蒼龍の棲む洞穴 -6ページ目

ツイッターについて考える

 ツイッターの利便性、その意味ってのがやっと腑に落ちた。ちょっと書きながらまとめてみよう。あと時計見たとき“まだ四時前なのか”とか思った自分はもうだめだ。我が家の掛け時計はいつの間にか2時間近く進んでいて、目覚ましはしょっちゅう行方をくらますから、部屋にいると時間感覚がリアル世界とズレる。日光と電子機器だけが頼りだな。心細いもんだ。



僕はどうも“なんとなく”というを習慣にしながら変なところで嫌っていて、周りがやっているからなんとなく自分も始めるということをしたくない。例えばスマートフォン。例えばツイッター。周りから出遅れているからこそ必要なければ始めたくないし、ツイッターを始めたとして、色んな利便性を享受できるんだろうとは思うけれど、どうせ新しいことやるのであればがっつりやり込みたくて、その為には長く続ける必要があるから、動機というのはどーしても重要になる。

どうしてするの?なにが面白いの?という疑問に“なんとなく”とか“よく分かんない”って答えることが許されるのは真面目に生きている人たちだけで、僕みたいなだらしない人間がそう答えることは、生き方のいい加減さをそのまま証明することに繋がるので、出来得ることなら避けたい。なんとなく物事をするくらいであればいっそしなければ良いじゃない、とか思う。

なんか流行りにのせられてなんとなくツイッター始めるのはいいけれど、動機がかっちり嵌っていないと結局ミクシーみたいに自然消滅していきかねない。個人的にはそれってすごくダサくね?ってことです。掲示板、ブログからSNS→ツイッターへの流れってのは多数が支持するだけの、それなりの理由と利便性なりがあるのだから、それを理解してからツイッター始めても良いじゃないか。


 で。実はツイッターのアカウントは既に持っていたりする。放置してるというか、適当に考えた偽名もパスワードもアドレスすら分かんなくなって、そのまま電磁の彼方に漂流してる。一年近く経ってるのかなぁ。聞くところによれば僕の周りでもツイッター始める人が結構いるらしくて、気になって少し調べてた。

たぶん多くの人にとってツイッターってのはコミュニケーションツールなんだと思うし、僕自身そう理解してた。「銀座どこそこで食事中なう。ここのコーヒーは豆から挽いててウマイ」みたいなくだらない情報を垂れ流すだけのツールで、知人と情報交換しながら有名人の私生活を出歯亀する程度の機能というか使い方なんだと思ってた。だったら正直要らないよね。

ただ津田大介の情報を咀嚼するうちに、ツイッターの提案する世界観ってのがなんとなく分かった。例えばそれは電子空間にある仮想集落。その中では有名人だろうが一般人だろうが狂人だろうが、誰でも参加することができて、好きに発言することができる。現実世界では関係することの出来ない人と“メディアの介在なく”情報を授受する。

掲示板と違うのはスレッドという題材の制限がない事と、非匿名であること。ブログと違うのが書く人と読む人の区別がないこと。SNSと違うのは140字という気軽さと、コミュニティーが閉じていないこと。つまり、ツイッターっていうのは140字制限でSNSよりも多くの母数を獲得しつつ、(SNSのコミュニティー概念と較べて)フォロー機能でより円滑に、より多くの人とリアルタイムで連帯することを目的としている。

その意義っていうのを日本で言うと、物理的・精神的距離のある現実日本とは別に、個々人の内面をインターネットを駆使して繋ぎあわせることで「日本の裏側」のような、巨大な本音空間・仮想コミュニティーを作りあげたところにある。芸能人の内輪話、政治家の提言、ジャーナリストの地上波では受け取れない希少な情報、官僚とか運動選手の気苦労など、全部連帯・共有できる。しようと思えばじぶんのとこの社長と意思伝達できる可能性もある。

それら仮想集落で収集された情報が、現実生活に反映することだってできる。社会情勢の不安な国でのデモとか政権倒壊とか、地震の現地情報が募金の呼び水になったりだとか。ミクロで言えば、テレビにあの人出てるよとか、内容についても2chの実況板に行かなくても知人と議論できる訳だ。まぁたったひとつのツールが容易にした意思伝達とそれによる情報収集の意義ってのは、現代においてはとんでもなく大きいと思う。


 分業化が進んで忙しさに追われがちな現代人にとって、コミュニケーションはそう簡単にとれるものじゃなくなってきているし、政界不信が官僚不信、今回の地震で大企業の信用も揺らいでいる今の日本で、権威の失墜したマスコミに代わってメディアとしての役割を果たす日もそう遠くないかもしれない。

