「大軍師司馬懿之軍師連盟(全42話)」第二十二集26分頃から。
魏と呉の攻撃で関羽は敗北し討ち取られた。関羽の首を受け取った曹操は彼に敬意を示し手厚く葬った。その帰りの馬車にて。
* * * * *

「今日なぜお前を連れてきたかわかるか。」
「お答えします、わたくしに関羽の弔いを早く進めさせるためではないかと。」
「そして東呉の使者がわしに孫権の話を伝達したからだ。孫権が言うには、司馬懿は天才であると。今回名を成したことは必ず天下にその威を揚げるであろうと。」
「わたくしはそのような、とんでもございません。」
「フッ…こういう戯れ事はわしも昔からやってきた。わしが赤壁(の戦い)で撤兵した時も、孫権に手紙を送ってやった。周公瑾はきっと名を成すだろうと言ってな。」
「大王さまさすがです。」
「あの時は周公瑾はやっと36歳になったところで、わしの一生の強敵(ライバル)であったのに、思いがけずもわしより先に逝ってしまった。天意(運命)は推し量りがたく、(命の)長短は無常だ。この幾年かで、多くの敵や友が一人また一人とわしの元から去っていく。劉備、孔明、孫権、こやつら(敵)はお前と子桓に残していく。」
馬車は荒れ地を進んでいく。
「あの頃、ここら一帯は麦苗が青々としており、わしはよくあの袁紹と連れだって遊びに出かけ、馬で巻き狩りをしたものだ。四百年の(歴史ある)名都も、このようにいっぺんで壊されてしまうものなのだな。」
目の前を通り過ぎる地元の百姓の子が歌を歌っている。
「♪じゅうごにしてぐんにおもむいてゆき、はちじゅうにしてはじめてかえるをえたり・・・」
曹操はその子の歌にしばらく耳を傾ける。
「この歌は…?」
「大王さまお答えします、(あの)子供の歌っているのは洛陽のある民歌です。わたくしは歌詞を知ってますから、大王様にお聞かせしてもよろしいでしょうか。」
「ああ。」
「"十五にして軍に従いて征き、八十にして始めて帰るを得たり、道に郷里の人に逢う、家中に阿誰有りや、遙かに看る是れ君が家なり、松柏・塚累累たり、中庭には旅穀生じ、井上には旅葵生ず、穀を舂きて持って飯を作り、葵を採りて持って羮を作る、羮飯一時に熟すれども、知らず阿誰に貽るかを、門を出でて東に向って看れば、泪落ちて我が衣を沾す"
(十五歳で従軍し出征し、八十歳になってやっと帰って来た。道で逢った故郷の人に、(自分の)家には誰がいるかなと訊く。(その人は言った)あそこに見えるのが君の家だ。(行ってみると)松や柏が生い茂り墓がうず高く立ち並び、中庭には野生の雑穀が生え、井戸の上には野生の葵が生えている。その雑穀を採って(臼杵でついて)飯(※餅のような主食か)を作り、その葵を採って羹(※煮物)を作る。飯と羹は同時に出来上がったが、誰に食べさせればよいのだ。門を出て東を見ると、涙がはらはら落ちて私の衣を濡らす。)大王さま、この民歌を歌ったのは小さい頃に家を出たとある老兵で、家に帰って食事を作ったのに誰に食べさせればいいかわからない、(なぜなら)家の者は皆死んで誰もいなくなっていたからです。」
「…この数十年、中原は戦に乱れ、百姓(の家)は十のうち九つが(人がいなくなり)空だ。わしはお前を、子桓が平和で豊かな国家を築き上げるのを補佐させるために残しておく。平和な世…わしは、この目で見ることはできぬ。お前達に残していく。しばらくは兵を休ませ民を養うのだ。百姓らは、苦しかろう。」
「大王さまの胸の内は、誰も及ぶ者はおりません(誰よりも素晴らしい)。大王さま万歳。」
* * * * *
劇中の歌は「十五従軍征」と呼ばれる作者不詳の詩。原典はこちら。
十五従軍征 八十始得歸
道逢郷里人 家中有阿誰
遙望是君家 松柏塚纍纍
兎従狗竇入 雉従梁上飛
中庭生旅穀 井上生旅葵
烹穀持作飯 採葵持作羮
羮飯一時熟 不知貽阿誰
出門東向望 涙落沾我衣
十五にして軍に従いて征き
八十にして始めて帰るを得たり
道に郷里の人に逢う
家中に阿誰(※誰か)有りや
遙かに望む 是れ君が家なり
松柏 塚(※墓)累累たり
兎は狗の穴より入り
雉は梁の上より飛ぶ
中庭には旅穀(※野生の穀類)生じ
井上には旅葵(※野生の葵)生ず
穀を烹て持って飯を作り
葵を採りて持って羮を作る
羮飯一時に熟すれども
知らず 阿誰に貽(おく)るかを
門を出でて東に向って 望めば
涙落ちて我が衣を沾(うるお)す
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