最近、岸田政権は、「異次元の少子化対策を行う」と息を巻いている。

政府の少子化対策というのは、基本は児童手当・保育所・学童保育・育児休暇の充実など、いわゆる〝子育て支援〟の対策だ。

その理由は、少子化の理由を、主に若い夫婦の経済的な問題と考えているからだ。

だから、「子育てを支援する経済援助や環境整備を充実させれば、出生率は上がるだろう」と安易に考えているようだ。

しかし、本当にそうなるだろうか?

『夫婦の給料・賃金が低く、経済的に子どもを作る余裕がないことから、若い夫婦が子どもを作れないので、出生率が下がっている』という神話は事実なのだろうか?

 

事実はそうではない。

夫婦の給料・賃金が上がろうが、男女の役割分担が進もうが、託児所・保育所が増えようが、育児休暇が充実しようが、出生率は上がらない。 

なぜなら、今の世の中、男女が付き合ってすらいないからだ。 

異性と付き合いたくない若者が5割という社会で、子供が増えるわけがない。 

異性と付き合うのは面倒だと彼らは言っている。

他人に興味がないし、興味を持たれるのも嫌だ、と。

 だから、出生率の低下に、家計も男女役割分担も、まったく関係ない。 

子どもをつくろうとしないのではない。

男女が付き合おうとしないのが問題なのだ。

 

実際、結婚しているカップルにおける子どもの割合は、ほとんど減っていない。 

8人も9人も兄弟姉妹がいるのが普通という世代は、戦前世代の80代後半以前の話。 

70代〜60代は、兄弟姉妹は3〜4人が普通。 

50代なら兄弟姉妹は2人が普通だ。ひとりっ子も既に多かった。 

その頃と比べて、今の夫婦が子どもがさほど少ないわけではない。 

データ的にも、ここ30年ほど、夫婦の子供の数は横ばい状態でまったく減っていない。

夫婦の産む子供の数は変わらないが、夫婦になる割合が減っている。

夫婦の数を増やさないと、少子化に歯止めはかからない。 

経済的な優遇策とか子育て支援で、子どもの数が増えるとはとても思えない。 

 

そもそもの問題は、異性交際をする男女の割合が低下していること。 

おひとり様が気楽という人に、子どもを作れと言っても無理な話だ。 

他者と深く付き合うことを煩わしく感じる人が増えているのだ。 

人嫌いが増えている。

人間不信のストレス社会ということだね。 

ハリネズミのジレンマが蔓延する社会なのだ。 

相手に深く踏み込むのも、自分が踏み込まれるのも苦手で、どう踏み込めばいいのか、わからない。 

だから、関係が深まりようがない。

 

物理的に狭義の〝引きこもり〟でなくても、家族や他人と会話は交わしても、仕事上の業務連絡や当たり障りのない会話に終始して、プライベートな会話がない〝精神的引きこもり〟や〝引きこもり予備軍〟は、老若男女を問わず、この国では非常に増えているようだ。

話しかけるのも、話しかけられるのも面倒だと思う人たち。

他人に興味がないし、興味を持たれたくもない。

人と話すことに、ストレスしか感じない。

ともかく、はやく切り上げたい。

引きこもりたい。

 

彼らは〝現実(実社会)〟に諦めているのだ。

現実は楽しくない。

信頼できる人と出会えるなんていう奇跡は、まず起こらない。

だから、皆、楽しい仮想現実(バーチャル)へと逃避する。

根本は、この社会では、誰もが人と人が深く付き合う余裕を失っていることにある。 

つまりは、人間精神の相互許容度とか、社会における信頼関係構築の困難さとかに関わる問題。

そこを見つめなければ、この国の少子化問題は永遠に解決しないだろう。

 

