原発関連の動画など
テレビでバラエティー観てゲラゲラ笑う日常が戻ってきましたね。テレビはCM除けば通常運転している訳で、余震はおろか原発関連のニュースにも慣れてしまっているという。被災地の悲惨な状况との落差に、これでいいのかと自問自答せざるを得ない。せめて原発関連の情報くらいには目を通しておきたい。こればっかは他人事でないんだしな。そんな感じで先週・今週分をまとめて観た。
続き→http://www.youtube.com/user/winterairstrike#p/u/4/7ni_22Q66_8
続き→http://www.youtube.com/user/chorochannel#p/u/3/1HHraEWAMSw
津波で妻と娘と両親を失った男性が自殺
夢の高速増殖炉「もんじゅ」が福島第一原発よりヤバい状態になりそうで責任者が自殺してたんだけど知ってた?
もんじゅは地震とは関係なく危機的状況に陥ってるらしい。関西人もこれを期に原発問題を真剣に考えるいい機会だな。もんじゅは福井県だっけ。確か京都まで100キロとかで、あの辺に一発地震来たらまず助からないとかなんとか。まー関西ではとっくに噂になってるらしいけどね。
で、大前研一も言っていたし、青山繁晴も上杉隆も指摘していたのは、原発問題に対処してるのが誰だか分かんないってこと。責任の所在が曖昧ということは、積極的に動いてる“人”がいないんだろうな。池上彰も関東大震災の時の後藤新平を見習えとか言っていたし。どこか平和ボケしてる日本は、仮に原発問題がなんとか落ち着いたとしても、そのメンタリティーをなんとかしない限り、政治的にも経済的にも良くなっていかないと思う。
個人としては熱い気持ちで募金したりだとか、節電したりだとか、被災者が節度ある行動しているのに、政府や東電のような巨大組織が上手く回らない。集団の中でのリーダーシップを発揮できる人材なんてその辺にゴロゴロしてるのに、資質のない人間がトップに立って甘い蜜を啜ってる現状ってのは、打破されないといけないと思うんだけどな。
なんかどこかでこの国の中年たちはバブルとか高度経済成長期の幻想を未だに見てる節がある。危機に際してまるっきり機能不全になるってのは、予測能力と対策能力の不足と言われてもしょうがないと思うんだけどな。組織の中にいればしょうがないってなるかも知れんが、部外者から見れば納得できないよね。
海水への汚染も、注水の段階から散々指摘されてきたのにも関わらず手を打たなかった、東電と政府の責任は重い。こればっかりは人災と言われてもしょうがない。もう大連立でもなんでもいいから、早く有権者を安心させて欲しいと思う。情報から浮かび上がるのは日本の暗い現実ばかりだけれど、これを直視しない訳にはいかない。統一地方選が近いけれども、コンマに掛かる僅かな希望をどこに振り向けるのか、好き嫌いでなく判断するべきなんじゃないかな。その営みにこそ意味があると思うよ。
そういや駅前で原発なんたらとか演説してる候補者がいたから、どこの党だよと思って確認したら共産党だった。まぁあの党だけは言う資格あるよね。僕はたぶん投票しないけど。
続き→http://www.youtube.com/user/winterairstrike#p/u/4/7ni_22Q66_8
続き→http://www.youtube.com/user/chorochannel#p/u/3/1HHraEWAMSw
津波で妻と娘と両親を失った男性が自殺
夢の高速増殖炉「もんじゅ」が福島第一原発よりヤバい状態になりそうで責任者が自殺してたんだけど知ってた?
もんじゅは地震とは関係なく危機的状況に陥ってるらしい。関西人もこれを期に原発問題を真剣に考えるいい機会だな。もんじゅは福井県だっけ。確か京都まで100キロとかで、あの辺に一発地震来たらまず助からないとかなんとか。まー関西ではとっくに噂になってるらしいけどね。
で、大前研一も言っていたし、青山繁晴も上杉隆も指摘していたのは、原発問題に対処してるのが誰だか分かんないってこと。責任の所在が曖昧ということは、積極的に動いてる“人”がいないんだろうな。池上彰も関東大震災の時の後藤新平を見習えとか言っていたし。どこか平和ボケしてる日本は、仮に原発問題がなんとか落ち着いたとしても、そのメンタリティーをなんとかしない限り、政治的にも経済的にも良くなっていかないと思う。
個人としては熱い気持ちで募金したりだとか、節電したりだとか、被災者が節度ある行動しているのに、政府や東電のような巨大組織が上手く回らない。集団の中でのリーダーシップを発揮できる人材なんてその辺にゴロゴロしてるのに、資質のない人間がトップに立って甘い蜜を啜ってる現状ってのは、打破されないといけないと思うんだけどな。
なんかどこかでこの国の中年たちはバブルとか高度経済成長期の幻想を未だに見てる節がある。危機に際してまるっきり機能不全になるってのは、予測能力と対策能力の不足と言われてもしょうがないと思うんだけどな。組織の中にいればしょうがないってなるかも知れんが、部外者から見れば納得できないよね。
海水への汚染も、注水の段階から散々指摘されてきたのにも関わらず手を打たなかった、東電と政府の責任は重い。こればっかりは人災と言われてもしょうがない。もう大連立でもなんでもいいから、早く有権者を安心させて欲しいと思う。情報から浮かび上がるのは日本の暗い現実ばかりだけれど、これを直視しない訳にはいかない。統一地方選が近いけれども、コンマに掛かる僅かな希望をどこに振り向けるのか、好き嫌いでなく判断するべきなんじゃないかな。その営みにこそ意味があると思うよ。
そういや駅前で原発なんたらとか演説してる候補者がいたから、どこの党だよと思って確認したら共産党だった。まぁあの党だけは言う資格あるよね。僕はたぶん投票しないけど。
『謎』な日本人
面白い記事があったので載せておこう。
西洋人から見ても、中国人から見ても、日本人は「謎」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0401&f=national_0401_041.shtml
中国人から見ると、日本人は一種の謎ですね。『日本は地理的には近くても、心理的には遠い』なんてよく言われます。どちらも東洋の国であるのに、相互理解が十分ではない。でもだからこそ、日本についての話題は中国人の興味をそそるんでしょう。
西洋人から見ても、日本人はやはり謎なんです。日本はかつて、アジアで唯一近代化を成し遂げ、西洋列強に加わった国です。言わば鹿の群れに猿が交じってしまったようなものですから、西洋人から見ても日本人自身から見ても、非常に奇妙に感じていたわけです。
実は日本人から見ても、日本人はやはり謎のようです。日本では『日本人論』というカテゴリの学問が盛んで、2006年には『国家の品格』という本がベストセラーになりました。こうして『日本人論』が活発に語られること自体、日本特有の現象と言えるでしょう。
いや、面白い。最後に良いオチがついてます。まぁ確かに日本人って何?って聞かれても困ってしまいますけど。自国民でも分かんないものを、外人たちに分かるはずありませんやね。海外から見れば日本、てのはやっぱり特殊な国で、特殊な国民性を持ってるように見えるらしい。考えてみれば日本はペリー来航以来、危機感から欧米列強に肩を並べるようになった唯一のアジアであり、有色人種国家な訳だ。
アジアから見れば日本は欧米っぽく見えるかも知れないし、欧米から見れば例外的なアジアである。これで日本が覇権国家だったりアジアの盟主だったりすれば誰も疑問を感じないかも知れないが、大戦終わってからのほほんと平和を満喫することに慣れた日本の姿には、違和感が浮き立って見えるのかも知れない。僕らはそれが当然だと思ってたけど。
まぁ歴史的な経緯を問うまでもなく、今のアジアでもなければ欧米でもない(まして中東でも南米でもアフリカでもなく、どこに所属する訳でもない)国家なんてものは地球上に日本にしかない。文化的にも中国を噛み砕いて欧米を肉にしてきて、最早日本文化としか言い様のない不思議なものを作り上げてるし、GDP第三位という居心地のいいポジションを確保している。
世界史的な大地震に見舞われながら、放射能の拡散という災厄を抱えていながら、被災者含めパニックを素通りして淡々と日常を送れるメンタリティーというのも、黒人白人黄色人種紅毛人含めて日本でくらいしか聞いたことがない。黒人だったら東北地方で暴動とか殺人とか起きまくってるに違いない。
平和で安穏としていながら、自分に厳格で繊細なこの日本人というもの、それをつくりあげてきた日本という国の不思議さをなんか初めて感じた。外人からの奇異の視線にさらされながら、「日本人らしさ?そんなの俺にも分からない」とかとぼけたことを言って外人を煙に巻いていること自体、なんか日本人らしいなぁと感じるのは僕だけでしょうか。
まぁ個人的には外人の視線を意識しつつ、なんとなく自然発生的に現れる国民性なんて不確かなものに身を委ねるのではなく、自他共に認める確固とした軸みたいなものがあれば良いと思うけどねぇ。まぁいまの日本ではそんなものないやね。
余談だけど、最近色んなブログだの記事だの見ている限り、中国人の日本人に対する好意的なものが増えてる気がする。韓国からはそんなもの湧いてくる気配もないけれど、その辺はさすが中国というべきか、物の見方に冷静さがある。今の日中関係は政治も国民意識も冷えているけれど、そう遠くない未来に僕らと彼らは最も親密な国々として世界に位置することになるかもしれないな。その時に初めてアジアと欧米は対等に付き合える時代が来るのかもしれない。そんなことをふと夢想した、うららかな午前でありました。
西洋人から見ても、中国人から見ても、日本人は「謎」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0401&f=national_0401_041.shtml
