GW連休の間の平日、天候も一休みという感じ。

しのぎやすいともいえる。

 

特に何もなかったのだけれど朝方に夢を見た。

 

夢は目覚めた瞬間から過去に向かって構築される…

てなことを竹本健治が小説で書いていたような…『匣の中の失楽』?

うろ覚えなのであてにならないか。

 

それはさておき、夢の中だけれど久しぶりに会えた人がいる。

会えなくなってからの先のことを少し話してくれていた。

もちろん接触はないのだから

自分の中の過去の記憶の何が「先のこと」を形づくったのだろうと

目醒めてから暫し考え込んでしまった。

それでも当時の声で、姿かたちは少し歳を重ねて感じで

何もわだかまりを感じさせず会話をすることができた。

 

いま何をしているのかもわからないのだが

元気でいてくれるといい。

週末であることはわかっていたのにGWが始まっていることには気づかない。

晴天かつ気温が上昇することを知ったので洗濯と布団干しに励む。

衣替えとは別に、この時期は田圃に水が入る辺りで体感気温は下がる。

だから少々の冬用は残しておくこととし

真冬に身にまとっていたものを片付けられたのは嬉しい。

先週は黄砂の影響があったので出来なかったから。

 

先日某所の読書会に参加した。対象作家は永井荷風。

小学生低学年の頃墨田区東向島に住んでいた。通ったのは第三寺島小学校。

遊んでいた場所の近くには、今は東向島と名が変わった当時の玉ノ井駅。

あのころ『濹東奇譚』なんて知らないもの。

墨田川高校、向島百花園、露伴児童遊園、隣の曳舟駅には鳩の街

当時の自分の小さな身体のスケールで眺めた街並みはとても広く感じられたが

今になって地図で確認すると、なんてそれらが密接していたと驚かされる。

 

東向島の次は八広に住んだけれど転校はしなかった。

近くに親戚の家もあった。映画『下町の太陽』のあの辺り。

今は八広駅になった当時の荒川駅近辺や、そうそう橘銀座商店街も遊び場所。

 

その後は葛飾区亀有に移ったが微妙に墨田区とは雰囲気が違う。

 

あのころ…色々と流転の時代だったけれど

少なくとも懐かしい、と振り返ることができる場所であったことには違いない。

 

 

時ならぬ暑さー暖かさ、ではなくーに少し戸惑うが、気温より何より晴天が嬉しい。

 

先日、昨年も書いた場所に櫻を観に遠出した。片道130km。

仕事をしていたころと同じだけれど、こんなとき平日に動くことができるのが利点。

秋の台風一過の朝のように

前日までの風雨が春の霞をふきとばした抜けるような青空。

いつものように櫻を見たときに引く千家元麿の詩を。

 

『桜』 千家元麿

 

桜の並木の上の空

冷たいくらゐ落ち着いた高貴な空

花はその下に簇り咲いてほんのり空気を染めてゐる

 

昨年は曇天だったから嬉しいなぁ。

この観櫻は、いうなれば儀式。なればあとは当地の櫻を観に歩く

 

さきいずるさくらさくらとさきつらなり 荻原井泉水

 

床に本の山が並んでいるため組立式のブックシェルフを3本購入。

全集の端本や床に並んでいた本の山を収納できてだいぶすっきりした。

これまで賃貸や社宅に住んでいたから、いや、状況は今も同じなのだが

家具類を増やしたくなかったので、買い控えていたのだがまあよいか。

 

物に対する執着はさほどない、というより持たないように努力してきた。

その努力はいつか平素のものとなり意識せずとも自然になった。

仕事を辞め当地に移動する際に、食器棚や本棚を含めて相当数を処分した。

それは何より、物に沁みついた過去(時間?)を捨ててしまいたかったからだ。

そして、生活に慣れるにつれ必要なものを少しずつ、本当に少しずつ増やしている。

そんな感じの自分の中の駆け引きを少し楽しんでいる。

 

ヴァージニア・ウルフ『燈台へ』(新潮文庫)読了。『波』(角川文庫)を読み始める。

新しい年度が始まったということはこの生活も2年目。

今年は…とも意気込んでもいたけれど特に変わることはない。

 

とりあえず

1年目は職場の任意継続の健康保険に入っていたが

今年からは国民健康保険に変更するため、朝一で役所に出掛けて変更手続を行い

国民年金は2年前払いのクレジットカード払いにしたため指定口座に入金した。

あとは住民税か。

 

この生活を始める前、先行者のブログなどを読み漁った。

お陰でどの時期に何をすべきかを学んでいたので本当に助かっている。

昨年は収入がまだあったので、今年は、まだいくらか面倒なこともある。

今年も…多分このままなのだろう。

 