「不純異性交友がダメ」とか、いつまでも時代遅れなことを言っていたら、国が滅びる。

効果的な少子化対策とは、極端に言えば、政府が積極的不純異性交友を大いに勧めるということになる。

「どんどん付き合え」というわけだ。

10代で子どもを産んだら不良と呼ばれるようでは困る。

モラルも価値観も、大幅な見直しが必要になる。

逆に言えば、これまでの人間不信を生み出す偏向した教育が、少子化の根本的な原因ということでもある。

「他人を見たら泥棒と思え」「家族以外の人はどうでもいい」

そういう家庭教育が、他者を信頼して尊重することを知らない世代を育てたのだ。

年長者を尊敬できず、子どもを慈しむことを知らない。

だから、若い男女も互いに深い交際ができない

そうした問題意識の自覚も自省もなく、異次元の少子化対策とか、軽々しく言わないで欲しい。

『福・禄・寿 等価交換の法則』とは、もともとは中国の道教の考え方です。

福とは幸福、禄は俸禄、寿は長寿を、それぞれ表しています。また、道教における「幸福」とは子孫繁栄を意味します。現代的に考えると〝晩年まで周囲からの豊かな愛情に恵まれる〟というイメージです。孤独とは無縁の人生ということですね。「俸禄」は財と地位と名誉と権力を意味し、〝立身出世して富貴な者となる〟〝社会的地位を確立する〟ということですが、現代的には〝お金を得る〟〝資産を生む〟というイメージです。「長寿」は、文字通り、健康長寿を意味します。

廟や寺社などの霊域で、霊に対して「私の願いをお聞き届けください」と祈ると、「幸福(愛情)と俸禄(お金)と寿命(健康)のいずれを望みますか?」と霊に問われます。そこで福・禄・寿の3つのうち一つを選んでお願いすると、自分が選んだその一つが本来の分より多く与えられ、代わりに、それ以外の二つから何かが削られるというものです。

これは「霊は、願いをかなえる時に、相応の代償を要求する」という道教の考え方です。

例えば、幸福を願うと、愛情が与えられる代わりに、お金か寿命、あるいは両方が失われます。お金を選ぶと、分不相応に得られるお金の代わりに、愛情か寿命が、その分だけ失われるのです。与えられる恩恵が大きいほど、それに比して奪われるものも大きくなります。例えば、莫大な俸禄(お金)が与えられると、その代わりに、幸福(愛情)と寿命(健康)が、ごっそり削られることになるわけです。資産は多くとも、愛情薄く病弱になりがちで、孤独で短命な人生となります。

 

そして、この、中国で古くから伝えられている道教の教えは、道教という一宗教を離れて、この人類社会に普遍的に在る一般法則のひとつでもあるのです。つまり、国と時代を超えて人間社会全般に通用する法則として、この『福・禄・寿の等価交換の法則』を、人間界の真理にして自然界の一般法則であると、私たちは考えることができます。

この法則のベースにある考え方は、「人は、もともと持っている運勢の総量は変えられないが、傾斜配分の割合を任意で変えることはできる」ということです。そして、大抵の人は、無意識に、その傾斜配分を選んでおり、その結果として、得られる運気もあれば、その逆に、知らない間に失われている運気もあるというのです。

「人生において何が一番大切か?」の違いによって、傾斜配分は自動的に選ばれています。本人にとって最も大切なものが選ばれ、最も重視しないものが捨てられるのです。

 

ですから、ある人が、分不相応にお金を欲して、その願いが叶えられたとしたら、そこで財運に運気を使い過ぎている分、必ず、どこかに皺寄せがいき、減退・欠乏する分野が生じることになります。その欠乏が、愛情運(幸福)だった場合には、その目減り具合は、誰にでも実感しやすく、周囲からも目に見えてわかります。ところが、財運(お金)と健康運(寿命)との等価交換の場合、もともとの自分の寿命がいつまでなのか、そもそもわからない上に、たとえ代償として寿命を10年分奪われたとしても直ぐにはわかりません。

わかる時は、既に死んでいますからね。

福(愛情)や禄(お金)は失うとすぐ気づきますが、寿命だけは失われていても、なかなか気づけないのが恐ろしいところです。

 

私たちの身の回りで、さまざまな人々が、この『福・禄・寿 交換の法則』によって人生を支配されている様を見ることができるでしょう。

一族が、禄(お金)を選んだために、当主の死後、家族が遺産相続の裁判によって仲違いし、ばらばらになってしまうこともあります。彼らは、一族の因縁によって、禄(財産)を取り、福(子孫繁栄)を失ったのです。

