“ともだち”と影武者

 

おそらく多くの方が「影武者って何?」と感じていると思います。今回はこの影武者の存在についての解説と考察をあげていきます。今回は少し長文になってしまいました。

 

 

  影武者は複数人

 

“ともだち”には影武者がいました。そして2015年元日、ヤマネに撃たれた“ともだち”は影武者でした。

 

「影武者」というワードが初めて出てきたのは20巻でカンナが“ともだち”と対面するシーンです。

 

その他、山崎(ヤマさん)は“ともだち”のコピーという表現をしました。

【『21世紀少年』上巻第7話「かくし場所」】


そして影武者自体は14巻で高須やユキジとオッチョ、敷島(娘)、万丈目が確認しています。この時、同時刻に複数の人物が別々の場所で目撃しています。

image

【『20世紀少年』14集第5話「何かが見えた日」】  【『20世紀少年』14集第7話「1971年の理科室」】

 

image

【『20世紀少年』14集第10話「ゆがんだ記憶」】
 

高須が中目黒で、ユキジとオッチョは中華街敷島(娘)は西麻布万丈目は議員会館それぞれ目撃していたのです。

 

つまり4人は影武者がいたという事です。
さすがに1人で各地を瞬間移動するというのは考えられません。

理科室で撃たれた1人を計算して、最低でも影武者4人+カツマタで“ともだち”を担っていた事になります。

 

また、チョーさんメモにはこう記されていました。

【『21世紀少年』上巻第7話「かくし場所」】


「“ともだち”は複数?」「A―B―C」
チョーさんは影武者の存在にも気づいていたそうです。

 

 

今回の内容には関係ないのですが、おそらくチョーさんはフクベエの死には気づいていたと思われます。山崎(ヤマさん)はチョーさんメモには全てが記されていたと言っていましたが、一番重要な部分を見ていませんでした。つまり真相を知らないのです。だから“ともだち”は服部(フクベエ)と誤認していたのです。なので山崎が確認をしなかったページに、フクベエの死が記述されていたとしてもおかしくはないです。警察が本気で調べれば実は亡くなっていたなんてことは簡単に分かるハズですから。警察でなくとも調べれば直ぐに分かることです。調べようとすればですけどね。

 

 

 

  本物の“ともだち”

影武者は複数人いました。

そして浦沢直樹さんは「カツマタは最後まで生きていた」と発言していました。これが最終話時点でも生存という意味なのか、円盤墜落で亡くなったのがカツマタ、という意味なのか不明です。

 

しかし、ケンヂに対して感情的になっていたり、“あの曲”を所望するあたり、やはりこの人物はカツマタである可能性が高いです。

【『21世紀少年』上巻第1話「“ともだち”の死」】
 

あまり知られていないのかもしれませんが、原作者・浦沢直樹さんは実写版の脚本も担当されていました。
その実写版で別のエンディングを考える際、「そうか“あの曲”はカツマタとケンヂが作ったのか。だから死の間際にケンヂにリクエストしたのか」と思ったそうです。
 

となるとやはりこの人物はカツマタで間違いなさそうです。少なくとも浦沢先生はそう認識しているみたいです。


これらを踏まえると、やはり20巻でカンナと対面した人物もカツマタである可能性が高いです。

「僕が誰だかケンヂが知っているよ」

このセリフはカツマタでなければ成立しないです。

 

しかし、カツマタの顔写真を見た山崎は

「そっくりだが、違うな」

と言いました。

 

そして高須や殺し屋(関東軍総統)はそれぞれ

「誰でもいいのよ」

「誰でもいいや」

と言いました。

【『20世紀少年』21集第6話「今そこにいる“ともだち”」】

 

つまり誰でもいいみたいですあの覆面・お面を被りそれらしい事を言っていれば誰でも“ともだち”になれるみたいです。

 

山崎は影武者(コピー)を本物だと信じていたというわけです。

【『21世紀少年』上巻第7話「かくし場所」】

 

カツマタはそういう意味で

「本物って何?」

と言ったのです。

 