中国人から見ると、日本人は一種の謎ですね。『日本は地理的には近くても、心理的には遠い』なんてよく言われます。どちらも東洋の国であるのに、相互理解が十分ではない。でもだからこそ、日本についての話題は中国人の興味をそそるんでしょう。
西洋人から見ても、日本人はやはり謎なんです。日本はかつて、アジアで唯一近代化を成し遂げ、西洋列強に加わった国です。言わば鹿の群れに猿が交じってしまったようなものですから、西洋人から見ても日本人自身から見ても、非常に奇妙に感じていたわけです。
実は日本人から見ても、日本人はやはり謎のようです。日本では『日本人論』というカテゴリの学問が盛んで、2006年には『国家の品格』という本がベストセラーになりました。こうして『日本人論』が活発に語られること自体、日本特有の現象と言えるでしょう。
いや、面白い。最後に良いオチがついてます。まぁ確かに日本人って何?って聞かれても困ってしまいますけど。自国民でも分かんないものを、外人たちに分かるはずありませんやね。海外から見れば日本、てのはやっぱり特殊な国で、特殊な国民性を持ってるように見えるらしい。考えてみれば日本はペリー来航以来、危機感から欧米列強に肩を並べるようになった唯一のアジアであり、有色人種国家な訳だ。
アジアから見れば日本は欧米っぽく見えるかも知れないし、欧米から見れば例外的なアジアである。これで日本が覇権国家だったりアジアの盟主だったりすれば誰も疑問を感じないかも知れないが、大戦終わってからのほほんと平和を満喫することに慣れた日本の姿には、違和感が浮き立って見えるのかも知れない。僕らはそれが当然だと思ってたけど。
まぁ歴史的な経緯を問うまでもなく、今のアジアでもなければ欧米でもない(まして中東でも南米でもアフリカでもなく、どこに所属する訳でもない)国家なんてものは地球上に日本にしかない。文化的にも中国を噛み砕いて欧米を肉にしてきて、最早日本文化としか言い様のない不思議なものを作り上げてるし、GDP第三位という居心地のいいポジションを確保している。
世界史的な大地震に見舞われながら、放射能の拡散という災厄を抱えていながら、被災者含めパニックを素通りして淡々と日常を送れるメンタリティーというのも、黒人白人黄色人種紅毛人含めて日本でくらいしか聞いたことがない。黒人だったら東北地方で暴動とか殺人とか起きまくってるに違いない。
平和で安穏としていながら、自分に厳格で繊細なこの日本人というもの、それをつくりあげてきた日本という国の不思議さをなんか初めて感じた。外人からの奇異の視線にさらされながら、「日本人らしさ?そんなの俺にも分からない」とかとぼけたことを言って外人を煙に巻いていること自体、なんか日本人らしいなぁと感じるのは僕だけでしょうか。
まぁ個人的には外人の視線を意識しつつ、なんとなく自然発生的に現れる国民性なんて不確かなものに身を委ねるのではなく、自他共に認める確固とした軸みたいなものがあれば良いと思うけどねぇ。まぁいまの日本ではそんなものないやね。
余談だけど、最近色んなブログだの記事だの見ている限り、中国人の日本人に対する好意的なものが増えてる気がする。韓国からはそんなもの湧いてくる気配もないけれど、その辺はさすが中国というべきか、物の見方に冷静さがある。今の日中関係は政治も国民意識も冷えているけれど、そう遠くない未来に僕らと彼らは最も親密な国々として世界に位置することになるかもしれないな。その時に初めてアジアと欧米は対等に付き合える時代が来るのかもしれない。そんなことをふと夢想した、うららかな午前でありました。
K-POPはもう忘れよう
そういやPerfumeの新曲が4/30に発売されるみたいですね。なんかAKB48の盛り上がりと共に徐々に忘れ去られつつあるPerfumeは、ネットではオワコン扱いされている訳で、なんというか本当に飽きっぽい国民なんだなぁと思ってしまう。AKBやモーニング娘と違ってPerfumeの場合は自分たちの意志で結成したユニットで、大人たちはそこに力を貸したに過ぎず、本来の意味での音楽を体現してると書いて良い。テクノアイドルという新境地を開きつつ、プライベートな関係を保存してきた稀有なユニットです。
アイドルなのかアーティストなのか曖昧なくらい音楽性を追求してる訳で、モーニング娘が予定調和や伝統を感じさせる一方、彼女たちは日本で今も挑戦を続けている音楽最先端のユニットの一つであるのは間違いない。元メガデスのギタリストで今日本でぶらぶらしてる、マーティ・フリードマンを魅了するほどの音楽性・新しさをもうすでに忘れ始めている人がいるのは、大変哀しい。だからテコ入れ。
ねぇ / Perfume
それとつくづく思うのは、日本の音楽業界のネット対応の遅れ。YoutubeでPV探しても完全版が見つからないことがよくある。動画を保存してipodに入れる人は最初からCD買うつもりがないんだ、てことに早く気づくべきじゃないかね。本当に良い音楽であるなら僕ならCDを買う。仮に動画の音質がCDと同じだったとしても、そのユニットが困らないように一種の“寄付”のつもりでCDを買う。音楽業界のビジネス・モデルってのはネットの普及とともにシフトしていかないといけないのに、日本の場合は少し遅いね。レディーガガが専門チャンネルを作ってまで、自分のPVを公開していることの意味を分かってほしいもんだ。
Born This Way / Lady Gaga
ガガの新曲。Youtubeでの動画公開は新規ファンを容易に掴むことができるから、パイはでかくなる筈なんだ。いまはブログという広告媒体もあるのだし。ちなみにガガの新アルバムは5/23に発売決定だそうです。あと、
ハウス・オブ・ガガがデザインしたこのブレスレットの売り上げは既に150万ドル(1.2億円)に達しました。このブレスレットには英語と日本語で「PRAY FOR JAPAN」と書かれています。出来る限りの義援金を集めることによって、皆様の助けになればと思っています。いつも祈っています。
アイシテイマス。ミンナノタメニイノッテイマス。愛と祈りを込めて、レディー・ガガより。
だそうです。台湾のチャリティー番組と言い、江頭2:50と言い、考える前に行動できる人の姿は危機に際してなんと尊いんだろう。僕らは彼らから学ぶべきことが沢山ある。日本のチャリティー番組が放送されるのはいつになるのやら。やれやれ。
枕が長すぎますね。さて。アイドルがどうとか書いてると今日本に出稼ぎに来てる、彼女たちに触れない訳にはいかないようで。心底厭だったんですが、無理して観てると体調崩しました。人間普段しないことをするもんじゃないね。
Gee / 少女時代
ただ正直に書きますが、思ったよりは良い曲ですね。何回か繰り返してるうちに楽しい気分になってきたのは否めない。面白いのが、彼女たちにはAKBにないものがあって、AKBには彼女たちにないものがあるってこと。AKBには個人技は全くないけれど、作詞作曲の良さがある。逆に少女時代の場合は個々人の歌・ダンスのスキルは非常に高いが、作詞作曲・振り付けがイマイチ、正確に書けば“時代遅れ”ということになる。
AKBにしてももモ―ニング娘にしても、PV観ていると技術的に洗練されているのがよく分かる。少女時代の場合、個人技やルックス、プロポーションなんかに強みはあるものの、作曲・振り付けの技術的水準は日本で言えば90年代、MAXやSPEEDの時代に留まっている気がする。
もっと書けば歌詞の不毛さが笑えないくらいに砂漠だ。何の意味もない歌詞とフレーズが延々と回っているだけで、聴いていても何も伝わるものがない。日本のアイドルグループの源流は歌謡曲だから、おニャン子クラブですら何かしらのメッセージを発していたというのに、少女時代やKARAの歌う“歌”には見事に文化がない。
見較べて欲しい。振り付けで言えば少女時代の場合は踊りと移動がほぼ別、移動距離も短く、また器械体操のように踊っているだけ。モーニング娘は有機的に動いて、かつ殆どの時間を移動しながら踊っている。例えば一番背の高い、最初に左端にいる久住小春を目で追ってみてみればその凄みが分かる。一瞬で見失うよ。
常に主役が一人、それを目まぐるしく交代しながら、その他背景が全然違う形に展開してゆく。背景が無機的に躍る一方で主役は動きで少女の気持ちを代弁し、ただのダンスではなく演劇的な効果を狙っている。そしてサビでは全員のユニゾン。緩急のつけ方が、すげぇ。心憎いまでに計算の網が張り巡らされている。これが文化なんだよ。
仮にスカスカ空っぽの歌を歌っていたとしても、視覚的な効果で曲の良さを引き立てる。音楽としては不純かもしれないが、そこに技術の蓄積がある以上、それは文化になる。前にも書いたけれど、美少女鑑賞なんぞというものは代償が少ないぶん、蔑まれてきた文化なのだから、様々な技術的な裏打ちで補助してきた。
例えば言い訳が必要なんだ。世界平和を歌っても良い。素晴らしい群舞のようなダンスを披露してもいい。陳腐ならざる価値を付与することでファン層を広げてきたわけだ。もう一度書くが、それは音楽の価値とは無縁だが、一種の文化たり得る。KPOPの場合は特に音楽以外の部分、生々しい少女鑑賞を迫られる分、個人的には抵抗感がでかい。
ダンスの捉え方としてはこの辺の時代のグループに近い。今見るとちょっと古いよね。ただ少女時代にはMAXほどの明確なコンセプト、ルーツがあるとは思えない。MAXが歌やダンスにぶつけている“意志”の力の何分の一が少女時代にあると言うのだろう?
例えばKPOPと呼ばれているもの、そこに漂う軽薄さというのは、彼女たちが提示する“韓国らしさ”の貧弱さにあると書いても良いと思う。僕はKPOPの動画を観ても、その胴体よりも長い脚以外に新しさを感じない。異国の地日本に来てまで訴えたかったもの、それはショー・ビジネス語感そのままに浮ついたものでしかなかったのだろうか。
ダンスのスキルの素晴らしさは認めよう。歌唱力の高さも認める。でもそこに文化の成熟が見て取れないのはなぜなのか。敢えて書くなら日本よりも更に深刻な、産業化された歌の哀しい叫びが聞こえるだけだと思う。KPOP好きな人に本当に問いかけたいのだ。彼女たちの韓国らしさはどこにあるのか?
