~ 亡き者への涙は蒸発する。墓の上の花は枯れる。祈りは神の心に届く! 聖アウグスチヌス ~
あっという間に11月に突入。今年も残すところ後2ヶ月。
今日11月1日は「諸聖人の日」の祝日。イタリアは休日。
元々教会は、殉教者を祝って来ていたが、9世紀あたりから11月1日に移動し、殉教者から諸聖人をも祝うようになったと言う。
キリスト者が死の彼方の命への希望に生きるように励ましてくれるためであり、また、目にみえない世界に入ったすべての人との連帯を意識する、そして主の再臨とキリストの輝かしい完成を思い起こさせる日でもある。
また翌日の2日は祝日ではないが、今年はたまたま日曜日の「死者の日」。そして11月いっぱいを「死者の月」と呼ぶ。
イタリアの教会、どこでも歌うわけではないだろうが、この月、我がパロっキアではこの聖歌をよく歌う。
「聖者が街にやって来る」または「聖者の行進」のイタリア語版。
黒人霊歌の一つで、ディキシーランド・ジャズのナンバーでもある。原詞は聖書の黙示録を踏まえ「最後の審判で聖者が天国に入って行くとき、自分も一緒にいたいものだ」と歌うのもので、「聖者が街にやってくる」訳ではない。
Oh, when the saints go marching in,
Oh, when the saints go marching in,
Oh, Lord, I wanna be in that number,
When the saints go marching in.
イタリア語
E quando in ciel dei santi tuoi
la grande schiera arriverà.
O Signor come vorrei
che ci fosse un posto per me.
E quando il sol si spegnerà
E quando il sol si spegnerà,
O Signor come vorrei
che ci fosse un posto per me
天にあなたの聖なる者たちの
大群が到着する時。
主よ、どうか私に
居場所がありますように。
ところで今日もミサのお説教では、主任司祭は「あなたにとっての聖人は誰ですか?」と聞かれ、一瞬考えてしまった。
イタリア人の多くは、アッシジの聖フランシスコやマザー・テレサを思い浮かべる人も多いかもしれない。私は自分の洗礼名でもある聖ソフィアを思い浮かべた。
「聖人はあなた方と同じように、各自オリジナルテイを持っています。サンタンナ、サンタ・マリア・ローザ、サンタ・オルネッラ...」と最前列の信徒席に座っている人の名前を言いあげていった。
聖人になることがなくとも、天の神のもとで安らかに憩うことを誰もが願っているはず。だから、神様に私にも場所を取っておいてね!というのは、私の願いでもある。
とは言え、聖人になるのは、聖職者の特権ではない。私たちが授かった賜物を他者のために与えることが、私たちの命、そして賜物が生かされることだろう。
この夏、知人の親類が63歳で帰天されたと言う。教会の助祭を務めていたと言う事もあるが、彼の葬儀に50名もの司祭が司式、参列されたと言う。一司祭の葬儀でもそこまで聖職者が参列するなど滅多にない。
しかも葬儀後1週間、朝のミサの説教では彼について毎朝話されたと言う。それだけでもどれほどの人格者であったかが窺われるし、既にサント(聖人)ですね、と話した。
旅立った家族、親戚、友人、恩人だけではなく、戦争の犠牲となった方々、すべての死者を思い起こし、彼らの墓・納骨室の前で、少なくとも心の中でも立ち止まり、彼らの霊魂を救い主に委ね祈りましょう。
主よ、永遠の安息を彼らに与え、不滅の光で彼らを照らしてください。彼らが安らかに憩いますように。アーメン。