また、禄(仕事・実績)に執着するあまり、家族の愛情(福)を失ってしまう人はどこにでもいます。愛情より個人としての社会的成功を重視した結果と言えます。

さらに、分不相応の資産持ちで、糖尿病や精神疾患などで健康を著しく害している人や、健康だったのに若くして突然死する資産家の話はよく聞きます。一族としては、ケネディ家の例などが典型的と言えるでしょう。

中でも、霊的な事柄を扱う宗教家や霊媒師や占い師などが、占いやお祓いなど、その霊的な操作によって大金を得た場合には、この福・禄・寿 交換の効果がテキメンに働きます。ですから、売れっ子の占い師や霊媒師などに限って、本人はなかなか幸せになりにくかったりするのです。

多くの場合、傍目には華々しく成功しているように見えても、実生活においては、禄(お金)を取って福(愛情・幸せ)を失っているように感じられる方が多いのは事実ではないでしょうか。

 

この『福・禄・寿 交換の法則』は、非常に恐ろしい自然法則ですが、その法則の凶意から逃れる方法もあります。例えば、分不相応にお金が入ってきた時には、そのお金を自分のためでなく、多くの他の人のために使ってしまうのです。それによって徳を積み、福・禄・寿 交換の凶意から免れることができます。

ところが、お金への執着から免れ、人のために気前よくお金をつかえる人は、めったにいないものです。そのため、この『福・禄・寿 交換の法則』の呪縛から免れることがなかなかできず、残念な最後を迎える人が多いのも現実です。

 

ところで、宗教法人「幸福の科学」の創始者であり、「仏陀の生まれ変わりにして『地球神』である」と称していた大川隆法氏(66歳)が、3月2日に亡くなりました。

2月末に突然、自宅で倒れ、病院に搬送されたのですが、持ち直すことなく急逝されたようです。教団は、未だに公式には教祖の死を公表していません。詳しい死因もわからないままです。

大川隆法氏は、仏陀の生まれ変わりであると同時に、ギリシャ神話のオリンポス十二神のひとりであるヘルメス神の生まれ変わりであるとも称していらっしゃいました。

ちなみにヘルメス神は、主神ゼウスとプレアデスの長姉マイアの子で、旅人・商人の守護神であり、商業・弁舌・科学の神として、富と幸運と流通と発明を司り、詐欺と策略と盗賊の神として、市場と賭博と錬金術を司るという実に多面的で多才な神です。ローマ神話における商業の神メルクリウス(マーキュリー)と同一視される存在でもあります。

そういう意味では、大川隆法氏は、その前世の神としての性質から考えても、富(禄)と愛情(福)を選び取った(司る?)人(神?)であると考えられます。

「幸福の科学」の創始者(教祖)として、信者の方々から、多くのお布施を受け、大いに信心を受けて、たくさんの人からお金を集めて組織を大きくしてきた方です。そのため、禄をいっぱい受けられたので、その分、寿命が削られたとしても不思議ではないと思うのです。家族がバラバラになっている現状から福(愛情)にも多少の障り(さわり)があったことは確かです。けれども、寿命への影響は、より大きかったのではないでしょうか。

あくまでも個人的な見解ではありますが、大川隆法氏は、『福・禄・寿 交換の法則』の凶意によって、若くして亡くなることになったのではないか、とそう思えてなりません。

 

 

ウクライナ擁護の人たちの大半は『ロシアを信じない』と言う。そして、「たとえ今すぐに停戦したとしても、それはロシアに力を取り戻す時間と余裕と準備期間を与えるだけで、準備が整い次第、ロシアは再び侵略を開始するから停戦は無意味だ」と言う。だから「ウクライナは決して停戦に応じるべきでないし、クリミアを取り戻し、ロシアをウクライナの国境の外へ追い出すまで戦うべきだ」「アメリカ、欧州など西側諸国は、ロシアを完全に追い払うまで、ウクライナを支援し続けるべきだ」と主張する。

ウクライナ国論もそうなっているし、ウクライナ国民もその考え方を支持している。しかし、この意見には、いくつか無視できない問題がある。

そのひとつは、前提として『ロシアを勝手な野心によって他国の支配を目論む一方的な侵略者と見做している』ということだ。その意見は正しいかもしれない。しかし、間違っているかもしれない。

