蒼龍の棲む洞穴 -4ページ目

開店休業ガラガラッ

 色々書きたいことがあった。別に理由があった訳でも原因があった訳でもなく、文字にならない。文章にならなくて、思いつきや感想をだらだら書くという、たったそれだけのことが苦痛で投げ出してしまってた。億劫で。でも道をふらふら歩いている時でも、ふと閃く霊感を無意識に繋ぎあわせてエントリの雛形を作ってしまう自分がいる。紙に書いてみる。ブログを開く。キーボードに指を乗せる。やっぱり書けない。気が付くと僕の中に“考えを書いてまとめる”という行為への愛着が息づいていて、しくしくと痛んだ。これが惨めって感情らしい。



野田内閣成立、ジョブズの死、血液型、学校教育の問題の糸口と塾・予備校・教習所、ウェンディーズ再来日とハンバーガーチェーン、面白かった映画、面白かったアニメ、お勧めしたい漫画、釣りと魚、僕の頭を通り過ぎた無意味な思考を唯一生かせるのが“書く”ことなんだろう。ブログのない生活をしてみて強くそう思う。そして僕はその行為を欲している。

よく知らない友人の友人のツイッターを覗いた。なんだか自然に、確固とした考察を恥ずかしげもなくぶんぶん投げている。羨ましいと思った。似たような友人と仮想空間・実生活で繋がり、知識を共有していることも。口だけでなく行動が伴っていることも。前に進むエネルギーがあることも。僕はぼんやり踊り場に佇んでる。

なんだか空っぽになってしまって、闇雲にTwitterでも始めようかと調べていると、偶然このブログのエントリを紹介してくれてる人がいた。年配の方だ。それがとても嬉しかった。気持ちがズシリと腹に響いて燃え熾っている。だってそうじゃないか、自分という存在を判断してもらうのにウェブログは適したツールであるのだし、日常ではそうした機会はなかなか訪れてくれない。僕はまだまだ自分を試したいんだ。久し振りにチェックしたブログは意外にアクセスが減っていなくて驚いた。まだ読んでくれてる人がいる。

ブログを更新していこうかと思う。どんな話題にするか分からない、更新頻度も分からない。ギアをもう一度ローに入れて、目分量でアクセルを踏み直してから考えればいい、クラッチを繋ぎながら。暴走したって構わないじゃないか。“初めて”は誰にとっても常に冷酷で、不寛容な顔をしているから、つい及び腰の知識吸収で終わらせてしまいがちだ。鉄は熱いうちに叩けとは言うものの、鉄だって自分で自分を叩くのは骨が折れる。歪になったから、もう冷めてしまったからと自己実現を放棄するのは性急ではないかしら。グロテスクな形になろうが、折れてしまおうが、僕は“叩く”その過程に愛着する。周りの人間が耳を押さえても、賢しらな忠告をしてきても、諦めが兆しても。何度も何度も打ち鳴らす。響かせろ。俺の音を聴け。


プレッシャー世代(ぷれっしゃーせだい)-社会-2008年5月23日
1982~87年の間に生まれた若者。幼少期にバブル経済が崩壊し、その後の失われた10年といわれる経済停滞の時期に小学生、中学生時代を送っているので、プレッシャーに耐えて生きる気力にあふれているといわれ、この名がついた。この世代の代表格が水泳選手の北島康介である。上の世代は団塊世代の子供たちである72~81年生まれの「団塊ジュニア」、下の世代は87年以降の生まれのゆとり教育を受けた世代の「ゆとり世代」。
ヤフー辞書

最近自分が所属している世代に名前があることを知った。命名したブログ:ゆとり世代の上の世代の呼び方を考える 2007年に生まれた新しい言葉なのだけれど、インターネットでは普及してる単語であるらしい。括り、定義として妥当かどうかはいったん脇に置いて、概念として僕の思いと合致している。僕は一員として、これからの日本を導くのはこの世代だと自負している。狭間の世代としての特殊性として、責任感・危機感の強い世代であることは経験から確信している。そして自らそれを誇る世代である。