文庫新刊を1冊

アレン・エレケンス『あの夏が教えてくれた』(創元推理文庫)

 

同文庫の『償いの雪が降る』『たとえ天が墜ちようとも』『過ちの雨が止む』

と続いてきた4冊目。作品世界が繋がっている。面白く読んでいる。

 

シリーズ物を追いかけ、新訳をゆっくりと待つのも楽しい。たとえば、

三部作完結後、前日譚『受験生は謎解きに向かない』が出たホリー・ジャクソンがいるし

講談社文庫で途絶えたあと創元推理文庫で続いたC・J・ボックスのジョー・ピケットのシリーズ。

 

しばらく(相当に?)待っているのは

ハヤカワ・ミステリ文庫のピーター・メイのルイス・トリロジーの第三作

創元推理文庫のエリザベス・ウェインのヤング・パイロット・シリーズ

講談社文庫のウィリアム・K・クルーガーのコーク・オコナーシリーズ

辺り

 

ずっと待っていたけれど

作者の逝去により永遠に未完になってしまったのは佐々木丸美の作品群。

『橡家の伝説』『榛家の伝説』の次作を待つ続けていた。

これはいろいろなところで書いたし話したりしたけれど…

 

 

 

 

前日との気温差がかなりの差となる不安定な天気。

この不安定さに引きずられたか、なかなかにしんどい。

 

先日隣市で大きめのマルシェが開かれて友人と出掛けた。

曇った寒い日だったが客入りはなかなかのもの。

陶磁器・皮革製品・布製品等それにフードとバランスよく出展されている。

主に関心があるのは木地物や陶磁器なのだけれど結局購入せず。

出展個所の広さは限られているから、そこに並べる品も扱う品数の一部

そうすると購入に至るには出会いが必要なわけで、なかなかにむつかしい。

 

体力気力が落ちてくると興味関心とともに購買する気も落ちてくる。

こんなときはとりあえず何かを購うことから始めることで勢いをつけたい。

だから目星をつけて、さあ!と意気込んでみるものの気力が続かない。

もう少し養生が必要なのだろう。気長に待とう。

 

図書館で東直子『魚を抱いて 私の中の映画とドラマ』(春陽堂書店)を手に取った。

書名のとおり、鑑賞した映画やドラマの感想と、作品への歌が一首添えられている。

作品の好みは似ているな、と思っていると

先日挙げた『いつか読書する日』も取り上げられていた。

 

主人公の美奈子を演じる田中裕子は50歳で朝に牛乳配達を行い昼はスーパー勤務。

岸部一徳が演じる槐多と家族絡みで過去に色々あったが、

現在彼女は独身で、朝昼は働き、夜は読書をして就寝する毎日。

そういえばこの映画について15年ほど前、当時関わっていたミニコミ誌に書いた。

この映画で美奈子が部屋の中央に座り、周囲を囲む本棚を見渡すシーンがある。

抱え込んだ過去や取り巻く現在、起こりうるであろう未来総てをいったん措いて

見渡す美奈子を観て、こんな風に生きてゆきたい、と思った。

 

いま仕事も辞め静かな生活を送る自分はあの時の希望をかなえているだろうか。

 

 

 

 

友人が関心ある分野の企画展が隣県で行われていて

ならば、とそれに乗り見学するとともに併せて買い物に歩いた。

 

それらは少なくとも自分には重ならない分野なものだから

この世界にはこんなものがあるのだと目を開かせられるし

知らなかったことを知りうることは新鮮な経験である。

刺激の少ない今の生活にはありがたい。

 

隣県の大きな街に行ったときは、矢張り文具屋と本屋は外せない。

 

セコイア・ナガマツ『闇の中をどこまで高く』(東京創元社)

ナヴァー・エブラーヒーミー『十六の言葉』(駒井組)

みすず書房編『読書アンケート2023』(みすず書房)

ジリアン・マカスタリー『ロング・プレイス、ロング・タイム』(小学館文庫)

 

『十六の言葉』『読書アンケート』は当地では見つけられない。

駒井組代表の駒井稔が昨年出した『編集者の読書論』(光文社新書)は読んでいて

その駒井組が出した『十六の言葉』は、昨年あちこちで話題になっていたのだが

当地では手にすることができなかった。やっと実際に手にして面白そうなので購入。

『ロング』は原題そのままであり、in the~に続くイディオムだと思うのだが

片仮名表記で『ロング』を『WRONG』と変換する人はどれくらいいるだろう?

