二人は何をみていたのか
レオナルドの失意
1480-82年、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の修復工事にともない、壁画制作者選ばれたのはヴェロッキオ工房の仲間であったギルランダイオ、ペルジーノ、ボッティチェリで、レオナルドは選ばれませんでした。
ボッティチェリらがヴァチカンで制作に関わっている間、レオナルドが依頼を受け制作していたのは「東方三博士の礼拝(マギの礼拝)」。
これは、フィリッポ・リッピの「聖ステファノの生涯」をヒントにしたとみえます。
ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコの作品は、聖母マリア・ヨセフ・イエスが2体づつ描かれています。これは普通の異時同図法です。
レオナルドのは、中央の1体だけで、後方の木周辺に人々の視線を集めることによって、木の陰に生まれたばかりのイエスが存在しているようにみせ、「マギの礼拝」に「キリストの降誕」を重ねようとしたとみえます。
そして手前右側に青年、左側に老人は、『対』になっているとみえます。
これはボッティチェリの、自分自身を異時同図にすることを取り入れたようですが、『絵を見る者への視線』は使っていないことからみても、レオナルドはボッティチェリとは違う方法で表現したかったのだと察します。
レオナルドはこの作品を未完のまま、フィレンツェを離れミラノに発ちます。
何故未完のままだったのかの考察は、第24回を参考にしてください。
ミラノでのレオナルド
ミラノにきて早々に絵の依頼が入ります。
彼は今度こそ自分独自の異時同図法を描きたかったのでしょう。
「岩窟の聖母」は、フィリッポ・リッピの「洗礼者ヨハネの生涯」からヒントを得て、レオナルド独自のアイデアとなる「部分的な移動(洗礼者ヨハネの首を移動)」によって、洗礼者ヨハネの異なる時間がみえるようにさせたものでした。
しかし、結局この「岩窟の聖母」は、新たに描く直すことになります。
レオナルドの目論見通りにはいかないものです。
過去記事参考ください。
次にチャンスがきたのが「最後の晩餐」でした。
「最後の晩餐」も「マギの礼拝」の時と同様、それぞれの人物は1体づつですが、見方に気づけば福音書の記述にある「最後の晩餐」から「イエスの顕現」までの何通りもの異なる時間がみえるように工夫が凝らされていました。
【最後の晩餐】
【Noli me tangere(我にふれるな)】
【トマスの不信】
【エマオの晩餐】
【ペテロらが漁でとった魚で朝の食事をするイエスたち】
参考記事
「最後の晩餐」は、レオナルド独自の部分的な移動(マグダラやペテロ&ユダ)のある異時同図法には見えない異時同図法であり、しかも数通りの異なる時間です。
その仕掛けの最も要となる、「ヨハネにマグダラのマリアを兼任させる方法」は、ボッティチェリの作品と関連づけたものでした。
これはボッティチェリの作品を知らないと理解できないものです。
ボッティチェリ本人が、気づくかどうか?
多くの人からの賛美よりも、ボッティチェリの反応が一番に知りたかったのではないかと思います。
イタリアの情勢は乱れ、1499年7月にフランス軍がミラノ公国に侵攻。
1500年4月、レオナルドはボッティチェリのいるフィレンツェに戻ってきます。
第91回に続く