ミラノ再発見ツアー 〜 初期キリスト教時代の教会巡り その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

次はいよいよバジリカ・ディ・サン・ロレンツォへ。

 

修復中で工事用シートが外観を損なわないよう配慮されている割に、広告のデジタルサイネージとの違和感を感じたのは私だけだろうか?

 

コスタンテイウスの像が教会を指差している。

 

 

390〜410年ごろ建てられた教会前の広場には16本のコリント式の柱が並んでおり、雨だったので人がいなかったが、普段は何気に座り込んでいる若者が多い。

 

余談だが、この柱は元々、マッシミアーノ皇帝の指示で造られたテルメもしくは闘技場を囲んでいたものと言われている。どうやって運んで来たのだろうか?

 

そして、サン・ロレンツォの初期キリスト教の名称は、バジリカ・パラティーナであり、ミラノにあったローマ帝国の宮殿(パラティウム)に近かったことに由来している。当時この大聖堂の大きさが、円形建築の設計としては西ヨーロッパ最大であったのだそうだ。

 

そもそもバシリカとは建物様式の名称のひとつで、3つの意味があるのだが、古代ローマで古代ギリシャの建築から影響を受けたといわれる公会堂や宮殿、浴場などの建物に使われた建築様式であり、また、キリスト教がローマ帝国内に広まるにつれて、この建築様式が教会堂に利用された。(一番奥はアプス(祭壇)となっていて、その後ロマネスク建築・ゴチック建築にも多々利用されて、その場合は単に大聖堂と呼ばれることが多い。

 

そしてローマ教皇が発行した教皇小書簡により、一般の教会堂より上位にあることを認められた、あるいは特別の役割があることを認められた教会堂も含まれる。(大抵は大聖堂が多いが、小聖堂の場合もある)

 

黎明期のキリスト教は美術に対して敵対的で独自の宗教美術は持たず、文献などから宗教行事は比較的大きな個人邸宅を借用していたと考えられている。しかし、布教地域が拡大するにつれて宗教美術も発展し始め、4世紀前半にはローマの神々を祭る異教礼拝堂を思わせないバシリカを採用することで礼拝空間を確立したというが、サン・ロレンツォの円形建築はビザンチン様式とローマ建築に大きな影響を与えたそうだ。

 

 
八角形の丸いクーポラ。八角形といえば、洗礼堂はその形が多いが、これは完全な数字である「7」を超える新しい始まり。つまり「復活」を意味する。

 

 

 

ランゴバルド族の統治下にあった西暦590年以降この聖堂はカトリック殉教者であったローマのラウレンティウス(聖ロレンツォ)に献呈された、教会の名前自体も変更した。

 

 

こちらからは有料(2ユーロ)の聖アクイリーノ聖堂。

 

 

 

ひげのないキリストは珍しいかもしれない。目が大きく、ほほが赤く描かれているのは、この時期、初期キリスト教の特徴。使徒1人1人の顔がそれぞれかなり個性的に描かれている。

 

 

 

 
羊飼いが天を指差している図。通常思い出すのは、ルカ2:8~15記述のベツレヘム近辺で野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちに、天使が現れ、「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げるシーン。しかし、ガイドは旧約聖書と言っていた。すぐに携帯で検索したがわからず。ダビデ王は、羊飼いから王位に就いた。いずれにしても羊飼いと言う表現は、謙虚さや指導力、慈愛の象徴だ。
 

 

 聖アクイリーノ聖堂

 

地下の聖アクイリーノ礼拝堂。 1910-11年に行われた発掘調査で発見されたと言う。洪水に遭いアンフィテアトロの石を持ってきたと言う説明であった。度重なる倒壊や火災の被害にあったサン・ロレンツオの地下が健在とは驚き。(とはいえ天井にヒビが入っておりすぐに逃げ出したくなった。苦笑)

 

 
ちなみに聖アクイリーノはドイツ生まれの司祭だが、ドイツ、パリで司教座の申し入れを拒否し、パヴィアからミラノに辿り着いたと言うが、1015年頃テイチネーゼ門あたりで、批判したキリスト教色の強い民衆運動であるカタリ派に喉を刺され殉教。サン・ロレンツオまで連れてこられたと言う経緯がある。

 

こちらは、お御堂内にリユースされたコリント式柱。実際は、上下が逆になっている。

 

 
 
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のコピー。テラコッタのピエタ像は、少し埃紛れであった。

 

 
内部は大きいものの装飾は非常に簡素であり、不思議な感覚であった。
 
イエス・キリストの教えは、ユダヤ教の伝統の中に生まれ、ローマ帝国に伝播した。初期教会は、家教会や地下教会などで信仰を維持し、迫害の中で信仰を守り抜いてきた。
 
信仰離れの現在ではあるが、キリスト教の歴史を感じるには、その多様な歴史的文脈と建築様式に注目することが重要であろう。
 
聖書に記されたイエスの教えから始まり、ローマ帝国時代、中世、ルネサンス、そして現代に至るまで、キリスト教は社会と文化に大きな影響を与えてきた。各時代や地域で、教会は信仰の場だけでなく、政治、経済、社会の中心としても機能してきたのがよくわかる。
 
「普遍の教会」。
 
信者としては、イエス・キリストの生き方に生(活)かされる。長い歴史の中での「闇」と「光」、「死」と「復活」、そして「希望」や「勇気」を見たような気がした。
 
良い1日であった。
 
今回も感謝。
 
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