 

何冊か読んだ。

ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(角川文庫)

マルコ・ヴァルツァーノ『この村にとどまる』(新潮クレスト・ブックス)

ベンハミン・ラバトゥtッツ『恐るべき緑』(白水社エクスリブリス)

 

少し復活してきているのかもしれない。

そうそう当地に来て1年経ったので題名に元号を入れることにした。

ある時期からこころが不安定になり難儀していた。

原因についてはいくつも心当たりがあったからまだしもだったけれど

いよいよもって落ち着かない。親しい人に感情をぶつけてしまうこともあった。

クリニックに通う友人がいたので色々教えてもらい通うことにした。

 

そんな折、隣県の櫻の名所に出掛けたとき、櫻は満開で人も多く賑わっているのに

音が消え、自分が周囲から隔離される感覚を覚えた。

不思議な感覚で、少しまずいところに来ているのでは、と考え

懸案事項をはっきりさせてゆかなければならないんだろうな、と思った。

 

その前年の大晦日にメールを貰ってから連絡が取れない人がいた。

毎年送られてくる年賀状も来ない。メールには年賀状の準備がまだ、との記載。

今になって思えばよくそんな大胆なことが、と思うのだが

住所は知っているから先方御自宅近隣の寺院へ連絡をしてみると

『正月の4日に亡くなりましたよ』との返事。そこから記憶は飛んだ。

 

トリガーが引かれてしまったようで一気に不安定さを増し

仕事は病休となり、それらの生活の中である日、クリニックを受診すると

入院することになった。その日上司も呼ばれていて先に診察室に入ったのだが

出てきたときに真っ青になっていた気がする。午前中に受診して午後から入院。

その年は暑い夏だったが余り記憶がない。それが2010年の夏

 

退院後は担当職務から外され、上司直属で事務仕事をすることになった。

定時きっかり、同僚との接触も制限されるような感じ。

 

その日は受診のため15:00から有休を取ることになっていて

手を付けていたその日の仕事をまとめていた時に揺れ始めた。

そこから職場は怒涛の如く動き始めることになったが、一応安全が確認され

定時で職場を後にすると、クリニックから診察中止の連絡が来ていた。

 

実家は被災県にある。

幸いライフラインが切れていなかったから帰省することにした。

結果としては夜中に到着。買い込んだ品物を渡して夜通し対応を話し合い

夜が明け、薄明が始まったところで実家の安全確認を父親と行ってから戻った。

ちなみに一番役立ったものは車のシガーソケットから行う携帯充電器だったそう。

真っ先に買いこんだものだった。

 

それからが大変だった。

こちらはライフラインがあるので実家から知人の安否確認の依頼が舞い込む。

被災地の自治体や諸々のHP他を探しまわり、結果を実家に伝える毎日。

安否不明だった従姉妹一家は、住んでいる自治体HPに貼り付けられていた

ある避難場所の一枚のPDFに手書きで家族分の名前を探し出した時は安堵した。

 

だたこの作業は本当に疲弊した。

あれから13年。

 

数年後こちらの状態が整ったところで

連絡した寺院に再度連絡し中国地方まで足を運び知人を発見した方とも話をした。

十数年来の付き合いで初めて目にする知人の遺影に手を合わせた。

前年も含めたあの年のことは自分の中で不可分なものとなっていて

ほかにもっといろいろなことが起こったのけれど

これでようやく一つの区切りができたのではないかと思ったことを覚えている。

 

 

 

 

3月になった。当地へ転居したのは昨年3月12日。

世の人が異動等で動き出す繁忙期前に転居してしまおうと考えたのだった。

 

先日友人と映画館に。『PERFECT DAYS』鑑賞。

映画鑑賞なんていつ以来?最後に観たのは『PATERSON』だから4、5年振りか。

拳銃を撃ったり人が殺されたりといった暴力的シーンが苦手だから

そうなると、作品を選ぶ時点で限られてくる。

 

世評は高いみたい。

楽しめたし悪くはないけれど『???』が見終わっての感想。

ドアノブの中心にボタンタイプがある鍵構造になっていると役所は述べたようだが

ひとつ挙げれば『なぜ主人公は家の鍵を閉めないのだろう』といったこと。

ただストーリー設定が好み。『PATERSON』もそうだし

他には『いつか読書する日』『東南角部屋二階の女』とか

 

久しぶりに新刊単行本を購入。

ユーリー・マムレーエフ『穴持たずとも』(白水社)

