「キリストの洗礼」で、人に気づかれずに別のテーマを仕掛けることの楽しさを知ったレオナルドは、他のフィリッポ・リッピの作品、プラート大聖堂の「聖ステファノの生涯」「洗礼者ヨハネの生涯」など、独創的な異時同図法をみて、普通の表現では物足りなくなっていったのでしょう。
「自分も彼らのように、独創的な仕掛けのあるものを描きたい。」
「受胎告知」に「死の告知」を重ねてみる
「キリストの洗礼」と同時期、レオナルドは「受胎告知」を制作するにあたり、
ボッティチェリの師匠のフィリッポ・リッピの「聖母の死のお告げ」と、
兄弟子ギルランダイオの「聖フィーナに死の告知をする大聖グレゴリウス」からヒントを得て、
「受胎告知」に「死の告知」という別のテーマを重ねようとしたとみえます。
「死」を匂わせるために、書見台は墓碑を模した形にし、
聖母が聖書を終わりのページまで捲ることで「終わり(最後)」を匂わせる。
ただ書見台の形状はあからさまですので、当時は「書見台が墓碑に似ているとはどういうことだ!?」と依頼主から苦言を呈されていたかもしれません。
そこはレオナルドが、「ただ造形の素晴らしさを参考にしただけで、これは墓碑ではない」と言い切り、師匠のヴェロッキオも弟子の試みにうすうす勘づいて庇ったのかも~などと想像しています。
「全体の出来が良ければ、小さな部分は気にならないもの」
そもそも「あるテーマと見せながら、別の意図(テーマ)も重なっている」とは、なかなか思い至らないものです。
レオナルドの「受胎告知」の別の意図に気づけるのは、それ以前に入れ知恵をしたボッティチェリだけ。(または「キリストの洗礼」の仕掛けに気づいた人だけです。)
だからレオナルドは、ボッティチェリに、この作品を見てもらったと思います。
自分が仕掛けた部分に気づくかどうか?を確認するためです。
ただボッティチェリも師匠の「死の告知」は知っていたでしょうから、レオナルドの狙いに気づいたでしょう。きっと、レオナルドの意欲を損なうことなく、さらに自信を持たせるような言葉をかけてあげたと思います。
ボッティチェリの願い
レオナルドの「受胎告知」は1472-75年。
ボッティチェリは、1475年(1473-74年説もあり)に、自画像を入れた「東方三博士の礼拝(マギの礼拝)」を描いていました。
この作品は、師匠のフィリッポ・リッピの遺作「聖母マリアの生涯」にこめた師匠の願いを受けとめて、ボッティチェリ自身の願いをこめたものだと思います。
「聖母マリアの生涯」は、右側にフィリッポ・リッピの自画像、左側には妻がモデルの「受胎告知」の聖母マリアで、聖母マリアの視線の先に砂時計がありました。
自分がこの砂時計に持つイメージは、「限りある時間」と「繰り返す時間」です。
『限りある寿命、人の肉体は朽ちるけど、砂時計のように再び時間を繰り返せるならまた妻と結ばれたい』という、個人的な願いを教会依頼の壁画に込めたものだと解釈してきました。
生まれ変わっても会いたい人かぁ・・・
ボッティチェリは独身で、師匠のように愛する女性はいません。
けれど、再び聖母マリアのような人がきて、救い主が誕生するのであれば、それは自分の生きている時であってほしいと。
自分が死んでも、救い主の生まれる時代に生まれ変われれば・・・という想いがあったかとみえるのです。
どう表現したか?
ボッティチェリは右側に自分の肖像をいれました。視線はこの絵を見る者に向けています。
左側の丸で囲んだ人物も、こちら側を見ています。
自分の肖像と同じ『絵を見る者への視線』を共通項として、左側の人物も(ボッティチェリの意図ある仕掛け)と示したのだと思います。
砂時計はありませんが、この左側の人物は、来世のボッティチェリなのでしょう。
当時の異時同図法というのは、1枚の絵に聖人の異なる時間を何体か描いたものです。
ですが「キリストの洗礼」で、鳥にイエスの生涯を象徴させるという、独創的な異時同図を仕掛けたボッティチェリですから、現在の自分と未来の自分という画家本人の異なる時間を描くというアイデアも思いついたのでしょう。
それで、2022年2月に書いた第22回の記事で、
『青い枠の人もこちらを向いているのですが、2016年に記事を書いた時と同じく、まだ青い枠の人に対しては解釈の迷いがあるので、今回も疑惑の人物として残しておきます。』
としていた件について。
参考記事
2011年の記事では、この青い枠の人物も未来のボッティチェリだと解釈していました。
2016年の再考察の時に、何かすっきりしないものを感じ、
2022年の第22回の記事の時点でも、まだ迷いがあったのですが、
サルバトールムンディから、初期の頃からを再度振り返ってみたところ、
過去に感じた迷いが晴れ、新たにみえたものを信じて青い枠の人物の結論を出すことにしました。
こちらの人物は、来世のフィリッポ・リッピです。
そして彼の人差し指の方向の、黒い帽子の人が息子のフィリッピーノ・リッピで、
息子とみつめあっているであろう髪の長い人が母であり、妻のルクレツィアです。
ボッティチェリは、師匠の願いをくみとり、来世で師匠の家族らが巡り会うことも願って、彼らもこっそり描いたのでしょう。
第90回に続く