第22回「マギの礼拝」自画像を描き込むボッティチェリとダヴィンチ | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

ダヴィンチが「マギの礼拝」を描いたのが1481-82年で29~30歳の時。

それ以前の1475年頃、ボッティチェリが31歳の頃に、下の「マギの礼拝」を描いています。

 

中央に幼子イエスを抱く聖母マリア、義父ヨセフがいます。

幼子に贈り物を渡そうとする三博士、周囲の人物はコジモ・デ・メディチを初めとしたメディチ家の有力者の肖像で描かれているそうです。(メディチ家の誰がどの位置というのは、いろんなサイトで解説されていますので、そちらでどうぞ。)

 

ボッティチェリが、メディチ家の人物を周囲の観衆者として加えるのではなく、東方三博士といった聖書上の人物として描いている点は今後も重要なポイントになってきます。

 

補足ですが、ボッティチェリの師匠であるフィリッポ・リッピも、聖母マリアやサロメを描くのに自分の妻をモデルにしています。(↓過去記事)

 

 

そして右端でこちら側に視線を向けている人物が、ボッティチェリです。

彼は自信の肖像もこの絵に描き込みました。

視線をこちらに向ける(絵を見る人に向ける)ことによって、他の人物たちとはまた違う特別な存在としてみせています。

この、『視線をこちらに向けることによって、他の人物とは違う特別な存在とさせる』方法は、後にラファエロ・サンティの作品にもみられます。

 

 

 

ボッティチェリが右端に自画像を描き込んだように、ダヴィンチの「マギの礼拝」も、右端の人物は、当時29~30歳あったダヴィンチの自画像と言われています。

 

ただこの絵をじっくり見た時に、左端の老人の存在感が気になったのです。

右端のダヴィンチの自画像と対になっているようにみえたからです。

 

2007年、レオナルドダヴィンチの小部屋のブログをYahooで立ち上げた当初より、この左の老人もダヴィンチの自画像であると解釈してきましたが、2007年の時には、まだボッティチェリの「マギの礼拝」のもう一人の視線には気づいていませんでした。

 

ボッティチェリのもう一人の視線に気づいたのが2008年での記事。

そして2016年にも「マギの礼拝」の記事の書き直したのですが・・・

フィリッポ・リッピの作品に気づいたのが、ほんとつい昨年なんですよアセアセ

ですので古い過去記事(特にキリストの洗礼とマギの礼拝)は、やや誤った解釈をしていますアセアセ 

 

昨年から再度、書き直しの記事を更新していますので、あまり古い記事は見ないでほしいのですが、いつも古い記事へのアクセス数のが多いのですよ笑い泣き

(↓ここから、お願いしますよ~。)

 

 

 

さて、話を戻しますが、

ボッティチェリの絵には、右端のボッティチェリの自画像以外にも、視線をこちらに向けているとみえる人物が他にいます。

 

向かって左側の黄色い枠の人の視線がこちらを向いています。

あと、青い枠の人もこちらを向いているのですが、2016年に記事を書いた時と同じく、まだ青い枠の人に対しては解釈の迷いがあるので、今回も疑惑の人物として残しておきます。

 

ネット上では、彼らに当時の人物の名が当てられているサイトもあります。

ただ、やはり自分は『視線』がどうしても気になるのです。

 

後のラファエロが描く「アテナイの学堂」の描き方を見ても、彼らが描く、絵を見る者へ視線を向けている人物は、自画像のように特別な存在であると見えるのです。

 

では左側の人は誰なのか?

 

これもやっぱり

ボッティチェリは、自分の自画像として描いたのでしょう。

 

1枚の絵に、自分の自画像が二体?馬鹿げたこと!と思うかも知れませんが、

1枚の絵の中に、同一人物が何体も描かれるという方法は、異時同図法といって、すでに当時の画家によって描かれてきていました。

 

 

 

宗教画ですので、イエスやモーセ・ペテロといった聖書上の人物を複数描いて異時同図にさせるのが普通です。

 

ところがボッティチェリとダヴィンチは1472-75年にはヴェロッキオ工房で、『キリストの洗礼』に関わっており、これは三羽の鳥にイエスを象徴させ、イエスの生涯の三場面を異時同図にさせており、もはや普通一般の画家が考えるような異時同図法ではないのです。

 

 

 

ボッティチェリが、自分自身を異時同図として描き込むアイディアを思いついてもおかしくないかと。

 

では何故、「マギの礼拝」だったのか?

 

それは一つの冒険的な試みであったのかもしれませんが、彼の師匠であったフィリッポ・リッピの『聖母マリアの生涯』の影響によるものではないかと思います。

 

 

聖母マリアに妻のルクレツィアを兼ねさせ、砂時計と自身の肖像も描いたフィリッポ・リッピは、生まれ変わっても再び妻と結ばれたいと想って描いたのでしょうが、ボッティチェリにはそのような愛する妻はいません。

 

ボッティチェリは純粋に、再び聖母マリアのような人がこの世にきて、救い主となる御子が誕生する未来が来ることを、そして出来るなら自分の生きている時代であってほしいと願っていたのではないでしょうか。

 

右端には、自画像であると判別できる当時の自身の姿を描き、

未来の自身として、そのまま似せた容貌で描くと人に気づかれてしまい問題になりますので、容貌は変え、『視線』でもって特別な人物であることを示したのでしょう。

 

 

 

 

ダヴィンチはボッティチェリの「マギの礼拝」の視線に意味に気づいていた。

 

「彼(ボッティチェリ)とは違う方法で、彼を超えるものが描きたい」

 

それは絵の上手さ・技量といったものではなく、ヴェロッキオ工房での「キリストの洗礼」のように、人に気づかれないように、二重・三重の裏の意味を込める描き方のことです。

 

ボッティチェリが「マギの礼拝」に人知れず自身の姿を異時同図として描き込んでいたことに気づいていたダヴィンチは、同じ「マギの礼拝」でやはり自身の姿を右側に、未来の異時同図としての自分を左側に描き入れたのですが、ボッティチェリの『視線』は使いませんでした。

 

ダヴィンチが使ったのは、

 

天を指す人差し指でした。

 

「マギの礼拝」、まだ続きます。