「聖家族」の祝日 2026 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
今日1月25日は、アンブロジアーノ典礼における「聖家族」の祝日であった。
 
ローマ典礼では、クリスマス後の日曜日に祝われるが、アンブロジアーノ典礼では「エピファニア」(主のご公現)の祝日後3週目の日曜日、つまり1月最後の日曜日。
 
地元パロッキア(小教区教会)では、数年ぶりにフランス人共同体と共同ミサであった。
 
フランス人学校が近くにあるので、フランス人も多い地域なのだが、この10年近くは、フランス人司祭の関係で、ミサの場所も点々としていたが、昨年から我がパロッキアに戻ってきた。ただ時間が違うので、顔を合わすことはほとんどなかったが、かなりの信者数で、しかもフランス人のカトリック家庭は子沢山が多い。
 
お御堂は座る場所がほとんどなく立っている人も多かった。そしてミサの聖歌は全てフランス語。(毎年「聖家族」の祝日に歌っている2012年ミラノで行われた「家族」がテーマであったカトリック大会のテーマソング”La tua famiglia ti rende grazie”が歌われず残念!)朗読はイタリア語と半々で待者である子供のキリケチェッテイも多く、フランス人のキリケチェッテイは長いオフホワイトのマントを着ていた。(おしゃれ〜!)
 
アンブロジアーノ典礼での第2朗読はルカの福音2章22-33節であった。お説教はイタリア語であったが、地元の若い子が、地域の家庭を回るボランティア活動をしているが、よくよく話をしたら、彼は幼い頃、親が離婚してしまい家族がバラバラであったので、そういった悲しみや苦しみにいる子がいないか?避けられるものならば避けられないか?そういった手伝いをしているのだと言う話であった。
 
司祭は、教会も家族であるように、学校も職場も自分の関わるところは皆家族であると語った。
 
とはいえ、いじめやパワハラがあるような学校や職場云々、家族だなんて飛んでもない!と思う人もいるかもしれない。また、在校時間、勤務時間外には関係者とは付き合いたくないと言う人もいるのかもしれない。
 
しかし、見方によれば教会や学校、会社などは、単なる施設や組織を超え、信頼と支え合いに基づく「家族」のようなコミュニティであり、霊的な成長、教育、試練時の支えを提供する場とも考えられる。とりわけ教会は信者同士が「みことば」を学び、神を礼拝する家族の絆を育み、学校も同様に、教育活動や人間関係を通じて絆を形成することができる。
 
ところで、「愛はまず近きから」聖書の基本的な教えである。そして、マザー・テレサもおっしゃった。

「愛は家庭から始まります。もし四六時中ともに生活している人を愛せないのなら
どうやって一度しか会わない人を愛することが出来るでしょうか。思いやりや親切によって
喜びを分け与えることによってほほ笑みを投げかけることによってささいなことを通してでも愛を表すことができます。」(マザー・テレサ『愛するために』)


ミサが終わって、持ち寄りパーティが行われたが、私は前夜帰宅が遅く、また朝は、古武道のオンラインレッスンがあり、疲れていたので帰宅した。ミサ中私の二列前に近所の友人がいたので、一緒に帰宅した。
 
久しぶりに会ったので、お互いの家族について話していたのだが、「最近、ご主人見かけないけど元気?」と尋ねたら、もう1年以上前に家を出て行ったというではないか?我が家の長男から何も聞いていないか?と逆に聞かれたくらいであった。(息子同士幼馴染なので)真面目一筋で穏やかに見える方であった。話しだすと止まらず、たまに彼に会うと、どちらかのアパートの前の門でしばらく立ち話するくらいであった。『なぜ?!』という言葉だけが頭の中でリフレイン…。
 
どこに住んでいるか?さえわからず、クリスマスにメッセージが来ただけだったと言う。当事者ではないのに、何とも言えないやりきれなさ、喪失感を感じた。もちろん、他人の家族や夫婦ののことは、当事者にしかわからないことだろう。だから周りの人間がどうこう言うことではないが、少なくとも彼女が、心も体も生活リズムも整うことを願うばかりである。
 
聖家族の祝日に、家族のあり方、夫婦のあり方を考えさせられた。