大往生 〜 その4 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

父の7人兄弟で唯一生存していた妹、つまり叔母が永眠した。享年82歳。
 
私が叔母にお会いしたのは、10回もあっただろうか?あったとしても20回以下は確実だと思う。とはいえ、非常にインパクトのある方だった。
 
非常に美しく、おしゃれで、明るく話も面白く、その方がいるだけで場がパッと明るくなった。そして非常に教育熱心でもあった。
 
父は岩手の花巻出身だったが、私たちの前で方言を話すことはなかったが、初めて叔母たちの言葉を聞いた時の驚きは子供心にまだ覚えている。聞いたことのない抑揚や言葉...驚きと親近感。その後同郷の宮沢賢治の詩には、懐かしさや優しを感じたものだ。
 
晩年、認知症状があり、夫である叔父が面倒を見ており、従兄妹である子供たちは大学から上京し、そのまま東京暮らしだが、従姉妹は、変わってしまった母親にあまり優しく出来なくて申し訳なかったと言っていた。
 
私も同じ立場でいたら、優しく出来ただろうか?自分が認知になったら....そんな事まで考えてしまった。
 
父が高校を卒業し上京し、親類の家に居候していたそうだが、妹である叔母にジーンズを買って送ってあげたら、父親代わりだった彼らの長兄に、みっともないと言って、当時温泉街の簡易郵便局を受託していたが、そこの金庫にしまわれてしまったと言う話を6年前の父の葬儀の時に聞いた。
 
その後叔母も上京し、父と一緒の親類の家に居候していたが、大学を卒業し岩手に戻ってしまった。
 
こちらは両親の結婚式の時の父と叔母とお世話になったと言う彼らのおじさんとの一枚。
 

 

ところで、この4、5年、親類の多くが逝ってしまった。
 
皆80歳以上。90代、100歳を超えた叔父叔母もいた。
 
とはいえ、人生は儚い。自分が今年還暦になるなんて考えられないが、人生はあっという間なのかもしれない。
 
しかし、自分がどう生きて来たか、そのつみかさねが人生。
 
自分に与えられた道をひたすら歩く。昨日を過ごし、今日を生き、明日を迎える。
 

一打一打のつみかさね 

一歩一歩のつみかさね 

一坐一坐のつみかさね 

一作一作のつみかさね 

一念一念のつみかさね 

 

つみかさねの上に咲く花 

つみかさねの果てに熟する実 

それは美しく尊く 

真の光を放つ

『坂村真民一日一言』致知出版社

 

大往生。お疲れ様でした。

叔母の永遠の安息を祈ります。

 

 

今日の一句

大往生 向こうで兄妹 大集合