喜びに満ちた日 〜 その7 番外編II | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

パドヴァに移動された巡礼団をお見送りし、ミラノへ戻ったが、買い物途中バールに寄った途端大雨。それからしばらく外に出られなかった。
 
その後、あちこち木が倒れておりびっくり!結局アンドレア師率いる巡礼団は嵐の合間を縫って南下されて行った。
 

 

数日後、トレヴィリオの地方紙”Il Popolo Cattolico”に日本からの巡礼団について掲載され、そのコピーがトレヴィリオの友人から送られて来た。
 

 

それをアンドレア師を始め、巡礼団の皆さんへ転送したが、私事だが、あまりにも忙しくて翻訳までつけることができず気になっていたが、アンドレア師より巡礼団に記事の内容が説明されたようであった。

 

 

レンボ師、40人の日本人と共にお国入り。ドンギ(カテドラルの主任司祭であるドン・ノルベルト)より「我々を尊重する経験」とあった。

 

 

 
『トレヴィリオ出身の東京大司教区司教補佐であるアンドレア・レンボ司祭は、日本人の信者と共に町を訪問。一行はSan Pietro教会の10時半の主日ミサ及び洗礼式にあずかった。
 
その後歓迎会後、午後にはLa Santuario della Madonna delle Lacrime・涙の聖母教会及びPorta del Cielo美術館を訪問し、Cameroni広場のジェラテリアでジェラートを堪能、トレヴィリオでの一日の幕を下ろした。
 
「素晴らしい経験でした。」と主任司祭であるモンシニョール・ノベルト・ロンギがコメントされた。
 
「簡潔でありつつ、殊に重要な出来事であった。40人もの日本人信者がトレヴィリオを訪れることなどめったにあることではない。何よりもまず、それは歓迎の経験だった。 私たちの事務局、聖ペトロ教会、そしてボランティアたちは、このイベントを企画し、この人たちが場所だけでなく、キリスト教共同体によって歓迎されていると感じられるよう、多大な努力を払ってくれた。
 
何よりもまず、それは歓迎の経験だった。 私たちの事務局、聖ペトロ教区、そしてボランティアたちは、このイベントを企画し、この人たちが場所だけでなく、キリスト教共同体によって歓迎されていると感じられるよう、多大な努力を払ってくれた。
 
教会の美しさと、そこに集められた美術品の数々は、私たちにとって最も大切なもの、すなわちイエスへの信仰について、私たちがひとつになり、交わりを持つことを感じさせてくれた。

ミラノ、フィレンツェ、ヴェネチアのような都市ではなく、トレヴィリオのような小さな町に1日を捧げることを選んでくださった人々は、私たちが時に過小評価する家庭的な美しさを認識させてくれた。」』
 
確かに、トレヴィリオの教会側の歓待を非常に感じた。教会側から見れば、私たちは同じ日本人信者かもしれないが、あくまでも日本から来られる巡礼団がメインのお客様なので我々、在ミラノカトリック日本人会のメンバーは、そのおこぼれにあずかる旨、知人、友人と声をかけ、参加者の輪を勝手に広げたり(イタリアでは結構あるある的なこと!)、そして、日本の信者さんやエージェントのやり取りは、即答であるので、イタリア風に伸ばし伸ばしにならない様気を使った。
 
かといって、イタリア側(トレヴィリオ側)の返答は、さまざまな状況もあったと思うが、待たされることもあり、両方の「あるある」状況の中、気をもむことも多々あった。
 
しかし、イタリアのなんとかなるさ的日常を過ごしていると、経験上焦ったり、細かいことにこだわることがいかに小さなことか感じることも多い。私に気を使って下さる日本の信者さんも多かったが、少なくとも彼らとのやり取りは非常にやりやすく、気になることはほぼほぼなかった。イタリアに長く住むと、「寛大」というと、言葉は綺麗だが、「仕方ない」「まいっか」というように自然になっていくのかもしれない。笑
 
あっという間に巡礼団も帰国の途につくことだろう。きっと大きな恵みを頂いての帰国となること間違いなし。このお恵みは、カトリック信者間、または仲の良い仲間内での分かち合いにとどまらず、全ての人に信仰の証として示されれば良いと思う。
 
喜び、祈り、感謝は相互に関連し、私達キリスト者の生活において不可欠な要素となる。
 
いつも喜んでいなさい

好きな聖句だ。単に嬉しい時に喜ぶだけでなく、困難な状況にあっても、神の愛と恵みが変わらず私たちに与えられていることを信じ、喜びを見出すことができますように。
 
今日の一句
涙をもって種を蒔く者は、喜びの声をもって刈り入れる