『ウクライナは完全な正義であり、ロシアは完全な悪であるから、ロシアは倒さなければならない』という勧善懲悪プロパガンダが、ゼレンスキーやバイデンによって喧伝され、それを西側メディアが無批判にあるいは意図的な印象操作を交えて偏向報道する。そのウクライナ支持一辺倒に偏った情報の影響下で私たちは生活している。だから、私たちの判断にはかなりのバイアスがかかっているかもしれない。

『正義の名の下に他者を叩く』のは、気持ちいいだろう。我が国のネット上でも、そのような〝気持ちのよい〟意見が溢れている。「侵略した方が100%悪い」「ウクライナに不満があるならロシア系の人々はロシアに帰ればいい」と多くのネット民は言う。

それらの正義は正しいかもしれない。だが、それはロシアの正義ではない。ウクライナに正義があるように、ロシアにも別の正義がある。

「ウクライナ東部のロシア系住民は、帝政ロシア時代から何世代もこの地でウクライナ系の人たちと仲良く暮らしてきた」「クリミアはロシア系が7割で、トルコ系が2割、ウクライナ系が1割だ」「クリミアはロシアの一部だ」「ドンバスの過半数の人々はロシア語を第一言語として話すのに、ウクライナ政府はロシア語を公用語から排した」「ウクライナ政府は住民の意思を無視して、ロシア系排斥に動いた」「ドンバスの独立は住民自治をウクライナ政府が踏み躙ったからだ」「バイデンの後ろ盾で調子に乗ったゼレンスキーがミンスク合意を破ってドンバス攻撃を強めたから、ロシア系住民保護のためにプーチンは侵攻した」「アメリカやNATOは、ロシアを叩く口実にウクライナを利用している」などなど。

それらの意見も間違っているかもしれないが、正しいかもしれない。

 

ロシアのGDPは韓国より少し上で世界11位だが、人口は日本より少し上で世界9位だ。

ウクライナのGDPはロシアの1/10で、人口はロシアの1/3に過ぎない。

ウクライナには独力でロシアと戦う力はない。

だから、西側の無償援助がなければ戦争は終わる。しかし、西側は援助を続ける。それは、彼らが客観的第三者であることをせずに、ウクライナの正義を自らの正義としているということだ。つまり、西側諸国は、この戦争の〝当事者〟であるということだ。

彼らは、『ウクライナが勝つまで援助を続ける』と言う。

しかし、当事者として戦争の被害を自らが受けることは避けたい。だから、ウクライナが決定的な勝利を得るほどの援助はしたくない。

それでは、戦争はいつまで続くのだ?

 

実は、この不毛な戦争を止めることは簡単だ。

西側諸国が、「もうウクライナを支援しない」とゼレンスキーに言えばいい。

その段階で、現在の前線を国境とすることを話し合いで定めればよいのだ。

なぜなら、現在ロシアが占領(併合)している地域では、ロシア系住民の方が多数派であり、彼らにとってはロシア軍は自分たちを保護するために来た友軍であって、ウクライナ軍の方がむしろ、侵略者と考えられているからだ。そのような地域をウクライナが〝取り戻す〟まで戦争の援助を続けるというのはいかがなものであろうか?

 

『ロシアが信用できないから』と、いつまでも不毛な戦争を続けることが、果たして正義なのか?

相手を信用できないから、いつまでも殺し合おうというのは理性を放棄して情念の支配に身を任せることではないか。

 

 

 

ナショナリズムの激突は、始まってしまうと終わる気配がない。
しかし、このナショナリズムの背後には、人種的な優劣を測る差別意識の蠢きを感じる。
西ウクライナの人々は、もとより東側のロシア人に対して人種的優越性を感じる傾向が強く、欧州に近いことがプライドにすり替わる程に、欧州への憧れと同一視願望が強いようだ。
韓国の事大主義に似ているかもしれない。
 
しかし、これについては欧州の側も同じような見方・感じ方をしている疑惑が強い。
ウクライナ=欧州、ロシア=アジアというアジア蔑視の見方が欧州側にもあるようだ。
実際、アメリカのバイデンは最初からウクライナ側の当事者だが、欧州諸国も、昨今は、もはや対ロシア戦の当事者だ。
そうして社会に蠢き出す理不尽な情念を糧にエスカレーションがすすむ。
日本人も、名誉白人として、この戦争のエスカレーションに加担するのか?
 
