聖母被昇天と終戦記念日 2026 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

ミラノ大聖堂のステンドグラス

(Assunzione della Vergine Maria, vetrata, Duomo di Milano)

 

今日8月15日、カトリックでは「聖母被昇天」の祝日。クリスマスや復活祭同様全てが止まってしまう日。笑

 

聖母マリアの最期や昇天については、聖書には直接記述されていないが、初期キリスト教の時代から「マリアの体は朽ちることなく天に召された」という伝承が大切にされてきた。

 

ちなみに、自らの力で天に昇ったイエス・キリストは「昇天」と呼ばれるが、マリアは神(聖霊)の力によって、天に上げられたため、「被昇天」と区別される。これはマリアがあくまでも人間(被造物)であることを示している。ちなみに、イタリア語では、”ascensione”(アッシェンスイオーネ)と“assunzione”(アッスンツィオーネ)。Assuntaと言う名前は、assunzioneが由来。

 

 

そして、6世紀に、東方教会では、8月15日を「マリアの永眠の日」とされ、これが7世紀に西方教会に受け告げられた。ローマ皇帝マウリチウスが、国際日として定められ、多くの教会に広がり祝われるようになったと言う。

 

それから、マリア信仰が更に強まり、1950年に教皇ピオ12世によって、カトリック教会の教義として宣言された。

 

前置きが長くなったが、今朝のミサに参加する直前、地元教会の主任司祭からメッセ―ジが入った。

 

>聖母被昇天の祝日、おめでとう。

ミラノにおられる方も、海や山へ出かけていらっしゃる方も、皆さまに心からの思いを寄せています。まもなく始まるミサの中で、皆さま一人一人と、それぞれの祈りの意向を、イエス様と聖母マリア様に委ねることを誓います。素敵な祝日と休暇をお過ごし下さい。  ドン

 

また日本の知り合いの司祭方にメッセージを送ると、熊本の地震で大打撃を受けた八代教会の主任司祭である、フェルッチョ神父様からもお返事が来ていた。前日カリタス・ジャパンのfb投稿では、フェルッチョ神父様のお姿が映っていたが、「これからです」とのこと。確かに「これから」が、正念場かもしれない。建物の再建が終わった後も、人の心や地域社会のつながり、維持費の確保などにおいても大きな困難が伴うはずだ。

 

また、時間が経過しても言えない傷を抱える人々に寄り添う一方、教会を支える担い手自体の高齢化…。

 

そして、今朝は、聖歌隊のメンバーにも数人インドネシア人がおられるが、その方たちのまさに出身地である島でも強い地震が発生し、画像が送られてきた。

 

 

 

ある投稿に関し、カトリックやイスラム教徒国、次々地震が起きているが、聖書の神はキリスト教にも、イスラム教にも平等に災難を与える神、しかし聖書の神など存在しない…というコメントを見つけた。しかも、かなりアンチなものであった。

 

いくら何でも、地震や台風などの自然災害は、地球の物理的、自然的な法則やダイナミクスによって生じるものであり、神が個人的な試練や罰として特別に与えるという発想の方がどうなのか?とも思う。しかも、それは他宗教を邪教とみなし、宗教間の対話や共存を妨げる要因となるわけで、現代の多様性を重視する社会において、他宗教を尊重しつつ、自らの教義を主張するバランスが重要なのではないか?とも思うのだが…。

 

また、今日は終戦記念日でもあった。

 

81年という月日が経ったけれど、多くの尊い命を犠牲にした上に、今の私たちの生活があることを忘れてはいけない。

 
今日の全国戦没者追悼式では、高市首相は式辞で『戦争の惨禍を、二度と繰り返させない。』と述べられた。『反省』という言葉はなく、逆にこれまで石破茂前首相らが「繰り返さない」と述べられていた言葉に、「せ」の1文字が加わっていた。それは、誰に対する言葉なのだろう。
 

聖ヨハネ・パウロ2世は1981年に広島を訪れた際、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです。」とおっしゃられた。

 

戦争を振り返り、平和を思う時、平和は単なる願望ではなく、具体的な行動で表していくことが出来ますように。