新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。 -13ページ目

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

今週頭に5年ぶりに東都大学野球1部リーグを観戦しました。

1日に3試合行うが、その第一試合は前スレッドで紹介。

 

今回は第二試合の模様を。

神宮球場間近でポツンと雨が落ちて来たので、第一試合は屋根のある2階席で観戦するも、試合中佳い天気になっていった。

すると陽の射さない2階席はやや寒い。

そこで、第二試合時は1階席に降りて、日中は日当たりの良い1階3塁側の普段だとよく観戦する伊藤忠シート横を陣取った。

そして第二試合は、國學院大學vs日本大学の一戦。

両軍のスターティング・メンバー発表。

 

國學院は當山投手が先発。

ちなみに"とうやま"と読み、沖縄尚学高出身。

対する日大は、市川(祐)投手が先発。

市川投手は侍ジャパン大学代表にも選出されたほど。

そして、高校(関東第一)時代から実弟の歩選手と同じ学び舎、同じチームで野球をしている。

第一試合が初回から点の取り合いだったが、この試合はずっと投手戦。(笑)

もう5回終了時までお互い一安打のみ。

しかし直後の6回に動いた。

日大攻撃時、2死1・2塁でバッターボックスには星稜高出身4番谷端選手。

ここで、値千金のタイムリー2ベースヒットを左中間へ放ち2点先取。

日本大学2-0とリードする。

そして、これが全てでもあった。

國學院大も6回以降毎回ヒットが出るも単打に終わり、日大の市川投手が見事な完封を果たす。

2対0で日本大学勝利!

なんと1時間41分という恐ろしく早い展開で終了していた!!(ワオ!笑)

 

第三試合は次回にて。

 

 

 

 

 

 

 

明治神宮野球場は、野球好きにはワンダーランド。

プロ野球、高校野球、東京六大学野球、時に社会人野球、軟式野球、等々、様々な野球が観戦出来る場所。

その一環で「東都大学野球大会」がある。

何年前だかに「プレミアムユニバーシティーズ22」という名称に変更したが、誰も付いていってない。(苦笑)

東都大野球は1部から4部まであり熾烈な争いの中で切磋琢磨している。

最後にこの1部戦を観たのはなんと5年前の秋季戦!

なんせ、週末は東京六大学野球が球場使用する事が決まっているので、平日の日中でしかも火・水が基本の開催曜日。

なのでなかなか観戦が出来ない。

2年前にはGW開催の2部戦を観に行った。

 

で!昨日は月曜ではあったが万障繰り合わせの上、久々の東都大学野球1部観戦へ。

今は、1日に3試合やるので、第1試合は9時プレイボール。

コンビニで飲食調達して球場傍に来るや、雨がポツポツと…。

夕方に雷雨の可能性はあるという天気予報だったが、まさかもう雨天に??

なので、屋根のある2階席へ。

荷物だ、買い出しものだ、カメラだ、スマホだ、など出して準備し始めると場内歓声が起きる。

開幕戦最初のカードは今や4冠チャンピオンの青山学院大学vs中央大学戦。

ちゃんと確認する間も無く、先攻の青山学院大が初回から点を取る。

各校スターティング・メンバーと、青学初回3点先取のスコアボードです。

やっぱり、青学強いわ!なんて知人にもLINE。

ちなみに、中央大ピッチャーは東海大相模高校出身の子安投手。

先発かと思ったら、もう2番手だったとの事!

対する青山学院大は、194cmで智弁和歌山高で話題になった中西投手。

こりゃ、青学モードでゲームが進むと思いきや、ミス多発、中西くんもいささか独り相撲のような場面もあり、初回に1点、2回にも2点を失い、2回で同点に。

ここで両校落ち着き、しばらく無得点状態が続く。

5回終了時でも変わらず。

 

と、ここで天気がどんどん良くなって行ってるではないか。

屋根のある2階席は、陽は当たらずに風が抜けるので、ちと寒し。

仕方なく、コンビニ購入の「いいちこ」をストレートでチビチビ飲んで身体の内部から温めることに。

平日の朝から焼酎を飲む、背徳感と優越感。(苦笑)

目の前で拮抗状態の野球を観戦する悦楽。(?)