何が正義なのか?
ともかく戦争をはやく終わらせるのが唯一無二の正義ではないのか。
正義の名の下に戦争を激化させることが許されてよいのか?
戦争は終わる気配がない。
強調したいのは『ロシアを叩き潰すために援助を加速することが戦争を終わらせる』という考えは間違っているという観点だ。そうした西側諸国の支援の増大は、戦争のさらなるエスカレーションを促進させる効果しかない。
 
停戦が成立するとすれば、その条件は、現状の支配地域での国境確定と、不戦の約束、ウクライナのNATO加盟は不可というラインだろう。
 
停戦には、西側のウクライナへの援助が途絶えなければムリだろう。
プーチンが停戦を望んだとしても、ゼレンスキーはクリミア武力奪還まで戦争をやめる気はない。
だから、バイデン政権がウクライナ支援を続ける限り、戦争は終わらない。
 
2022年のロシアのGDPは世界で11位で韓国よりは上だ。
一方でウクライナのGDPは、ロシアの1/10。
人口はロシアの1/3だから、一人当たりGDPで考えても、ウクライナはロシアの1/3しかない。
ウクライナの2023年度の国家予算は4兆3000億円だが、 2022年度の各国のウクライナ支援の総額が少なくとも15兆3000億円で、 諸外国の年間支援額が年間国家予算の3倍を超える。 
よって、西側の支援がなければ、ウクライナの戦争継続は不可能だ。 
ゼレンスキーは「我々は、あなたたちの代わりにロシアと戦ってあげているのだから援助を受けるのは当然だ」「もっと武器をよこせ(無償供与せよ)」とさも当然というように世界に呼びかける。
 
ところが、ロシアもそうだが、ウクライナも汚職大国だ。 現在、欧米からウクライナへもたらされる膨大な援助が、政府高官によって横流しされ、公共資産が私財に替わって外国に持ち出されていく。 海外からの援助を懐にして十分な財を築いたら、みんな、役人を辞めて外国へ脱出する。お決まりのルートだ。 バイデンの次男もウクライナのガス会社の取締役として汚職にまみれていた。これを隠蔽する見返りに、バイデンはウクライナ支援を続けているのかもしれない。
結局、支援の見直し、それによる戦争終結の見込みは、バイデンの匙加減次第と言うことだ。
 
今後の可能性としては、
①バイデンが選挙で敗れ、共和党に政権が移るまで、アメリカはウクライナ支援を続ける。
②物価高騰とエネルギー危機のせいで、西側諸国の中でウクライナ支援を渋る国が多くなり、バイデン政権も方向修正を迫られる。
 
いずれにしても、少なくとも、この一年ほどは、状況は変わらないと考えるべきだろう。
 
 
 
西側のリベラル・メディアの論調には、プーチンをヒトラーになぞらえる印象操作が目立つ。
しかし、まったく的外れな考えだ。
プーチンは信義は守る男だ。 
ロシア人とウクライナ人との共通点は、お金に汚いこと。 金のためなら、親兄弟・親友・恋人でも売る。 
そして、命が軽い。日本人には思いもよらないほど命が軽い。 たいした高価でもないブランド品を奪うために、簡単に見知らぬ人を殺す。 
敵や裏切り者ならば、なお一層、容赦なく冷徹にすぐ殺される。 その一方で、仲間や家族に対してはとても手厚い。 
ロシア人で金の力に負けない男は珍しい。 いたとしたら、希少で信じられる存在だ。 
プーチンの周りには、権力に群がる蟻のような男たちが多いだろう。 しかし、プーチン自身は、そのような十把一絡げの俗物ではない。 
 
キッシンジャーが言ったように「プーチンは重厚な人格と鋭敏な精神を持つ一筋縄ではいかない男だ」「プーチンを知りたければ、ヒトラーの『我が闘争』を読むより、ドストエフスキーを読むべきだ」「プーチンはヒトラーには似ていない」「むしろ、ドストエフスキーの小説の登場人物のように、重層的で複雑な精神構造を持つ、情熱を内に秘めながらも、重厚で理性的で冷静な人格の度量のある人物だ」「プーチンの人物像について単純な見方はしないことだ」と言っていたが、まさにその通りだと思う。
 