ツイッターは他メディアやツールとも親和性が高いからね。ツイートが面白い人のブログをチェックしたり、紹介されたニュース記事・エントリ・番組を見たり読んだりすることもできる。ツイッターっていう場は、まだまだ大きな可能性を秘めているのだろうと思う。使い方によっては。

正直なことを書けばこれ以上誰かと繋がってどうこう、というのにはまるで興味がもてないけれど、自分では得られない情報を持っている人、例えばジャーナリストや評論家を始めとした知識人たちの持っている情報を得られる場っていうのは、喉から手が出るほど欲しい。

朝生を友人とツイートし合ったりね。そういうのは面白そうだ。飲み会の企画なんかもやり易いに違いない。自分のことで言えば書く内容がまとまってないぶん、文字数が必要だから、ブログとは並行するカタチになるのかもね。するとすれば。文字を大量に使うことでのカタルシスなんてものもありますんでね。伝達ってよりは。

ツイッター始めるとすればパソコンよりも携帯の方が良いだろうから、プラン変えてパケ放題にしないといけないし、どうせならスマートフォンの方が見やすいだろうから、機種を変える時が区切りなのかな。出来ればアドレス変えたくないから、アンドロイド新機種・メール機能あれこれのタイミングを窺いながら、半年ほど様子見ですかね。

うん、疲れた。だらだら書いててちょっと意味分かんなかったら申し訳ない。頭も部屋もいい加減整理しなきゃいけないな。そんなこんなであれやこれやです。なう。



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映画漫遊録

 深刻に風邪を引いた。汗だくになってここ二日ほど寝込んでいる。久しぶりに“このまま俺死ぬんじゃないか”感を堪能した。引き続き闘病活動を継続させて頂く。でだ。肉体の苦しみと精神の制限は同義たり得ない。むしろ苦しいからこそ何かしたくなる、これが大脳皮質の医学的特性でもある。そんな訳で昨晩からふらふら外出したり、家で映画観たり、その結果余計に苦しんだりと有意義な時間を持った。ブログ書く程度のことも当然許されるであろう。そう思ったのである。

先週辺りからまた映画週間に入ったらしく、僕の中で、用事がなければ映画館へ夢遊病者の足取りで向かう日々が続いた。別に自慢するほどでもないが、口を噤む必要も特にない。覚えてる範囲で感想を書く。映画のチョイスは私の趣味である。

スコットピルグリムvs邪悪な元カレ軍団


予告編のテンションが終始続く。最初は面白かったが疲れる。ストーリーは面白い。CGもよくできてる。でも疲れる。戦闘シーンがシュールすぎて腹が捩れるくらいに笑った。それだけの映画。
☆☆


ジュリエットからの手紙


いい意味でも悪い意味でも期待通りな映画。どうでもいい場面に時間使ったり、後から取ってつけたような設定があちこちにあったりと映画的良心は設定低め。BGMのセンスも酷い。でも、南仏の田園風景そのままの、明けっぴろげの陽気さが映画から漂っているのは、想像以上にコメディー色が仕組まれてない程度に強いからで、観客の笑い声が絶えなかった。結構退屈してたんだけれど、最後30分が全て帳消しにしてくれる。観終わった後、五時間寝た後みたいに爽快な気分になった。カップルで観るよりも女性同士で観る映画。巧く作ろうとしてないところが魅力です。字幕があちこちに移動して面倒くさかった。
☆☆☆


マーラー 君に捧げるアダージョ


クラシックに関しては門外漢だが、パーシーアドロン監督ということで観に行った。この映画は映画として非常によくできている。どのカットも油絵みたいに美しい。映画は一義的には映像美を楽しむ芸術なので、その意味で文句なしの名作。人物造形も巧みで、マーラーの神経質さやアルマの情熱家気質なんかがユーモアをまじえつつ見事に再現されている。まるで70年代映画みたいな、少し影のある映像に調整したのも情緒が出てて非常に良い。脚本や役者を感じさせないという意味でも素晴らしい映画。一昔前の名画のようで、時間を忘れて見入ってしまった。帰り際に若い二人連れの女が“しょせんB級だよねー”とか言ってたが、貴様に映画を観る資格なんかないっ!
☆☆☆☆


腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
http://www.phantom-film.jp/library/site/funuke/trailer/trailer_high.html

さっきDVDで観たやつ。最近の邦画なんて…とはよく言われることですが、たまにこういうキチガイじみた作品に出会えるのも最近の邦画ならでは。佐藤江梨子が主演すると漂うB級臭はいいもんです。永作博美はカワイ(そう)過ぎてやばい。早く俺と結婚してくれ。作品全体に漂う不幸の臭い、楽しげな狂人たちが跋扈する世界観はなかなかのもんです。邦画に見切りを付ける前に観て欲しい映画のひとつ。
☆☆☆☆