 

まだ酔ってませんよ。

でも、でも、、、。

目が悪いせいかも知れないが、、、。

神宮球場のスコアボード上にUFOを発見!?

失礼しました…これはその向こうに位置する陸上自衛隊駐屯地の施設塔の最上部です。

 

閑話休題。

試合は、5回表途中から中央大は3番手三奈木投手(浦和学院高出身)がマウンドに。

彼がなかなか良いピッチングで、途中ヒットや四球有るも落ち着いた投球術で無得点に切る。

そして中央大は、6回裏二死二塁で6番伊藤クンがなんとレフトスタンドへ2ランを放った!

これで、5-3と中央大が勝ち越し!

結果これが勝負点となり、9回は中央大は東恩納投手(沖縄尚学出身)が見事なリリーバーぶりを見せ、中央大学が初戦勝利!

4冠チャンプの青山学院大の一方的展開かと思っていたら、全く違う結果。

だから野球は面白い。

両軍の今季の活躍を見守りたいと思います。

 

第23試合はまた次回以降紹介いたします。

 

 

 

 

 

昨日4月5日からNHK総合「ブラタモリ」の新シリーズが始まりました!

めでたし!!(笑)

今シリーズでは街道を行くという司馬遼太郎作品のような予定と聞いていた。

その第1弾は伊勢路。

桑名から伊勢神宮を目指す街道を進みます。

伊勢路と東海道の追分箇所がいい三叉路で(個人的に住宅街で時々見かける鋭角な三叉路って大好物!)、撮影してたら一般のおじさんが参加して、あげくタモリを知らなかった…厳密に言うとタモリと気付かなかった?という珍場面も。

新たなシリーズも何かと面白いものになるでしょう。

 

ところで、今回からテーマ曲がずっと続いた井上陽水から小沢健二に変わった。

オープニングで流れる部分はまだ普通だが、エンディングや次回予告で流れるホーン・セクション部分は聴いた事ある。

でもこの曲は知らない…。

あれあれ?この部分ってポール・サイモンの「Late in Evening(追憶の夜)」じゃん!!

調べたら、「ぼくらが旅に出る理由」という20年ほど前の曲を使用してた。

まず、これ聴いてください。

2'30"からの間奏部のホーンのフレーズです。

続いて、ポール・サイモン「Late in Evening(追憶の夜)」です。

こちらは1'50"辺りの間奏部。

ありゃありゃ、これは似てるでなく全く同じ。

ポールは1980年くらいの作品ですので、これは完全に窃盗ですね~。

とは言え、南米系の楽曲にはありそうなフレーズとも思えなくもない。

ポール・サイモン自体、サイモン&ガーファンクル時代から、アンデス民謡、伝承フォーク、クラシック、などをモチーフに作品作りはする人なので、ポールさんもどこからか持って来てる可能性もあるかも?

 

そんなこんなで「ブラタモリ」新シリーズ楽しみです!

 

 

 

 

 

 

一昨日、そう前スレッドを上げた日の夜だった。

いつも夜の自由な時間~就寝までは、よくYouTubeで興味のある映像や好きな音楽を聴いて一日を終える。

そんな安らぎの時間に、YouTubeに有った「【訃報】矢沢ファミリー木原敏雄さん逝去」の文字が…。

嘘…?!

マジか!?

思わず声が出てしまった。

敬愛するNOBODYのメンバーである木原敏雄氏の訃報…。

慌てて、オフィシャル・サイトに飛ぶと、そこには相棒の相沢行夫氏のコメントがあった。

もう先月の25日の事だったなんて!

こっちも言葉が無い…。

ただ、対外発表は一昨日の4月2日みたいだ。

 

NOBODYは当サイトでも何度も登場してくるほど、日本のミュージシャンでは一番好きなロック・ユニット。

相沢行夫と木原敏雄の2人からなるグループで、自身の活動の他、多くの楽曲提供、プロデュースを行なってきた。

二人は元々、学生時代から矢沢永吉と親しく、キャロル解散後にソロ活動となる矢沢のギタリスト~作品提供を行っていた。

前述の楽曲提供だと、木原氏がメインで作ったと推測する楽曲は、サヨナラは八月のララバイ/吉川晃司、あゝ無情/アン・ルイス、C-Girl/浅香唯、等ではないだろうか?