無国籍な音楽に載せて無国籍な歌詞を歌い、無国籍なダンスを躍る。それが韓国らしさなのだとしたら、韓国には文化なんてないってことを宣言しているのに等しい。誤解を承知で書かせて頂きたい。KPOPの新しさなんてものがあるとすれば、それは日本のグループアイドル文化と、アメリカの資本集中投下型のポップ・ミュージックを橋渡ししただけに過ぎない。
Jet Coaster Love / KARA
韓国人が嘆いていると聞いたことがある。韓国のオリコン・チャートはどれも似たような曲ばっかりだと。僕は異郷の隣人に素直に同情する。僕が韓国に生まれていたら、確実に音楽なんか聴いていない。日本も歌の産業化が進んでいるとはいえ、商品化された歌とは別に、ストリートライブからしぶとく成り上がるフォークソンガーたちが今も歌に思いを込めている。多くの逸話を持つ大御所たちが、まだ生きている。
KPOPとやらに問いかけたい。あなたの骨格はどこにあるのかと。僕たちに何を与えて、何を学ぶつもりなのかと。そしてそんな空虚なものに現を抜かしている日本の現状を嘆く。別にKPOP好きが悪いとは言わないけれど、携帯小説のように浮ついたものを文化とは言わないのだとこの際、切に申し上げたい。
韓国政府は確か、コンテンツ作りに資金援助をしていて、そのなかにKPOPも入っていたと思う。韓国文化振興院だったかな。李明博の優れた外貨獲得策の一環ではあるのだけれど(日本にも見習って欲しいものだ)、AKBでも書いた通り、歌や芸術なんてものは金銭をつぎ込めばより良いものができるとは限らないのだ。
アメリカ型の芸術審美の在り方が成り立っているのは、天才の存在にある。音楽が結局商品であると捉えるならば、資金を掛けようが掛けまいが、天才という鉱脈を探り当てない限り、いつまで経っても文化足りえない未熟なものに留まる。KPOPが本物の文化になるためには、マイケル・ジャクソンやマドンナやレディーガガを輩出するアメリカのように、業界の未来をためらいなく切り開いて行ける純粋なる才能、それを引き上げるシステムが必要不可欠だ。それが本当に韓国にあるのだろうか?今日本に流れ着いているKPOPの歌姫たちを見る限り、僕には甚だ疑問だ。
'HUH' / 4MINUTE
韓流アイドルグループ第三の勢力4MINUTEです。フォーミニッツと読むらしい。sはどこへ?一見ちょっといい曲風だけれども、これはなんというかレディーガガっぽくないかい?僕の気のせいなのかな…。PVや曲調は置いておいて、仮にそうじゃないとしても、僕ならこんなユニットのCD買うくらいならガガのCD買うよ。日本のこと好きらしいしね。
Telephone ft. Beyoncé / Lady Gaga
ニューズウィークの韓国人コラムニストがしたり顔で書いた『2つの歌謡祭に見る 「学ぶべき」韓国の力』という記事がある。僕がこれを初めて読んだ時、怒りのあまりに手足が冷えたのを覚えている。詳細は読んでいただければいいが、要はJPOPは因習に囚われずにKPOPに早く追いつけよとか書いてる訳だ。その是非は読者の方にお任せするしかないが、ちょっと待てよと言いたくなる。
確かにKPOP及び韓流は、その内容を置いておいたとして、元気なのは間違いがない。今の日本の芸能界よりは元気だろう。ただその内面に潜む、一種危うい空虚さに韓国人は早く気付いた方が良い。KPOPのスターたちには、皆顔がない。文字通り整形がどうとか言いたい訳ではなく、音楽にルーツがないのだ。韓国人は自分らしさというものを自覚した上で、それに見合った芸術を育んでいくべきだ。
そしてその為に、韓国の方こそJPOPに学ぶべきことは山ほどあるだろう。作詞にしろ、作曲にしろ、振り付けにしろ、PVの撮り方にしろ、KPOPの洗練のされ方は日本人から観て十分とは言えない。僕達も必要以上にKPOPに対して萎縮する必要はなく、嫌いならNOを突きつければ良いだけの話だ。
歌詞についてはあんまり触れたくない。和訳した日本人にもたぶん問題があるのだろう。http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-101020-148なんだこれは?
もう、勘弁してくれよ…。こんなの歌でもなんでもない。頭痛がする。吐き気がする。ちょっと後味が悪いから、最後にちょっと良いなと思ったPVを紹介する。ちょっと古臭いんだけど、日本では絶対に作らない、韓国らしさというのを唯一感じた曲だ。
Heart to Heart / 4MINUTE
PVが全てを語っている。韓国人らしさ、特に韓国女性らしさがすごく溢れた良い曲だと思う。気持ちの離れた彼の気持ちを戻すために、散々いたずらをするだけのPV。それは一途で、奔放。メンバーが楽しんで曲やPV作ってるのが浮かぶような、そんな曲です。geeみたいなスカスカの曲でなく、こういうのがKPOPとして入ってきたのなら、文句言わないんだけどねぇ。
KPOPの歌詞にはなぜかいつも他者の存在が希薄で、私は愛してるとか、もっと近づきたいとかひたすら言ってるんだけど、少なくとも日本においてそういう人間のあり方は独りよがりと書いてもいい。でもそこを突き詰めて、私はこんなに好きなのに、あなたはどうして変わってしまったの?そんなの許さないと言って、毒のないいたずらを続ける韓国女の姿は少し抜けていて、そこが可憐でいじらしい。こういうメンタリティーは日本にはないから、PVで観たとき、これだけは面白かった。暇ならこれくらいは観ても損はないと思う。ちなみに最近の曲らしい。
総括すると。KPOPというものには、どこか無鉄砲さと傲慢さが共存していて、そのなかにぽっかりと開いた空洞が僕らを見つめているよう気がしている。JPOPよりは業界が元気なのは確かかもしれない。それでも僕達は自国の文化を卑下して、周りに追随して面白くもないのにKPOPを楽しまなければならない謂れはどこにもない。
日本にはこれまで培った文化の蓄積、多様な音楽を咀嚼し、自己流に纏め上げた膨大なジャンルがある。これから活躍してゆくアーティストやユニット、アイドルを気長に応援してゆく一方で、自分なりの音楽の楽しみ方に僕はもっと自信を持っていいと思う。それが懐メロであれ、アニソンであれ、電波でも洋楽でもなんでも良い。そういった嗜好はきっと、伝わる人にはきっと伝わるし、安易に流行っているという理由でKPOPに走ったとしても、将来的に得るものはあまりないのだと思っている。
AKB48についてはかなり辛口にエントリを書いたが、それでもKPOPに較べれば遥かにマシだってことを最後に付け加えておきたい。KPOPの提示しているものに日本は耳を澄ませないといけない。他人の振り見て、ではないけれど彼女たちの訴えているステージ、メッセージ、曲の全てに感じる空虚さから、日本は確かに学ぶべき物はあると感じている。
まぁ雑然と書いてきました。なんとなくでも伝わる物があれば良いな、と。このエントリに関しては時間があれば添削していくつもりです。ご意見等あればコメント欄へどうぞ。お付き合い頂いてどうもありがとう。アフィとか、無理。
アイドルなのかアーティストなのか曖昧なくらい音楽性を追求してる訳で、モーニング娘が予定調和や伝統を感じさせる一方、彼女たちは日本で今も挑戦を続けている音楽最先端のユニットの一つであるのは間違いない。元メガデスのギタリストで今日本でぶらぶらしてる、マーティ・フリードマンを魅了するほどの音楽性・新しさをもうすでに忘れ始めている人がいるのは、大変哀しい。だからテコ入れ。
ねぇ / Perfume
それとつくづく思うのは、日本の音楽業界のネット対応の遅れ。YoutubeでPV探しても完全版が見つからないことがよくある。動画を保存してipodに入れる人は最初からCD買うつもりがないんだ、てことに早く気づくべきじゃないかね。本当に良い音楽であるなら僕ならCDを買う。仮に動画の音質がCDと同じだったとしても、そのユニットが困らないように一種の“寄付”のつもりでCDを買う。音楽業界のビジネス・モデルってのはネットの普及とともにシフトしていかないといけないのに、日本の場合は少し遅いね。レディーガガが専門チャンネルを作ってまで、自分のPVを公開していることの意味を分かってほしいもんだ。
Born This Way / Lady Gaga
ガガの新曲。Youtubeでの動画公開は新規ファンを容易に掴むことができるから、パイはでかくなる筈なんだ。いまはブログという広告媒体もあるのだし。ちなみにガガの新アルバムは5/23に発売決定だそうです。あと、
ハウス・オブ・ガガがデザインしたこのブレスレットの売り上げは既に150万ドル(1.2億円)に達しました。このブレスレットには英語と日本語で「PRAY FOR JAPAN」と書かれています。出来る限りの義援金を集めることによって、皆様の助けになればと思っています。いつも祈っています。
アイシテイマス。ミンナノタメニイノッテイマス。愛と祈りを込めて、レディー・ガガより。
だそうです。台湾のチャリティー番組と言い、江頭2:50と言い、考える前に行動できる人の姿は危機に際してなんと尊いんだろう。僕らは彼らから学ぶべきことが沢山ある。日本のチャリティー番組が放送されるのはいつになるのやら。やれやれ。
枕が長すぎますね。さて。アイドルがどうとか書いてると今日本に出稼ぎに来てる、彼女たちに触れない訳にはいかないようで。心底厭だったんですが、無理して観てると体調崩しました。人間普段しないことをするもんじゃないね。
Gee / 少女時代
ただ正直に書きますが、思ったよりは良い曲ですね。何回か繰り返してるうちに楽しい気分になってきたのは否めない。面白いのが、彼女たちにはAKBにないものがあって、AKBには彼女たちにないものがあるってこと。AKBには個人技は全くないけれど、作詞作曲の良さがある。逆に少女時代の場合は個々人の歌・ダンスのスキルは非常に高いが、作詞作曲・振り付けがイマイチ、正確に書けば“時代遅れ”ということになる。
AKBにしてももモ―ニング娘にしても、PV観ていると技術的に洗練されているのがよく分かる。少女時代の場合、個人技やルックス、プロポーションなんかに強みはあるものの、作曲・振り付けの技術的水準は日本で言えば90年代、MAXやSPEEDの時代に留まっている気がする。
もっと書けば歌詞の不毛さが笑えないくらいに砂漠だ。何の意味もない歌詞とフレーズが延々と回っているだけで、聴いていても何も伝わるものがない。日本のアイドルグループの源流は歌謡曲だから、おニャン子クラブですら何かしらのメッセージを発していたというのに、少女時代やKARAの歌う“歌”には見事に文化がない。
見較べて欲しい。振り付けで言えば少女時代の場合は踊りと移動がほぼ別、移動距離も短く、また器械体操のように踊っているだけ。モーニング娘は有機的に動いて、かつ殆どの時間を移動しながら踊っている。例えば一番背の高い、最初に左端にいる久住小春を目で追ってみてみればその凄みが分かる。一瞬で見失うよ。
常に主役が一人、それを目まぐるしく交代しながら、その他背景が全然違う形に展開してゆく。背景が無機的に躍る一方で主役は動きで少女の気持ちを代弁し、ただのダンスではなく演劇的な効果を狙っている。そしてサビでは全員のユニゾン。緩急のつけ方が、すげぇ。心憎いまでに計算の網が張り巡らされている。これが文化なんだよ。
仮にスカスカ空っぽの歌を歌っていたとしても、視覚的な効果で曲の良さを引き立てる。音楽としては不純かもしれないが、そこに技術の蓄積がある以上、それは文化になる。前にも書いたけれど、美少女鑑賞なんぞというものは代償が少ないぶん、蔑まれてきた文化なのだから、様々な技術的な裏打ちで補助してきた。
例えば言い訳が必要なんだ。世界平和を歌っても良い。素晴らしい群舞のようなダンスを披露してもいい。陳腐ならざる価値を付与することでファン層を広げてきたわけだ。もう一度書くが、それは音楽の価値とは無縁だが、一種の文化たり得る。KPOPの場合は特に音楽以外の部分、生々しい少女鑑賞を迫られる分、個人的には抵抗感がでかい。
ダンスの捉え方としてはこの辺の時代のグループに近い。今見るとちょっと古いよね。ただ少女時代にはMAXほどの明確なコンセプト、ルーツがあるとは思えない。MAXが歌やダンスにぶつけている“意志”の力の何分の一が少女時代にあると言うのだろう?
