連載のはじめから読まれている方には、重複する部分が多くなるので申し訳けありませんが、
ボッティチェリとレオナルドが、1500年当時、何故「ヨハネ黙示録」に関するものを描いたのか? その流れを整理したいと思います。
1500年当時を黙示録11章、12章の時代と信じた背景
「神秘の降誕」にボッティチェリがギリシア語で記した銘文の訳
ボッティチェリが記した「イタリアの混乱の時代」とは、1494年からのフランス軍の侵攻を示していて、そのイタリア混乱の時代を「ヨハネ黙示録11章の時」と信じたのは、ジロラモ・サヴォナローラの影響が強かったのでしょう。
ジローラモ・サヴォナローラ(1452年生-1498年没)
ただ、サヴォナローラが台頭する20年以上も前から、
ボッティチェリは、「自分の生きる時代に救い主が再臨すること」を願っていたとみえる作品があります。
さらに遡ると、ボッティチェリの師匠のフィリッポ・リッピの遺作も、彼らに影響を与えたと思うのです。
フィリッポ・リッピの願い
ボッティチェリの師匠であったフィリッポ・リッピの遺作となったのが、スポレート大聖堂の壁画「聖母マリアの生涯」(制作年数1466~1469年)でした。
フィリッポリッピ 「聖母マリアの生涯」
壁の向かって左が「受胎告知」、右が「キリストの誕生」、中央は「聖母の死」。
「聖母の死」の地上から道が天につづき、天井が「聖母戴冠」になっています。
「聖母の死」の黒い帽子の人はフィリッポ・リッピの自画像で、
「受胎告知」の聖母マリアは、彼の妻のルクレツィアがモデルになっていました。
この聖母マリアの右手や体は、神や天使とは反対の右側に向けています。
彼女の体の向きと右手は、フィリッポ・リッピの想いを受けとめようとしていると感じるのです。
さらに彼女の視線の先には、砂時計があります。
「砂時計」で自分が思い浮かぶイメージは、
「限りある時間」と「繰り返す時間」です。
リッピはルクレツィアより30歳上ですから、たとえ病気が無かったとしても、先に逝くのはリッピです。でもルクレツィアも歳を重ねれば、やがて中央の聖母マリアのように亡くなる時がきます。
限りある寿命、人の肉体はいずれ朽ちるけど、妻と自分の姿は同じ場所に、永遠に残したかったのだと思います。
”貴方の死の際に側にいることができないが、絵の中では永遠に側にいられる。
もし砂時計をひっくり返すように、再び時をきざめるものなら、また貴方と結ばれたい。”
スポレート大聖堂のフィリッポ・リッピとルクレツィアと砂時計を見ていると、そんなイメージが浮かんでくるのです。
師匠の遺作をみて、ボッティチェリは何を想っただろうか?
第88回に続く