2年前に始まった<ロシア語文学のミノタウロスたち>シリーズの三冊目。

試しに買った一冊目の

ガイト・ガズダーノフ『クレールとの夕べ/アレクサンドル・ヴォルフの亡霊』

がとても良かったので買い続けようと決めた。

いまの生活を始めてから単行本を買う機会がだいぶ減ったけれども

気に入った作品を精選して買ってゆかれればよい。

 

ただ、今月は

マーガレット・アトウッドのマッドアダム三部作のラスト『マッドアダム上・下』が出る。

2冊で7千円越え。節約に努めなければ。

 

一作目『オリクスとクレイク』の原著刊行は2003年、邦訳が2010年

二作目『洪水の年』の原著刊行は2009年、邦訳が2018年

そして『マッドアダム』の原著刊行は2013年

 

『オリクスとクレイク』は早川書房だが『洪水の年』『マッドアダム』は岩波書店

そして『オリクスとクレイク』の訳者は畔柳和代だったが

『洪水の年』ではアトウッド作品を数多く訳している佐藤アヤ子に代わり

『マッドアダム』の訳者は林はる芽、といろいろあったけれど

10年かけて刊行されたシリーズが14年目に邦訳で揃う。まずはめでたい。

でも、『オリクスとクレイク』から読み返しておかないと駄目だろうな。

嬉しい悲鳴、と考えたい。

 

 

 

先日は友人と県庁所在地にある飲食ブースのイベントに参加。

廃校になった建物を再利用したイベントスペースは珍しくなくなったね。

クラフトビールが何種類もあった。友人は三種類ほど試していた。

香りをかがせてもらったけれど成程いろいろあるものだ。味はわからないけど。

しかし昼時のイベントに家族連れでやってきて

子供はソフトドリンクを飲ませ親は飲酒している。うーんという感じ。

 

そのあといくつか馴染みの店を廻って買い物。

 

月に一度出かけるが、いや、本当イベントを見つけて誘ってもらえて良かった。

昨年は転居や引継ぎなどの退職準備で追われて無理やりジャッキを上げていた。

 

確定(還付)申告は開始前に提出できるので14日に税務署に提出した。一安心。

所得税の還付なので収入とは違うけれど嬉しい。

 

そうそう書店で見つけた。

石垣りん『詩の中の風景 くらしの中によみがえる』(中公文庫)

 

婦人之友社から92年に出た作品の文庫化。

梯久美子の『新潮』での評伝の連載は三回目を迎え漸く内容が進み始めた。

分量も少し増えたようで先が楽しみでもある。

 

文庫化は嬉しいが、婦人之友社の本はA5判型で上部に石垣が選んだ詩人の作品

中下部に石垣のエッセイを載せていたのだが、文庫になるとスペースの関係から

作品とエッセイが頁の前後に分断されてしまう。これが残念。

それでもこの文庫化はうれしい。

 

口語自由詩になって多くの読者を失ったいう人がいる。

読者が少なくなると詩は難解になりアヴァンギャルドが許されるようになるとも。

それでもこの本で引かれた口語自由詩に難解なところはない。

 

 

どうやら暦では今日から三連休であるらしい。

起床して食事を済ませ図書館に行き家に戻って昼食を摂る。

午後は身辺の雑事をこなし夜は早めに夕食を済ませ読書・入浴して眠る。

毎月の予定や時折飛び込む所用をこなすことを除けば

最近ではほぼこのようなルーティンが固まってきている。

このように過ごしていると日々が過ぎるのが大変に早く感じる。

 

年が明けてから還付申告の準備や健康保険の変更手続

国民年金のカード払い手続といった諸々の準備を進めている。

1年目のあれやこれやが過ぎて、そしてこれらの準備を済ませれば

ひとまずは、漸く本当の静かな生活が始められるだろう。

 

先週は人間ドックを受診するため朝早く南の街へ。

転勤で異動しても最初に受けた病院に毎年通うことにしている。

胃カメラは経鼻なのだが今年の担当はあまり上手ではなかった。

ここの理事長も以前担当だった。当時は経鼻はなく経口だったが

この理事長本当に胃カメラが下手でえらく苦しんだことを思い出した。

1年前、そして退職前と比べると各検査項目の数値はよい意味で下がった。

たぶんそれだけストレスだったのだろう。やはり限界だったのかもしれない。

 

パオロ・ジョルダーノ『タスマニア』(早川書房)読了。

良くない。

ところどころに気の利いた表現を見つけられるのだが内容は自分には響かない。

ただ、昨年読んだ『きつね』と同じくオートフィクション。

最近数多く紹介されるイタリア文学の隆盛は嬉しいことだけれども。

 

シェハン・カルナティラカ『マーリ・アルメイダの七つの月 上下』(河出書房新社)

を読み始める。