「生活に句読点を打つ時間」。なんと美しい表現なのだろう。
ミラノでお世話になっている「心の姉」の記事が毎日新聞に掲載されていた。また、彼女のエッセイ集を以前紹介したことがあるが、過大表現もなく、まさに実物大の彼女が写し出されていて大好きな一冊。
ところで、記事の中で
とあった。
私は一日に1-2回コーヒーを飲むだろうか?家とシッター先のお宅でもコーヒー・マシーンのエスプレッソを頂く(家では夏はアメリカンが多い)。バールに行くこともあるが、「行きつけ」のバールってあっただろうか?
バス停の近くで、バスを10分以上待つ時に寄るバール。空手の稽古に行く際、時間に余裕がある時、道場近くで寄るバール。仕事前、時間に余裕がある時に寄るバール。私の場合は、時間に余裕がある時しか、外のバールに行かないようだ。笑
行きつけのバールを選ぶ際、イタリア人は当たり前だが、エスプレッソがまずい所にはいかない。ちなみに、個人の意見だが、中華レストランで飲むエスプレッソで美味しい所はほとんどない。
「行きつけ」、と呼ぶほどではないが、何度も通っているところは、先方は私の事を知っている。「これから空手?」「家族は元気?」何かと声をかけてくれる。
逆にある時間帯に行けば、必ずそこにいるお客さんもいたりする。「おごるよ。」日本好きのおじいちゃんに声を掛けられる。イタリア人はおしゃべり好きだ。「もう先に払っちゃったから、また今度ね!」と去る。普段から時間がないから、長居はしない。
余談だが、歌の練習の後、寄るバールでは(月に2回)、ちょっと一杯頂く。毎回メンバーは10人前後いるが、1人がトマトジュースを頼み出したら、皆が試した時もあった。コンディートと呼ばれるもので、レモン果汁、塩、黒胡椒、タバスコ、オリーブオイルなどがを加えられる。まあ一回でいいかな?笑
いずれにしても、バールは時間帯によって雰囲気は変わるが、人が集まり、家庭では生み出せない気持ちの入れ変えの場にもなる。
私はスーパーやメルカートに1人で出かけても、地元だと大抵必ず知り合いに合うし、知り合いの屋台も多いので、何もしゃべらず帰宅することはほとんどない。そういった人と接する習慣の中で、自分の生活を見つめ直すこともあるのか?と改めて考えた。
忙しすぎると(そうでなくても)、人は目の前しか見る余裕がない。
今日一日どうだったのか?と振り返る時、客観的に自分を見る時、自分の目線だけでは気づかない(気づけない)状況や自分を知ることにつながるのかもしれない。
「生活に句読点」。
朗読と一緒。「間」を意識することで、新たな呼吸でリズムを作り出す。
コーヒーがおいしければ直良し。
今日の一句
活気ある 雑踏の中で 点を打つ