孫のようだ…女子東大院生、町議選でトップ当選
30日に投開票が行われた新潟県津南町議選で、東大大学院生の桑原悠さん(25)がトップ当選を果たした。桑原さんは同町出身で、県立高を卒業し、早大に進学。卒業する頃、自身が25歳になって被選挙権を得た直後に故郷の町議選がありそうだと知った。東大大学院に進み、公共政策を勉強。
読売オンライン

2011年現在、同世代の大体が社会に属すようになり、世代としての動きが徐々に表れているように感じる。乗り遅れないよう、後悔を残さないように手探りでも責任を果たしてゆかねばならない。劇的な2011年は大阪府市ダブル選でいまだ冷めやらない。それなりの忙しさのままに自分を見失いつつある僕自身を振り返りながら、尻に鞭打って進んでみようかと思う。“何をすれば良いか分からない”そう呟き立ち止まることが許されるのは余裕のある時だけだ。残された選択肢が限られているのなら、やってみなはれ。誰のせいでも、他人のためでもなく、ただ自分がやりたいんだから。

17歳のとき、こんな一文を読んだことがある。「毎日を人生最後の日だと思って生きれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」この言葉に感動した私は、以来33年間、毎朝鏡に写った自分に問い掛ける。「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日これからやろうとしていることを本当にやるだろうか」。答えが「ノー」の日が何日も続けば、何かを変える必要がある。~君たちの時間は限られている。だから無駄にしてほしくない。ほかの誰かの人生を生きてはいけない。周りの雑音に自分の内なる声をかき消させないでほしい。そして一番大事なのは、自分自身の心と直感に従う勇気を持つこと。不思議なことに自分のこころと直感は、自分が本当になりたい姿をよく分かっているものだ。~「ハングリーであり続けよ。愚かであり続けよ」それが最後のメッセージだった。これこそ私がいつも自分に言い聞かせている言葉だ。今日卒業し、新しいスタート地点に立った君たちにも贈りたい。ハングリーであり続けよ。愚かであり続けよ。

もし今日が人生最後の日なら何をするか。そう考えた時、僕には書くことしか浮かばなかった。自分の思っていることを素直に吐き出しながらつなぎ合わせる過程、それが楽しいんだ。うまい下手とかそんなのどうだって良い。あとで読み返して後悔したって構わない。誰だって世界を変える可能性を秘めている。認められていなくても、笑われていても、良いじゃないか。僕達に求められているのはただ諦めずに前に進み続けることだ。それが分かっているのなら、どうして立ち止まっていられるんだ?落書きでもクズ文書でもなんでも書こう。ここ二月欠けていた気概を、ふぅふぅ吹きながらまた燃やそう。不定期更新をもう一度。もう一度恥を掻こうじゃないか。

結局前置きばかりで核心に迫ったんだかなんなんだか。ははは。まぁこれで良いや。ローギアから始めよう。ジャンルとかも限らないまま、また書こうかと思います。暇人もそうでない方も、またお付き合いくださいませ。コメントも気が向いたら反応してゆきますので。それでは。書くって楽しいなぁ。



まだ生きている

一つの区切り、新たな“針路”

 ごくごく個人的な、超私的な事柄で一歩を踏み出した。僕と個人的な繋がりのある人を除いて、全く意味のないことなのは分かる。でも折角なら、インターネットでも叫びたいじゃないか快哉を。“やってやった”ぞと。

 

ゆらめきながら、ふらつきながら、それでも僕は確かに一歩を踏み出した。苦しい道のりになるかもしれない。一つの哀しみの、後悔の始まりであるのかもしれない。でもそれでも、今日この時だけは叫ぼうじゃないか、快哉を。自ら掴みとった、一筋の光明を。誰のためでもない、自分のために。“ざまあみろ”“やってやったぞ、畜生”と。これだけは言える。ガガーリンが踏み出した一歩よりも、今日この一歩の方が遥かに重いのだ。自分で敷いたレールを歩もう。新しい希望をつくりあげよう。なりふり構わず、突き進もう。勝利の美酒にしばし酔う。遠雷が聞こえる。まるで僕を祝うかのように。

今までのエントリ総まとめ、読んで欲しい記事たち(政治)

