露出回想
前々回に書いた露出女性を、その後同じ街で2回見かけた。
2回目とも、初めて見た時と同じ駅周辺の、同じ曜日の、同じ時間帯だった。
残念ながら、2、3回目は私自身の都合もあり、初回ほどの長時間彼女を見ることが出来なかった。2回目は駅近くのアイスクリーム屋の横で、短いスカートでしゃがんでいるところを見ただけである。3回目はまた別の機会に記そうと思う。
この出来事以来、同じ曜日の同じ時間に、同じ駅に居合わせると、どうも彼女を探そうとしてしまう自分がいる。つい先日もそうだっが、残念なことにそれ以降彼女を見つけることができない。これからも、もう見つけることはできないだろう。
それは、かつて経験したことのない性的関係だった。
近い経験では、チャットやメールだけの関係が挙げられるが、そこに空気と肉はまったく介在しなかったわけだ。
私と彼女との間にあったのは非常に個人的で、一方的な関係である。この、非常に曖昧で、当人以外に誰も介在せず、関係者同士すら関係性が曖昧な性的関係は、現代の都市的エロティシズムの一端を担っているのだろう。
ビデオや本などのメディアを活用した、ごく個人的な性活動が大衆化したのは20世紀であり、現在それは飢えた中学生の欲求を満たすだけの役さえ満足に果たせていない。
伝統的メディアと比較して、より「リアル」に近く、その上性的関係のリスクが最小限の関係…。都市的で個人的なものとは、すなわち無差別で偶発的なものに結びつく。
この欲求を満たすべく、ネットを含め世界には様々なツールが用意されている。ここで特定のシステムやビジネスを批判/賞賛するつもりはないのであまり深入りはしない。私自身も、その恩恵は大いに享受している。
チャットやメール、ソーシャルネットワークやブログにもリスクは存在する。場合によっては物理的なリスクすらこうむることを、実例を持って知っている。しかし、それはクラシックな(性的関係を含む)人間関係を結ぶことと比べたら、比較にならないほど自己の防御力が高いのだ。
リスクを最小化しつつ、快楽を追求することにより人間は文化/技術を複雑化している。そこは肯定的に受け止める側面が大いにあるだろう。
リスクを減少させた性行動が、代替としての肉に向かっているのか、それとも純粋に高度化し細分化したフェティシズムに向かっているのかは、現段階では明確にすることができない。恐らく、両方に向かっているのだろう。そして、肉への揺れ戻しや、終着点のしての肉と言う選択肢は依然として強く残っている。
そんな中、彼女は明らかなリスクを負っていた。物理的、肉体的なリスクを、である。快楽の方法論としては伝統的で、対人関係が現代的であるのだ。そのスリリングさや、私が得た新鮮な興奮は大変に刺激的であった。
ちなみに、このブログは全くリスクを負わないよう考慮したリビドーの開放である。私は極めて無責任に文章を書いているので、その点はご容赦頂きたい。
問題は、今でも必要以上に短いスカートを穿いたり、挙動不審な女性がいると気になってしばらく見つめてしまう、と言う私が犯すリスクである。
2回目とも、初めて見た時と同じ駅周辺の、同じ曜日の、同じ時間帯だった。
残念ながら、2、3回目は私自身の都合もあり、初回ほどの長時間彼女を見ることが出来なかった。2回目は駅近くのアイスクリーム屋の横で、短いスカートでしゃがんでいるところを見ただけである。3回目はまた別の機会に記そうと思う。
この出来事以来、同じ曜日の同じ時間に、同じ駅に居合わせると、どうも彼女を探そうとしてしまう自分がいる。つい先日もそうだっが、残念なことにそれ以降彼女を見つけることができない。これからも、もう見つけることはできないだろう。
それは、かつて経験したことのない性的関係だった。
近い経験では、チャットやメールだけの関係が挙げられるが、そこに空気と肉はまったく介在しなかったわけだ。
私と彼女との間にあったのは非常に個人的で、一方的な関係である。この、非常に曖昧で、当人以外に誰も介在せず、関係者同士すら関係性が曖昧な性的関係は、現代の都市的エロティシズムの一端を担っているのだろう。
ビデオや本などのメディアを活用した、ごく個人的な性活動が大衆化したのは20世紀であり、現在それは飢えた中学生の欲求を満たすだけの役さえ満足に果たせていない。
伝統的メディアと比較して、より「リアル」に近く、その上性的関係のリスクが最小限の関係…。都市的で個人的なものとは、すなわち無差別で偶発的なものに結びつく。
この欲求を満たすべく、ネットを含め世界には様々なツールが用意されている。ここで特定のシステムやビジネスを批判/賞賛するつもりはないのであまり深入りはしない。私自身も、その恩恵は大いに享受している。
チャットやメール、ソーシャルネットワークやブログにもリスクは存在する。場合によっては物理的なリスクすらこうむることを、実例を持って知っている。しかし、それはクラシックな(性的関係を含む)人間関係を結ぶことと比べたら、比較にならないほど自己の防御力が高いのだ。
リスクを最小化しつつ、快楽を追求することにより人間は文化/技術を複雑化している。そこは肯定的に受け止める側面が大いにあるだろう。
リスクを減少させた性行動が、代替としての肉に向かっているのか、それとも純粋に高度化し細分化したフェティシズムに向かっているのかは、現段階では明確にすることができない。恐らく、両方に向かっているのだろう。そして、肉への揺れ戻しや、終着点のしての肉と言う選択肢は依然として強く残っている。
そんな中、彼女は明らかなリスクを負っていた。物理的、肉体的なリスクを、である。快楽の方法論としては伝統的で、対人関係が現代的であるのだ。そのスリリングさや、私が得た新鮮な興奮は大変に刺激的であった。
ちなみに、このブログは全くリスクを負わないよう考慮したリビドーの開放である。私は極めて無責任に文章を書いているので、その点はご容赦頂きたい。
問題は、今でも必要以上に短いスカートを穿いたり、挙動不審な女性がいると気になってしばらく見つめてしまう、と言う私が犯すリスクである。