ウクライナ擁護の人たちの大半は『ロシアを信じない』と言う。そして、「たとえ今すぐに停戦したとしても、それはロシアに力を取り戻す時間と余裕と準備期間を与えるだけで、準備が整い次第、ロシアは再び侵略を開始するから停戦は無意味だ」と言う。だから「ウクライナは決して停戦に応じるべきでないし、クリミアを取り戻し、ロシアをウクライナの国境の外へ追い出すまで戦うべきだ」「アメリカ、欧州など西側諸国は、ロシアを完全に追い払うまで、ウクライナを支援し続けるべきだ」と主張する。

ウクライナ国論もそうなっているし、ウクライナ国民もその考え方を支持している。しかし、この意見には、いくつか無視できない問題がある。

そのひとつは、前提として『ロシアを勝手な野心によって他国の支配を目論む一方的な侵略者と見做している』ということだ。その意見は正しいかもしれない。しかし、間違っているかもしれない。

『ウクライナは完全な正義であり、ロシアは完全な悪であるから、ロシアは倒さなければならない』という勧善懲悪プロパガンダが、ゼレンスキーやバイデンによって喧伝され、それを西側メディアが無批判にあるいは意図的な印象操作を交えて偏向報道する。そのウクライナ支持一辺倒に偏った情報の影響下で私たちは生活している。だから、私たちの判断にはかなりのバイアスがかかっているかもしれない。

『正義の名の下に他者を叩く』のは、気持ちいいだろう。我が国のネット上でも、そのような〝気持ちのよい〟意見が溢れている。「侵略した方が100%悪い」「ウクライナに不満があるならロシア系の人々はロシアに帰ればいい」と多くのネット民は言う。

それらの正義は正しいかもしれない。だが、それはロシアの正義ではない。ウクライナに正義があるように、ロシアにも別の正義がある。

「ウクライナ東部のロシア系住民は、帝政ロシア時代から何世代もこの地でウクライナ系の人たちと仲良く暮らしてきた」「クリミアはロシア系が7割で、トルコ系が2割、ウクライナ系が1割だ」「クリミアはロシアの一部だ」「ドンバスの過半数の人々はロシア語を第一言語として話すのに、ウクライナ政府はロシア語を公用語から排した」「ウクライナ政府は住民の意思を無視して、ロシア系排斥に動いた」「ドンバスの独立は住民自治をウクライナ政府が踏み躙ったからだ」「バイデンの後ろ盾で調子に乗ったゼレンスキーがミンスク合意を破ってドンバス攻撃を強めたから、ロシア系住民保護のためにプーチンは侵攻した」「アメリカやNATOは、ロシアを叩く口実にウクライナを利用している」などなど。

それらの意見も間違っているかもしれないが、正しいかもしれない。

 

ロシアのGDPは韓国より少し上で世界11位だが、人口は日本より少し上で世界9位だ。

ウクライナのGDPはロシアの1/10で、人口はロシアの1/3に過ぎない。

ウクライナには独力でロシアと戦う力はない。

だから、西側の無償援助がなければ戦争は終わる。しかし、西側は援助を続ける。それは、彼らが客観的第三者であることをせずに、ウクライナの正義を自らの正義としているということだ。つまり、西側諸国は、この戦争の〝当事者〟であるということだ。

彼らは、『ウクライナが勝つまで援助を続ける』と言う。

しかし、当事者として戦争の被害を自らが受けることは避けたい。だから、ウクライナが決定的な勝利を得るほどの援助はしたくない。

それでは、戦争はいつまで続くのだ?

 

実は、この不毛な戦争を止めることは簡単だ。

西側諸国が、「もうウクライナを支援しない」とゼレンスキーに言えばいい。

その段階で、現在の前線を国境とすることを話し合いで定めればよいのだ。

なぜなら、現在ロシアが占領(併合)している地域では、ロシア系住民の方が多数派であり、彼らにとってはロシア軍は自分たちを保護するために来た友軍であって、ウクライナ軍の方がむしろ、侵略者と考えられているからだ。そのような地域をウクライナが〝取り戻す〟まで戦争の援助を続けるというのはいかがなものであろうか?

 

『ロシアが信用できないから』と、いつまでも不毛な戦争を続けることが、果たして正義なのか?

相手を信用できないから、いつまでも殺し合おうというのは理性を放棄して情念の支配に身を任せることではないか。