 ブログの問題なのか、アメブロの問題なのか、書き溜まったが故に昔のエントリが読みにくくなってきました。コメント欄でも要望がありましたので、ここいらでエントリをまとめていこうと思います。比較的読まれているエントリ、読んで欲しいエントリなど、政治関連のものについてざっとコメントをつけてリストにします。

硬い題材(政治)



2010年02月04日 政権交代、僕が民主党を支持する理由①
このブログを始めたのは政権交代の熱の冷めかかった2010年の頭でした。政権交代を支持する理由を政治家の在り方と自民党への禊として書いてると思います。今読むと恥ずかしいというか、ただただ厭なのですが、ブログらしきものを書いた記念すべき一回目ということで。②はいつ書くんでしょうね。笑。

2010年03月18日 ニューズウィーク 3・24
ニューズウィークの記事「トヨタが告げる日本の終わり」に触発されて書いたエントリです。トヨタのリコール騒動懐かしいですね。内容は大したことありませんが、色んな意味でブログの方向性を決めたエントリです。

2010年06月02日 結局、日本の有権者はバカばっかりだ
鳩山内閣の辞任会見を観ながら書きました。色々毒を吐いていますが、『日本を殺すスキャンダル狂い』を下敷きにしているので、そんなに歪んだ内容でもないです。有権者ということを考え始めた頃のエントリです。個人的には鳩山政権は続いて欲しかったと未だに思っています。

2010年10月03日 尖閣問題は民主党だけの問題じゃないだろう
中国人船長逮捕・保釈を受けて。ネットでの薄っぺらい言論に我慢できずに書いたエントリです。この事件が民主党の支持率低下に繋がることに納得できなかった気持ちを、気持ちの悪い丁寧語でぶつけています。笑。読者を初めて意識して書いたエントリなので、それだけ気合は入ってます。

2010年11月10日 腐りゆく日本政治と膨らむ果実
事業仕分けに対して世間が冷ややかだった頃、僕自身の民主党支持が揺らいでいた頃のエントリ。蓮舫と小泉進次郎の論戦をたまたま観たことで、僕が感じた救い、未来への希望について半泣きになりながら書いていたことを思い出します。思い出深いエントリです。

2011年05月04日 久しぶりに爽やかなニュース
割合最近ですね。震災義援金を最も集めた台湾へ、一人の女性が先頭に立ち新聞広告を出したというニュースを観て感動して書いたエントリです。有権者云々のくだりが個人的には一番書きたかったのですが、書ききれてませんね。311を境に、自分の中で何かが変わった気がします。

2011年06月29日 雑記
少し毛色が違うのですが、被災地の多賀城と石巻を見て回った感想を書いています。歩いている時は湧き上がる気持ちを文章になんか出来ないと思ったのですが、書き出してみるとすらすら文章が出てきて、あっさり書き上がって驚きました。特に意見の押し付けもなく読みやすいと思います。

2011年08月11日 脱原発かぁ。…もしかして本気で言ってるの?
一週間前のエントリです。台湾のとこで書ききれなかった有権者云々について書くことができたので、コメント欄も見て頂けると嬉しいですね。

2011年08月17日 終戦の日、晴朗な天気と沈殿するもの
まぁこの辺のエントリはもう少し時間が経ってからコメントつけることにします。


文学や長い目の呟きなんかもまとめようかと思ったのですが、長くなり過ぎるのでやめておきます。書くことがなければ明日明後日アップします。まぁざっと昔のエントリを読んだのですが、なんというか、方向性の定まらないままに書いていたものが殆どなので、こんなものを紹介していいのか迷いました。SNSからブログに移行してから、書き方に戸惑っているのが如実に分かります(今もですが)。また政治を題材にすると主義主張が不可避に混ざるので、どうしても稚拙な文章になるのです。

しかしまぁ焦燥感に駆られて書いたこと、それは僕の今を形成していて、変にへりくだるのもおかしいので思い切ってリストにしました。文学やなんかはもう少し読みやすいと思いますので、そちらの方も次のアップで楽しみにしていてください。

