床掃除
2つ年下の弟の友達で、よく学校帰りに家に遊びに来ていた女の子がいた。猫のような目をした活発な娘で、当時から可愛いな、と思っていたのを覚えている。
どういう経緯だったかは忘れたが、私が家で一人で留守番していた時である。家のチャイムが鳴ったので見に行くと、その子が鞄を持って玄関前に立っていた。普段は弟や他の友達と来る事が多かったので、一人だけで遊びに来てくれたことがとてもうれしかった。
私はいつも通りにドアを開けて彼女を招き入れる。すると開口一番、彼女は「トイレを貸してください」と言い、まるで押し入るように家に入ってきたのだ。
彼女は鞄を玄関に放り投げ、一目散にトイレに向う。暑い日だったかどうか覚えていないが、彼女が全身汗だくだったのは鮮明に記憶している。玄関の扉を閉じるとき床を見ると、入り口から廊下まで水滴が点々と続いていた。振り返ると、彼女は足をもつれさせながらトイレのドアノブに手をかけたところだった。彼女はTシャツに、かなりきつそうな短いデニムのホットパンツで、お尻にぴったりと手を添えていた。その手の間から、みるみるホットパンツが変色して行くのがまるでスローモーションのようだった。
ドアを開き、トイレに片方の足を踏み入れたところで彼女の膀胱は限界を迎えた。すでに大きな染みができているホットパンツの間から、滝のようにオシッコが流れ始めた。シューっと言う勢いのよい放尿音が、ホットパンツ越しにもはっきりと聞こえていた。
彼女にはドアを閉める余裕すら残っていなかった。トイレの床一面にオシッコを撒き散らしながら、きつそうなホットパンツを脱ごうと四苦八苦している。何とか便器を跨ぐも、ホットパンツが脱げず座る事ができない。見れば、チャックではなくボタンで前を留めるタイプで、途中までボタンを外した状態で強引にパンツを下げようとしているところだった。
彼女は顔を真っ赤にしながら、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝った。オシッコは1分ほども続いたように思う。中途半端に下がったホットパンツと便座、トイレの床を悲惨なほど水浸しにして、彼女のオシッコは終わった。
私は、彼女が廊下に漏らしたオシッコで自分の靴下が濡れるのも忘れて、その一部始終を呆然と見ていた。オシッコは完全に出切ってしまったようで、彼女はべそをかきながら中途半端に下がったホットパンツを穿きなおした。薄い色のデニム地は、ほとんど濃紺に染まっており、誰の目にもお漏らししたのが丸分かりな状態だった。
あまりよく覚えていないが、私は泣きじゃくる彼女にタオルを渡し、足を拭いて、その後一緒に廊下とトイレを掃除した。彼女をなぐさめるために、幾つか冗談を言って笑わせることにも成功したと思う。彼女が膝をついて床を掃除しているとき、ホットパンツからオシッコの残りがポタポタと垂れていたのが印象的だった。
着替えよりも、そのときはお漏らしの証拠をいかに隠蔽するかが、無言のうちに重視されていた。床掃除に使ったタオルはすべて洗濯機の奥に突っ込んだり、ゴミ箱に捨てたりしたように記憶している。ティッシュは何回にもわけてトイレに流し、玄関も廊下も丁寧に点検した。
掃除がひとしきり終ると、二人でこのことは誰にも話さないことを約束したのだった。彼女はそのままの格好で逃げるように自宅に帰って行った。
その数日後、また何事もなかったように我が家に遊びに来た彼女をみてとても安心したのを覚えている。
この出来事の前から、私は女の子のオシッコに強い関心があったと記憶している。オナニーを覚えた8歳の頃から、身近な女の子がオシッコをするところを想像したり、時には頼んで見せてもらったりしてオカズにしていた。
ただ、女の子がオシッコを我慢する姿や、お漏らしするところに激しい興奮を覚えるようになったのはこの事件がきっかけであることに間違いない。
過激化/細分化
「エロと音楽は細分化して過激化している」とは友人の弁だが、確かに一理ある。ケイオティック・ハードコアだのスラッジ・メタルは、死体愛好癖の中でも腐乱してたり、水死専門だったりするのだろう。