ロシア人は、一般的傾向として、栄光の帝政ロシア時代の貴族や皇帝の豪奢で煌びやかな生活や絢爛たる文化への憧れはある。プーチンがことさらにそうだというわけではない。
ロシア国民の一般的な性向を、プーチンの個人的な性質に、無理矢理落とし込もうとするのは自然ではない。
プーチンはヒトラーのような妄想家ではなく、極めて実際的な人物だ。
加えて、ウクライナを兄弟国と思う感覚は、ロシア人の一般的な感覚だ。
 
ウクライナ東部ではロシア系住民も多く(4割)、ロシア語を第一言語とするロシア語ネイティブも5割を超える上、豊かだった旧ソ連時代を懐かしむ親ロシア意識の強い住民が7割を占める。東部には、ソ連最大のコンビナートが建設されたし、ソ連の中枢として、フルシチョフ・ブレジネフと2人の書記長も輩出した。東部とロシアとの融合は長い年月をかけて進んだ。
そして、今では、まさに〝ロシアの兄弟国〟と言うに相応しい実態がある。
 
しかし、ウクライナ西部にはロシア系住民は5%しかいないし、オーストリアやポーランドの一部だったこともあり、伝統的に西欧への憧れが強く、ポーランド国境付近の西部の代表都市リビウなどは、歴史的にウクライナ民族主義の牙城である。
東部工業地帯と違って、ソ連時代も貧しかった西部には根深い反露意識があり、その一方で『文化的には西欧に近い自分たちの方がロシア人より優れている』という意識が強い。
このロシアに対する優越感と侮蔑心が、ロシア側からすると極度に人種差別的に感じられることもあるだろう。
だから、プーチンが、西部ウクライナのナショナリストたちを〝ネオナチ〟と言いたくなる気持ちもわからないわけではない。
 
 
 
東部と西部は面積も人口もほぼ等しい。
東部では屈託なくロシア語を話す者が多いが、西部では誰もがウクライナ語を話す。ロシア語は忌避して話さない。
東部はロシアと相思相愛だったが、西部はロシアへの憎悪がある。
このように東西の分断は、もともと深刻だったのである。
民族問題は、一度火を吹いてしまうと、どこでも火消しがとても難しい。
 
そもそも、西部ナショナリストの前政権が、ロシア語を公用語から排し、東部ロシア語ネイティブを、ロシア系いかんに問わず、撃ち殺しまくった。

前政権のポロシェンコ大統領によって、ロシア系住民含むロシア語ネイティブ市民に対して行われた〝オデッサの虐殺〟では、数百人の男性のみならず女性や子どもまでもが虐殺された凄惨極まる〝ネオナチ事件〟として有名だが、そうした事実も西側メディアは、まったく報道しない。 その時、ロシア系住民を銃殺したり、焼き殺したりしたウクライナの民族主義派武装集団が、〝アゾフ大隊〟と呼ばれるようになり、その後も東部でロシア語ネイティブの虐殺を繰り返した。

しかし、欧州人権委員会は、ウクライナ側の引き起こした、こうした虐殺事件については、まったく取り上げようとせず、無視し続けている。

その後、東部出身でユダヤ系ロシア語ネイティブのゼレンスキーは、当初はロシアとの融和を掲げ、ロシア語で演説して、西部民族主義派の横暴に辟易し、残虐行為に耐えられなくなていた東部住民の支持で大統領になった。
 
親ロシアだったゼレンスキーの変節は、反露のバイデン政権の登場によるものだ。
上記したように、バイデン次男のウクライナ疑惑の隠蔽を条件に、バイデンがウクライナへの前面支援を約束した可能性はある。
反露のバイデン政権成立後、勢いづいた西部反露派の突き上げに抗しきれず、ゼレンスキーは反露に舵を切って、ウクライナ語を猛特訓し、演説にロシア語を使わなくなった。
そして、NATO加盟・クリミア武力奪還・ドンバス自治権拒絶(ミンスク合意破棄)を国家目標に設定し、バイデンの支援を当てにして対露戦を決意し、ドンバスへの攻勢を強めた。「ドンバスのロシア系住民をぶち殺せ!」と命じたわけだ。
これがプーチン侵攻の一年前のことだ。
 