カツマタは自分のアイデンティティを打ち消され否定されたのです。

“ともだち”には本物も偽者もいないないんです。

 

浦沢先生は『描いて描いて描きまくる』という本で

「“ともだち”といった時点で誰でもないんだよ」出典:『浦沢直樹 描いて描いて描きまくる』

と仰っていました。

 

誰でもない中身のない存在こそが“ともだち”であって、ゆえに本物なんていないんです。ただカツマタはその発起人であり、組織の創設者だった。

「僕こそが20世紀少年だ」

というセリフはカツマタの「自分が本物(オリジナル)だ」という主張の表れかもしれません。

 

 
話はそれますが、

『ゲゲゲの鬼太郎』には歴代の声優さんがいますが、全員本物なんですよね。後任の方に偽物なんていないんですよね。
もちろん世代ごとに「鬼太郎の声といえばこの人!!」というのがありますが、誰が本物の鬼太郎声優かなんて議論は成立しないです。

まあ“ともだち”のように誰にでも務まる、という訳では決してありませんが。

ちなみに自分は直近の沢城さんが1番好きです爆笑

 

 

ちなみに

「僕こそが20世紀少年だ」

というセリフを「20世紀のみを生きた少年」と解釈する方が多いのですが、正しくは「20世紀を体現した少年」という意味です。20世紀に流行ったニュースやカルチャーを体現した存在こそが“ともだち”であり、「“ともだち”が倒れて20世紀というケンヂ達の時代が終わって新しい時代が始まる」という意味を込めたのが『21世紀少年』というタイトルです。

 

 

  カンナの父親

 
話は変わりますが、1巻で死体として発見された青年・金田正太郎を覚えていますでしょうか?
 

【『20世紀少年』1集第2話「カラオケ」】


彼は敷島教授の教え子であり、ロボットの操縦が得意だったそうです。名前の由来は言わずもがな『鉄人28号』の主人公・金田正太郎です。
彼もロボットの操縦士でした。
 

浦沢先生はこの金田青年に「操縦士が亡くなるということはコントローラーが失われる」「コントローラーが失われるということは世界のコントロールが効かなくなる」という意味を込めていました。
つまりこれから世界のコントールが失われるという事を意味するダブルミーニングだそうです。作中序盤に死体として登場させたのにはそういう意味があったのです。
 

先生はこれ以外にもこういったダブルミーニングをたくさん忍ばせているそうです。

 
 
そこで1つ気になったのは忍者ハットリくんです。

【『20世紀少年』3集第4話「ブラザー」】

 

ハットリくんは忍者です。忍者といえば影分身をします。影分身という事はハットリくんのお面を付けているこの人物はカツマタではなく、分身つまり影武者を意味するのではないのでしょうか

 

もしくは「”ともだち”は複数人いる」というニュアンスかもしれませんが、理科室で撃たれた人物は影武者でした。どちらかである事は明白です。

 

 

コンサート時の“ともだち”は自分はカンナの父親だと言いました。

【『20世紀少年』3集第4話「ブラザー」】

 

そして20巻でカンナとキリコはそれぞれ

「あの男は違う」

「あなた誰?」

と言いました。

 

原作者が明言したように、そして前々回のブログで解説したようにフクベエは少年時代に亡くなっています。

 

「僕が誰だかケンヂが知ってるよ」

そしてこのセリフから察するように、キリコとカンナが別人だと看破したこの“ともだち”はカツマタで間違いないです。

 

そしてこれらが意味するのはカツマタはカンナの父親ではない、という事です。

 

 

超能力とやらが何だったのか、正直なところ分かりませんが、これはカンナとカツマタには血縁関係がないことを表す伏線だと考えられます。

 

なぜならカツマタは超能力を持っていないからです。

 

だからフクベエの真似をした結果、イカサマがばれてしまったのです。

【『20世紀少年』18巻第10話「聞いてはいけないもの」】

 

おそらくカツマタはフクベエのその不思議な力に憧れていたのでしょう。

 

予知夢も結局、強引に実現させようとしてましたから。

 