かく言う私も死体の状態には若干のこだわりがある。腐乱していたり、飛び散っていたりと見た目が美しくないのはあまりよろしくない。蝋のような無機的な肌に、着衣はきちんとしているのが望ましい。死体に仮面と言う組み合わせもなかなかよい。死体と言うよりは人形を志向しているのだろう。
話題がそれた。
昨今、最も気になっていたフェチジャンルとしては、「水中息止め」であったが、偶然目にした「女性の汗」フェチと言うのが大変気になる。今までこれに気づかなかったのがショックである。汗フェチ自体は古くから比較的ポピュラーなジャンルであると思うが、そこで紹介されていたビデオがなかなか秀逸である。
真夏の密室で電熱器、ファンヒーター、石油ストーブをフル稼働させ、その中で着衣の女性にヨガをさせると言うものである。設定温度30℃の暖房エアコンがむしろ涼しく感じる環境らしい。
思わず出演者の健康状態を気遣ってしまうが、汗だく状態の女性の様々なポーズを見られるよう配慮しているビデオである。この季節、薄着の女性が大粒の汗をかいている光景はそれほど珍しくないだろう。街行く汗かき女性を見るだけでは飽き足らない、フェティシズムが噴出している紳士諸兄は大喜び間違いなしだ。
ちなみに、実はテレビもビデオデッキも持っていない私は、これらの作品を鑑賞する機会も、そのつもりもない。
露出回想
2回目とも、初めて見た時と同じ駅周辺の、同じ曜日の、同じ時間帯だった。
残念ながら、2、3回目は私自身の都合もあり、初回ほどの長時間彼女を見ることが出来なかった。2回目は駅近くのアイスクリーム屋の横で、短いスカートでしゃがんでいるところを見ただけである。3回目はまた別の機会に記そうと思う。
この出来事以来、同じ曜日の同じ時間に、同じ駅に居合わせると、どうも彼女を探そうとしてしまう自分がいる。つい先日もそうだっが、残念なことにそれ以降彼女を見つけることができない。これからも、もう見つけることはできないだろう。
それは、かつて経験したことのない性的関係だった。
近い経験では、チャットやメールだけの関係が挙げられるが、そこに空気と肉はまったく介在しなかったわけだ。
私と彼女との間にあったのは非常に個人的で、一方的な関係である。この、非常に曖昧で、当人以外に誰も介在せず、関係者同士すら関係性が曖昧な性的関係は、現代の都市的エロティシズムの一端を担っているのだろう。
ビデオや本などのメディアを活用した、ごく個人的な性活動が大衆化したのは20世紀であり、現在それは飢えた中学生の欲求を満たすだけの役さえ満足に果たせていない。
伝統的メディアと比較して、より「リアル」に近く、その上性的関係のリスクが最小限の関係…。都市的で個人的なものとは、すなわち無差別で偶発的なものに結びつく。
この欲求を満たすべく、ネットを含め世界には様々なツールが用意されている。ここで特定のシステムやビジネスを批判/賞賛するつもりはないのであまり深入りはしない。私自身も、その恩恵は大いに享受している。
チャットやメール、ソーシャルネットワークやブログにもリスクは存在する。場合によっては物理的なリスクすらこうむることを、実例を持って知っている。しかし、それはクラシックな(性的関係を含む)人間関係を結ぶことと比べたら、比較にならないほど自己の防御力が高いのだ。
リスクを最小化しつつ、快楽を追求することにより人間は文化/技術を複雑化している。そこは肯定的に受け止める側面が大いにあるだろう。
リスクを減少させた性行動が、代替としての肉に向かっているのか、それとも純粋に高度化し細分化したフェティシズムに向かっているのかは、現段階では明確にすることができない。恐らく、両方に向かっているのだろう。そして、肉への揺れ戻しや、終着点のしての肉と言う選択肢は依然として強く残っている。
そんな中、彼女は明らかなリスクを負っていた。物理的、肉体的なリスクを、である。快楽の方法論としては伝統的で、対人関係が現代的であるのだ。そのスリリングさや、私が得た新鮮な興奮は大変に刺激的であった。
ちなみに、このブログは全くリスクを負わないよう考慮したリビドーの開放である。私は極めて無責任に文章を書いているので、その点はご容赦頂きたい。