残念ながら、NOBODYは2000年代くらいから主だった活動はしなくなったが、昨年は久々に新作となる企画アルバムを発売し、まさに1年前に当ブログでも紹介したっけ。

 

また木原氏は、キハラトシオ名義でSHORT SHORTSなるトリオで60~70年代のUKロックのカバーを行なうライブ活動もしていたが、やはり何年か前にキハラ氏の大病で活動を余儀なくされる事があった。

それが、今回に繋がったのか…?

そのSHORT SHORTS、一度ライブに行った事がある。

SHORT SHORTSは終演後観客全員と記念撮影がお約束。

その画像です。

前列中央のサングラスの男性がキハラ氏。

 

木原敏雄、2025年3月25日永眠、享年75歳。

死因は未公表。

最後にNOBODYで彼がVo.をとっている「The Last Waltz」で送りたいと思います。

 

これまで、数々のカッコいい楽曲と演奏をありがとうございました。

もう一度だけNOBODYの2人のライブを観たかった…。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

「大変だぁ!みんな狼が来たぞーーーーっ!!」

なーんて嘘ですよ~!…あ、エイプリル・フールは昨日でしたか、大変失礼致しました。

また超古典的な誰も騙されようもない嘘にて、重ねてお詫び申し上げます。(笑)

 

さて、エイプリル・フールだった4月1日の翌日、4月2日の本日は「国際こどもの本の日」だそうで。

1967年に正式制定となったのだが、何故4月2日なのか?

それは、あの有名童話作家のアンデルセンの誕生日にちなんでとの事。

アンデルセンは数いる童話作家としてはやはりもっともメジャーなのかもしれない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンは1805年4月2日デンマークに生まれる。

本人は元々オペラかバレエをやりたかったそうだが文学を志すようになり、小説家から創作童話作家の道を歩み、あの「アナ雪」の元ネタ「雪の女王」、「みにくいアヒルの子」、「マッチ売りの少女」、等々数多の童話を創作してきた。

 

童話作家と言えば、誰を思い浮かべますか?

自分の場合、勝手に御三家となる作家がいる。

おそらく日本では多くの人が頷いていただけるかと思うが、前述のアンデルセンの他には、イソップ、そしてグリム兄弟である。

しかしながら、誰がどれを書いたか?いつのどこの人か?などてんで判らない。(苦笑)

 

まずイソップですが、実は最も昔の人物で、紀元前619年~紀元前564年頃に古代ギリシアに存在していたらしい。

正式な名の読み方はアイソーポスと言い、実は奴隷だった。

日本では「イソップ物語集」と言われるがこちらも「イソップ寓話集」と言うのが正しいようだ。

こちらには最初に引用した「狼と羊飼い」の他、「アリとキリギリス」、「北風と太陽」、「金の斧」、等々がある。

 

そしてグリム兄弟

こちらは2人兄弟が仲良く制作していたと思ってましたが、実際は6人いたそうで…。

ただ、最も尽力したのは2人で次男ヤーコプ・グリムと三男ヴィルヘルム・グリムの二人。

(しかし今日では六男ルートヴィッヒを含むこともあるそうです。)

兄ヤーコプが1785年、弟ヴィルヘルムは1786年ドイツにて生誕。

「グリム童話」は彼らが昔話を編纂したもので、彼らが創作したわけではない。

この中からは、ディズニー長編アニメの記念すべき第1作になった「白雪姫」や「赤ずきん」、「ブレーメンの音楽隊」などが代表作。

 

幼少期は、日本の「桃太郎」や「一寸法師」、「かぐや姫」などと楽しい物語として接してましたが、彼らが生きた時代は遠い昔。

まだ言葉狩りや思想異見などはご法度でしたので、裏に隠されたメッセージやアイロニーを読み解くと、大人になってもまた面白かったりもします。

 

そんな本日、このアメブロも「国際こどもの本の日」のスタンプが。

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

「こどもの頃、夢中になった本は?」との事ですが、自分は童話・絵本よりマンガでした…。(苦笑)