アントニオ猪木一周忌~「アナザーストーリーズ」のvsモハメド・アリ戦 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

10月に入って、ようやく気温が下がって来た感じだが、梅雨のように蒸す…。

本日10月1日は、”燃える闘魂”アントニオ猪木の一周忌。

1年前に起きぬけに訃報を見て驚いた事を覚えている。

 

つい先日、録画したままずっと観れていなかったTV「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で歴史に残る一戦”アントニオ猪木vsモハメド・アリ”の検証番組をやっと見た。

この試合はボクシング世界チャンピオンであり、ベトナム戦争への徴兵を断わったヒーローであり、世界的スターにもなったプロボクサーのモハメド・アリと、自身が代表を務める「新日本プロレス」の顔であるプロレスラーのアントニオ猪木による「異種格闘技」戦であった。

この事については以前にも一度記したが、ショーとして捉えているモハメド・アリ側と真剣勝負を挑んでいるアントニオ猪木側の溝を埋める模様が実に生々しい。

事の発端は、アリが得意のビッグマウスで「誰でもいい、俺様に挑戦するアジア人ファイターはいないか?」と酒の席で言った一言。

この事を耳にしたアントニオ猪木がよもやの挑戦状を突き付けた。

猪木としては「新日本プロレス」経営者として、プロレスの軽視に対する逆襲であり、当時人気を二分したジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」にマウントを取りたい(=興行収入の問題もあり)と言う切羽詰まった状況にあった。

ここで、アリ側に1,000万ドル(=70億円)のギャラを提示し、この大金に目がくらみアリの取り巻きが承諾したのだった。

番組では、当時アリのマネジャーだったボブ・アダムの取材から始まるがボブ氏の発言は、猪木がこちらの提案を素直に受ければあんな事にはならなかった、という趣旨だった。

当然、異種格闘技戦などアリ側にはイメージ出来ず、WWC(現WWE)の代表ビンス・マクマホン・シニアに相談するが、当時のアメリカのプロレスは120%「ショー」であり、当然「ショーとして、アリが猪木を倒す」事を奨励し、そう展開する筋書きでいたのだった。

しかし、猪木は毛頭そんなつもりは無く、真剣勝負でアリを倒す事しか考えていない。

ならば、アリ側も断ればいいが、前述のように大金に目が眩んでるので、それはしない。

そこで、アリは自ら猪木にメッセージ・テープを吹き込み送った。

内容は、自分はイスラム系のヒーローの面子がある、と言うもの。

しかし”燃える闘魂”である猪木は真剣勝負をするために一歩も引かず、この対戦が世界生中継も決まり、世間的にも決定以外に他ならない状況になっていた。

可哀そうであり、そして偉いのはやはりモハメド・アリだ。

最後までショーでやれると思っていたものの、試合当日までも厳密なルールが決まらないままに真剣勝負の場に出されたのだから。

それでも、アリはやったからね。

実は、この試合の少し後にボクシングのチャンピオン戦が控えていたのだった。

それもあり、アリ陣営は無傷でアメリカにアリを返さないとならなかった。

ところが、公開スパーリングで猪木が対アリ用に編み出した後頭部へのハイキック(後の「延髄切り」)を披露した際に、スパーリング相手に選ばれた藤原喜明が「猪木さんはすげぇんだぞ!」とアピールしようと、大袈裟にぶっ倒れてみせたら、アリ陣営が本気でビビッてしまい、そこから試合当日まで猪木に対して「あれダメ、これダメ」のルール変更を要請し、前述のように実際には詳細な決定ルールは決まらないままに2人はリングに上がらされていたのだった。

そして、ボクシングの3分15ラウンド制で、全てを禁じ手にされた猪木は、アリのパンチを食らわずに戦う唯一の手段として、リングに寝転んだ状態でアリの足に蹴りを入れ続け勝機を待つという戦法になったのだった。

当然、かみ合う事も無く勝敗は着かずに「世紀の凡戦」と酷評されるが、番組中でも格闘ジャーナリストのジョシュ・グロスなる人物が言ったように「異種が戦うと事のレガシー」に間違いなくなったのは事実であり確かだ。

ここから、今現在も人気の「総合格闘技」に発展していった。

「UFC」も「RIZIN」も、この一戦があってこそ存在するのだから。

そしてアリもファイターとして、猪木のファイターぶりをリスペクトして、アリの登場テーマ曲の「アリ・ボン・バ・イエ」を猪木に譲り、誰もが知るあの「炎のファイター~イノキ・ボン・バ・イエ」になった。

アントニオ猪木はプロレスラーとしてリング上で見る姿以上に、リング外でその“燃える闘魂”ぶりを発揮してきた人である。

タバスコだって猪木が日本での下地を作ったし、政治家として北朝鮮に連れ去られた人を一人北朝鮮に乗り込み連れ帰ったのも彼だった。

改めて、リング内外での闘魂ぶりはリスペクトすべき点は多い。

 

さて、そんなアントニオ猪木のお墓って、実は二カ所。

ひとつは横浜市鶴見区の総持寺に。

もうひとつは青森県十和田市の蔦温泉旅館の敷地内。

横浜市鶴見は猪木の出身地で、十和田市は亡妻の所以の地だそうである。