個人的関係
元来、私は女王様より王女様が好きである。
ヒエラルキーの最上位に位置する女王。王女は、その一段下にいるにも関わらず、やはり最上位部に位置するのは間違いない。しかし、絶対的に上位に位置する王/女王の前では、その立場関係は揺ぎ無い。最上位部であるからこそ、このルールは下部ヒエラルキーの身分関係より明瞭で厳正である。
この支配者と被支配者が最も顕著に同居する王女様こそが、私の嗜虐心をそそる重要な要素である。
この社会的立場をめぐるギャップは、セクシュアリティーにおいて非常に重要な役割を果たす。ギャップなしでのSMやDSは、その抑圧的な様式美とは別の、より動物的で暴力的なセックスに向かうのであろう。余談だが、昨今見られる女性の監禁事件などはこちらのタイプに入るのであろう。
SM嗜好の男女では、性格と性癖が著しく逆転しているパターンが見られる場合がある。社会的身分が非常に高い男性が娼館の女王様の懲罰部屋に通ったり、普段献身的で紳士的な夫が、妻に首輪を付けて犬の真似をさせたりするのだ。
しかし、大時代的なヒエラルキーが目視できなくなった現代社会では、社会/経済的な立場関係や、個人と個人の精神的な繋がりが力を持ち、人間関係に支配/被支配の鎖を巻きつけてゆく。王女様を塔に幽閉して調教すればよいと言うわけではないのだ!
男女の社会的立場を差異を減らす方向に進行した80年代以降、新種の男女問題や逆差別問題が噴出してゆくパラドックスはむしろ痛快ですらある。
人種や思想、宗教、職種、年齢による差別やヒエラルキー構成が、建前上よろしくないものとされているからこそ、個人間の関係による束縛が強固になってゆくのだろう。その個人的関係と言うものは、外部の第3者にはまったく持って不透明である。関係はますます個人的になり、孤立し、独立し、独自化してゆく。
もはや身分制度や性差、社会的立場に依拠する形のSMやDSは完全なるノスタルジーであるといわざるを得ない。
個人的関係は果たして、因習と固定観念、倫理観から開放された真の快楽の追求へ向かっているのだろうか?それとも、個人間で繰り広げられる無差別で暴力的、テロ的、理不尽なドミネーション?我々が未だかつて経験したことのない快楽は、この暴力的孤立の先にあるのかもしれない。
私も、とらわれの王女様を監禁して調教する夢想から、いい加減卒業するべきなのだろう。サディズムとマゾヒズムの様式美は、とっくに脱構築されてしまったのだから。
