張をするような鈴木清順でもなかろう。彼はそんな

ステレオタイプからは離れた地点で、にやにやしているだけにも思える。最後に北一輝を

出してきたのも深い意味があったということもないのではないか。

 

 というような人を喰った映画だった。こんな作品を乱発された日活が怒ったというが

僕は日活の気持ちに同情する。鈴木清順の映画とは、ある意味で「映画を破壊する映画」

だったのではないか。日活は誰よりも早くそれに気がついたとは言えまいか

ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン

ジョン・ウィリアムズの映画音楽をウィーンフィルハーモニーが演奏するアルバムである。

 

 ジョン・ウィリアムズの音楽は元々クラシックの要素が多い。このアルバムも実に格調高い

仕上がりとなっている。聴きながら、しばしば目頭が熱くなって困った。

  

 僕の映画趣味の第一歩は1977年のスターウォーズである。当時中学2年生だった僕にとって

衝撃的な映像だった。スターウォーズを観て映画の面白さを強く理解したと言っても良い。

 その後はキューブリック、黒澤明、小津安二郎、鈴木清順、ヒッチコック、ダニエルシュミット、

ブニュエルと様々なジャンルの映画を、いわば「乱観」してきたわけだが、その間いつも

ジョージルーカスやスピルバーグの新作を観てきた。それらの映画では必ずと言って

いいほど、ジョン・ウィリアムズの音楽が起用されてきた。

 

 今回このアルバムを聞いてみて胸に迫ったものがあるとしたら、それは僕自身が自分の

これまでを振り返る機会となったことである。懐かしい未知との遭遇、ET、スターウォーズの

音楽は、それらを鑑賞していた各々の時代の僕自身を思いださせた。まだ十代であった当時の

自分は将来自分がどうなっていくのかを知る由もなかった。但し、漠然とした将来に対する

期待もあったことは間違いない。高度成長時代の日本は未来に対しても楽観的だったと今

思う。

 それから40年が過ぎた。十代に持っていた漠然とした期待と現在の自分の姿はどうだったの

だろうか。ここまでの人生は良かったのか期待外れだったのか。欧州のオーケストラが奏でる

映画音楽を聴いていると、そんな思いを強いられる。そこに目頭を熱くさせられるものがあった。

ZOOMでの家族との会話

 海外在住である。最近数回、日本にいる妻や娘たちとZOOMで話す機会があった。

 

 これは僕だけの特殊なケースなのかもしれないが、コロナ前まではLINEで家族と「話す」

ことはあっても、電話することはほとんどなかった。ましてやコロナ前にはZOOM等

という言葉も知らず、テレビ電話(とでも表現すれば良いのか?)等は想定外だった。

 

コロナになったことで、「これは当面家族にも会えない」という意識となり、ついには

ZOOMで家族と話す機会を得たという次第だ。そういえば会社のある同僚は

週末の夕食の際には日本の家族とLINE電話で繋いで「LINE飯にする」と言っていた

のを思い出した。当時はおかしな話だなと思っていたが、いま考えると彼は

なかなか先端的・予言的であったわけか。

 

 では家族とZOOMで話すことはどうか。これも未だ慣れていないからかもしれないが

中々落ち着かないものだ。何が難しいかというと「会話がとぎれる」と「話さなくてはならない」

というある種のプレッシャーがあるのではないかということだ。

 

 家族と普通に会っている時には会話が途切れるということには違和感はない。それは

そもそも実面談の場合には「会話をする」という意識はあまりないからだろう。

ZOOMとなると「会っている」「会話している」という目的が強く意識され、従い「会話が

途切れる」ということにある種の「罪悪感」に近いものが生まれてくるのではないか。

そんな気がした。

 

 客先との面談においても「今面談している」という意識が強すぎるとなかなか

コミュニケーションが難しいこともある。面談しているのだか、いないのだかもはっきり

しない。そんな状態で会えるような客先とは、ある意味では本当に親密な関係を築けている

と思う。曖昧な雰囲気で雑談をする中で、強いコミュニケーションが取れるということは

あるのではないか。

 

 家族ZOOMは楽しいことは楽しい。但し、家族の間で本来有った曖昧な

話しの仕方にやや馴染まないということが現段階での印象だ。コロナも

しばらくは収まらないだろうから、ZOOM会話にもっと慣れないといけないのだろうが。