例えばKPOPと呼ばれているもの、そこに漂う軽薄さというのは、彼女たちが提示する“韓国らしさ”の貧弱さにあると書いても良いと思う。僕はKPOPの動画を観ても、その胴体よりも長い脚以外に新しさを感じない。異国の地日本に来てまで訴えたかったもの、それはショー・ビジネス語感そのままに浮ついたものでしかなかったのだろうか。
ダンスのスキルの素晴らしさは認めよう。歌唱力の高さも認める。でもそこに文化の成熟が見て取れないのはなぜなのか。敢えて書くなら日本よりも更に深刻な、産業化された歌の哀しい叫びが聞こえるだけだと思う。KPOP好きな人に本当に問いかけたいのだ。彼女たちの韓国らしさはどこにあるのか?
無国籍な音楽に載せて無国籍な歌詞を歌い、無国籍なダンスを躍る。それが韓国らしさなのだとしたら、韓国には文化なんてないってことを宣言しているのに等しい。誤解を承知で書かせて頂きたい。KPOPの新しさなんてものがあるとすれば、それは日本のグループアイドル文化と、アメリカの資本集中投下型のポップ・ミュージックを橋渡ししただけに過ぎない。
Jet Coaster Love / KARA
韓国人が嘆いていると聞いたことがある。韓国のオリコン・チャートはどれも似たような曲ばっかりだと。僕は異郷の隣人に素直に同情する。僕が韓国に生まれていたら、確実に音楽なんか聴いていない。日本も歌の産業化が進んでいるとはいえ、商品化された歌とは別に、ストリートライブからしぶとく成り上がるフォークソンガーたちが今も歌に思いを込めている。多くの逸話を持つ大御所たちが、まだ生きている。
KPOPとやらに問いかけたい。あなたの骨格はどこにあるのかと。僕たちに何を与えて、何を学ぶつもりなのかと。そしてそんな空虚なものに現を抜かしている日本の現状を嘆く。別にKPOP好きが悪いとは言わないけれど、携帯小説のように浮ついたものを文化とは言わないのだとこの際、切に申し上げたい。
韓国政府は確か、コンテンツ作りに資金援助をしていて、そのなかにKPOPも入っていたと思う。韓国文化振興院だったかな。李明博の優れた外貨獲得策の一環ではあるのだけれど(日本にも見習って欲しいものだ)、AKBでも書いた通り、歌や芸術なんてものは金銭をつぎ込めばより良いものができるとは限らないのだ。
アメリカ型の芸術審美の在り方が成り立っているのは、天才の存在にある。音楽が結局商品であると捉えるならば、資金を掛けようが掛けまいが、天才という鉱脈を探り当てない限り、いつまで経っても文化足りえない未熟なものに留まる。KPOPが本物の文化になるためには、マイケル・ジャクソンやマドンナやレディーガガを輩出するアメリカのように、業界の未来をためらいなく切り開いて行ける純粋なる才能、それを引き上げるシステムが必要不可欠だ。それが本当に韓国にあるのだろうか?今日本に流れ着いているKPOPの歌姫たちを見る限り、僕には甚だ疑問だ。
'HUH' / 4MINUTE
韓流アイドルグループ第三の勢力4MINUTEです。フォーミニッツと読むらしい。sはどこへ?一見ちょっといい曲風だけれども、これはなんというかレディーガガっぽくないかい?僕の気のせいなのかな…。PVや曲調は置いておいて、仮にそうじゃないとしても、僕ならこんなユニットのCD買うくらいならガガのCD買うよ。日本のこと好きらしいしね。
Telephone ft. Beyoncé / Lady Gaga
ニューズウィークの韓国人コラムニストがしたり顔で書いた『2つの歌謡祭に見る 「学ぶべき」韓国の力』という記事がある。僕がこれを初めて読んだ時、怒りのあまりに手足が冷えたのを覚えている。詳細は読んでいただければいいが、要はJPOPは因習に囚われずにKPOPに早く追いつけよとか書いてる訳だ。その是非は読者の方にお任せするしかないが、ちょっと待てよと言いたくなる。
確かにKPOP及び韓流は、その内容を置いておいたとして、元気なのは間違いがない。今の日本の芸能界よりは元気だろう。ただその内面に潜む、一種危うい空虚さに韓国人は早く気付いた方が良い。KPOPのスターたちには、皆顔がない。文字通り整形がどうとか言いたい訳ではなく、音楽にルーツがないのだ。韓国人は自分らしさというものを自覚した上で、それに見合った芸術を育んでいくべきだ。
そしてその為に、韓国の方こそJPOPに学ぶべきことは山ほどあるだろう。作詞にしろ、作曲にしろ、振り付けにしろ、PVの撮り方にしろ、KPOPの洗練のされ方は日本人から観て十分とは言えない。僕達も必要以上にKPOPに対して萎縮する必要はなく、嫌いならNOを突きつければ良いだけの話だ。
歌詞についてはあんまり触れたくない。和訳した日本人にもたぶん問題があるのだろう。http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-101020-148なんだこれは?
もう、勘弁してくれよ…。こんなの歌でもなんでもない。頭痛がする。吐き気がする。ちょっと後味が悪いから、最後にちょっと良いなと思ったPVを紹介する。ちょっと古臭いんだけど、日本では絶対に作らない、韓国らしさというのを唯一感じた曲だ。
Heart to Heart / 4MINUTE
PVが全てを語っている。韓国人らしさ、特に韓国女性らしさがすごく溢れた良い曲だと思う。気持ちの離れた彼の気持ちを戻すために、散々いたずらをするだけのPV。それは一途で、奔放。メンバーが楽しんで曲やPV作ってるのが浮かぶような、そんな曲です。geeみたいなスカスカの曲でなく、こういうのがKPOPとして入ってきたのなら、文句言わないんだけどねぇ。
KPOPの歌詞にはなぜかいつも他者の存在が希薄で、私は愛してるとか、もっと近づきたいとかひたすら言ってるんだけど、少なくとも日本においてそういう人間のあり方は独りよがりと書いてもいい。でもそこを突き詰めて、私はこんなに好きなのに、あなたはどうして変わってしまったの?そんなの許さないと言って、毒のないいたずらを続ける韓国女の姿は少し抜けていて、そこが可憐でいじらしい。こういうメンタリティーは日本にはないから、PVで観たとき、これだけは面白かった。暇ならこれくらいは観ても損はないと思う。ちなみに最近の曲らしい。
総括すると。KPOPというものには、どこか無鉄砲さと傲慢さが共存していて、そのなかにぽっかりと開いた空洞が僕らを見つめているよう気がしている。JPOPよりは業界が元気なのは確かかもしれない。それでも僕達は自国の文化を卑下して、周りに追随して面白くもないのにKPOPを楽しまなければならない謂れはどこにもない。
日本にはこれまで培った文化の蓄積、多様な音楽を咀嚼し、自己流に纏め上げた膨大なジャンルがある。これから活躍してゆくアーティストやユニット、アイドルを気長に応援してゆく一方で、自分なりの音楽の楽しみ方に僕はもっと自信を持っていいと思う。それが懐メロであれ、アニソンであれ、電波でも洋楽でもなんでも良い。そういった嗜好はきっと、伝わる人にはきっと伝わるし、安易に流行っているという理由でKPOPに走ったとしても、将来的に得るものはあまりないのだと思っている。
AKB48についてはかなり辛口にエントリを書いたが、それでもKPOPに較べれば遥かにマシだってことを最後に付け加えておきたい。KPOPの提示しているものに日本は耳を澄ませないといけない。他人の振り見て、ではないけれど彼女たちの訴えているステージ、メッセージ、曲の全てに感じる空虚さから、日本は確かに学ぶべき物はあると感じている。
まぁ雑然と書いてきました。なんとなくでも伝わる物があれば良いな、と。このエントリに関しては時間があれば添削していくつもりです。ご意見等あればコメント欄へどうぞ。お付き合い頂いてどうもありがとう。アフィとか、無理。
今春至高の一品
昨日のエントリが好評だったらしく、アクセスが随分増えました。嬉しくなったので続編を書こうかと思って、動画が観ているうちにゲシュタルト崩壊を起こしたらしく、知恵熱を出して寝こんでました。鋭意製作中ということとで、近日中にアップします。方向性は固まりました。
で。まぁそれまで何もアップしないというのも芸がないので、雑談でもしましょう。僕は普段あんまりコンビニで買い物しないようにしているんで(cp悪いんで)、流行とかすごい疎いです。ただたまたま買ったアイスがとても美味しかったという話。

アイスというと、大体の人の頭にはハーゲンダッツが過ぎるのではないかと思う。それくらい旨いアイスクリームとしての立場を確保しているし、実際に旨い。コンビニにもいつの間にか並ぶようなってから、日本のアイス業界はハーゲンダッツ的なものと、ハーゲンダッツ以外の何かにざっくり分けて考えられるようになった気がする。ただ個人的にハーゲンダッツがあんまり好きではないのは、あのリッチで濃厚なミルクのコクと程良く上品にまとまった甘すぎない甘さ、そして2倍以上する価格設定がどうも貴族的で、金持ちがいかにも食ってそうなアイスということでなんか気に食わない。旨いけどね。
僕は昔ながらの100円アイスの、あのラクトアイスとか言われているもの、小さいころに喜んで食べてた素朴な味、企業が安い値段設定の中で奮闘しているところに好感を持つね。この“爽 3種の果実入りヨーグルト味”は安いながらにも心憎い計算があって、実に良いバランスだ。素直に美味しい。よしもっかい載せよう。

サブリミナルに訴えてみる。まず僕は昔っから、あの“フルーツ味”という意味不明な味が大好きなんだな。ミックスジュースも好きだったし、ガムでもLOTTEから出てた、黄色いパッケージで果物が盛られていたデザインのやつ、あれがすごく好きだった。パイナップルでもなければ、桃でもなく、林檎でもない正体不明の甘さ。子供ながらに不思議でただ無闇に美味かった、そんな記憶が過ぎる。
人は食材を食べるのではなく、思い出を食べているのだ。誰かがそんなことを言っていた気がする。まさにそれだ。“爽 3種の果実入りヨーグルト味”の素晴らしいところは、ラクトアイスとはいえ重くなりがちなバニラをベースにするのではなく、ヨーグルトベースのさっぱりした味にまとめたところにある。
もしこれがバニラ系だったとすれば、フルーツ味の淡い甘みとバニラの濃厚さが喧嘩をしてどちらかを減衰させる必要がある。無難にそうしなかったところに、LOTTEアイス部門のこだわり、アツさを感じる。お口の恋人は伊達じゃない。あぁもっかい載せよう。

ヨーグルトベースのアイスというは爽やかな酸味の口当たりが魅力であるだけでなく、ちょっと前に流行ったフローズン・ヨーグルトの良さを取り入れている。コクがあっても重くない。フルーツ味にありがちな安っぽさをヨーグルトアイスが補完していて、嫌味がない。また牛乳の使用量を減らせる訳だから、若干コストが浮いて、そのぶんを角切り果実に投入できるんだ。
果肉が入ると食感が変わるだけでなく、見た目にも彩りがあって目を楽しませる。控えめなからも大胆に、“僕は美味しいんだよっ”アイスケースの中から訴え掛けてくる。そこに“爽”の持ち味のマイクロ・アイス(勝手に命名)がシャリシャリした食感、軽さを演出する。
つまり、だ。“爽 3種の果実入りヨーグルト味”はフルーツ味に夢中になったあの頃をノスタルジックに想起させつつ、ヨーグルト・ベースで爽やかかつ嫌味のないコク、果実で控えめなリッチさを加えながら、爽の持ち味である氷粒子で食感を楽しませる。そこになんと女性にも嬉しい軽さを実現している。これが美味しくなくて、どれが美味しいというのか?なにがハーゲンだ。もいっちょサブリミナル。

さぁ皆さん、家の近所のコンビニに全力ダッシュで向かいましょう。基本的に僕の好きなものは割合早くに消えてしまうので、食べられるのはたぶん今のうちだけですよ。まぁ一回くらい食べても損はしないと思います。LOTTEのアイスにかける情熱を、目で、舌で、ほっぺと食道で感じてみてください。ちなみにお値段納得の\126。安い!
