次男を1人で帰国させた。
母はまだ元気だが、父が他界し、一気に痩せ雰囲気がもろ「お婆さん」に変わってしまった。数ヶ月前に母に会った夫が、なるべく早いうちに次男には母に合わせておきたいと思ったようだ。
しかし、この夏私は帰国の予定はなし。次男は家庭で日本語は話しているが、日本語の補習校を小4で辞め、日本語、特に読み書きに劣等感を感じているようでこの帰国が非常に憂鬱なようであった。
特に日本には友達がおらず、3番目と言うことで周りにお膳立てされながら育ってしまったので、二十歳とはいえまだまだ甘いところがある。
昨年の夏に彼のアルバイト先(ラーメン店)を長男が見つけ、面接まで決めて来てしまい「僕は頼んでいない」「日本語は出来ない」と言い張った。
ちなみにお客のほとんどはイタリア人だから、日本語はどれほど重要ではない。とはいえ、当初は日本人スタッフのみだったので、業務連絡のメッセージのたび、「なんて書いてあるの?」と聞いて来た。
しかし、そんなのは慣れだ。日本語を全く解さない外国人ではないし、やはりイタリア人に比べれば、気は効く方だろう。一度彼のシフトの日に食事に出かけると、店長さんに「○君なしでは店は回りません。彼産んでくださりありがとうございます!」と言われ大笑いしてしまった!
次男がいることで店長さんは、自分の休みが取れるようになったようで、たとえそれが冗談半分であっても、「産んでくれてありがとう」とは、これほどまでの褒め言葉はない!
次男は以前一緒に空手をやっており、彼は私より2年も早く黒帯を取得したのだが、ある支部開設の際はその支部長の子供たち(3人)は誰も支部のサポートに来ていなかったが、次男は黒帯取得前であったにも関わらず、毎週欠かさず出かけていた。学校の勉強を言い訳にしたこともないし、誰とも群れず、黙々と稽古に励み、週5回、それこそ部活のように通い、いまだに当時の支部長には賞賛され、仕事が必要な時はいつでも相談してくれ、と言われている。(子供自慢の親バカちゃんちゃかりんですいません!)
ついに6年ぶりの帰国。私も兄弟もおらず、またおじいちゃんもいなくなりおばあちゃんと2人きりで過ごす数週間。
同じ便で帰国した友人から、「搭乗が始まるのに、○ちゃんまだ見かけてません!」と空港から連絡が入り、メッセージを入れるとまだ手続き中であった。大丈夫?と思ったが、上記友人より「到着しました」と画像付きで連絡が来、また乗り継ぎもあまり時間がなく気になっていたが、出発が遅れたようで、搭乗前の次男の画像が隠し撮りで送られて来ていた。笑 (私もきっと友人のお子さんが同じ飛行機だったら、友人にお子さんの隠し撮りを送ってしまうかもしれない。笑)
とはいえ、何か人生に大切なものを吸収して来て欲しいと思う。
今日の一句
反抗期 辛かった分だけ 今がある
