私にはミラノで、心の姉として慕っている友人が数人いるが、そのお一人である宮本映子さんの著書「ミラノ 朝のバールで」をこの夏入手、そして読了。
読みながら、映子さんの優しい声で語られている錯覚に陥った。
知り合ってからかれこれ、17-18年経つが、エッセイ集を刊行されていたとは、耳にはしていたが、やっと、やっと読むことができた。
以前ご本人からもお聞きしてはいたが、渡伊のきっかけなどが事細かく綴られている。
個人的な事だが、今年に入り、ひょんなことから映子さんのお姉様ともネットで知り合う機会があったのだが、そのお姉様が映子さんが10歳の時に送ったN氏事、西川治氏のイタリアの写真集に魅せられて、映子さんはイタリアに恋焦がれ、イタリアくんだりまで来られたとは、改めて驚きと笑いを持って読み進んで行った。
普段はとてもほんわか、穏やかで、淑やかなのに、時に天然?!と言うくらい、年下の私が言うのは失礼だが、非常に可愛らしく、また時に目が点になるほど意表をついた大胆なことをなさる。そのギャップと芯の強さに惹かれてしまうのだ。まさに強くてしなやかで美しい人。
著者を知らず、本だけを読み進んでいけば、単なる「イタリア生活あるある」とみられがちになってしまうかもしれないが、彼女に(誰にとってもそうだろうが)とって説明しがたい悲しみや非情な出来事も、全てありのまま受け止め、味わい深い言葉で表現されている。
ところでかれこれ20年ほど前に、やはり私がミラノの心の姉と慕う方にあるレストランに連れて行ってもらった。それはそれは、カメリエレ(ウエイター)が皆イケメンで驚いてしまった!…とそれは関係ないのだが、レストランの名前は、"Al Valentino"というお店であったが、今は(20年前の話)"Al Valentino 2"というお店もあって、そこのオーナーは奥様が日本人で、私(友人)が初めてこのお店に来た時、「僕にも日本人の婚約者がいるんだ」って言ってたのよ…」と聞いていたのだが、あとからその婚約者が映子さんであったと知った。
本文にもあるが、「人生は車輪のようなもの」というイタリア人がよく口にする言葉がある。これは誰にでも人生におけるさまざまな順番がまわってくるという意味である。しかし、それは決して開き直りや諦めではない。我々を包み込む偉大な力の存在を受け入れた者だけが感じ取ることができる、安らぎである。
偉大な力...文中で当時は予感的に書かれていたが、その後映子さんはカトリック信者になられた。
いきさつは忘れたが、カテキズモで始めにつかれた修道士にあった途端、この方はすぐにお亡くなりになられるかもしれないと悟ったそうだ。私も修道士が帰天されてから知ったが有名なエクソシスト(悪魔祓い)であった。その後偶然私の代母でもあるカテキスタのシスターにつかれた。ある意味、映子さんとは霊的姉妹となった。
「運命」という一言よりも、これは神のみ摂理、ご計画なのでは?と思うことが良くあるのだが、まさに著書にある出会い、導きにそれを感じてしまう。
彼女が10歳の頃、本を通じ憧れた写真家の西川氏のご自宅を、大学生になり上京し、偶然街中の住所で発見しいきなり訪問。それだけでもすごいのに、更に十数年後その憧れの方の写真が表紙になり本を出版され、料理研究家でもおられる西川氏と共著までされておられる。
ご家族を何気に知っているだけに、親しみを持って読み進んでいった。どこを切ってもほんわりした映子さんの香り。
エッセイ集とあるが、これは、珠玉の短篇集と言っても過言ではない。
今日の一句
カフェ薫る 人間模様 朝バール
