【フクベエとカツマタ双子説】
「フクベエとカツマタの双子説」というのが連載終了時からずっとあります。
はたして本当なのでしょうか?
“フクベエとカツマタの顔がそっくり”という経緯でうまれたのが2人の双子説です。
今回はそんな双子説について、否定・肯定二つの観点から見ていきます。
カツマタの顔とは
まず、カツマタの素顔というのは確定はしていません。候補として「太陽の塔内部にあった人形こそカツマタ」「16巻の少年はフクベエではなくカツマタ」というのがあります。
自分は考察②で18巻の少年こそがカツマタなのではないか?と結論しました。
【『20世紀少年』18集第10話「聞いてはいけないもの」】
この少年はどうみてもフクベエにしか見えませんので、自分も「やっぱり双子なのかな?」と思いました
強いて言えばここが双子説の根拠になりえますが、考察は根拠にはなりません。
同じく考察②で述べたようにカツマタの本名はかつまた(勝俣)です。
「“服部カツマタ”が本名」や「捕まった⇒かつまた」という説は完全に否定されます。
それにもしも本当に双子だったら、フクベエとカツマタの名字が同じだとわかる伏線を浦沢直樹さんは仕掛けるハズです。
なので“名字が異なる”という時点で双子説は否定されてしまいます。
作中でも度々、子供の顔というのは見分けがつかないと説明されています。
【『20世紀少年』11集第11話「ヤマネ君」】
子供というのは成長に伴い様々な経験をし、顔に個人の色が付いていく。
「厳しい環境下で育っていけば厳めしい顔付きになっていき、温かい環境下で育っていけば温和な顔付きの人間になっていく」
みたいな事ですかね?
もしくは、人生経験の少なく未成熟な子供には顔の情報が少ないという事でしょうね。
“ともだち”はケンヂ達と同い年なので、2014年の時点で55歳になります。
そんな“ともだち”の素顔を春波夫は「人に与える情報が少ない」「50年以上生きてきた人間の顔ではない」と分析しました。
つまり幼少期から現在までに、顔に“経験”や個人の“色”というのが表れないという事です。
人の顔には、その人の性格や今まで歩んできた人生が映し出されるもの。
春波夫はそういった顔の特徴……「顔から映し出される情報」を読み取ることに長けていたわけです。
そんな春波夫が「つかみどころが無い」「イメージがフワフワと変わる」と感じるほど、“ともだち”の素顔というのは極めて不明瞭でどこか不気味な顔付きという事なのでしょう。
【『20世紀少年』12集第3話「自爆」】
そういった意味でも“顔の無い少年”という事なんでしょうね。
【『21世紀少年』下巻第1話「ゲームのルール」】
フクベエとカツマタの関係
ヤマネはフクベエの持つ不思議な力や、“しんよげんの書”の記述にある人類救済(という名の世界征服)という思想に憧憬の念を持っていました。
【『20世紀少年』16集第6話「人間以上」】
カツマタもおそらく同じように思っていたのではないでしょうか?
カツマタはフクベエの真似をして超能力を披露しようとしたり、“しんよげんの書”に独自のページを書き加えたりしていました。
憧れる人の事ってついつい真似したくなっちゃいますよね。
ですがカツマタはフクベエから「お前は死にました」と言われてしまいます。
カツマタそれでもフクベエに認めてもらいたかった、見返したかったのでしょう。
フクベエはケンヂに対して憧憬と羨望、妬みや嫉みといった感情を持っていましたが……それと同じようににカツマタはフクベエに憧憬や羨望、加えて劣等感やコンプレックス、といった感情を持っていたという事ですね。
人の感情というのは複雑で、100%ポジティブな感情と100%ネガティブな感情の2つという訳にはいかないですからね。
話を戻しますと、カツマタはフクベエに対する憧れから彼の真似をしていたました。
小学生男子が容姿をどこまで真似できるのかは分からないですが、「顔がそっくり」というよりは言動や髪型、雰囲気を真似した結果、元々イメージが不明瞭だったカツマタにフクベエというイメージが重なってしまったのだと考えられます。
そしてヨシツネ達の記憶の中にフクベエはいません
【『20世紀少年』13集第1話「記憶にいない男」】
記憶喪失という意味ではなく、少年時代に一緒に遊んだ記憶や思い出がないのです。
だからこそ1997年の同窓会で彼の顔を見ても誰だか分からなかったのです。
ヨシツネ達にとって再会ではなく、初対面に近い感覚でした。
【『20世紀少年』12集第10話「銃声②」】
その為、カツマタがフクベエを装って彼らに近づいていたとしても気付きようがないのです。
唯一接点があったケンヂは、当てずっぽうで「フクベエ?」と言います。
【『20世紀少年』3集第5話「クラスメート」】
これ以降、カツマタは皆からフクベエと認識されることになったのです。
本当に双子なのか
これまでに述べた点を踏まえた上で「フクベエとカツマタは双子なのか?」という説・疑問に対する考察をしていきます。
まず、考察②で述べたように彼らの名字はそれぞれ「服部(ハットリ)」と「カツマタ」になります。
名字が異なるという時点で双子の線は薄いです。
「両親が離婚して別々の姓を名乗ることになった」という指摘がありますが、そのような描写や伏線は存在しないので根拠にはなりません。コレは双子説を成立させるための仮説ですね。
次に「なぜ2人の顔が同じなのか?」という謎に関してです。
前提として、フクベエは少年時代に亡くなっています。
そして原作者が言及したように理科室でヤマネに撃たれたのは影武者でした。
『20th Century Boy』のCDを持っていたことから分かるように、同窓会や血の大晦日でケンヂ達に接触してきたのはカツマタという事になります。
【『20世紀少年』3集第7話「サダキヨ」】
要するに、大人フクベエはそもそも存在しないのです。
繰り返し言うようにフクベエ本人は少年時代に亡くなっていますので。
カツマタが整形をしてフクベエそっくりに顔を変えたのではなく、影武者をカツマタそっくりに顔を整形させた、という事なのでしょう。
加えてカツマタの素顔は
「その人、固有の色や顔の情報が存在しない」「一度見ただけでは記憶に残らない極めて印象の薄い顔」「イメージが不安定で不明瞭な顔」
という事でした。
そしてカツマタが仕草や喋り方、雰囲気や思想等フクベエのイメージに繋がるモノを模倣した結果、元々イメージがフワフワとしていたカツマタにフクベエというイメージが重なり、少年時代から現在までの間に皆がフクベエだと誤認するようになった。
「双子だから間違えた」という理由以外にも説明はつくのです。
まとめ
まとめると「フクベエとカツマタは双子ではない」という事ですね。
正確には「双子じゃなくても作中のトリックを説明できる」という事でもあります。
以前、考察②で18巻の少年がカツマタだと指摘しました。
どう見ても顔がフクベエなので、双子とも考えられます。
しかし上記のように、名字が異なる時点で双子説は薄いうえに、あえて同じような顔にさせて読者にフクベエだと思わせるミスリードとも考えられます。
そしてカツマタの素顔というのはハッキリと描かれていません。
ですが春波夫の分析から「イメージが不安定で不明瞭な顔」という事が分かります。
それをどう表現するか、という事ですか…………
別の人物だと思わせるというのではないでしょうか?
ケンヂ達だけでなく読者にすらフクベエだと思わせることで、カツマタの不明瞭な素顔を表現したのだと思います。
最近、YouTubeで『20世紀少年』の動画を作ってます。
動画編集は初めてなうえに完全に素人制作になりますので、あまりクオリティは高くないです
良かったら観ていって下さい