堅信式 @ドウモ ミラノ大聖堂 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

  
 
日曜日の午後、友人のお嬢さんの堅信式にドウモに出かけて来た。

 

ミラノ大司教区は世界でも一番大きい教区と言われ、1,105の小教区がある。 このうち1,099の小教区は63の司教区に分かれており、司教区は7つの司牧地域に分かれている。 また、4つの病院小教区と2つの個人小教区がある。(全く余談だが、こんなに大きな大司教区になぜか枢機卿がいない…コンクラーヴェの際、ミラノとパリから枢機卿がいなかった事を不思議に思うのは、私くらいか?苦笑)

 

 

 

毎年、ミラノ大司教区では、堅信(cresima)を受ける(または受けた)Cresimandiがサン・シーロに代父母、カテキスタなどと集合し、ミラノ大司教の祝福にあずかる。私も過去に長女・長男のセレモニーに加え、教皇ベネディクト16世と教皇フランシスコがミラノにいらした時、ボランティアとしてクレジマンデイのイベントに参加した。

 

毎回5万人前後の人が集まり、教区ごとに色分けされ、サン・シーロ・スタンドは色鮮やかになる。競技場駐車場には遠くから来る観光バスがひしめき、市内からやってくる団体は皆地域ごとに色分けされたビブスを身にまとい公共機関を使ってやってくるのだ。

 

 

 

話は基、堅信式は司教によって執り行われる秘跡。一般司祭(神父)が行うことはできない…よって小教区の多いミラノ大司教区は、その順番待ちとなるわけだが、大抵は各自小教区教会(パロッキア)で行われるので、なぜ今回ドウモで行われたか不思議なのだが、2つのパロッキアの計90名弱の児童(11歳)が堅信を受けた。しかし、あいにくデルピーニ大司教はローマで行われていたイタリア司教会議出席のため不在で代理による司式であった。

 

ところでドウモは、総面積は1万1700㎡(全長157m、幅92m、高さ108m)もあり、ゴシック建築の大聖堂としては、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ大きさ。

 

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建築は1386年にミラノの領主「ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ」と、大司教「アントーニオ・ダ・サルッツォ」の号令で着工。完成したのは、ナポレオン最盛期の1813年。実に500年近くの歳月が費やされている。

 

ドウモへ赴く度、その歴史と偉大さに感動してしまう。

 

ミサ中、祭壇脇の柱の間にある、「クアドローニ」と呼ばれる一連の絵画を見入ってしまった。これは、16世紀にミラノの大司教であったサン・カルロ・ボッロメオの姿に敬意を表していると言う。

 

ペストに苦しむ人々への秘跡の伝授、トリノでのサヴォワ公との会見、ドゥオーモでの葬儀など、聖人の生涯と奇跡が描かれているそうだ。

 

 

ちなみに堅信者とその代父母が前方12列席を占め、保護者は両脇の席。それ以外の親類友人は早く到着したものから席が取れ、一緒に出かけた友人が早くドウモに出かけていたため13列目を確保‼︎よく見えた。

 

司式後は、司祭団と記念撮影。

 

 

何度ドウモに出かけてもお上りさん状態で周りを見回してしまう。しかも今や入場は有料なので、特別なミサでない限り、左側の入り口からのみの入場で写真撮影やウロウロ回ることは出来ないのだ。

 

こちらは、入り口中央部の美しいステンドグラス。19世紀半ばのイタリアの画家で版画家の「ルイージ・サバテッリ」による「聖母マリアの被昇天」…いうまでもなく、ドウモは聖母マリアに捧げられている。
 

 

そして、今回初めてドウモ内の日時計を発見。これは、ブレラの天文学者によって作られたのだという。

 

イタリアでは、18世紀後半まで、24時間は日没の瞬間から始まるものとされていた。しかし、日没の瞬間は、太陽の周りを地球が運動するため、1年の間に変動し、時には何分も変動することもある(ミラノの場合、その変動は約3時間半に達するそうだ)。 このため、多くのヨーロッパ諸国は、太陽が観測地の子午線上で最大の高さに達した瞬間、すなわち「真の正午」を新しい日の始まりとして採用することにした。「 真の正午」の瞬間を決定するために使用される器具が日時計であった。

 

18世紀、ロンバルディアはオーストリア帝国の一部であったため、1786年12月1日以降、正確な「真正午」を基準とする「トランスアルパインタイム」(またはフランス時間)に合わせるようにとの勅令が出された。 そこでブレラの天文学者たちは、ドウモの中に子午線を作る仕事を与えられたのだそうだ。

 

この日時計は、ドウモの床に埋め込まれた真鍮の帯で構成されており、大聖堂の全幅を南から北へ横切り、入り口付近まで続いている。 身廊の天井、南壁の近く、高さ24メートルのところに、太陽光線を通す穴がある。

 

Mistero e scienza in Cattedrale: la meridiana del Duomo

 

日時計を設置する場所の選定には、2つの非常に厳密な条件があったのだそうだ。市民からよく見え、同時に宗教的儀式の妨げにならない場所であること。 また、天文台から送信される正午の信号と子午線の位置の正しさを確認することで、子午線を「同期」させることができたからという。

 

すべての市民が子午線にアクセスできるようになったとはいえ、全員が毎日同じ時刻にドウモに時計を合わせに行くことは無理なわけで、正午の合図は担当者が日時計を読み、正午の瞬間にスフォルツェスコ城に向けて合図を送る。 そこから大砲が打ち鳴らされ、市民に新しい一日の始まりが知らせたそうだ。

 

 

 

首が痛くなるほど、上を見上げ写真を撮った。笑 

 

 

 

 それにしても、カトリック信者にとってドウモは「神の家」であり「祈りの家」でもある。信者でなくても中に入ればその荘厳さに圧倒されることだろう。

 

芸術作品というだけでなく、その美しさと純粋さが詰め込まれているが、それは主であるキリストと人間の創造性への誓いであると言っても過言ではない。

 

ドウモの前は通ってもなかなか中に入ることは年に数回で、サッと言ってサッと帰ってくることが多い。何度へ行っても毎回新しい発見があるが、今回堅信式に参列出来たことに感謝。

 

こちらは堅信の秘蹟を受けられたお子さんへのお祝いの品。ロザリオとロザリオ入れ。

 

 

聖霊を受け、ことばと行いによって「神の子」としてキリストの証し人となれますように。