今回の心屋塾 Beトレ でのテーマは 「断愛」でした。
「断」してみるものを挙げてみます。
・辞めるってありえないと思うもの
→ コーヒー ビール ケータイ ブログ
・そうせずにはいられなかったこと
→ 人からの関心、受け入れてもらうこと
人から認めてもらうこと(注:自分の望んでる姿で)(爆)
今思えばカン違いしてるよね。
ありのままの自分で認めてもらいたいのではなく
いい人の自分で認めてもらいたくて
いい人のふりをしてた。(嫌われたくないから)
周りから認められてないと不安で
受け入れられていても、だけどわたしはこんなとこがダメなのって思い
他の人がすごく見えて、勝手に劣等感持って
自分には居場所がないように勝手に思ってた
はぁ、チョーめんどくさい
Beトレ終わって、つらつら思いをめぐらせるうちに
ほしいほしいって言うのをやめる「断愛」って
「あきらめること」につながるのかもと思えたの。
「諦める」というと、負けるイメージ
ネガティブなイメージが強い気がする。
諦めることにすごく抵抗があったし
諦めたらいけないような気がしてた。
諦めたらもっと嫌われるような気がしてた。
だからすごくがんばってありとあらゆる方法を試してみたことがあった。
それでもどうしても何もかわらなくて
疲れ果て、どうしようもなくなったときに
「あきらめる」=「あきらかにして見極めること」
「明らかにして認めること」
「手放して身軽になること」
そんな言葉をあちこちから受け取ったの。
そう考えると、全然ネガティブじゃない
とも先生 のブログで紹介されてた五木寛之さんの著書、
図書館で借りてきて読んでるのだけど
(すごく興味深いです、きっと買うなー)
- 自力と他力 (五木寛之こころの新書)/五木 寛之
- ¥840
- Amazon.co.jp
こんなふうに書かれています。
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諦めるとは、「明らかに究める」ということです。
ものごとを明らかにし、その本質を究めること。
勇気をもって真実を見きわめ、それを認めることが、
本当の<諦める>ということです。
<諦める>ことで、はじめて生まれてくるものがあります。
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ぢんさんのいつも言ってることと通じるなーと思いました。
その時相手に対していだいていた多少の期待や
自分の思いなどを、あきらめてみると
体が軽くなった気がしたよ。
さっぱりしたというか。
断捨離 みたいだねー。
ときどきそうせずにはいられなくなったら
習った呪文唱えてみよう。「ちゃうちゃう」
ねぇねぇ、それほんとに必要なの?
よーーーーーく 見るとわかるかも