問題は、今でも必要以上に短いスカートを穿いたり、挙動不審な女性がいると気になってしばらく見つめてしまう、と言う私が犯すリスクである。
個人的関係
元来、私は女王様より王女様が好きである。
ヒエラルキーの最上位に位置する女王。王女は、その一段下にいるにも関わらず、やはり最上位部に位置するのは間違いない。しかし、絶対的に上位に位置する王/女王の前では、その立場関係は揺ぎ無い。最上位部であるからこそ、このルールは下部ヒエラルキーの身分関係より明瞭で厳正である。
この支配者と被支配者が最も顕著に同居する王女様こそが、私の嗜虐心をそそる重要な要素である。
この社会的立場をめぐるギャップは、セクシュアリティーにおいて非常に重要な役割を果たす。ギャップなしでのSMやDSは、その抑圧的な様式美とは別の、より動物的で暴力的なセックスに向かうのであろう。余談だが、昨今見られる女性の監禁事件などはこちらのタイプに入るのであろう。
SM嗜好の男女では、性格と性癖が著しく逆転しているパターンが見られる場合がある。社会的身分が非常に高い男性が娼館の女王様の懲罰部屋に通ったり、普段献身的で紳士的な夫が、妻に首輪を付けて犬の真似をさせたりするのだ。
しかし、大時代的なヒエラルキーが目視できなくなった現代社会では、社会/経済的な立場関係や、個人と個人の精神的な繋がりが力を持ち、人間関係に支配/被支配の鎖を巻きつけてゆく。王女様を塔に幽閉して調教すればよいと言うわけではないのだ!
男女の社会的立場を差異を減らす方向に進行した80年代以降、新種の男女問題や逆差別問題が噴出してゆくパラドックスはむしろ痛快ですらある。
人種や思想、宗教、職種、年齢による差別やヒエラルキー構成が、建前上よろしくないものとされているからこそ、個人間の関係による束縛が強固になってゆくのだろう。その個人的関係と言うものは、外部の第3者にはまったく持って不透明である。関係はますます個人的になり、孤立し、独立し、独自化してゆく。
もはや身分制度や性差、社会的立場に依拠する形のSMやDSは完全なるノスタルジーであるといわざるを得ない。
個人的関係は果たして、因習と固定観念、倫理観から開放された真の快楽の追求へ向かっているのだろうか?それとも、個人間で繰り広げられる無差別で暴力的、テロ的、理不尽なドミネーション?我々が未だかつて経験したことのない快楽は、この暴力的孤立の先にあるのかもしれない。
私も、とらわれの王女様を監禁して調教する夢想から、いい加減卒業するべきなのだろう。サディズムとマゾヒズムの様式美は、とっくに脱構築されてしまったのだから。
露出邂逅
今年の春先、私はある露出女性に会った。
私はベロアのジャケットの下にTシャツではなくタンクトップを着ていたので、比較的暖かい日だったと記憶している。
駅近辺での用事まで1時間以上の待ち時間があった私は、軽く一杯飲もうと思い、普段は率先して入らない若者向けのバーに入った。
地下への階段を降り、料金を支払いビールの栓を抜いてもらう。店内では大型スクリーンで海外のスポーツを放映していた。時間が早いこともあり、店内は学生らしい4人のグループ以外は閑散としていた。
比較的居心地のよさそうな角の席に座るも、ボリュームの大きいBGMに辟易しそうになっていた頃である。彼女はビール片手にヒールを鳴らしながら、店内に入ってきた。
まだ春だと言うのに、薄いカーディガンに股下がほとんどないような薄いピンクのマイクロミニを穿いた彼女の足に、私の目は釘付けになった。ホステスかと思ったが、幼い顔立ちの上に化粧気も少なく、どことなくそわそわした態度は明らかに酒場になれていない女性のそれだった。
彼女は人を探すように店内を一周する。待ち合わせだなと思い、視線の端で彼女を追い続けた。どうやら学生グループの仲間ではないようだった。彼女はそのまま私が座っていた席の正面まで戻り、落ち着きのない動きで椅子の一つに浅く腰掛けた。距離にして3メートルほど、私の真正面である。