…そういえばアイスだと“SKY”っていう酸味のあるアイスが大好物だったんですが、今はもう見かけませんね。どうやら販売はしてるらしいですけど、コンビニにもスーパーにもなければ手に入れようがないからなぁ。
あとフルーツ味流行ってるのか、エッセルスーパーカップでもフルーツ味がありますが、そっちの方はなんというか、普通です。量が多いからちょっと飽きちゃいますね。例のバニラベースだからかな。例えるなら、目の付け所は良いのにツメが甘い“山岡士郎”風かな。まぁ“爽 3種の果実入りヨーグルト味”は今春の至高の一品というのはそういう訳です。お付き合い頂いてありがとう。
公式:http://www.lotte.co.jp/products/catalogue/ice/01.html









で。まぁそれまで何もアップしないというのも芸がないので、雑談でもしましょう。僕は普段あんまりコンビニで買い物しないようにしているんで(cp悪いんで)、流行とかすごい疎いです。ただたまたま買ったアイスがとても美味しかったという話。

アイスというと、大体の人の頭にはハーゲンダッツが過ぎるのではないかと思う。それくらい旨いアイスクリームとしての立場を確保しているし、実際に旨い。コンビニにもいつの間にか並ぶようなってから、日本のアイス業界はハーゲンダッツ的なものと、ハーゲンダッツ以外の何かにざっくり分けて考えられるようになった気がする。ただ個人的にハーゲンダッツがあんまり好きではないのは、あのリッチで濃厚なミルクのコクと程良く上品にまとまった甘すぎない甘さ、そして2倍以上する価格設定がどうも貴族的で、金持ちがいかにも食ってそうなアイスということでなんか気に食わない。旨いけどね。
僕は昔ながらの100円アイスの、あのラクトアイスとか言われているもの、小さいころに喜んで食べてた素朴な味、企業が安い値段設定の中で奮闘しているところに好感を持つね。この“爽 3種の果実入りヨーグルト味”は安いながらにも心憎い計算があって、実に良いバランスだ。素直に美味しい。よしもっかい載せよう。

サブリミナルに訴えてみる。まず僕は昔っから、あの“フルーツ味”という意味不明な味が大好きなんだな。ミックスジュースも好きだったし、ガムでもLOTTEから出てた、黄色いパッケージで果物が盛られていたデザインのやつ、あれがすごく好きだった。パイナップルでもなければ、桃でもなく、林檎でもない正体不明の甘さ。子供ながらに不思議でただ無闇に美味かった、そんな記憶が過ぎる。
人は食材を食べるのではなく、思い出を食べているのだ。誰かがそんなことを言っていた気がする。まさにそれだ。“爽 3種の果実入りヨーグルト味”の素晴らしいところは、ラクトアイスとはいえ重くなりがちなバニラをベースにするのではなく、ヨーグルトベースのさっぱりした味にまとめたところにある。
もしこれがバニラ系だったとすれば、フルーツ味の淡い甘みとバニラの濃厚さが喧嘩をしてどちらかを減衰させる必要がある。無難にそうしなかったところに、LOTTEアイス部門のこだわり、アツさを感じる。お口の恋人は伊達じゃない。あぁもっかい載せよう。

ヨーグルトベースのアイスというは爽やかな酸味の口当たりが魅力であるだけでなく、ちょっと前に流行ったフローズン・ヨーグルトの良さを取り入れている。コクがあっても重くない。フルーツ味にありがちな安っぽさをヨーグルトアイスが補完していて、嫌味がない。また牛乳の使用量を減らせる訳だから、若干コストが浮いて、そのぶんを角切り果実に投入できるんだ。
果肉が入ると食感が変わるだけでなく、見た目にも彩りがあって目を楽しませる。控えめなからも大胆に、“僕は美味しいんだよっ”アイスケースの中から訴え掛けてくる。そこに“爽”の持ち味のマイクロ・アイス(勝手に命名)がシャリシャリした食感、軽さを演出する。
つまり、だ。“爽 3種の果実入りヨーグルト味”はフルーツ味に夢中になったあの頃をノスタルジックに想起させつつ、ヨーグルト・ベースで爽やかかつ嫌味のないコク、果実で控えめなリッチさを加えながら、爽の持ち味である氷粒子で食感を楽しませる。そこになんと女性にも嬉しい軽さを実現している。これが美味しくなくて、どれが美味しいというのか?なにがハーゲンだ。もいっちょサブリミナル。

さぁ皆さん、家の近所のコンビニに全力ダッシュで向かいましょう。基本的に僕の好きなものは割合早くに消えてしまうので、食べられるのはたぶん今のうちだけですよ。まぁ一回くらい食べても損はしないと思います。LOTTEのアイスにかける情熱を、目で、舌で、ほっぺと食道で感じてみてください。ちなみにお値段納得の\126。安い!
…そういえばアイスだと“SKY”っていう酸味のあるアイスが大好物だったんですが、今はもう見かけませんね。どうやら販売はしてるらしいですけど、コンビニにもスーパーにもなければ手に入れようがないからなぁ。
あとフルーツ味流行ってるのか、エッセルスーパーカップでもフルーツ味がありますが、そっちの方はなんというか、普通です。量が多いからちょっと飽きちゃいますね。例のバニラベースだからかな。例えるなら、目の付け所は良いのにツメが甘い“山岡士郎”風かな。まぁ“爽 3種の果実入りヨーグルト味”は今春の至高の一品というのはそういう訳です。お付き合い頂いてありがとう。
公式:http://www.lotte.co.jp/products/catalogue/ice/01.html









AKB48は歌手ではない
モーニング娘の新曲が4月6日に発売されるらしい。いま日本のオリコンチャートは秋元康と韓国人が取っ組み合いの喧嘩をしていて、それを後ろで男色家が見ているという構図なので、まぁ話題に上がらないだろうし、当然売れもしないだろう。世間では完全にモーニング娘のことなんか忘れているっぽいし、なんか可哀想でね、去年エントリで扱ったのもなにかの縁なので、ちょっと動画を覗いてみた。
マジですかスカ! / モーニング娘。
うわぁ。なんという曲名…。曲調も完全に時代に逆行してるし。なんか90年代臭がプンプンする。たぶん昔の、安倍なつみがいた頃のモー娘が歌ってもなんも違和感ないだろうなぁ。思わず笑ってしまって、こんなの絶対売れないし、売るつもりもないだろうとか心のなかでニヤニヤしてたんです。してたんですけどね、いや、そういうつもりだったんですけど、不思議なことにいつの間にか再生ボタンをもう一回押しいの、YoutubeのあとにRepeat入れぇの、繰り返しーのですよ。参ったね。やだなぁ。こんな変なのに掴まってしまって。絶対僕の周りは誰も聴いてないよ。理解されないに決まってる。あーぁ。
それにしても。なんかほっとするね。同情とか哀れみとか卑しい動機で動画を見たのに、こっちの方がなぜか元気づけられてしまうという。この前の「なんちゃって~」辺りで方向転換して、アーティスト的な、なんかそういう方に向かうかと思いきや、結局原点も原点に回帰してるんだな。なんだそりゃ。けれど、こういういい加減さは嫌いじゃないな。
高橋愛(たかはし あい、1986年9月14日 - ) - 5期、リーダー ※2011年秋ツアーをもって卒業予定。
新垣里沙(にいがき りさ、1988年10月20日 - ) - 5期、サブリーダー ※高橋卒業後はリーダーに昇格予定。
道重さゆみ(みちしげ さゆみ、1989年7月13日 - ) - 6期
田中れいな(たなか れいな、1989年11月11日 - ) - 6期
光井愛佳(みつい あいか、1993年1月12日 - ) - 8期
譜久村聖(ふくむら みずき、1996年10月30日 - ) - 9期
生田衣梨奈(いくた えりな、1997年7月7日 - ) - 9期
鞘師里保(さやし りほ、1998年5月28日 - ) - 9期
鈴木香音(すずき かのん、1998年8月5日 - ) - 9期
またメンバーが随分入れ替わってる…。
ロンドンハーツなんかでたまに道重さゆみを見かけるんだけど、正直な話、なんかエラいなコイツ、とかよく思う。彼女は「世界一カワイイのはわたしっ!」っていうキャラづくりをしてるんですが、小倉優子とかにしおかすみことかを挙げるまでもなく、その種のキッチュなキャラ設定で毎回スタジオで笑いをとらないといけない訳で、当然お笑い芸人であってもしんどい時や辛い時があるから、だんだん化けの皮が剥がれてきて、いつの間にか普通の話し方になってたりするもんですよね。その位難しい事を、彼女はここ二年くらいずっと、恐らくはモー娘。加入以来8年間に亘ってやり続けているんです。
むしろ最近は芸の冴えさえ見せるようになって、池上彰を相手にしてそのキャラで突っ込んで行ったのには驚きというか、感動さえした(しかも池上彰の引退番組でだよ)。ちなみに彼女は明石家さんまとも渡り合える驚異のお笑いセンスを持ってる。どんな馬鹿馬鹿しいことでもマジメにやり抜ける人間は、どうにも嫌いになれないね。
モーニング娘が一番流行っていた、中学高校の頃はまるで興味がなかったのにも関わらず、10年以上経って落ち目になってる今になって面白く感じるというのは、なんかいつもの悪い癖ですね。周りが注目しなくなったくらいで、飛びつくという。協調性のない人間ですね。で。ついでだし、AKBの方も聴いてみました。
桜の木になろう / AKB48
PVよく出来てるね。まぁ曲は悪くない。いわゆるいい曲、って感によくまとまってる。しかも卒業シーズンに合わせた時期に、「桜」の字が入る別離と出発の曲。歌詞が素晴らしい。桜の木の一人称で旅立つ者たちを祝い、慰める。思い出も大切だけれど、旅立ちの先には輝く未来があるのだから。そして桜は決意する。永遠の桜の木になろうと。彼らがいつでも帰ってこられるように。
伊達に作詞家で飯を食ってない、秋元康の快作ですね。これを今流行りのAKB48が歌うんだから、売れないわけがない。3週以内のミリオン達成は女性グループとしては史上初、男性グループを含めるとSMAP「世界に一つだけの花」(発売2週目での達成)以来8年ぶりの記録である。というのも頷かざるを得ない。
