闘魂燃え尽きた…アントニオ猪木逝く | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

今朝、パソコンをONにしておもわず「えっ!」と起き抜けにもかかわらず高い声が出てしまった。

元プロレスラー“燃える闘魂”アントニオ猪木死去のニュース…。

ついにこんな時が来たか。。。

ここ数年は、やつれて車いす移動の姿ばかりで、失礼ながら「危ないんじゃないの?」と思っていたが、それでも度々その闘病~復活の様子がテレビで放送され、その度に「やっぱり猪木はしぶといぜ!」と闘魂ぶりを見せられてました。

しかし、本日10月1日その闘魂も燃え尽きました。

享年79歳。

 

プロレスラーとしては1998年4月4日に引退したが、その後もプロレス・格闘技の顔役として「燃える闘魂」は続きました。

行きましたよ!猪木の引退試合。

会場の東京ドーム付近では「朝日新聞」の号外も配布されていた。

プロレスラーとしては、今更説明も要らないと思うが、日本にプロレスをお披露目した力道山がブラジルでスカウト、予期せぬ力道山の死で日本のプロレス界は一番弟子のジャイアント馬場と二番弟子のポジションだったアントニオ猪木が背負って立ち、それぞれ馬場が「全日本プロレス」を猪木が「新日本プロレス」を立ち上げ、現在に至る。

どちらかと言うと金銭管理のしっかりした着実なビジネスマン肌の馬場は力道山の流れでアメリカの錚々たるプロレスラーと契約が続き安定路線を歩む。

対する猪木はそこで勝負出来ないと判断するや異種格闘技戦を提唱し、空手家、柔道家と試合を行ない遂には世界のスターであったボクサーのモハメッド・アリを引っ張り出し、全米中継まで行い、「イノキ」の名も世界に知らしめた。

猪木引退試合の相手はドン・フライ選手。

やはり総合格闘技との異種戦だった。

あの日、プロレスラーとしてのアントニオ猪木は引退したが、今日こそが「アントニオ猪木」の引退の日なんだと思う。

闘魂も燃え尽きました…いやいや!数々の「燃える闘魂」伝説は生き続けることでしょう。

「元気があれば、死んでも生きる!!ダァーーーーーーーーーッ!!!」