「滅私奉公のサラリーマン」だったころ | 相場残日録(元相場師天の日記)

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プロの相場師「天」の引退後のブログ、残日録として記していきます。

こんな記事がありました。

日本の部活動は「滅私奉公」サラリーマンを育てる隠れカリキュラム|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)

少し抜粋

企業は部活(運動部)の経験者を評価する、後者は前者が求める人材像に合致する。だが周知のように、日本の企業にはブラック労働がはびこっている。見方を変えると、学校の部活動は、滅私奉公のブラック労働を厭わない人間を育てる「隠れたカリキュラム」として機能しているとも言える。

抜粋終わり

 

外国のメディアの鋭い指摘ですね

自分も大学体育界弓道部出身で主将も経験しました

なので、まあ その通りだよな と頷けます。

 

そして かつて

私が、滅私奉公のブラック労働を厭わない人間だったころ

実際に経験したこと

スケープゴート・・・ | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

少し抜粋

あとでよくよく考えたら

もし これが問題になっていたとしたら

隠ぺい工作は私が独断で勝手にやったこと??

スケープゴートにされていた??

寒くなりました。

私にも 組織に身を捧げる若い純粋な時代があったんですね・・・・

抜粋終わり

 

振り返ると

私が 滅私奉公のサラリーマンだったのは

ディーリングルームを卒業する35歳まで

普通の銀行員だった初任店の渋谷支店時代

そして ディーリングルームの合計13年間

 

そのディーリングルーム時代の終盤

もの凄くお世話になったディーリングルームの先輩から

飲みに行こうと誘われて二人でどこかのバーで飲んでいると

 

「お前も もう会社のために働くのは終わりにしろ。

これからは、自分の思うままに、

そして自分のためだけに働け」

 

そう声をかけられました。

嬉しさと、これまでの忍従の苦労の日々が想い出されたのか

先輩の前で 号泣したのを今でも想い出します。

あれが転機でしたね

その直後、私のビジネスキャリアで最高の時間だった

年金運用マネージャー時代が始まりました。

ご参考

最高の6年間の始まり | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

少し抜粋

「この9年、お前には本当に苦労かけた、

嫌な仕事はほとんどお前にやらせ

海外転勤もなくずっと東京に塩漬けにして、本当に申し訳なかった。

しかし、ここにこのままいてもお前の未来はない。

だから、次どこに行きたいか、希望を言え、その希望だけは

俺が、絶対にかなえてやる。」

もう、自分でもわかっていたし、覚悟もしていたので

即座に、

「信託に行かせてください。為替ディーリングには飽きましたから

信託銀行に行って、年金の運用をしたい

そうお答えしました。

上司は、「分かった。」 と一言

その1週間後に、私の銀行が子会社化した信託銀行への

異動が言い渡されました。

抜粋終わり

 

ここから 私は変わりました。

自分が正しいと思うことと

組織の決定が違っている場合

私は、自分の信じる道を行く

そして、誰もが何も言えないくらいの実績は残す

組織内で治外法権を獲得する

完全なアウトサイダーとしての存在

その姿勢は 今でも貫いています。

まあ そのおかげで 

メガバンクの組織内の人事的には

あまりいい目には合いませんでしたが (笑)

ご参考

出世ってなに? | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

 

冒頭の ニューズウィーク誌の記事を見て

自分の13年間の「滅私奉公のサラリーマン時代」を

想い出しました。

 

今ビジネスマン40年目

ということは、

自由を手にして27年目ですね (笑)

 

最後にご参考まで

4年ほど前に書いた記事

組織に逆らうサラリーマン 半沢直樹を書いた記事

半沢直樹の世界 | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

 

 

以上