死者の月 2024 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

カトリックでは11 月を「死者の月」と呼ぶ。

 

死を想い、死者のために祈る月。私たちすべての人間は、人生の最期には、必ず死に直面せねばならない。今日という一日が与えられたことを神に感謝し、今日一日、与えられた命を精一杯生きていく…、それは有史上繰り返されてきていることだが、実は「生かされている」不思議な恵みなのだ。

 

ところで、今日、友人のご主人が大司教ミサで聖歌隊を指揮し、また別の友人も聖歌隊員として参加するというので、参列してきた。

 

場所は、ミラノの中華街に近いモヌメンターレ墓地。直訳すれば「記念碑墓地」だろうか? ミラノの著名人やお金持ちのお墓が美しい彫刻で施されており、これでもか!これでもか!と並んでいるのだ。ミラノに住んでいたら、一度は訊ねてみたいところ。(とはいえ、私は二度目であったが、美術館の宗教画ばかりを観た後の美術館酔いのような疲労感に陥ってしまった。)

 

モヌメンターレは、1860年建築家のカルロ・マチャキーニ氏の設計によりロンバルディアの中流以上の名家が設立したという墓地。1866年より埋葬が始まり、敷地は約25,000平方メートル。東京ドームの約23個分だ。

 

 

 

正面の建物から左右に回廊が伸び、回廊の下の階(地上)の門をくぐって中へ入る。


お天気が良かったので、中庭での野外ミサ。聖歌隊が既に聖歌の練習をしていた。

 

 

«Preghiamo per i morti per costruire il futuro»

 

本日11月1日は「諸聖人の日」であり祝日であるが明日2日は「死者の日」。土曜日であるが日本のように振替休日とはならない。11月全体を「死者の月」として特にお墓参りをする人が多いが、その初日に、ミラノ大司教区の大司教が死者追悼のミサを司式された。

 

大司教は常にそうだが時刻通りに黒塗りの車で現れ、赤紫の色の司祭服を着用されておられた。毎年追悼ミサは雨に遭い、マンゾーニのお墓がある室内で執り行われていたようだが、今日は朝から天候に恵まれた。

 

ただ、午後だということもあり祭壇側が西日でまぶしくて、何度も手を額にあて、陽を隠したり、ミサの途中隣の席に移動したりした。笑

 

 

大司教は、お説教の中で、墓地は、共同体の思い出を保存する場所である、と述べられ、また、2つの病、2つの深刻な誘惑について話された。

 

一つ目は、記憶の喪失、"la perdità della memoria"であった。

 

私たちは今や、スマフォに囲まれているが、それは記憶の収集や保存の必要性に取って代わるものである。しかし、 人の記憶とは、単にデータを記録することではなく、記憶することであり、つまり「心」に関わるものである。

 

しかし、この記憶の喪失は、社会的・集団的なレベルではさらに深刻で、過去の過ちを繰り返すことを可能にする。 なぜ私たちは戦争をするのか? なぜ現代でも、近隣諸国を殺戮する国々が存在するのか? 戦争がいかに悲惨なものであるかを忘れ、戦争で物事が解決できると考えているのかもしれない。

 

二つ目は、病んだ記憶、"La memoria malata"

 

『過去を思い出すことによって、恨みと復讐心を育む、病んだ記憶を大切にすること』である。 もはや互いに口を利かなくなった人々のように、まさに「互いに敵対するきっかけとなった、あの喧嘩、あの侮辱、あの議論を思い出し続けるのである。 


しかし、大司教は、それどころか『私たちが(ミサ聖祭で)祝っている神秘は、記憶というものがいかに優れたものであるかを教えてくれる』と強調された。 

 

本日のアンブロジアーノ典礼では、第2朗読でローマ人への書簡8章が読まれたが、すべてのものは神を愛する者の「善」に貢献すると述べている。

 

その思いは、墓地という「先に逝った人々の記憶を保存するために作られた」場所に戻るということだ。(イタリア語の”Ricordare”「心に」「戻る」がまさにその意味であろう!)

 

そして、死者を偲ぶことによって、赦すことを学び、すべての人のために、たとえ見知らぬ人や悪事を働いた人のためであっても、執り成すことを学ぶ。 良い記憶とは、思い出すことのできるすべてのことを大切にし、常にそこからより良くなるための理由を引き出すものだと…。

 


西日とお香がまじりあい、光の中で霧が出ているようにさえ見えた。

 

ミサが終わってから友人たちと、墓地散策。

 

 

 

スカラ座やメトロポリタン等の音楽監督を歴任し、20世紀前半を代表する指揮者・トスカニーニのお墓。十分に大きなお墓なのだが、周りのこれでもか!これでもか!というお墓に比べるとこじんまりしているようさえ見えてしまうから面白い。音楽家の友人は、ヴェルデヴィと違って、トスカニーニは指揮者だったからね…とのこと。収入が違ったということか?!笑 ↓

 

 

 


お墓もヴィッラのようで、隣通しがくっついていない。秋の様相が良く似合う。

 

image こちらは墓地内の地図。有名どころがしるされているが、そのほとんどが建築家や彫刻家の名前が連なっていたが、私は無知のためほとんど知らない方々ばかりであった。

 

とにかく、どれだけお金をかけて作ったのだ?という芸術性の高いお墓ばかり。
 
こちらは、カンパリ家のお墓。これは「最期の晩餐」ではないか!台の側面にDAVIDE CAMPARIとまで刻まれている!ちなみにカンパリ家の2代目ダヴィデは宣伝広告にも熱心だったそうだが、先日も書いたドウモ脇のヴィットリオ・エマヌエーレのガレリアにカンパリを登場させ、急成長したわけで、偉業を成し遂げた暁に、お墓もドッカーん!とすごいものを作ったのだろう!

 

 

その後、出入り口の回廊から入り、中央部にあるイタリアを代表する詩人、アレッサンドロ・マンゾーニやリソルジメント期における政治家及び政治学者であったカルロ・カッターネオ氏の墓を見学。
 

雨の場合に向けて、ミサの準備もされていた。

 

一般人のお墓もこれくらい集められると、芸術となるのだなあと感心してしまった。↓

 

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今や墓仕舞いが進む日本。「お墓のあり方」そして「死のあり方」を考えさせられる。そして、人は「生」をうけ、「死」に進んでいく。

 

思わず、ミサ司式の言葉が甦る。

 

聖なる父よ、信仰をもってわたしたちに先だち、
安らかに眠る人々………を心に留めてください。
この人々、またキリストのうちにいこうすべての人に喜びと光と平安を与えてください。

 

心に残る「死者の月」の始まりであった。

 

今日の一句

墓参り 亡き父悼み 平安祈る