第91回「サルバトール・ムンディ」画家たちの願い⑤ | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

 

  未完のレオナルドの「マギの礼拝」

1480-82年のヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画制作を終え、フィレンツェに戻ってきたボッティチェリが、レオナルドが未完成で残していった「マギの礼拝」を見たと推測したのは、それを引き継いだのが、ボッティチェリの弟子のフィリッピーノ・リッピだからです。

 

ボッティチェリは未完の「マギの礼拝」をみて、レオナルドの異時同図の意図も、途中放棄した想いも察したと思います。

 

ただフィリッピーノ・リッピの「マギの礼拝」の完成は1496年で、14年も後でした。

ボッティチェリは、レオナルドがフィレンツェに戻って、再びこの作品にとり組み完成させるのを数年間は待っていたのではないかと思うのです。

 

 

 

  フィレンツェでのボッティチェリ

メディチ家は、銀行家、政治家として台頭、フィレンツェの実質的な統治者でした。

その膨大な財力で多くの芸術家をパトロンとして支援しており、レオナルドもボッティチェリもメディチ家からの恩恵を受けていました。フィレンツェでルネサンス文化が発展したのもメディチ家の支援のたまものといえるでしょう。

 

※ルネサンスとは、「再生」「復活」などを意味するフランス語で、簡単にいうと、ギリシアやローマの古典文化を復興させる文化運動を指しています。

 

 

 

 

ロレンツォ・デ・メディチはパトロンですが親しい友人でもありました。

そのメディチ家に陰りがみえてきます。

 

 

  サヴォナローラの台頭

 

1452年-1498年5月没

 

1491年、ドミニコ会の修道士ジロラモ・サヴォナローラがフィレンツェのサン・マルコ修道院院長に就任。

彼はメディチ家による独裁政治と教会(聖職者)の腐敗を批判し、また贅沢品をもつことを非難し、信仰に立ち返るよう訴え、市民の人気を得ていきます。

 

1492年にロレンツォ・デ・メディチが死去。

息子のピエロが後を継ぎますが、政治的不安定さと、フランス軍のフィレンツェへの侵攻の対応を誤ったことから市民の怒りを買い、1494年にメディチ家はフィレンツェから追放されてしまいます。

 

この1494年のフランスの侵攻を、サヴォナローラが予言していたということで、彼への支持が高まり、神権政治が始まります。

贅沢品は戒められ、ギリシャ・ローマの古典的文化は否定されていきます。

1497年に、フィレンツェのシニョーリア広場で、市民から贅沢品、書物、芸術品を集めて焼却(虚栄の焼却)も行われました。

あまりに厳格な神権政治に、市民の生活は殺伐としたものとなり反感も高まっていきます。

 

サヴォナローラは、ローマ教皇国も批判したので、1498年に教皇アレクサンデル6世から異端であるとして破門されました。

 

フィレンツェ市民は、サン・マルコ修道院に押し寄せ、サヴォナローラを捕まえます。裁判で有罪になったサヴォナローラと弟子は、虚栄の焼却が行われたシニョーリア広場で、絞首刑の後、焚刑に処されました。サヴォナローラによる神権政治は4年で幕を閉じました。

 

 

 

  サヴォナローラの影響を受けたボッティチェリ

ミラノでレオナルドが「最後の晩餐」を制作していたのが1495-98年。

その頃ボッティチェリは、サヴォナローラ(1494-98年)の思想に傾倒していったとみえます。

 

下の作品は、パッと見た目には磔刑のイエスと、十字架にすがりつくマグダラのマリヤで、聖書上の「キリストの磔刑」のテーマにみえるのですが、ボッティチェリは別の意味を重ねています。

 

空では白い十字の盾を持つ天使たちが、黒雲を押しやり、

燃える松明を持った悪魔たちが地に落ちていきます

白い衣装の天使が、右手の剣を振り下ろそうとしている動物は、フィレンツェのシンボルである獅子です。

 

また、十字架にすがりつき改悛するマグダラの服の裾からは、動物が出て行きます。

背景は、ジョットの鐘楼、大聖堂がみえるフィレンツェの街並みです。

 

「キリストの磔刑」に、当時のフィレンツェの混乱の時代を重ねていて、

悪魔によって堕落・腐敗したフィレンツェも、神を信じ悔い改めれば救われると表現しているとみえます。

 

 

さらに「神秘の降誕」では、ボッティチェリはギリシア語で以下の内容を書いていました。

 

『私サンドロが、この絵を、1500年の末、イタリアの混乱の時代、一つの時代と半分の時代の後、聖ヨハネの第11章が成就した際、すなわち悪魔が3年半の間に解き放たれるという黙示録の第二の災いの時に描いた。やがて悪魔は、第12章に記されているとおりに、鎖につながれ、この絵に見られるごとくに我々は見るであろう。』  ※西村書店『ボッティチェリ』より引用    

 

サヴォナローラは、ヨハネの黙示録11章12章に関わる説教もしていたそうで、

「神秘の降誕」は、その説教の影響を受けて制作されたと考えられています。

 

 

 

「この絵に描かれているごとくに我々は見るであろう」

 

確かにサヴォナローラの影響を受け、今がヨハネ黙示録11章の時と信じたのだと思います。

やがて悪魔は地に落ち、人は勝利を得て、ヨハネ黙示録12章の荒野で男の子を産む女が現れ「鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者」が誕生することも。

 

 

生まれ変わった時に・・・と願っていたことが、自分の生きている時に叶うかもしれないと。

 

 

 

下矢印この2作品からは、ボッティチェリの「救いへの希望」が感じられるのです。

 

 

1499年7月、フランス軍はレオナルドのいるミラノ公国に侵攻。

レオナルドは1500年4月、フィレンツェに戻ってきます。

 

 

レオナルドは、ボッティチェリを訪問したはずです。

二人の間でどんな会話が繰り広げられたかの想像はさておいて、少なくとも「神秘の降誕」は、早々に見ているはずです。

 

ボッティチェリとは違う仕掛けでもって、ヨハネ黙示録12章の荒野で男の子を産む女を表現しようと模索する中で「糸車の聖母」、カルトンの「聖アンナと聖母子」ができて、最終的に「モナリザ」のかたちになったという考察をこれまで展開してきました。

 

 下矢印参考記事

 

では、サルバトールムンディは、黙示録の男の子の延長線上で描いたのか?

 

 

 

 

 

 

第92回に続く