あ、ちなみにこの曲はランディ・ニューマンの『Short People』です。面白い歌なのでいずれ記事にするかもしれません。それでは。

終戦の日、晴朗な天気と沈殿するもの

 昨日は終戦記念日ということで靖国神社へ、学生時代の後輩を連れて参拝してきた。世界では第二次大戦、アメリカでは太平洋戦争、日本では大東亜戦争と呼ばれる先の戦争を、振り返りフェアに受け止められる年齢になったと思うので、それを確認するために行ってきた。晩夏に照りつける太陽の下、右翼の街宣カーはここぞとばかりに軍歌を鳴らし、ぱっと見に変な人も沢山いて、旧陸軍の軍服を着た老人達が行進していたりと、何かと騒がしくて、静かに参拝するつもりだった身としてはどうにも居心地が悪かった。

遊就館では、壁を埋める戦没者たちの遺影を眺めながら、遺書を読んだ。感慨深いという以上に、彼らが戦争という悲劇に巻き込まれ、夢や希望・期待をなげうって死んでいったという事実に改めて打ちのめされた。三島由紀夫が名文と絶賛し、感涙したという遺書もあったが、遺書で発揮される文才なんて悲しすぎる。表された兵士たちの偽りなき愛情は、戦争という悲劇の中でこそ閃き、色褪せることなく僕らの心を照らす。胸騒ぎのように哀しみが疼く。館内にはすすり泣く声が自然に流れていた。

同時に現代日本に生きる者として、安易なセンチメンタリズムに流れるべきでもないとも思う。戦争や戦前という時代にロマンを感じ、賛美する人もいるだろう。あの戦争を全否定して憲法を拠り所に平和を叫ぶ人もいるだろう。しかし僕らは過去を参照し、過大評価も、過小評価もせず、なるべくなら客観的に歴史から学び、よりよい未来をつくり上げる責務がある。

右翼や左翼という単語がいまだ死語にならない現状。靖国に参拝する層の特殊性(戦中世代を除いて)。それらは日本人が未だ先の戦争を受け入れられていないということを示している。そのためにはまだ時間が掛かりそうだ。僕自身靖国へ行ったことで答えが見えなくなった。先の大戦は正義だったのだろうか?悪だったのだろうか?それとも歴史の必然だったのだろうか?日本は軍隊を持つべきなのだろうか、それとも平和を謳い上げるべきなのか。浮かび上がってくる、民族としての誇りをどう消化するのか。

そんな深い疑念に沈みながら、ただ進路の相談に乗っていた後輩が、取り敢えずの結論を自分に課したこと、それをひとまずは喜ぶことにしよう。夕飯を二人でとり、もう一度門の閉まった靖国で、静かに二人でお参りをした。門の前には小さな賽銭箱が置かれていて、忘れていた手水はやけに冷たかった。

農民であり、職工であり、商人であった白骨の、期待そのものだった白骨の、混迷する時代の坩堝に飲まれ、或いは光明を求めて、一介の兵士として大陸南沙へ赴き、空高くを翔け、波頭をくぐり、闇に鎖された、晩夏が照らす哀しみを、屍山に立つ者共は、希望の燠火を守るため、獰猛に死んだ久遠の魂の、悠久の願い、永劫の祈り、涙溢るるほど果てのない愛情に捧ぐ、どこまでも遠い空の下、託され受け継がれた誇りという名の鎮魂歌を歌い、燃えさかる明日の焔に薪をくべる。昭和に生き昭和に死んだ者たちへ、静かに思いを馳せながら。

お盆の間くらいは、戦争のこと、従軍した僕らの爺さんたちのことを考えようと思う。少なくとも彼らは僕らのために戦ったんだ。来年も靖国へゆこう。ありがとう、爺さんたち。









脱原発かぁ。…もしかして本気で言ってるの?