モーニング娘の向こう見ずな突撃に較べると、なんと一貫性かつ計画のあるグループなんだろうと思う。はっきり書けばモーニング娘は曲の完成度において、AKB48に勝つことはまずあり得ない。それは秋元康というタフで強かなプロデューサーと、自由気儘なアーティストから抜けきれないつんくのプロデュース力という、歴然とした力の差であると言える。
例えばネットでこの二つの曲の優劣を決めるために投票したとして、どう贔屓目に見たとしても、8:2くらいの大差がつくんじゃなかろうか。AKBのいまの勢いを考えると。こうしてAKBオタクはほくそ笑み、モー娘オタクは地団駄を踏む。AKBオタクがこう言うだろう、『モー娘(笑)なんて時代遅れだよ』と。
しかしね。僕はそれでもモーニング娘に好感を持つ。むしろAKBなんてCD買ってまで聴いてるヤツはちょっとどうかしてるというか、可哀想な人だと思ってる。もしある人が、他に聴く曲がなくて流行りの曲をちょっと聴いてみようと思って買ったとして、それを批判するつもりはない。曲自体は良いんだし。いま日本全体で盛り上がってるAKB旋風らしきもの、その中心にいるコア層、そして下位メンバーに同情している。僕は秋元康が吐き気がするくらいに嫌いなんだ。
それはなぜか。
AKBとモーニング娘は一見似ている。同じアイドルグループとして、それも入れ替わりのある持続性のあるユニットという点では共通点があるというか、同じだ。モーニング娘の画期的だったところは、成長するグループという点にあって、10年以上たった今でも確かに芸能界に存在していて、結成当時のメンバーはもう誰も残っていない。それでいて彼女たちはモーニング娘なんだ。そこにあるのは、古めかしい言葉で言えば伝統、かっこ良く書けば変わりゆくアイデンティティーという概念を内包した、始めてのグループだ。
それに対しAKBの新しさ、というのは芸能界やアイドルグループという、古くて理屈で割り切れない場所に合理的なシステムを持ち込んだ点にある。アイドルを夢見る全国の少女を大量に芸能界に橋渡しし、それに絡んで一山当てようとするプロデューサー及び業界人の利害の一致したシステム。売れなければふるい落とされる漏斗のような形をしていて、砂地獄の中を少女たちは必死によじのぼる。有名にならなければ薄給のままで終わるのだから、費用対効果は高い。アイドルの損益分岐点を求めようとするとき、AKBの固定費は異常に低くて、そのぶん利益がでかい。
一人前に育ててから送り出すのではなく、半ば素人のような状態そのままに安く芸能界に送り込む。例えばそれは派遣社員と構造的に似ている。抱え上げのモーニング娘と違って、成果出さなければ首を斬られるAKB。さて、気分転換。
ヘビーローテーション / AKB48
ちょ、ちょっと待て。初めてPV観たんだけど、こんなにキワドイのかよ。ちょっと刺激が強すぎないか?下着から始まるとか…。なんというかAKBにはやっぱり素人が必死に頑張ってる感がぷんぷんしてて、なんか観てると辛くなる。振り付けのつもりなんだろうけど、こんなのダンスでもなんでもないし、メロディーもコーラスも全部ユニゾン。陳腐だよね。曲も歌詞も悪くないのに。
ま、つまりAKBってのは秋元康を中心とする音楽業界の大人たちが、総力をあげて素人娘をプロデュースしている構図ってのが分かりやすぎるほどに分かる。女の子は身を削らないとやっていけないんだろうな。書き方は悪いんだろうけれど、なんかジュニアアイドルみたい。パンチラとかしてさ。痛々しいよ。ブサイクでもないのに整形したりとか、それが序列に影響するAKBならではだ。
夢だけ見せて身を削らせているプロデューサーは、頑張ったけれどAKBでは結局芽の出なかった少女たちに、責任を感じることはあるのだろうか?芸能界に一歩踏み込んでしまって、学校では特別扱い、忙しいから勉強もできなければ友達もできない。貴重な青春を費やしてまで何が得られるというのだろう。研修生は全額持ち出し、AKBに入れたとしてもヒラメンバーは月給10万だ。始発に出て終電で帰る彼女たちみんなに、芸能の神様は微笑んでくれるとでも言うのだろうか。
大学は行ってる?中退すると就職口ないぜ、このご時世。社会の大人たちはシビアだから、どれだけ頑張ったって伝えても採用には繋がらないだろう。見切りをつけられるくらい頭の良い子は良い。そうじゃなく可能性のないままにしがみついてしまった子は、AKB後の人生に水商売かAVくらいしか待っていないように思う。
EGA2-50 / エガーローテーション
気分が悪くなったので口直し。腹抱えて笑いました。ヒョ―!にいつも吹くw
色々書いてきて、まぁ支離滅裂かもしれないですけれど、AKBをなんとなく好きになれない理由というのがそれとなく伝わったのではないかと勝手に思ってます。逆にモーニング娘の清涼感、快活さ、というはAKBがいるからこそ引き立つ気がします。最後に一番書きたかったこと、それは『歌』ってなんだろうってことです。そしてこれこそが僕のAKB好きになれない最大の理由でもあります。
歌とは音楽です。音楽は芸術です。芸術とは、“ヒト”そのものです。ある画家がそう言ったのだから間違いない。人間そのものであるからこそ、ノンフィクションのようにヒトからヒトへと伝わり、そこに感動が生まれる。僕らは歌を聴いているようで、歌手自体を感じている。他人から作詞されようが、作曲されようが、プロデュースされようが、浮かび上がるのは前面で体を張る歌手たち。僕らは彼らに共感して労働の代価を喜んで支払っている。
モーニング娘は代替わりしようとも、ある一つの価値観が流れている。それは例えば“元気”。モーニング娘がバラード歌ってるかなんか知らないけれど、彼女たちを代表する曲はいつも元気さ、快活さに溢れていて、聴く人を元気づけている。若い彼女らが若いなりに必死になって、若干の意味不明さの伴う破天荒さを含んだ活気を分け与えてくれている。そこに歌手と歌の一体感があって、僕はそれをすんなり受け入れることができる。
じゃ、AKBの価値観、存在意義ってなんなのだろう。曲も良い。歌詞も良い。歌ってる彼女は若さを溢れさせている。でも彼女たちの歌は、彼女たち自身を歌っていない。常に客を意識した、つまりビジネスが底流にあって、歌詞や曲はそこから導かれている。彼女たちはそれをただ躍る木偶のように歌っているだけで、そこに感じられるのは歌手という芸術家ではなく、労働者だ。
AKBの歌を聴いているといつも浮かび上がってくるのは、頑張るAKBメンバーではなく、プロデューサーの秋元康だ。AKBのプロモーション・ビデオが僕らに訴えかけるのは、この曲はこんなに良いんだ、素晴らしいんだ、という曲作りに携わる人たちの情熱ではなく、ショーウィンドーに並べられたマネキンのように陳列された、“美少女”というタグのつけられた悲痛な少女たちの姿だ。
AKBは48人ものメンバーがいて、それが入れ替わっていくのだから、見守るファンも常に見ていないと置いて行かれてしまう。多くの人はなんとなくチェックするだけで済ませるものを、コア層のファンたちは必死に追いかけて、地下劇場に通い、毎週テレビ番組を欠かさず観て、膨大な情報を収集する優越感を獲得する。それは例えばシミュレーション・ゲームのような楽しみだ。
そんな合理的なシステムが出来上がっているからこそ、芸術、歌曲、歌詞という人間性に深く食い込んだ難解で抽象的な概念から逸脱を始めている。AKBという計算され尽くした空間で、歌という入り口から入り込んだ筈の人たちは秋元康の触手に絡め取られていって、歌本来のもつ良さ、すばらしさを忘れ始めている気が、僕にはどうもしている。
歌はそんな堅苦しいものじゃない、という声が聞こえてきそうだ。実際歌は良いんだから、それを楽しんで何が悪い、とね。それはある意味正しいし、そこに問題がある訳でもない。みんな喜んでいるのだし、誰も損はしてないと書くこともできる。ただし、これはAKBに始まったことではないのだけれど、今の日本が豊かだからなのだろうか、大資本の音楽事務所やレコード会社が商売のためだけに作った“歌”らしきものが氾濫していて、これこそが“歌”なんだよって押し付けられるような思いをすることがよくある。歌が本来の芸術であった時代に較べて、今はびこっている“歌”は商品でしかなくて、水のように流れて気がついたらもうどこにもない、僕はそんな状况が哀しくてしょうがなくて、ひとり異議を唱えたいと思うんだ。
いくらセロテープのデザインが優れていたとしても、ゴッホやセザンヌと較べていいものだろうか。商業デザインにも芸術性が潜むこともあるだろう。ただし本当の、人を震えさせるような感動はそこには生まれようがない。そこに計算という名札をつけた妥協がある限り。
日本の荒んだ芸能界をある意味で象徴しているのが、AKB48なのだと感じたからこのエントリを書こうと思った。現状がそうだからこそKPOPなんぞという、反吐がでるほどつまらない外来音楽の上陸を許すんだと思う。地震でも思ったんだが、本当に今のこの国は腐っている。何か本当に大切だった物を、どこかに置き忘れてきたような不安や危機感が、見えないながらもこっそりと、僕に何かを訴えかけてる気がしてならない。
確か去年のグッドデザイン賞をAKBが受賞してたと思うんだけど、あれは世間からの痛烈な皮肉なのだと勝手に受け止めている。歌の良さだけが問われる音楽業界のなかで、商業デザイン賞を獲得したことそれ自体が、選考委員の意図とは別に、AKB48の矛盾した立ち位置を証明している。
そして最後に。おニャン子クラブ55人のうち今も生き残っているのは工藤静香、国生さゆり、渡辺満里奈の三人(ある意味最大の成功者の高井麻巳子入れたら4人)だ。裾野だけが広がってゆくAKB48のメンバーたちの今後の活躍を、心から願っている。モーニング娘OBの方はしぶとく生き残っていきそうだけどねぇ…。
総じてAKBはなんか一過性のお祭りのような感じがする。それも人工的に創り上げられた。別にそれが悪いと書きたい訳じゃないけれど、敢えてそこに醒めた面を引っ提げて馬鹿踊りしたいとは思わない、てとこに僕の思いは大体集約されますね。
長々と付き合って頂いてありがとう。好き勝手に書いたので、批判コメ歓迎中です。場合によっては書き直しますので。それでは。