彼女はしきりにスカートを気にする様子で、何度か軽く立ち上がり、プリーツの入ったやわらかい素材のスカートをお尻に丁寧に撫で付ける。軽く閉じた膝の上には小さなハンドバッグがおかれ、太腿の付け根を辛うじて隠していた。太腿はほとんど丸見えだったが、下着だけはぎりぎり見ることができない。
私は視線の端でチラチラと彼女を観察しながらビールを啜っていた。彼女はビールを一口苦そうに飲むと、バックから携帯電話を取り出していじり始める。彼女の視線が下に向いていることをいいことに、私は彼女の太腿をゆっくり視姦していった。携帯に夢中なのか、膝は多少開き気味になり、少しだけだが白系の下着も見ることが出来た。
しばらくすると、彼女はもぞもぞと立ち上がり、トイレに向った。トイレにたっている間、私は彼女について様々な想像をめぐらせた。携帯でのメール調教なのか?それとも、純粋デートの待ち合わせなのか?トイレでは何をしているのか…?彼女のオシッコ姿が見たくて堪らない。ドアの前までいって音だけでも聞きに行こうかと本気で考える。
5分ほどして彼女は席に戻った。椅子に座るまえに、先ほどにもましてスカートの裾を気にしている。ゆっくりと浅く椅子に腰掛けると、なんとハンドバックを膝の上ではなく、横の椅子の上に置いたのである。
私は携帯電話をいじるふりをしていたが、完全に彼女の太腿に神経を集中していた。ほとんど股下がないようなスカートである。今度は太腿の付け根までしっかりと見ることが出来た。そこに、先ほどまであったはずの白っぽい下着はなかった。黒々とした茂みと、コントラストを描く乳白色の太腿。
薄暗い店内であったが、彼女は依然として携帯電話をいじりながら、こころもち膝のガードを緩めていくようだった。店内の客に先ほどからの入れ替わりはない。私は携帯電話をしまい、彼女のスカートの中と、その表情を鼓動を速めながら観察した。
私の下半身は限界に達していた。ビールを一気に飲み干し、トイレに立つ。途中、彼女から1メートルくらいのところで靴紐を直すふりをしてしゃがんでみようかと思うが、できなかった。彼女の横を通る時に、少しだけ視線が絡んだ。年齢は20代前半だろうか?むっちりとした二の腕と太腿が大変に私好みであった。
個室は入ると、私は動悸を必死で抑えながら汚物入れを開けてみた。なんと、そこには女児用と間違うような安っぽい、薄いピンクの下着が丸めて入れられていたではないか!股間をこすりながら下着を広げると、下着はかなり汚れて白くなっていた。匂いを嗅ぐと、オシッコと香水に狂いそうなった。
その場でオナニーしようと思ったのだが、私は我慢して下着をポケットに突っ込み、トイレを出た。思ったとおり、彼女はすでに席を立っていた。あわてて外への階段に向かうと、ちょうど彼女は階段の中ごろをゆっくりと上っているところだった。私がついてきたことに少し驚いた様子だった。あわててスカートの裾をバッグで隠し、階段を上がってゆく。隠したところで、お尻は丸見えだった。
彼女は不自然なほどゆっくり階段を上がっていった。すでに外が見えており、街の喧騒が聞こえている。階段の最後の段に近づくと、彼女は急に足を早め、なんと後ろを押さえていたバックを前に持ち替えてくれたではないか。
乱反射する夕日の逆行の中、彼女のスカートはふわっと浮き上がり、その下半身が私の目の前ですべて露になった。それは一瞬の出来事で、地上を歩いている者には一切見えるような角度ではなかった。私の目には今でも焼きついているその光景は、性的興奮と言うより、むしろ美しいのもを見た時の感動のようなさわやかさが不思議だった。
彼女はそのまま足を早め、すぐ近くにあるファッションビルに入っていった。私も後を追い、数メートルの距離を保ちながら観察を続けるのだった。そのまま彼女はエレベーターに乗り、2階へあがる。途中、女性のグループを挟んでしまったため、彼女のスカートの中は見ることができなかったが、バッグでかなりしっかりとガードしていたのは確認できた。
私が2階に上がると、彼女が女子トイレに早足に入って後ろ姿を確認できた。私もそのまま、横の男子トイレに入る。個室に入るや否や、先ほどポケットに突っ込んだ下着を取り出す。私は思う存分オナニーにふけったのだ。
この翌週、彼女に再会するなど夢にも思っていなかった。