 今週日曜日に玉葱が安かったんで、大玉を12個買って半日かかって飴色に炒めてた。既製品だと100円で一回分、自分で作ると50円で一回分。ケチッてるんじゃない、自分で労働することが大切なんだ。その後3時間かけてカレーを作る。そんな有意義な週末を過ごしてました。全部自分で仕込むカレーは旨いんだ。ルーなんか使っちゃ美味しいカレーは作れませんから。

さて。keiに話した時もそうだったし、23日前に大学時代の後輩と話してた時もそうだったんだけど、原発について話してると“南海道さんって意外にリアリストですね”とか変な褒め方をされる。まぁ夢想家というか妄想癖があるというか、そういう部分は認識してるつもりなんだけど、それとは別に僕は堅実な思考をする方だと思ってたから、なんか違和感があるというか、まぁ他人からどう思われてるなんて所詮分からないもんだなと改めて思いました。

なんか最近いわゆる世論では“脱・原発”なんてカッコイイ単語が跋扈してるみたい。歯触りの良い言葉だから、あんなに嫌いな菅さんの発言したことでもそこだけは受け入れるんだ、ふーん、とか思う。確かに真っ当なことを言ってるようにも思える。今回の地震→津波で福島第一原発がメルトダウンというかメルトスルーを起こして、セシウムだプルトニウムだ、20㌔圏内避難要請が出て、農業・畜産は大損害。原発の危険性を改めて認識した上で原子力行政の見直しをしてゆく。いずれクリーンなエネルギーに切り替えてゆくんだ、と。


結構なことじゃないか。メディアの世論調査によれば7割弱が支持してるとか。原発は危ないもんな。でもね、僕はちょっと待って欲しいと言いたい。具体的な検証もなされずに綺麗事だけに偏ってる現状こそが危ういと思う。


まず原子力エネルギーについて議論する時、前提にしないといけないのが“石油以降のエネルギーを何に求めるか?”ということ。火力は原始的な発電形態だけれども、効率はそう悪くない。しかし海外では火力発電による大気汚染、健康被害が発生していて、近年の温室効果ガス排出削減の流れにも逆行している。なにより50年来『枯渇する!』と叫び続けられていて、現実問題、限られた資源であり確実に減ってゆく石油に未来永劫頼り続けることは不可能だから、次世代エネルギーを探す必要がある。その一応の結論が、“原子力”ということになっている訳だ。

原子力発電は二酸化炭素はおろか大気汚染自体しない上、石油に較べるとごく微量のウランやプルトニウムさえあれば発電できるので、当面の枯渇を心配することもない。その結果燃料費も安く済むという利点もある。ただ暴走すると激甚災害を引き起こすという潰滅的なデメリットも孕んでいるものの、利点のでかさから世界的には原発推進の流れは加速してた。チェルノブイリ、スリーマイルといった大災厄から目を背け、それでも各国で運用されてる原発競争のことをチキンレースだと指摘する者もいたとか。

そして“フクシマ”が起こった。菅さんを始め、メディア・世論がそろって脱原発もしくは段階的廃絶を題目のように唱える気持ちは分かる、分かるけれども、だったら代替エネルギーをどこに求めるつもりなのだろうか。風力?太陽光?環境エネルギーについては技術開発に時間と費用がまだまだ必要な上に、それでも実用化できるか分からない。大前研一がどこかのコラムで書いていたが、菅さん肝煎りのメガソーラーの年間発電量は浜岡原発5号機の一時間の発電量と等しいとか。それだけ効率が悪いものなのだから運用には金が掛かる。


原子力を代替するには環境エネルギーでは役不足だ。ムリクリ運用したところで電気料金の大幅値上げは避けられない。個人レベルでは冷房我慢するくらいでなんとかなるかもしれないけれど、生産業の中小・零細企業を間違いなく圧迫することになるだろう。


ならば個人・企業レベルで、スマートグリッドなんかを実用化して、各家庭に一基ソーラーパネルを配置すればいいじゃないか。そういう議論もある。ただそれもあくまで現状として、ソーラーパネルに使用されている有害物質の漏洩・滲出の問題がある。イタイイタイ病のカドミニウムも使われているから、漏れ出してしまうと健康被害を起こす。それを監督する自治体なんかも頭を悩ませることになる。これも大前研一の受け売りだけど、現実的に運用するまでにはそういった諸問題を一つ一つ解決しないといけない。これも現実的には難しい。