スカート、ひらり / AKB48
AKBではこれが一番好きかな
マジですかスカ! / モーニング娘。
もっかい貼ってみる。いま気付いたけど、マジですかスカって『まじでスカスカ』と掛けてるんだな。自虐か。空っぽだけどポジティブにいこうぜって訳か。涙が出るね。AKBと戦うために売れそうな曲選ぶんじゃなくて、原点に回帰してるところにつんくのアツさがあるよね。あとやっぱりダンスは上手くなってきてる気がする。宝塚にしても劇団四季にしても、ラインダンスってのはなんか意味不明に胸が熱くなるね。駄目だ、書きたいことが増えていく…。最後。AKBほど笑顔の似合わないグループはないと思った。モーニング娘のそれは実に自然なんだが。あーあとAKBは声を編集し過ぎて気持ち悪い。
マトリョシカ / HACHI
なんかマジで~聴いてなんとなく思い出した曲。最近はアマチュアでも凄い完成度の曲つくってるから、モーニング娘の曲の感じにそういう安っぽさというか、なんかそんな感じを感じた。だがそれがいい。
関連:鑑賞する対象としての「美少女」、モーニング娘。の話
Perfume
今までのエントリ総まとめ、読んで欲しい記事たち(文化)
まじですかスカ!/モーニング娘。

¥1,050
桜の木になろう () -.../作者不明


¥1,200
iTunes
参考:
ウィキペディア色々
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
AKB48ギャラ事情 「どれだけ働いても給料は月給10万円」文春
http://news109.com/archives/3109578.html
AKB48 板野友美の「整形遍歴」
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1261.html
タレントの江頭2:50が物資不足の福島県いわき市に自ら運転して支援物資を届ける
http://infosecurity.jp/archives/8276
AKB48の番組では視聴率がとれない! 制作費1億円かけて6.9%。アホちゃうの?
http://hogehogesokuhou.ldblog.jp/archives/51693037.html
AKB48 渡辺麻友(まゆゆ)が巨人ラミレスに似ていると話題に
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1253.html
ひろゆき「AKB48の顔はよーく見るとみんなヤバい」
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-896.html
撒き餌的なワード群:
アイドル論 アイドルグループ論 AKB48とモーニング娘。違い モーニング娘。新曲 ヒドい AKBオタ発狂 歌ってなんだろう芸術? 桜の木になろう 歌詞 意味
関連:鑑賞する対象としての「美少女」、モーニング娘。の話
マジですかスカ! / モーニング娘。
うわぁ。なんという曲名…。曲調も完全に時代に逆行してるし。なんか90年代臭がプンプンする。たぶん昔の、安倍なつみがいた頃のモー娘が歌ってもなんも違和感ないだろうなぁ。思わず笑ってしまって、こんなの絶対売れないし、売るつもりもないだろうとか心のなかでニヤニヤしてたんです。してたんですけどね、いや、そういうつもりだったんですけど、不思議なことにいつの間にか再生ボタンをもう一回押しいの、YoutubeのあとにRepeat入れぇの、繰り返しーのですよ。参ったね。やだなぁ。こんな変なのに掴まってしまって。絶対僕の周りは誰も聴いてないよ。理解されないに決まってる。あーぁ。
それにしても。なんかほっとするね。同情とか哀れみとか卑しい動機で動画を見たのに、こっちの方がなぜか元気づけられてしまうという。この前の「なんちゃって~」辺りで方向転換して、アーティスト的な、なんかそういう方に向かうかと思いきや、結局原点も原点に回帰してるんだな。なんだそりゃ。けれど、こういういい加減さは嫌いじゃないな。
高橋愛(たかはし あい、1986年9月14日 - ) - 5期、リーダー ※2011年秋ツアーをもって卒業予定。
新垣里沙(にいがき りさ、1988年10月20日 - ) - 5期、サブリーダー ※高橋卒業後はリーダーに昇格予定。
道重さゆみ(みちしげ さゆみ、1989年7月13日 - ) - 6期
田中れいな(たなか れいな、1989年11月11日 - ) - 6期
光井愛佳(みつい あいか、1993年1月12日 - ) - 8期
譜久村聖(ふくむら みずき、1996年10月30日 - ) - 9期
生田衣梨奈(いくた えりな、1997年7月7日 - ) - 9期
鞘師里保(さやし りほ、1998年5月28日 - ) - 9期
鈴木香音(すずき かのん、1998年8月5日 - ) - 9期
またメンバーが随分入れ替わってる…。
ロンドンハーツなんかでたまに道重さゆみを見かけるんだけど、正直な話、なんかエラいなコイツ、とかよく思う。彼女は「世界一カワイイのはわたしっ!」っていうキャラづくりをしてるんですが、小倉優子とかにしおかすみことかを挙げるまでもなく、その種のキッチュなキャラ設定で毎回スタジオで笑いをとらないといけない訳で、当然お笑い芸人であってもしんどい時や辛い時があるから、だんだん化けの皮が剥がれてきて、いつの間にか普通の話し方になってたりするもんですよね。その位難しい事を、彼女はここ二年くらいずっと、恐らくはモー娘。加入以来8年間に亘ってやり続けているんです。
むしろ最近は芸の冴えさえ見せるようになって、池上彰を相手にしてそのキャラで突っ込んで行ったのには驚きというか、感動さえした(しかも池上彰の引退番組でだよ)。ちなみに彼女は明石家さんまとも渡り合える驚異のお笑いセンスを持ってる。どんな馬鹿馬鹿しいことでもマジメにやり抜ける人間は、どうにも嫌いになれないね。
モーニング娘が一番流行っていた、中学高校の頃はまるで興味がなかったのにも関わらず、10年以上経って落ち目になってる今になって面白く感じるというのは、なんかいつもの悪い癖ですね。周りが注目しなくなったくらいで、飛びつくという。協調性のない人間ですね。で。ついでだし、AKBの方も聴いてみました。
桜の木になろう / AKB48
PVよく出来てるね。まぁ曲は悪くない。いわゆるいい曲、って感によくまとまってる。しかも卒業シーズンに合わせた時期に、「桜」の字が入る別離と出発の曲。歌詞が素晴らしい。桜の木の一人称で旅立つ者たちを祝い、慰める。思い出も大切だけれど、旅立ちの先には輝く未来があるのだから。そして桜は決意する。永遠の桜の木になろうと。彼らがいつでも帰ってこられるように。
伊達に作詞家で飯を食ってない、秋元康の快作ですね。これを今流行りのAKB48が歌うんだから、売れないわけがない。3週以内のミリオン達成は女性グループとしては史上初、男性グループを含めるとSMAP「世界に一つだけの花」(発売2週目での達成)以来8年ぶりの記録である。というのも頷かざるを得ない。
モーニング娘の向こう見ずな突撃に較べると、なんと一貫性かつ計画のあるグループなんだろうと思う。はっきり書けばモーニング娘は曲の完成度において、AKB48に勝つことはまずあり得ない。それは秋元康というタフで強かなプロデューサーと、自由気儘なアーティストから抜けきれないつんくのプロデュース力という、歴然とした力の差であると言える。
例えばネットでこの二つの曲の優劣を決めるために投票したとして、どう贔屓目に見たとしても、8:2くらいの大差がつくんじゃなかろうか。AKBのいまの勢いを考えると。こうしてAKBオタクはほくそ笑み、モー娘オタクは地団駄を踏む。AKBオタクがこう言うだろう、『モー娘(笑)なんて時代遅れだよ』と。
しかしね。僕はそれでもモーニング娘に好感を持つ。むしろAKBなんてCD買ってまで聴いてるヤツはちょっとどうかしてるというか、可哀想な人だと思ってる。もしある人が、他に聴く曲がなくて流行りの曲をちょっと聴いてみようと思って買ったとして、それを批判するつもりはない。曲自体は良いんだし。いま日本全体で盛り上がってるAKB旋風らしきもの、その中心にいるコア層、そして下位メンバーに同情している。僕は秋元康が吐き気がするくらいに嫌いなんだ。
それはなぜか。
AKBとモーニング娘は一見似ている。同じアイドルグループとして、それも入れ替わりのある持続性のあるユニットという点では共通点があるというか、同じだ。モーニング娘の画期的だったところは、成長するグループという点にあって、10年以上たった今でも確かに芸能界に存在していて、結成当時のメンバーはもう誰も残っていない。それでいて彼女たちはモーニング娘なんだ。そこにあるのは、古めかしい言葉で言えば伝統、かっこ良く書けば変わりゆくアイデンティティーという概念を内包した、始めてのグループだ。
それに対しAKBの新しさ、というのは芸能界やアイドルグループという、古くて理屈で割り切れない場所に合理的なシステムを持ち込んだ点にある。アイドルを夢見る全国の少女を大量に芸能界に橋渡しし、それに絡んで一山当てようとするプロデューサー及び業界人の利害の一致したシステム。売れなければふるい落とされる漏斗のような形をしていて、砂地獄の中を少女たちは必死によじのぼる。有名にならなければ薄給のままで終わるのだから、費用対効果は高い。アイドルの損益分岐点を求めようとするとき、AKBの固定費は異常に低くて、そのぶん利益がでかい。
一人前に育ててから送り出すのではなく、半ば素人のような状態そのままに安く芸能界に送り込む。例えばそれは派遣社員と構造的に似ている。抱え上げのモーニング娘と違って、成果出さなければ首を斬られるAKB。さて、気分転換。
ヘビーローテーション / AKB48