浦沢先生曰はく「フクベエに憧れたカツマタの物語」だそうです。

 

 

ここでいう秘薬も何なのか不明です。比喩表現なのか、本当に何か投与したのか。

 

最近はあまり見ませんが、現実でもバラエティ番組とかで超能力や不思議な力を持つ人が出演されてましたね。イカサマやヤラセという声が多いみたいですけど。

『志村どうぶつ園』に出演されていた、動物の心を読めるハイジさんなんかを自分は「不思議な力だなぁ」と思って観てました。

 

神さま(神永)は結局、自分のは予知夢なんかじゃないと言ってました。

 

カツマタは皮肉にも自分の最期を予知してしまったみたいですけど。

 

 

 

 

  影武者をどのように用意したか

 

2017年、“ともだち”と対面したカンナは

「あなたみたいな影武者が何人いるの?」「整形でもしてるの」「本物の“ともだち”もお芝居してたわけだけどね」

と言います。

 

それに対して“ともだち”は

「思った通りだ」

「頭いい子に育った」

と言いました。

 

これはつまり「正解」を意味するのではないかと。

カンナにすべてを見透かされ、当てられてしまった。

「やっぱり君は頭がいいね」という気持ちだったのだと自分は思います。

 

“ともだち”には影武者が何人もおり、整形と演技をさせていた

 

そして16巻で“ともだち”がフクベエの少年時代を追体験する描写がありますが、これによって影武者を用意していたのではないかと考えられます。

【『20世紀少年』16集第7話「ともだち暦」】


VA(ヴァーチャルアトラクション)によってフクベエの偽の記憶を植え付け、自身がまるでフクベエであるかのような振る舞いをする。

 

そして、フクベエの少年時代が明らかになったと思いきやVAだった。そしてその映像はフクベエが首を吊ったところで終わっている。

【『20世紀少年』16集第7話「ともだち暦」】
 

これらはつまりフクベエ本人は少年時代に亡くなっており、あの理科室に現れた“ともだち”はフクベエの記憶を植え付けた偽者だった、という事を意味していたのです。

 

 

 

 

  まとめ


ということで、
「キリコの夫・カンナの父親はカツマタでもない名もなき影武者だった」
「“ともだち”は影武者を含めた複数人で演じており、山崎(ヤマさん)は影武者を本物だと信じてしまった」
「影武者は整形をしVAを介して偽の記憶(フクベエの)を植え付けて用意した」

と結論付けます。

“ともだち”の素顔が明かされたにも関わらず“彼”だけ後ろ姿なのが不可解でした。

 が、これで返ってスッキリしました。

そういえば実写版のパレードで撃たれたのも影武者(替え玉)でしたね。
 

それと1997年のクラス会と2000年の血の大晦日でケンヂ達の前に現れたこの偽フクベエは正真正銘カツマタ本人だと思います。理由としては『20th centry boy』のCDとビルの屋上での発言です。

【『20世紀少年』3集第7話「サダキヨ」】
【『20世紀少年』7集第9話「対面」】


これはどちらも自分はカツマタである事を伝えるメッセージであり、カツマタである伏線だと考えられます。

 

それにしても影武者達はその後どうなったのでしょうか?
まさか全員粛清されてしまったとか……
 

 

 

最後に 

今回は少し長くなってしまいました。

拙い文章で申し訳ありません。

 

ここら辺の話が少し複雑というか、矛盾だといわれる所以だと思われます。

 

しかし今回の内容もしょせん考察の域を出ません。

浦沢直樹さんが「ここはこういう意味でこうだったのです」と言ってくださらないと、正解にはならないです。

とりあえずこういう風に解釈をすれば矛盾はない、といった段階です。

 

まだまだ『20世紀少年』に関するブログを投稿するつもりです。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました!!

 

最近、YouTubeで『20世紀少年』の動画を作ってます。

動画編集は初めてなうえに完全に素人制作になりますので、あまりクオリティは高くないですえーん

良かったら観ていって下さいお願い

ソーマ【20世紀少年チャンネル】 - YouTube