風力発電も騒音被害・景観破壊、あとバードストライクとか色んなデメリットがある訳で。発電効率もどうせよくないだろう。チューリヒかどっかオランダの人が騒音に悩まされてると聞いた。様々な選択肢があるようでいて、環境エネルギーの実用化の道のりは遥かに遠いと言わざるを得ない。で、その研究開発の期間を火力発電で繋ごうという案もある。

敢えて石油のことを書いたのはこのためなんだけれど、次世代エネルギー研究開発のために火力を使うという発想そのものが本末転倒というか、時代に逆行しているというか、問題を先送りしているだけに過ぎないことに多くの人が気づいてない。いつ実用化の目処が立つか分からないもののために、限りある資源を燃やし続けるという発想の貧困さにため息が出そうになる。環境エネルギー実用化の前に石油が枯渇したら全世界の全産業が停滞する可能性がある訳で、そんなリスクをとる必要がどこにあるんだと思う。


“脱原発”の歯触りの良い語感には、科学万能主義というか、どこか楽観している節があって、問題の本質をまるで見ていない人々の、遊びのような議論の唾液が付着しているような、そんな不愉快さがある。


でだ。ここからが本題。ここからは、だったらどうするんだという話を書きたい。代案のない者に批判する資格はない。今回の東北関東大震災(東日本大震災という名称はイマイチな気がする)は1000年に一度という規模だったらしく、想定外の津波に福島第一原発は暴走した。同時に同じ宮城県にある女川原発の方は同程度の津波が襲ってきたにも関わらず安全停止して、住民の避難場所にすらなったらしい。

ちょっと刮目して欲しいのだけれど、これを逆に考えると、日本の原発プラント運用技術は1000年に一度の津波にすら耐えられるということを証明したともいえる。第一と女川の明暗を分けたのは外部電源の喪失の有無、つまりは想定した津波の高さにあった。だったら今回の教訓を活かして津波の予想される地域の原発の安全基準を、女川原発並のレベルに見直せばいい。

そうすれば向こう1000年くらいの安全は保証されると思うがいかがなもんか。原発同士を地下送電線で結んでもいい。少なくとも第一原発の被害は外部電源さえ確保されれば回避できたんだから。

水素爆発にしても、中間貯蔵庫や最終処理場に入りきらなかった使用済み燃料を建屋内のプールに入れてさえいなければ、そんな杜撰なことさえしてなければ起こらなかった。ならば今後貯蔵庫・処理場をどんどん建設してゆけばいいじゃないか。

まぁどちらにしても今回の地震の教訓があるのだとすれば、原子力発電の是非を論ずる前に、日本型原子力行政の功罪を論じるべきじゃないかと思う。適切に建設・運用されさえしていれば起きなかった、いわば人災とも言える。その見直しの前に、やれ脱原発だとか言うには理論の飛躍があるように思えるのだが。処理の先送り、賛成地に大量建設、津波想定の甘さ…見るべき問題はいくらでもある。

僕個人としては脱原発でも段階的廃絶でもなく、敢えてこのタイミングで原発推進すべきであると思う。その前提のもとで原発行政の見直しは必要になるし、最終処理場の建設の必要性も生まれる。段階的廃絶だとか、国民の耳触りの良いことばかり言っていると使用済み燃料の行き場所の議論も生まれず、中途半端なままに第二の災害を待つことになる思うのだが、いかがなもんかね。

日清戦争の戦勝に味をしめた国民のポーツマス条約締結後に起こした交番焼き討ち事件だとか、戦争に負けた瞬間から戦争自体を全否定し始める戦後の進歩的知識人・メディアに追随する我々日本人の、易きに流れて問題の本質に向きあおうとしない国民性というもの、いい加減にそこから脱却しようじゃないか。僕の穴ぼこな理論に疑義を呈する前に、もう一度考えなおして欲しい。その一助になれば。




そういえば日本の近海にはメタンハイドレートという天然ガスの氷塊が生えてるそうです。埋蔵量としては日本の全発電量の10数年分は賄える程度はあるそうなので、適切に運用されさえすれば今後しばらくは資源の心配をする必要はない筈なのですが、やはりというか、中韓への配慮で全然掘削どころか調査も軌道に乗ってないのが現状だそうで。嫌んなっちゃいますね。