ちょ、ちょっと待て。初めてPV観たんだけど、こんなにキワドイのかよ。ちょっと刺激が強すぎないか?下着から始まるとか…。なんというかAKBにはやっぱり素人が必死に頑張ってる感がぷんぷんしてて、なんか観てると辛くなる。振り付けのつもりなんだろうけど、こんなのダンスでもなんでもないし、メロディーもコーラスも全部ユニゾン。陳腐だよね。曲も歌詞も悪くないのに。
ま、つまりAKBってのは秋元康を中心とする音楽業界の大人たちが、総力をあげて素人娘をプロデュースしている構図ってのが分かりやすぎるほどに分かる。女の子は身を削らないとやっていけないんだろうな。書き方は悪いんだろうけれど、なんかジュニアアイドルみたい。パンチラとかしてさ。痛々しいよ。ブサイクでもないのに整形したりとか、それが序列に影響するAKBならではだ。
夢だけ見せて身を削らせているプロデューサーは、頑張ったけれどAKBでは結局芽の出なかった少女たちに、責任を感じることはあるのだろうか?芸能界に一歩踏み込んでしまって、学校では特別扱い、忙しいから勉強もできなければ友達もできない。貴重な青春を費やしてまで何が得られるというのだろう。研修生は全額持ち出し、AKBに入れたとしてもヒラメンバーは月給10万だ。始発に出て終電で帰る彼女たちみんなに、芸能の神様は微笑んでくれるとでも言うのだろうか。
大学は行ってる?中退すると就職口ないぜ、このご時世。社会の大人たちはシビアだから、どれだけ頑張ったって伝えても採用には繋がらないだろう。見切りをつけられるくらい頭の良い子は良い。そうじゃなく可能性のないままにしがみついてしまった子は、AKB後の人生に水商売かAVくらいしか待っていないように思う。
EGA2-50 / エガーローテーション
気分が悪くなったので口直し。腹抱えて笑いました。ヒョ―!にいつも吹くw
色々書いてきて、まぁ支離滅裂かもしれないですけれど、AKBをなんとなく好きになれない理由というのがそれとなく伝わったのではないかと勝手に思ってます。逆にモーニング娘の清涼感、快活さ、というはAKBがいるからこそ引き立つ気がします。最後に一番書きたかったこと、それは『歌』ってなんだろうってことです。そしてこれこそが僕のAKB好きになれない最大の理由でもあります。
歌とは音楽です。音楽は芸術です。芸術とは、“ヒト”そのものです。ある画家がそう言ったのだから間違いない。人間そのものであるからこそ、ノンフィクションのようにヒトからヒトへと伝わり、そこに感動が生まれる。僕らは歌を聴いているようで、歌手自体を感じている。他人から作詞されようが、作曲されようが、プロデュースされようが、浮かび上がるのは前面で体を張る歌手たち。僕らは彼らに共感して労働の代価を喜んで支払っている。
モーニング娘は代替わりしようとも、ある一つの価値観が流れている。それは例えば“元気”。モーニング娘がバラード歌ってるかなんか知らないけれど、彼女たちを代表する曲はいつも元気さ、快活さに溢れていて、聴く人を元気づけている。若い彼女らが若いなりに必死になって、若干の意味不明さの伴う破天荒さを含んだ活気を分け与えてくれている。そこに歌手と歌の一体感があって、僕はそれをすんなり受け入れることができる。
じゃ、AKBの価値観、存在意義ってなんなのだろう。曲も良い。歌詞も良い。歌ってる彼女は若さを溢れさせている。でも彼女たちの歌は、彼女たち自身を歌っていない。常に客を意識した、つまりビジネスが底流にあって、歌詞や曲はそこから導かれている。彼女たちはそれをただ躍る木偶のように歌っているだけで、そこに感じられるのは歌手という芸術家ではなく、労働者だ。
AKBの歌を聴いているといつも浮かび上がってくるのは、頑張るAKBメンバーではなく、プロデューサーの秋元康だ。AKBのプロモーション・ビデオが僕らに訴えかけるのは、この曲はこんなに良いんだ、素晴らしいんだ、という曲作りに携わる人たちの情熱ではなく、ショーウィンドーに並べられたマネキンのように陳列された、“美少女”というタグのつけられた悲痛な少女たちの姿だ。
AKBは48人ものメンバーがいて、それが入れ替わっていくのだから、見守るファンも常に見ていないと置いて行かれてしまう。多くの人はなんとなくチェックするだけで済ませるものを、コア層のファンたちは必死に追いかけて、地下劇場に通い、毎週テレビ番組を欠かさず観て、膨大な情報を収集する優越感を獲得する。それは例えばシミュレーション・ゲームのような楽しみだ。
そんな合理的なシステムが出来上がっているからこそ、芸術、歌曲、歌詞という人間性に深く食い込んだ難解で抽象的な概念から逸脱を始めている。AKBという計算され尽くした空間で、歌という入り口から入り込んだ筈の人たちは秋元康の触手に絡め取られていって、歌本来のもつ良さ、すばらしさを忘れ始めている気が、僕にはどうもしている。
歌はそんな堅苦しいものじゃない、という声が聞こえてきそうだ。実際歌は良いんだから、それを楽しんで何が悪い、とね。それはある意味正しいし、そこに問題がある訳でもない。みんな喜んでいるのだし、誰も損はしてないと書くこともできる。ただし、これはAKBに始まったことではないのだけれど、今の日本が豊かだからなのだろうか、大資本の音楽事務所やレコード会社が商売のためだけに作った“歌”らしきものが氾濫していて、これこそが“歌”なんだよって押し付けられるような思いをすることがよくある。歌が本来の芸術であった時代に較べて、今はびこっている“歌”は商品でしかなくて、水のように流れて気がついたらもうどこにもない、僕はそんな状况が哀しくてしょうがなくて、ひとり異議を唱えたいと思うんだ。
いくらセロテープのデザインが優れていたとしても、ゴッホやセザンヌと較べていいものだろうか。商業デザインにも芸術性が潜むこともあるだろう。ただし本当の、人を震えさせるような感動はそこには生まれようがない。そこに計算という名札をつけた妥協がある限り。
日本の荒んだ芸能界をある意味で象徴しているのが、AKB48なのだと感じたからこのエントリを書こうと思った。現状がそうだからこそKPOPなんぞという、反吐がでるほどつまらない外来音楽の上陸を許すんだと思う。地震でも思ったんだが、本当に今のこの国は腐っている。何か本当に大切だった物を、どこかに置き忘れてきたような不安や危機感が、見えないながらもこっそりと、僕に何かを訴えかけてる気がしてならない。
確か去年のグッドデザイン賞をAKBが受賞してたと思うんだけど、あれは世間からの痛烈な皮肉なのだと勝手に受け止めている。歌の良さだけが問われる音楽業界のなかで、商業デザイン賞を獲得したことそれ自体が、選考委員の意図とは別に、AKB48の矛盾した立ち位置を証明している。
そして最後に。おニャン子クラブ55人のうち今も生き残っているのは工藤静香、国生さゆり、渡辺満里奈の三人(ある意味最大の成功者の高井麻巳子入れたら4人)だ。裾野だけが広がってゆくAKB48のメンバーたちの今後の活躍を、心から願っている。モーニング娘OBの方はしぶとく生き残っていきそうだけどねぇ…。
総じてAKBはなんか一過性のお祭りのような感じがする。それも人工的に創り上げられた。別にそれが悪いと書きたい訳じゃないけれど、敢えてそこに醒めた面を引っ提げて馬鹿踊りしたいとは思わない、てとこに僕の思いは大体集約されますね。
長々と付き合って頂いてありがとう。好き勝手に書いたので、批判コメ歓迎中です。場合によっては書き直しますので。それでは。
スカート、ひらり / AKB48
AKBではこれが一番好きかな
マジですかスカ! / モーニング娘。
もっかい貼ってみる。いま気付いたけど、マジですかスカって『まじでスカスカ』と掛けてるんだな。自虐か。空っぽだけどポジティブにいこうぜって訳か。涙が出るね。AKBと戦うために売れそうな曲選ぶんじゃなくて、原点に回帰してるところにつんくのアツさがあるよね。あとやっぱりダンスは上手くなってきてる気がする。宝塚にしても劇団四季にしても、ラインダンスってのはなんか意味不明に胸が熱くなるね。駄目だ、書きたいことが増えていく…。最後。AKBほど笑顔の似合わないグループはないと思った。モーニング娘のそれは実に自然なんだが。あーあとAKBは声を編集し過ぎて気持ち悪い。
マトリョシカ / HACHI
なんかマジで~聴いてなんとなく思い出した曲。最近はアマチュアでも凄い完成度の曲つくってるから、モーニング娘の曲の感じにそういう安っぽさというか、なんかそんな感じを感じた。だがそれがいい。
関連:鑑賞する対象としての「美少女」、モーニング娘。の話
Perfume
今までのエントリ総まとめ、読んで欲しい記事たち(文化)
まじですかスカ!/モーニング娘。

¥1,050
桜の木になろう (

¥1,200
iTunes
参考:
ウィキペディア色々
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
AKB48ギャラ事情 「どれだけ働いても給料は月給10万円」文春
http://news109.com/archives/3109578.html
AKB48 板野友美の「整形遍歴」
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1261.html
タレントの江頭2:50が物資不足の福島県いわき市に自ら運転して支援物資を届ける
http://infosecurity.jp/archives/8276
AKB48の番組では視聴率がとれない! 制作費1億円かけて6.9%。アホちゃうの?
http://hogehogesokuhou.ldblog.jp/archives/51693037.html
AKB48 渡辺麻友(まゆゆ)が巨人ラミレスに似ていると話題に
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1253.html
ひろゆき「AKB48の顔はよーく見るとみんなヤバい」
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-896.html
撒き餌的なワード群:
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