腑抜けども~原作者の本谷有希子といえばこんなのもありましたね。観よう観ようとして結局観れなかったので、そのうちDVD借りないと。

乱暴と待機


こんなの面白いに決まってる。さて、寝るか。




腑抜けども、悲しみの愛を見せろ [DVD]/佐藤江梨子,佐津川愛美,永作博美

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乱暴と待機(通常版) [DVD]/浅野忠信,美波,小池栄子

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山口尚美、上原ひろみと

 面倒なことが多い。真剣に考えると病気になりそうだし、放置していても先へは進めない。適度に考えることって難しいね。そんな器用なことなんて出来っこない。さて。

前にエントリで書いた、ミドリカワ書房と児玉裕一と山口尚美。ミドリカワ書房は最近何してるのか知らないけれど、児玉裕一はトップランナー出てたね。SHIROのCMが結構でかく扱われていて嬉しかったです、なんか。CMも色々撮ってるぽい。よく見かけるCMもあったりして。



三つ目のBOSS篇に出てるフードの女、実は山口尚美でした。言われてみれば確かに…。色々見逃してる自分に喝を入れてやりたいです。そういえば山口尚美って一度見たら忘れないインパクトがありますね。美人は美人なんだろうけど、なんか変な存在感があります。そう“型にはまってない”感じ。モデルモデルしてなくて、そのままの自然体でただそこにいるだけでなんか雰囲気ができる感じといいますか。例えば。



ちょっと前によく見かけたCM。全員モデルらしいんですが、見終わった後に印象として一人だけ妙に残ります。感情表現に作られた感じがしないぶん、なんか動物的な魅力を感じる。グラビアアイドルとかAKB48の鼻持ちならない“カワイイ”感よりはよほどいい。

ともあれ、そうしてなんか気になった人たちが表舞台に出て行く姿には元気づけられます。そこにはCM観てるだけの人間にはうかがい知れない苦労と努力があるんでしょうね。僕もブログやってなければ彼・彼女のことを気にも留めてなかったので、意外なところでブログの有り難みを感じてもいます。

で、まぁついでに色々観てたらこんなものにも。

http://pann.nate.com/video/209289444

分かりにくいのですが、出てるロックっぽい女性?が一応そうらしいです。このPV映画の1シーンみたいで格好良いですね。主人公っぽい男性の、大森南朋という俳優らしいのですが、無常感漂う演技が良い感じです。“FURUSATO”はダサ過ぎるけれど。

これら映像を観てて漠然と感じるのは“アマチュアリズム”の持つ意味と大切さ、かな。数年前から“プロフェッショナル”とか“プロ意識”とかいう単語が持ち上げられてる印象がありますけど、僕はアマチュア・素人っぽさってのがどうも好きらしいです。

音楽にしてもプロの演奏よりもアマチュアの演奏に心が引かれることがどうも多くて、勿論それは聴く音楽の種類にもよるのでしょうけど、世間一般の“プロ”というもの、その語感や使い方も含めてあまり好きになれないです。

技術の洗練、引き出しの多さ、つまりは質の高さで言えばプロの方が遥かに上なので、アマチュアと言えば幼稚・自己満足というレッテル張りをされても仕方がない。けれども同時に、アマチュアにはプロが仕事として割りきって捨てた、何か熱い気持ち=人間っぽい感覚を、鮮やかに伝えてくれる気がしていて、こと芸術に関して言えばそれが本来の在り方なんじゃなかろうかとすら思うわけです。

ニューズウィークの合併号に『世界が尊敬する日本人』という例のいかにも日本人が喜びそうな特集があったのですが、そこにジャズピアニストの上原ひろみが紹介されていました。

「もっといい演奏をして、みんなをハッピーにしたい」と、上原は言う。彼女の音楽がまさにその言葉どおりなのは、間違いない。(N)


記事を読んでも演奏を聴いても感じるのは、一種の青臭さ。そこにはプロ論だとかプロ意識という狭い枠の入る余地などなくて、音楽することの歓びがボロボロこぼれてる。その枠からはみ出た部分、恐らく個性とか感性とか言われているもの=アマチュアリズムをいつまでも持ち続けられる人が、一流と呼ばれている人なのではないかと思ったんですね。彼女からはいい意味でのアマチュアの延長線上にいる印象を受けます。

「高度な洗練は、時として作品を陳腐化する」

と村上龍がこの前の芥川賞の選評で書いてたましたが、技術という殻に篭るために大切な武器脚をもいでしまった人の演奏ってのは、だから味気ないのじゃないかと思います。現実的には色々難しいこともあるのでしょうけれども、その人らしさ、自分の青臭い感情を否定せずに技術を磨いてゆくこと、それは決して矛盾することではないと思いますね。