これに対して、ロシア系住民の保護のためにプーチンが動いたのは当然のことだ。
プーチンとしては電撃戦でのゼレンスキー政権打倒を狙ったが、バイデン・ゼレンスキーの計画は、ロシアから侵攻させ、プーチンの短期決戦の意図を挫き、泥沼の長期戦に持ち込むことだった。
実は、キーウが陥落しても構わなかった。ゼレンスキーが西部のポーランド国境付近の拠点リビウあたりから反攻していけばよいわけで、アメリカの支援があれば、充分反攻は可能だった。
長期戦が続くことで、侵略者ロシア非道を世界に喧伝し、各国から援助を引き出して戦争を継続することができる。
加えて、戦況が泥沼化することで、西部ナショナリストたちは、念願であった東部住民の親露意識を払拭し、国内を反露に染め上げることが可能になる。
バイデンは、ロシアの弱体化とNATOの結束を強めることと次男のウクライナ疑惑の隠蔽という三つの目的を達成できる。いいことづくめである。
だから、『この戦争はバイデン・ゼレンスキーが始めた戦争だ』ということだ。
 
侵攻したプーチンは、誰もが悪党だと非難する。しかし、ロシア系住民の保護のために動いたという点に、血の通った人間的な情や指導者としての責任感を感じるのだ。
しかし、バイデンは、己の利のために、複雑で微妙な民族問題に安易に介入して戦争を引き起こしていながら、責任のない部外者のフリをし、正義の味方ヅラをしているのは、とても卑怯だし、タチの悪い偽善者に見える。
ウクライナ西部の民族主義派の傀儡として、与えられた舞台の上で、戦時に大統領の役割を熱演しているゼレンスキーは、初めから国民に大きな犠牲を払わせる予定で戦争に持っていったという点で、舞台裏に巨悪を隠して平然としているサイコな役者に見える。
 
現在ロシアが占領(併合)している東部4州とクリミアの多数派(7割以上)を占めるロシア系住民は、帝政ロシア時代から何世代にもわたってこの地に住んでいる。もともとロシアとの一体感が強い人々であるが、ロシア語を公用語から排する政府など、彼らの政府ではないのだ。彼らにとってはロシア軍は庇護者であり、ウクライナ軍こそが侵略者なのだ。
アメリカやNATO軍も、彼らにしてみれば、自分たちの民族自決を脅かす侵略者に他ならない。
東部4州は、スコットランドどころじゃなく、北部アイルランドレベルで、ウクライナからの分離とロシアとの統合を望んでいる。
『ナショナリズムの激突に、正義も悪もない』ということだ。
 
 
 
ところで、アメリカや日本と違って、EUには、実はかなり多くのロシア支持があり、主要リベラル・メディアがウクライナ支持一辺倒なため、なかなか表面化しないが、実は国論が二分している国が多い。特に、ドイツやフランスがそうだ。
例えば、ドイツでは4割の人々がプーチンの侵攻にある程度の理解を示している。ドイツ人の4割が、ロシアの侵攻は、NATOの東方拡大のせいだと考えているのである。ウクライナへのレオパルト2の無償供与についても、賛成46%、反対43%で拮抗していた。
これには、旧東ドイツ出身者の多くがロシア語話者であることや、社会主義時代へのノスタルジーなどもあるだろうが、それ以上に、一般市民がウクライナ問題についての知識が豊富であることも関係している。
EU関係者が、これ以上の武器を輸出して「ロシアを刺激したくない」というのは「国内のロシア支持勢力を刺激したくない」という意味もあるのだ。
 
英米のCNNやBBCのように、欧州でも、リベラル・メディアは、ウクライナ支援への支持一辺倒で、ウクライナ当局のプロパガンダの片棒を担いでいる状態である。
しかし、メディアが何を報道しようと、この戦争が、そもそもウクライナ国内の反露の西部地域と親露の東部地域の根深い分断と対立を背景としていることを、欧州の市井の人々はよく知っている。
 
