先週から風邪気味だったので、週明けのアルベルト神父様の葬儀ミサ参列をどうしたものか躊躇していた。
幸か不幸か、土曜日空手から帰宅し、遅い夕食のあとウトウトして来たので、ちょっと横になったらなんと夜中の1:30まで寝てしまった!
結局ベッドでウダウダし、朝まで寝たら風邪はすっかり良くなっているではないか‼︎念のため、プロポリスを喉に何度もバシャバシャ噴射。喉の腫れも治り、咳も止まった。
…と言うわけで、朝起きてすぐに葬儀が行われるレッコに向かった。1人友人が参列予定であったので、「今私も向かっています」とメッセージを入れると駅まで車で迎えに来てくれた。
ミラノ外国宣教会のレッコの老人ホームには、何度足を運んだだろうか?電車の車窓からの風景、そしてレッコ湖畔は四季折々の姿を見せてくれる。どれも哀愁に満ちている。
余談だが、ベルガモの2箇所にお世話になったシスター方がおられ、そちらにもよく通ったが、今年お二人が追いかけるように帰天され、もうベルガモに足を運ぶこともないのだな、と思うとちょっと切なくなった。レッコにはまだ通わせて欲しい。
葬儀ミサはいつも面会の際、神父様方にお会いするホールで行われた。祭壇が作られ、前の方には車椅子で私服ではあるが、肩に紫色の帯状のストラをつけられた司祭方がロザリオを唱えられていた。
祭壇中央にはまだ蓋が閉められていない棺が安置され、遠くからアルベルト神父様のお体の上、というよりも棺に蓋をするように白いレースがかけられていた。遠くからでも神父様の小さくなられたお顔に、スーッと鼻筋の通った綺麗な鼻が見えた。
2017年に帰国された時はまだがっちりされていらしたのに...。親類からの差し入れか?いつも神父様は上質の、そして色の明るい服を着ておられた。
参列者に配られた記念のカード。
「主の家に集まって共に過ごすことは、なんと素晴らしいことでしょう。」と書かれていた。
詩篇も121章が朗読された。
人々がわたしにむかって「われらは主の家に行こう」と言ったとき、わたしは喜んだ。
エルサレムよ、われらの足はあなたの門のうちに立っている。
いつも喜んでおられた優しいお顔のアルベルト神父様が脳裏に焼き付いている。
司式は2日後に日本へ発たれる元総長のフェルッチョ神父様。前日日本人ミサで「お元気で」とご挨拶したが、またお会いできた。祭壇左側は現在の総長様。
神よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知をお与えてください。
一日一日を生き、この時を常に喜びをもって受け容れ
困難は平穏への道として受け容れさせてください。
これまでの私の考え方を捨て、イエスがされたように、
この罪深い世界をそのままに受け容れさせてください。
あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされると信じています。
そして、この人生がささやかな幸福なものとなり、あなたのもとで永遠の幸福を得ることでしょう。
アーメン