酸素でも足りないのか相変わらず息苦しい日本ですけど、下らない他者に惑わされず自分の軸を太らせていけば、芸術ではなくとも、人から好感を持たれるような、また充実した余生を送れるんじゃないかと思いますけどね。なんとなく山口尚美の奇妙な魅力、自然体から発した違和感から感じたことでした。



もう五月も中旬。涼しくも暑い迷惑な気候が夏を感じさせ始める。上原美優の自殺報道には哀しさしかなかった。あなたはきっと、そのままで良かったのに。



プレイス・トゥ・ビー・ツアー・エディション(DVD付)/上原ひろみ

¥3,000


全然関係ないのですが、ニューズウィークの特集の中に上田和男がいて面白かった。城アラキ原作の漫画「バーテンダー」に出てくるMr.パーフェクトのモデル。彼のハードシェイク理論は著作を通じて、本場アメリカに逆輸出されてるそうです。「西洋文化を日本人が説くのも変な話ですが」と上田は笑う。「この英訳された本はちょっと自慢です」(N)ダンディー過ぎてヤバい。

カクテルテクニック 改訂増補/上田 和男

¥1,890

バーテンダー 19 (ジャンプコミックスデラックス) (コミックス) / 長友健篩 / 城アラキ

¥540

過眠がもたらすもの

 ここのところ風邪でも引いたものか、連休に燥ぎすぎたものか、春眠なんぞと生易しいものではない長時間惰眠でしかないものを貪っている。正直カラダにはよくない。頭がボンヤリしている。やる気もない訳じゃないがすべてを睡眠が押し流してしまう。長時間睡眠は眠りが浅い。つまり夢をよく見る。観る夢観る夢、どれもがみっともなくて、フロイトに相談するまでもなく、むしろ人に話すこともはばかられるような感傷的なものばかりだ。夢群の示唆するもの、それは“不安感”に尽きる。自分について人からあれこれ言われるのは覚悟しているが、まさか自分に説教に説教される日が来ようとは思わなかった。実に不快である。

20メートルくらいのコンクリートブロックで出来た山みたいなものを、裏庭に生い茂った緑を見ながら、ぴょんぴょん飛び移ってゆく。慣れて恐怖が薄らいだ辺りで足を滑らして転げ落ちる夢。両親から小銭を渡されて号泣する夢とか。北ドイツで。一体僕は起きた時どうすれば良いのだろう。最早真人間になどなれっこないのだから、そんな自分を鼓舞するような、豪快闊達な夢でも見せて欲しいと思う。

たぶん、部屋が汚いのがいけない。震災以降散らかしっぽなしになって、新しい生態系が生まれつつある我が家の惨状から変えていかねばならん。さっき水回りはなんとかキレイにしたから、散乱した本の整理=棄てる作業にそのうち取り掛かろう。起きたばっかりなのに、既に眠い。困ったもんだよ。五時間かけて弱火抽出している昆布だしのいい香りがする。初鰹をそろそろ食おうと思う。

悦楽王の死

 団鬼六の訃報に驚いた。つい最近彼の自叙伝を読んだばかりで、これから色々読んでみようが思ってた矢先だったから、余計に。海老沢泰久にしろ、忌野清志郎にしろ、団鬼六にしろ、興味を持ってるけれどまだあんまり知らない=とても気になる人が亡くなるのは、自分の中のなにかが虚しくなる感じがする。

団鬼六といえば昔バラエティーによく出てた変な親父って記憶しかない。破天荒な生き方をしていたらしいけれど、あんまり憶えていない。ただ前時代の、はげしく唸る時を駆け抜け、妖しく光った星だった。官能小説という暗い世界を照らし、人々を振り向かせた豪快な光だった。後にも先にも団鬼六はいない。ましてや、この時代に。よく笑う人だったように思う。シニカルに、破天荒な。

自叙伝を読んでいて思った。とても自由で、優しい人なんだろう。何を相談しても、大声で笑って迷いを吹き飛ばしてくれるような。素敵な老人だった。常識に囚われない人だった。挫折と幸運の人だった。団鬼六、あなたの生きている間にあなたの著作を読み、時間的に繋がり合いたかった。知りもしない人の死に僕の心は揺れ動く。それは慚愧の固まりとなって、僕の中に沈み込む。

団よ、団。あなたの小説をこれから読もう。あなたを殺した煙を喫みながら。酒を。無頼を。これからの時代を守るがいい。あなたの生の記録を刻みつけろ。これからも。団よ、団。安らかに眠るがいい。宇宙の片隅にいる僕らのことを、そうずっと。さようなら、悦楽王。さようなら。

悦楽王


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E9%AC%BC%E5%85%AD