その複雑な民族問題に、あまりにも安易にバイデンが介入し、ゼレンスキーの変節を促し、それがプーチンの侵攻を招いた。
一旦始まったナショナリズムの激突は、当事者には止められない。
戦争は終わらない。
大元はバイデンに責任がある。

そういう見方が、かなり強いのだ。

 

「ロシアは信用できない」「停戦しても、また侵略してくる」「ロシア軍を完全に追い払うまで、とことん戦い続けるしかない」というウクライナの言い分が、よく聞かれる。

だが、実際には、ロシア系住民が多数派を占め、親露派住民がさらにマジョリティである現ロシア占領地域をウクライナの手に取り戻すために、どこまでも展望の見えない戦争を継続しようとするのは、ウクライナ西部民族主義派(ナショナリスト)たちの意地と情念の問題であって、決してウクライナ国民の総意ではないだろう。 

 

〝終わりなき戦い〟に戦意が高揚している強靭な戦士たちは、主に西部の反露の好戦派の連中だけであって、長年、ロシアを兄弟国と感じてきた東部の一般市民の総意というわけではないということだ。 特に、もともと親ロシアだった東部地域の住民たちにとっては、西部の〝愛国者〟たちの愛国心の押し付けの強烈な圧力で、「ともかく戦争が早く終わって欲しい」という願いを口に出せず、〝愛国心〟の名の下に沈黙を強いられている面も大きいのではないだろうか。 

 

我が国のウクライナびいきの専門家たちの主張への反論になるが、『ロシア軍を完全に国境に外に追い払うまで戦争長期化を辞さないという意志で戦っているのは、西部民族主義派と、その傀儡のゼレンスキーだけだ』と思うのだ。 一般庶民の多くは即時停戦を願っているのではないか。ただ、それを大っぴらに言えない。非国民と罵られ、愛国者たちにボコボコにされてしまうから。あるいは、もうすでに大部分の国民がナショナリズムの熱狂の渦に巻き込まれて正常な判断ができなくなっているかもしれない。

対する日本人は、ウクライナ西部ナショナリストたちの言い分を、ウクライナ国民の代表的意見であると素直に受け取っているが、これはあまりにもナイーブに過ぎる見方だ。
繰り返すが、西部民族主義派の発言は、必ずしも、ウクライナ東部の親露住民の意見とは重ならない。それどころか、大きく異なる可能性がある。特に東部4州とクリミアの住民の意見とは、真っ向から対立するだろう。
我々は、そのことも肝に銘じるべきだろう。
 
 
 
【結論】
日本はウクライナのために、隣国ロシアと決定的に敵対するべきではない。 
日本が、将来、中国・ロシアと対立し、アメリカにまで梯子を外された時に、ウクライナの恩返しが何か期待できるだろうか? 
そうした場合、ゼレンスキーよりは、よっぽどプーチンの方が信義を重んじるように思える。
 ロシア人もウクライナ人も金に弱い。 ゼレンスキーもバイデンのチラつかせた金に転んだ。そもそも、 国家予算の3倍の無償援助を頼みにして先の見えない戦争を継続する国って何なの? 
個人的にゼレンスキーとプーチンを比べるなら、私は断然プーチンを信頼する。
もう一つ、この戦争はナショナリズムの激突であり、だからこそ、容易にエスカレーションが起こりうる。理性を超えて、得体の知れない情念が戦争を支配する。
だからこそ、我々は、正義の名の下に、ナショナリズムを刺激してはならない。
 
 

余談だが、イギリスのプログレッシブ・ロックバンド「ピンク・フロイド」の元リーダーであるロジャー・ウォーターズが、ウクライナ戦争について発言している。

私は彼の発言に完全に同意する。 
ロジャー・ウォーターズは、ロシアの侵攻を違法と非難する一方で、欧米がロシアを挑発し追い詰めて侵攻を誘発した点をしっかり非難している。バイデン政権のアメリカをウクライナ戦争の「主要な侵略国」と明言して、バイデンの戦争責任に言及しているのだ。 また、ウクライナのナショナリズムの高まりを、戦争のエスカレーションを加速させるものとして批判している。 西側市民によるウクライナへの応援も、いたずらにナショナリズムを加熱させているのではないかと警告している。
公平で正しい見解だ。 さすがの洞察力。 真実を見抜く眼は健在なようだ。